サンダルウッドの情念
1.和柄のふろしき
「リョーマ、日本に帰るぞ。」
晴れた日だった。今日もいつものように庭のテニスコートで父親と打ち合いをしていたところ、父が突然言ったのだった。日本に帰ると。
呆気にとられ反応が遅れた。放たれたボールは脇を擦り抜け、背中の方で茂みに入った音がした。
「は?」
飛行機から降り空港の出口を抜けると往来では日本語が飛び交っていた。当たり前だけれど日本だなあと思う。
今日から住むのだという家はアメリカの自宅と違っていかにも和風で内心この雰囲気は好きだった。
これまでも自由奔放な父親に連れられて日本には度々訪れていた。アメリカ生まれアメリカ育ち。それでいて和食や温泉が好きな自分は、父親曰くアメリカかぶれならぬ『日本かぶれ』なのらしい。
次から次に届く段ボール箱を部屋に運んでは開く。運んでは開く。面倒な引っ越し作業にため息が出た。
一息入れようかしらと母親が言う。助かった。こういう作業は性に合わない。
「ちょっと外でてくる…。」
「あらお茶入れようかと思ったのに。」
「散歩…。」
飛行機移動の時差ぼけがまだ抜け切っていないのに肉体労働はさすがに堪える。こういうときって大人は元気だなあと思う。逃げ出すようにそっと玄関を出た。
「はあ疲れた…。ん…?」
うんと伸びをすると家の裏に何か高台のようなものがあり立派な屋根が見えた。
「なんだあれ。」
家というにはあまりに渋い、いかにも日本らしい建物だ。そういえばここへくる車中で両親が家の裏の何かがどうとか言っていた気がする。なんだっけ。
裏に回ると十数段の階段が続いていた。
静かな場所。
吸い込まれるように階段に足をかけた。静かで、それでいて少し寂しい、不思議な場所だった。
石の階段を登った先の門の壁には木の板が打ち付けられていて縦書きの漢字が彫られている。読めない…
「こんにちは。」
「!」
静寂の中、突然の声に心臓がギクリと跳ねた。振り返るとそこには、歳の近い女子が立っている。
「御用ですか?」
「や、そういうわけでは…」
「あ、」
「えっ」
門の中から出てきたその人は、抱えていた大きな包みを腕から滑らせた。咄嗟に手が伸びて荷物を受け止めると、バチっと目が合う。焦ったこちらとは対照的にゆっくりとした瞬きが印象的だった。
「ありがとう。」
「別に…。」
「すごい反射だね。」
彼女は荷物を抱え直すと今度は包みの口が解けそうになったので見ていてハラハラする。それにしてもこちらの心配を他所に本人は慌てていないというか、動じていないというか。
「あんたがボーッとし過ぎじゃないの。」
「そうかも。」
「……」
彼女は小首を傾げてそして照れたように笑った。おそらく年が近いであろうこの子は、ゆっくりとした落ち着いた声で、この静かな場所によく似合うなとも思った。
「ここ、あんたの家?」
「ううん。ここはお寺。」
「寺…。」
その子は門の文字を指差して聞き慣れない単語を読み上げた。そこに書いてあったのは寺の名前らしい。ふうん、そうやって読むんだ。漢字やっぱり難しい。
「中、自由に見ていいよ。何もないけど。」
門の奥を見やれば大きな鐘や立派な建物が建っている。
庭と呼ぶにはあまりに厳かな雰囲気に、立ち止まってぼんやり中を眺めた。
「いま住職がいなくて整備も行き届いていないの。でも明日には新しい方がお見えになるんだ。」
「ふうん。」
寺を我がもののように語る彼女の前で、まともに神社や寺を訪れたことのない自分には少し居心地が悪くて。ただ風景に見ることしかできないでいると視線の端で口角が上がるのが見えた。
「それからね明日には奥にテニスコートができるそうだよ。」
「え?」
こんなところにコート?
「じゃあ私行くね。」
面をくらっていると彼女は荷物を抱え直して階段を降り始めた。荷物は和柄の布に包まれているが、その布がサラサラとしていて少し滑りやすいらしい。
「…持つから。」
「え、」
「また落とすよ。」
つい追いかけて包みを彼女の腕から取り上げたはいいが彼女は変わらず微笑んで、掴み所の無さに不思議な気分になる。
「ありがと。」
「…どこに運ぶの?」
「すぐご近所に。お届けものなの。」
「あ、そ。」
「優しいね。」
ふわり。階段の下から舞い上がった風に俺たち二人の髪が揺れた。
体温を感じて思わず顔を上げると彼女はすぐそばでこちらの顔を覗き込んでいた。目を細める彼女に慌てて目を逸らす。
「近い…。」
「?」
むず痒い。優しい。居心地が悪い。静かだ。分からない。ただ乱れた髪を掻き上げる横顔は純粋に綺麗だと思った。
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