三十、目映い - 一


反物を受け取って外へ出たところで、丁度見知った後ろ姿を見掛けた。
小袖の裾を揺らして、桜子はその背中へと歩み寄る。
「留三郎先輩?」
呼びかけると、その人は驚いたように跳び上がった。
勢いよく振り返った食満に、桜子は目を瞬く。彼は一つ息を吐いた。
「桜子だったか……」
「ごめんなさい、任務中でしたか?」
「ああ、いや違うんだ。ちょっとな……」
食満はそう言って、視線を道の先へと向けた。桜子もそちらへと視線を向ける。
街道は活気に満ちていた。荷車を引いた商売人や、仕事に励む町人が行き交っている。
その向こうに、桜子は見知った背中を二つ見つけた。
「伊作先輩と、乱太郎?」
食満は眉尻を下げて笑った。
「同室の伊作が、最近不運続きでよく一緒にいる乱太郎に迷惑を掛けている、と落ち込んでいてな。自分は絶対に不運じゃないと信じれば明日こそは大丈夫だ、と言ったものの、気になって後をつけてきてしまったんだ」
もし何か不運があったとき、防げるものはこっそり防いでしまえばいいしな、と食満はつづけた。
「そうだったんですか……」
桜子は、再び二人の後ろ姿へと目を向けた。乱太郎が笑顔で何やら善法寺に話しかけている。善法寺も笑顔で答えているのが、見えた。
「あの、私もお供して良いですか? 足手まといにはなりません」
「えっ? いやしかし桜子、お前用事があって来ていたんじゃないのか?」
桜子は反物を包んだ風呂敷を、背中に縛り付けた。
「あの二人が行く先に、丁度もう一つ用事があるんです」
食満は目を瞬く。続いて彼は破顔し、桜子の頭を撫でた。
「よし、では頼んだ! 共にあの二人を見守るとするか」
「はい!」

「しかし……竹谷まで良かったのか?」
建物の影から善法寺と乱太郎の様子をうかがいながら、食満は問うた。
彼の後ろに控える桜子の隣には、竹谷の姿があった。善法寺と乱太郎を見守るのに必死なあまり不審者と化していた食満と桜子に、つい先程竹谷が声を掛けたのだ。彼は生物委員会で購入を検討している新しい檻の材料を見に町へ出て、帰る途中らしかった。
食満と桜子が事情を説明すると、竹谷はそれなら自分も同行すると申し出た。
「関わったら最後までというのが俺の信条なんです。俺が好きでしていることだから、気にしないでください」
笑って首を振った竹谷は、少し眉を下げた。
「むしろ尾行は人数が増えると勘付かれやすくなりますし、俺の方こそ無理言っちゃって……」
「私も、すみません」
頭を下げた二人に、食満は町の様子に気を配ったままさらりと言った。
「ああ、それはお前たち二人なら何の問題もないだろう……と、そろそろ移動するぞ」
ゆっくりと歩み出した食満の後ろで、竹谷と桜子は顔を合わせた。揃って頬は自然と緩む。
「はい、先輩!」
善法寺と乱太郎、そしてその後を追う食満、桜子、竹谷は、町の中心部までやってきた。道を行き交う人が増え、吸い込む息が埃っぽい。道の脇ではにぎやかに露店が開かれていた。
「うーん、人が多いな……」
人を避けながら食満が呟いた。竹谷が頷く。
「この距離だと見失うかもしれませんね」
「二人に何か不運なことが起きたとき、すぐに駆け付けるのも厳しいかもしれないです」
「そうだな……よし、この人手なら向こうにも気付かれにくいだろう。もう少し近づくぞ」
「はい!」
「わかりました!」
前方の二人が気付かぬように、三人はさりげなく足を速めた。善法寺が突然止まった荷車の脚に躓くのが見える。
「きっと先輩、あれくらいのことは不運だとも思わないくらい慣れてしまっているんだろうなあ……」
何事もなかったかのように歩き続ける善法寺を見て、竹谷が眉尻を下げた。
「そうかもしれないね……」
桜子が、横でそう同意を口にした瞬間だった。
ふっと、彼女の上に影が差した。
桜子は頭上を見るより先に、大きく後方へ飛び退いた。直後、すぐ前から轟音が通り一杯に響いた。
呆然と目を瞬く桜子の前に、木材が散乱していた。先程善法寺が躓いた荷車に載せられていたものだった。
「桜子!」
竹谷が飛んできた。彼も無事に、降ってくる積み荷を避けたらしい。
「大丈夫か?!」
桜子に詰め寄って、彼は真剣な面持ちで桜子の両肩に手を乗せた。そして桜子が何か言う前に、即座にその手を引っ込めた。
桜子は目を瞬いた後、心配そうに竹谷を見た。
「私は大丈夫。八左ヱ門こそ大丈夫? 手を怪我したの?」
「あっいや」
竹谷は、勢いよく頭を振った。
「これは、そのー、何でもないから!」
竹谷の口調は言い繕うようだ。桜子はなおも口を開こうとしてはっとした。
積み荷の方を見る。食満の姿が見当たらない。
武闘派と称される食満ならば、あの程度間違いなく余裕すら持って避けるだろう。しかしひょっとしたら、食満の身に不運なことが起こっているかもしれない。
「八左ヱ門、荷を積み直そう」
「えっあ、わかった!」
一瞬面食らったような顔をした竹谷はすぐに真顔で頷き、散乱する木材の方へ向かった。

荷を全て片付け終える頃には、日もすっかり昇ってしまっていた。
二人が作業している間に、姿の見えなかった食満も帰ってきた。事故に巻き込まれて怪我をしてしまった老婆まで送り、手当てをしてきたそうだ。「一応行く前に確認はしていたが、二人とも何事も無くて良かった」と食満は笑った。
「先輩もご無事で良かったです」
桜子の頭を、食満は大きな手でぽんぽんと柔らかく叩いた。
善法寺と乱太郎の姿はすっかり見えなくなっていたが、食満は二人の行き先を知っていた。恐らく二人が通るであろうと彼が目星をつけた道を走ると、しばらくして二人の姿が見えた。
二人の服装や様子を見て不運なことは起こらなかったようだとわかり、三人は胸を撫で下ろした。
「よかった……」
「これで何事かあった後だったら、苦労が水の泡になるところだからな……」
「けどこの先は確か、吊り橋がありましたよね? これまでで一番危ないんじゃ……」
竹谷の言葉に、食満はため息を吐いた。
「俺も昨日はああ言ったものの……むしろ今まで目立った不運が無かった分、ここで必ず何か良くないことが起きそうな気がしてならないな」
桜子は眉根を寄せて、頷いた。
くノ一教室は噂に敏感だ。善法寺や保健委員会の不運話は、毎日と言っても良いほど耳にする。忍たまのように現場に居合わせることは少ないが、引き寄せていると過言ではないほど彼らが不運に見舞われるのはよく知っていた。
「……いつでも助けられる位置に居た方が良いですね」
「そうだな。流石に吊り橋を一緒に渡ることはできないから、すぐ近くの茂みにでも待機していよう」
「川までさほど高さは無いですけど、俺一応下に居ます!」
そう言って踵を返した竹谷を、食満が引き止める。
「いや、それは俺が行こう。竹谷お前は桜子と橋を見ていてくれ」
「わかりました」
桜子と竹谷はうな浮き、道端の林へと分け入った。
竹谷は迷うことなく歩き出す。桜子は慌てて声を掛けた。
「八左ヱ門、そんなに堂々と歩いたら……」
竹谷は桜子をちらっと振り返って、口元を緩めた。
「ああ、大丈夫。さっき動物が通った跡を辿ってるんだ」
竹谷は振り返り、桜子の表情を見て、少し得意げに笑った。
「小さい奴だったみたいだから、万一気配が伝わったらそれを追う獣だと思ってあまり気に掛けないでいてくれるはずだ」
竹谷は前へ向き直る。いつも少し乱れている硬い灰色の髪が、狼の尾のように揺れる。
(……流石だな)
五年生にして生物委員会代表の任を負う大きな背中を、桜子は見つめた。
「八左ヱ門と一緒で良かった」
「えっ?!」
唐突に大きな声を上げた竹谷に、桜子は慌てて唇の前で人差し指を立てた。
善法寺たちとはまだ距離がある。気づかれてはいないようだ。
「ごめん、桜子」
「大丈夫だよ。でもどうしたの?」
竹谷は桜子から目を逸らした。横顔に困惑の色が見える。
「いや、なんでもないんだ」
桜子は首を傾げた。





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