3

「こ、ここは……」
次にアーリィの意識が認識したのは、薄暗い場所だった。近くでランタンが揺れているようで、ぼんやりと見える範囲では苔生した石造りの壁が続いているのがわかる。かつて年に一回の大掃除を任せられた教会管理の遺跡に雰囲気が似ているここは、当然アーリィにとってまったく知らない場所だった。
先ほどまで町の中にいたのに、と視線をまわした途端、吐き気がしてその場にうずくまる。目の前がぐらぐらする。先ほどパニックになった時より明確に気持ちが悪い。気付けば何が何だかわからないような恐怖感はいつの間にか消え失せていたけれど、代わりに押し寄せてきた吐き気に思考が再び働かなくなる。
いったいどうして、と目をまわしていれば、あの長い髪の女性が、申し訳なさそうにこちらの様子をうかがっていることに気付いた。
「すみません、手荒な真似をしました」
「……いったい、なにが、」
「あなたの力を借りて、簡単ですが転移魔法を」
「それって、人の魔力を勝手に借りるくらいで、できること……?」
やっぱりこの人はただ者ではない。そう素直に驚いてやりたいけれど、今にも口から何かが出てきそうで、それ以上はうまく言葉に出来なかった。
気分が悪い。口の中が苦い。口を覆った手のひらに何かがついた気がする。他人に勝手に魔力を使われる、なんて、すみませんの一言で済むほど単純な話ではないと怒りたいのに、それどころじゃない。

魔力とはその名の通り、魔法という奇跡を起こすための力だ。
魔法を使用する際に力を貸してくれる精霊たちに差し出す対価。
感覚としては、血液に近いだろうか。目には見えないし、魔法を日常的に使うような人でなければ、あまり意識もしないものだけれど、誰もが大なり小なり所有しているものだ。人それぞれに魔力の保有上限はあり、使いすぎると大きな不調が現れるし、それが原因で病にかかってしまうこともあるような、扱いの難しい見えない力が魔力である。
だからそれを勝手に使われるというのは、体の中を勝手にまさぐられるのと同義だ。よほど魔力のコントロールが上手な人間でない限りは勝手に使うことなんてできないし、そもそもやろうとしてできる者の方が少ない。できたとしても、かなりのリスクのある行為だと、魔法を使う者なら誰もが知っている。
アーリィも実際に使われたのは初めてだ。まるで内臓を直接触れたような不快感がある。気持ち悪い。吐きそうだ。いや、少し出てしまった。ずっと視界がぐらついているように感じるのは気のせいではないだろう。想像以上のダメージに、体の震えが止まらない。
一応、アーリィをこんな状態にした犯人は、先ほどの声の調子の通り、申し訳なくは思っているのだろう。アーリィをおいてどこかへ行ってしまうなんてことはせず、しばらく悩むようにうろうろと手をさまよわせていたけれど、やがて控えめに背中をさすってくれた。少しだけ気が楽になる。
落ち着くまで何度か深呼吸をした後、アーリィはこのまま逃げられないようにと、ぐっと彼女の手を握った。
「あの……言いたいことはいろいろあるけど、とりあえずキミ、あの時村にいた人だよね? ファルを助けてくれた……」
「助けられてなんていませんけど」
「反応するところはそこなのかい?」
未だに残る気分の悪さで力なく笑うアーリィに、彼女は静かに視線を返す。
見つめてくる瞳から感じる印象は、とても静かなものだ。それなのに、勝手に魔力を使うだなんていう強引な行動や、詠唱をしない高度な魔法の技術など、謎の多い部分が目立って、彼女がどういう人物なのか上手くつかめない。
騎士に追われていたけれど、悪い人ではない、という判断でいいのだろうか。見知らぬ場所に連れてこられてしまったけれど、彼女は自分を帰してくれるのだろうか。じわじわとアーリィの中に不安と疑問が膨らんできて、掴んでいた腕をこちらに引き寄せた。
「いや、今のことはものすごく恨むけど……っていうか、そう、その前に! あの時村で何があったか教えてくれないかい? キミはどうやってあそこから逃げたの? あの男が誰か知っている風だったけど知り合い? ていうかここどこ?」
矢継ぎ早に質問をぶつけだしたアーリィに、彼女はぱちりぱちりとまばたきをする。さすがに急かしすぎただろうか。けれどここを逃したらもう何も聞けないし、と腕を掴む力を強くすると、彼女は何かを悩むようにアーリィを見つめた。
まっすぐな目は、どこにも動揺が見えない。逆にアーリィの何かを探るような視線に、こちらが目をそらしたくなる。だがここで負けるわけには、と。ぐっと堪えて見つめあえば、やがて彼女はゆっくりと目を閉じた。
「……火の力をもう少し借りたいのですが」
「え?」
そっとアーリィの手を撫でる手が優しくて、思わずつられるように手を離す。あ、と思ったけれど、彼女は特に逃げ出すようなことはせず立ち上がり、アーリィにも手を伸ばしてきた。
「ここの奥に用事があるんです。それまでなら、話せる範囲で話してもいいですよ」


鮮やかな色の羽を揺らして、どこか暖かな気配のする蝶が、その細い脚で器用にランタンを持ってふわりと飛ぶ。この蝶はおそらく彼女の使い魔のようなものだろう。アーリィが先ほど飛ばした小鳥と似たような、彼女の魔力で形作った生き物に違いない。暗いせいで道がよく見えず、迷路のように思えるその場所を、蝶の持つランタンがゆるりと照らす。
その様子を見て、アーリィは果たして本当に自分が必要になる場面なんて訪れるのだろうか、と一人静かに首を傾げた。
あのランタンだって、物をごく小さなものに分解して持ち運ぶ魔法を使って取り出したものだ。一般的な収納魔法ではあるけれど、労せずそれを使って、さらに物を持たせられるように蝶に実態を与えるような魔術師は、それだけで上級者だとわかる。なら、他人に力を借りずとも光源くらい確保できるだろう。事実、アーリィが気付いた時にはすでにランタンの火は灯っていた。別に魔法の火でなくても構わないのだ。いや、そもそも先ほどから歩く足取りはまっすぐで迷いがないから、もしかしたら光だって必要なかったかもしれない。
それなのに、彼女はアーリィに火を貸してくれと言った。この先に火を使う場面があるのかもしれないが、もしかしたらアーリィが彼女についていく理由を用意してくれただけなのかもしれない。だがそれをそうと断言するには、まだまだ彼女は謎が多すぎる。知ることができたのは名前だけだ。彼女の後ろをついて歩きながら、アーリィはそっと肩をすくめた。
「……詠唱をしないほどの使い手なのに、ランプを使うのかい?」
「常に魔力を消費できるほど持っているわけではないので」
よどみなく答えるあたり、この質問が飛んでくることも想定の内なのだろう。聞けばこうしてあっさりと返事は返ってくるけれど、そうでなければ基本的に二人の間にあるのは無言だ。「答えられる範囲で答える」だけで「自主的に話すつもりはない」ということのようだけれど、少しばかり話しかけにくい。
それでもファルファッラと一緒にいた人なのだから、そんなに怖い人ではないはず。そう言い聞かせて、あのさ、とアーリィは思い切って口を開いた。
「ここはどこ?」
「先ほどまでいた町の地下です」
「さっきの人たちは?」
「諸事情で追われています」
「……キミは犯罪者とか?」
「受け取り方によってはそうかもしれませんね」
淡々と。簡潔に。一言で返ってくる答えは実にあっさりとしている。転移したとは言っていたが、ここは地下になるらしい。
それなら地上に出る方法さえわかれば、彼女に置いて行かれても町には戻れる。ファルファッラに余計な心配をかけずに済みそうで安心した。いや、買い出しに行ってきますと書置きを残しただけにしては、大冒険すぎる気もするけれど。
「道を知っているみたいだけど、ここには来たことがあるのかい?」
「いいえ。……いえ、ありますね」
「どっち」
「あります。詳しくは言いませんけど」
少し口ごもったのは、ずっと昔に来たとか、ここに入るために準備をしていたとか、そういうことだろうか。もっと詳しく聞きたいが、言わないとすでに釘を刺されてしまったので口を閉ざす。村に来た理由も、用事があったからで済まされてしまったので、基本的に彼女本人については名前以外答える気はないということだろう。
どことなく、いや、確実にやり取りに壁を感じる。視線も一切あわないせいだろうか。少しだけ気まずくなって遺跡の壁に目を走らせて、あれ、と立ち止まった。
暗くて気付かなかったが、どうやら少し前から壁に絵が彫られているらしい。横に続いていくこれは何かの物語だろうか。大きな花の中でほほ笑む少女、蝶や草花に踊る人々。春のような印象を抱かせるそれは、やがて少女が何かに嘆き、涙を零し始めてから次第に萎びていく。
どこかで見たことがあるな、と記憶を探っていれば、アーリィが立ち止まっていることに気付いた秋帆がこちらを振り返った。
「どうかしましたか?」
「あ、ごめん」
ちょっと気になって、と思考をやめて小走りで駆け寄る。まだ続く壁画は、冬の時代に入ったようだ。
やがて翼を生やしたものと、大きな獣と、竜と、妖精の姿が見えたところで、あ、と声を落とした。
「この壁画……常春の世界のことか」
「わかりますか?」
「教典で見たことある。というか、キミもわかるんだ」
興味ない人はあまり知らないのに、と笑いながら、マグメリアの教会で何度も読まされた教典を思い出す。
この世界が今の形になる前。まだ女神がいたような神話の時代。創世の頃、常春の世界と呼ばれていたような時代の話が記されているページに、これと同じような挿絵が描かれていた。


それは、ずっと昔。
遥か昔。誰も覚えていないような、古の話。
かつてこの世界を、常春の女神が愛していた時の話。
女神と、女神が生んだ永遠の命を持つ神秘によって多くの祝福を与えられた常春の世界。
女神が注ぐ愛によって、そこは永遠の幸福が約束され、幸福な日々の続く楽園だった。

すべてを愛する女神。その愛は、この世界だけでは収まりきらない。もっと多くの世界を、彼女は彼女の愛で満たしたいと願った。
だから女神はあらゆる世界を観測し、語り聞かせてくれる者に問いかけた。
「花が咲き乱れ、笑顔が溢れ、永遠の春を、ここには存在しないここではない冬と永遠の終わりを持つ別の世界にも与えてあげたい」
その慈愛に満ちた提案に、けれど世界の観測者は首を横に振る。
「いいえ、いけません。彼らの世界は終わりがあるからこそ、目の前の世界を愛するのです。冬があるからこそ、春を愛するのです」
その言葉を聞き、女神は悲しんだ。己の愛を渡せないことを嘆いた。
春の終わりを望むものがいるなら。春が過ぎ行くことを嘆かないものがいるなら。この世界も本当は、次の季節を待ち望んでいるのではないかと泣き出した。

嘆きと不安から流した涙はやがて神秘を殺す毒に変わり、終わりなき神秘の命に終わりを与え始めた。
終わりを得た神秘たちはその姿も力も忘れ、力持たぬヒトとして形を変えていく。
それが悲しくて女神は再び涙を流す。
止まらない涙に絶望する女神をなだめる為、四つの神秘は時空の力と精霊の王による檻を作り、女神を永い眠りへとつかせた。
そうして常春の世界に終わりが生まれ、今なお、その世界は続いている。


  「常春の世界が終わって五千年経った今も、神秘達の魔力の残滓であり、肉体を持たぬために女神の毒に侵されず、世に祝福を与える精霊たちこそが、信仰を捧げる相手である。敬い、感謝せよ。彼らは、時代が変わろうと共にある隣人である。彼らを愛し、世界を愛し、新たな理を生きよ」
そう、教典の最後を締めくくっていたのは、このユークロニアの皇帝であるミーナの言葉だ。常春の世界を生きた神秘である彼女は、形を変えヒトとして生存した我らに対し、神秘である己でも、女神でもなく、精霊に感謝して生きよと言った。寿命という終わりを得て、信仰という心の拠り所を求めたヒトに、世界そのものを愛せとおっしゃったのだ。
得手不得手や許容量の違いはあれど、全員が魔力を持っているというのも、ヒトがかつて神秘だった名残であると言われている。それを差し出し精霊によって魔法の祝福を得るのは、これからも世界と共存していくことになるのだという皇帝の言葉に従い、生まれたのがマグメリアの精霊教会だった。
精霊に感謝せよ。愛せよ。共に生きよ。皇帝の言葉を、魔法を使わないような一般人にも伝えるために存在していた教会は、今ではそれなりに力もある。特に各領地には精霊たちの王が眠っている関係で、マグメリアの領主である教皇の発言力は非常に強い。
前半の常春の世界についての神話は知らなくても、魔法を使えなくても、あまり信仰深くなくても。困った時の精霊頼みをするような人がいるくらいには、この世界における共通認識だ。
「やっぱりこの最後の方が重要視されてるから、常春のことは結構ふわっと知ってるだけって人の方が多いから、知ってる人って珍しいね」
「そうなんですか」
「まあ、この神話だと、女神って愛を押し付けるタイプに見えるし、かといって観測者の正論ぶりに納得すればなんとなく不敬っぽくなるし……扱いづらいのもあって、この部分はあまり積極的に広めていないみたいなんだ」
精霊教会の教えは、アーリィの中に深く根付いている。同時に、これが世界で共通の価値観を作るために生まれたことだと理解もしている。よほど勉強熱心でなければ、ミーナの言葉くらいしか知らないけれど、それで十分なのだ。
だから、この壁画の物語を把握している秋帆の知識深さに、アーリィは珍しさと同時に、外で初めて共通のことを知る相手に出会えた喜びのようなものを感じていた。
「壁画がこんなところにあるなんて思わなかったよ」
「ここは神秘と関わりの深い場所ですからね」
「……それならここって一般人立ち入り禁止の遺跡だったりするの?」
「その通りですよ」
「あーもう、キミが追われてたのってそういうこと……?」
がっくりと、急に納得したような気がして肩を落とす。
一般人立ち入り禁止の場所に入れば、そりゃあ騎士に追いかけられるに決まっている。先ほどの逃走劇は、ここに入ろうとしているのを見られて怒られていたということだろう。
冬の終わり、再び芽吹く花の絵を視界の端に捉えながら、見た目の印象と違って結構な頑固者で行動派なのかもなあ、とぼんやりと思った。

再び歩き出してからしばらくして、最奥と思われる小さな部屋にたどり着く。一番奥が目的地だなんて、いかにも「特別なこと」が起きそうな気配がして、自分も入っていいのかと一瞬だけ悩んだ。だがすぐに何かが起きるわけないと思い直して中に入れば、こぢんまりとした台座が中央にあるのが、ランタンに照らされてわかった。
別に、台座の上に何かが安置されているとか、そういうことはない。物語ではないのだから、奥には宝物が置いてある、なんてことはありえないとわかっているけれど、何もないのもそれはそれで期待外れだ。
ここに一体なんの用事があるのだろう。問いかける前に秋帆は台座に近付いた。彼女が空中をひと撫ですると、その手には杖が現れる。彼女ほどの魔法の使い手でも杖といった道具は必要なんだなあ、とぼんやりと思った。
アーリィも本格的に魔法を使う際には道具を使用する。魔法による現象を起こす基点を用意した方が、どんな魔法を使うかのイメージがしやすいからだ。それを現物で持ち運ぶ者もいれば、彼女やアーリィのように、普段は小さく小さく分解する魔法をかけておいて、必要になった時だけ具現させる者もいる。
少しだけお揃いだ、と彼女の様子を見ていれば、秋帆は何事かを呟いたあと、杖を台座に突き刺した。
ぼんやりと杖が光って、それに呼応するように足元に魔法陣が浮かび上がる。当然のようにアーリィが見たことのないものだった。詠唱をしないような彼女でも、魔法陣を使うほどの大きな魔法を使うのだろうか。そう身構えるが、それ以上何かが起きることはない。ただ静かに魔法陣が光って、杖が光って、それだけ。秋帆もぼんやりとそこに立っているだけだ。
はて。何をしているのだろう。アーリィは首を傾げる。
「何をしてるの?」
「内緒です」
「……時間かかるのかい?」
「それなりに」
楽にしていていいですよ、とこちらを振り返ることなく答える秋帆に、アーリィはどう楽にしていればいいのだろうと苦笑した。何せ遺跡の最奥だ。休めるような場所ではない。
「じゃあ……あの男が何者なのか、聞いてもいいかい?」
周りの何にも体が触れないように、そろりそろりと部屋の片隅にしゃがみこんで、アーリィは秋帆に問いかける。
これは答えてくれる内容だろうか。少し緊張しながら待っていれば、秋帆は少しだけ視線を揺らした後、そうですね、と口を開いた。
「詳しくは知りません。ですが、態度からして間違いなく、アネストに連なるものですね」
「アネスト……って、四つの神秘の?」
それは、常春の世界の物語から続く、特別な名前だ。
女神を眠りにつかせた四つの神秘の生き物。あの壁画にも描かれていた、神話の物語が作り話ではないことを証明する者たち。今もまだこの世界で生きているはずの、四つの神秘。

一人目は、闇の翼を持つもの。
終わりなき神秘から終わりあるヒトへ。その在り方を大きく作り変えられたことで、あらゆる混乱の最中にいるヒトを導くことを選び、ヒトの皇帝となったミーナ。
四つの神秘と呼ばれる中でも、彼女が一番広く名前を知られているだろう。何せ彼女の名前がそのまま帝国の名前となったのだ。ありとあらゆる秩序を作り、現代に続く様々な始祖として知られている、ヒトならざるヒトの王。
二人目は、かつての姿と力を維持したものの、終わりの時を千年後と「絶対」に定められた氷の竜、グイスブルグ。
彼は同じように寿命を得るも、まだ神秘の形を保っていた数少ない生き残りと共に、帝国の外にある小さな国、オラシオンで密やかに暮らすことを選んだとされている。
あの国はあまりこちらと交流を好まないから詳しくは知らないが、唯一「代替わり」している神秘として、歴史家たちからあらゆる考察がなされている。
三人目は、あまり情報が残されていない、謎に包まれた光の獣、クレイス。
彼がどんな生き物だったのか知らない。終わりを得たのか、得なかったのか、今どこで何をしているのか、何もわかっていない。ただ、女神を特別に愛していたとミーナが言ったとかで、女神と共に眠りについたのだという説が一番多く聞こえてくる。
そして四人目。女神の封印を見守りながら、ただ穏やかにこの終わりを見届けてみたいと願った妖精。それがアネストだ。
神秘の生き物の魔力から生まれた精霊たちを導き、魔法という祝福を一般化させた偉大なる魔術師。嵐の王と呼ばれるほどに激しい魔法を操ったとされる彼が今どこで何をしているかは、やっぱり誰も知らないけれど。おそらく皇帝であるミーナの次に知名度が高いだろう。

そんな魔術師の関係者だというのなら、詠唱をほとんどせずに魔法を使えるのも納得である。
「子供、でいいのかな? それとも弟子とか?」
「さあ……本人とどういう関係かまではわかりません」
「ボクは、四つの神秘に対してはそこまで明るくないけど……でも皇帝といい、すごい人だなーってのはさすがにわかるよ。そんな人がどうしてあんなことを」
「まあ……なんとなくの予想はつきますけど」
「それって?」
無言。返事をするつもりはないらしい。
だが、アーリィが聞きたいのはこの先だ。どうしてそんな人が、あの村をゆがませたのか。何をしようとしているのか。知りたいのは、この先だ。
「巻き込まれたボクたちは知る権利があると思うけど」
「これ以上巻き込まれないように知らない方がいいこともあります」
「今さらだ」
しばらくじっと見つめてみたけれど、秋帆は振り返らない。これ以上は本当に話すつもりはないらしい。粘っても意味はないのだろうなと気付いて、ふうと息を吐いた。
一応、情報を得られたような気がするが、この世界の常識を再確認しただけのような気もして、頭の中が混乱する。
新しい情報、と言えば、彼女がとても知識が豊富で優秀な魔術師であることと、ここが立ち入り禁止の場所であること。それから、教会の人であっても遠い昔の物語として切り離して考えてしまうような、神秘の生き物があの男に関係しているらしい、ということだろうか。
それから、たぶん。これはアーリィの勝手な想像だけれど、秋帆はあの男と対立するような立場にある気がする。あの時も魔法で競り合っていたし、突き放すような声は、それまでのアーリィの質問に答えてくれていた時よりずっと冷たい。少なくとも彼女は彼を快く思っていないようだと感じた。
「キミって何者?」
答えは返ってこないとわかっていたけれど、そう問いかけてみる。
神話の時代から伝えられるような偉大な魔術師の関係者。そんな男に負けず劣らずの魔法の使い手で、やけに事情を知っていて、突き放して。そんな秋帆は、いったい何者なのだ、と。
当然、秋帆は答えない。予想通りだ。
だが予想と違うのは、こちらを振り返って、じ、と見つめてくることだろうか。答えたくないことにはすべて沈黙だけを返していたのに。これは何か、聞くことすらいけないことだったかなと、アーリィが慌てて背筋を伸ばした。
「あ、ええと、聞いたらいけなかったかい? そんなに睨むほどに? その、ごめ、」
「下がって」
「えっ?」
秋帆がこちらに近付いたかと思うと、ぐいと腕を引かれて立ち上がる。勢い余ってよろめいていると、そのまま何かから庇われるように彼女の後ろに隠された。
いったい何を、と聞こうとしたアーリィの耳に、蹄の音が聞こえてくる。誰だ。何が近付いてくる。この遺跡の中に、他の生き物が暮らしている痕跡なんて見当たらなかったのに。
おそるおそる彼女の背中に隠れながら、この部屋唯一の入口へと視線を向ける。やがてうすぼんやりと浮かびだした青白い光が、蹄の主なのだろう。ゆっくりと近付いてくるそれが、ランタンの明かりに灯されてシルエットを浮かび上がらせた。
その影自体は、そこまで大きいものではない。さすがに、ファルファッラが飼っていた犬のシオよりは一回りほど大きいけれど、恐怖するほどのものではない。野生動物とは思えないから、おそらく使い魔か、形が見えるほどに力の強い珍しい精霊か何かだろう。長い顔と四肢。びりりとわずかな音を立てて揺らめくたてがみ。それから額に生えた、長い、長い角。
「一角獣……?」
「下がってください!」
これまた珍しい生き物だ、と、図鑑の中でしか見たことがないそれに一瞬だけ警戒心を解いたアーリィに、秋帆が鋭く声を発する。その声を合図にするように一角獣は大きく前足を上げて嘶くと、力強く地面を蹴った。



NEXT