サンダルウッドの情念
2.白檀の香り



「ここ。」
「え、」
「運んでくれてありがとう。」

そう声をかけられたのはあろうことか自分の家で。

「本当にここ?」
「うん。新しいご住職さんのお宅。作務衣とか色々お届けしたくて。」
「…は?」

彼女の細い指が我が家のインターフォンを鳴らす。固まっている俺をよそに「越前さん。裏隣の名字です。」などと当たり前のように言う。どういうこと?

「はいよ。」
「こんにちは。名字名前です。明日からお寺の件よろしくお願いします。こちらをお届けに参りました。」
「お?なんでお前が一緒なんだリョーマ。」

よりによって出てきたのは父親で、俺の顔を見てニタリと目を細めた。なんかめんどくさいことになってきた。

「いや俺は…」
「あなたここのお家の方だったの…?」
「ま、まあ…。」
「いけない!ごめんなさい気が付かなくて。荷物まで…」
「それは別にいいんだけど…」

先ほどの余裕はどこへ行ったのか、目が丸くなったり眉が下がったり、くるくると表情が変わる名字名前に今度は目が離せない。

「お前らいつの間に仲良くなってんだよ。」
「親父、別にそんなんじゃ、」
「ありがとな、名前ちゃん。こんな息子だが荷物持ちくらいできるからよ、遠慮なく使ってくれ。」

カッカッカッと父親はそれはもう楽しそうに笑って家の奥へと消えていった。

「…ごめん。からかってるだけだから気にしないで。」
「う、うん。」
「帰る?送ってくけど。」
「大丈夫だよ、近いし。それにお引っ越しの作業とかまだあるんじゃない?」
「いいよ暇だし。行こ。」

奥から「暇じゃねーだろ!片付けはどうした!」などと父親の声が聞こえたが無視して外に出る。ていうか盗み聞きしてんじゃねえよクソ親父…



近いと言った通り本当に近くて驚いた。我が家から寺を挟んだところに名字家は建っていた。寺によく似た雰囲気の家構え。

「ありがとう、送ってくれて。」

慣れたように綺麗なお辞儀をする彼女の髪が揺れていい香りがした。思わず息を深く吸いそうになって我に帰る。

「…ねえ、ひとつ聞いていい?」
「なに?」
「よく分かんないんだけど、あの寺はあんたの家のものなの?さっき新しいジューショクって言ってたけどそれって親父のことだよね?」
「元は私の父のお寺。でも今は不在なの。だから越前さんに明日からお務めいただくんだ。」
「…ふーん。」
「ふふ、興味なさそう。」

くすくす。鈴の音のように笑う彼女にはなんだかこちらのペースが崩されてしまうような感覚さえするが、先ほど家に荷物を届けにきたときに見せた百面相を思い出すと本当はもっと泣いたり怒ったりする子なのかもしれない。

「ご近所さん同士、仲良くしてね。お寺のお手伝いも時々行くから。」
「ん。」
「またね。……あ。」
「?」

背を向けて家に入るのかと思えば、思い出したようにこちらを振り返る。ゆっくり口を開いた。

「…ねえ。リョーマくん、て呼んでもいい?」

すう、と吸い込まれる。こちらをあまりに真っ直ぐ見るから。名前。そう、名前。何も特別なことではないのに胸の奥がきゅうとする。

「……リョーマでいい。」
「ありがと。私のことも名前でいいよ。」
「ん。」
「じゃあね。」

名前は顔を緩ませ、そして控えめに手を振って家の中と入っていった。



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