セイラルの唄
守るということあの夜、リョーマが妖精フェイの血を覚醒させて以来、グリムソン教授や魔法省の役人たちは姿を消しホグワーツに平和が戻った。
グリムソンの件あったことで教員たちは名前の魅了の扱いの認識を改めることになった。悪用厳禁、但しトラブルは起こすわけにはいかない。教員たちは警戒を強めたが、必要以上に名前に関与をすることはなくなった。
入学当初のまるで腫れ物を扱うような日々に戻ったようだったが、一つの脅威が消失したことで名前は一旦息をつくことができた。これからの身の振り方は、この魅了と向き合い一歩ずつでも学んでいくしかない。名前はこれまでに比べ、幾分か前を向くことができていた。
そしてリョーマも変わった。彼はあの夜、駆けつけてくる教員たちの足音が聞こえると糸が切れたように倒れ、三日三晩眠っていた。その後の彼は憑物が落ちたようなあっさりとした態度で、まるで妖精のように杖を振らずとも魔法を使った。懲りずに名前に軽口を叩く連中には視線一つで蹴散らした。魔法を使っているというよりもそれは彼の意志ですべての現象が動いているかのようだった。リョーマはそれをひけらかす様子はなかったけれど隠しもしなかった。
ある夕暮れ、二人は湖畔に並んで座っていた。カルピンはリョーマの膝で眠り、エラヴィスは水面に爪を立てて魚を追った。
名前はずっと考えていたことをリョーマに尋ねた。
「そういえば、どうして魅了は初めから君に効かなかったの?あいつ、…グリムソンは、君は既に魅了にかかってるんじゃないかって言ってたけど、そういうわけではないんだろう。」
リョーマはカルピンの毛並みを撫でて湖の水面を見つめ、そして、口の端を上げた。
「気にしてるんだ?」
「そりゃあ、するよ。君は私にとってイレギュラーなことが多いんだ。」
リョーマはからからと笑った。緩やかな風が吹いて黒髪が揺れた。
「言ったじゃん。あんたの魅了みたいに特性を持った魔法生物と渡り合えるのはその同族か上位の種族だけだって。自分で言うのもあれなんだけど、まあ、フェイが上位の存在だってことだね。」
「…それ本気で言ってたんだ。」
「俺は最初から何も隠してなかったよ。お堅い誰かさんは信じてくれなかったけどね。」
おとぎ話じゃない。妖精大全の一節、“精霊の王”。だから歴史上からは消されていた。彼には紛れもなく妖精の血が流れている。あの夜名前はそれを目撃して、今もこうして視線一つで魚を逃がしてエラヴィスにイタズラをしている様子を見ると確信を持たざるを得ない。
そんな君だから私に必要以上に興味を持たなかった。だから手を差し伸べてくれていた。
「…私ね、君が組み分けの儀式で私のこと「どうでもいい」って言ったこと、本当に嬉しかったんだ。」
「そんなこと言ったっけ。」
リョーマは聞いているのかいないのか適当な相槌を打って、今度こそ獲物を捕らえたエラヴィスを見て笑った。
「ねえ、あんたはさ、その魅了、煩わしいって思ってる?」
「え、…いや、制御できないのは私が未熟だからで、今は大変に思うことの方が多いけれど、母からもらった大切なものだ。私は母がこれを私に遺したこと、否定したくない。」
「そっか。」
リョーマは優しい目で頷くと、手を伸ばしその指で名前の髪を撫ぜた。
「例えばだけど」
リョーマの指先の軌道に合わせ、名前の周囲に薄い光のベールが広がった。それはふわりと身を包むと透明になって見えなくなった。驚いてリョーマを見ると、彼は穏やかに言った。
「こうやって、あんたの『魅了』を隠す。これなら他人からは見えないし、あんたはあんた自身の力をちゃんと感じることができるよ。」
目には見えないが確かに名前はその存在を肩に感じていた。重さのない絹を羽織っているような感覚だった。
「あんたが力の上に胡座かいて好き勝手してるような人なら相手にしなかったよ。でもそうじゃない。必要がなくなるまでは俺があんたを守る。」
守る。迷いのないリョーマの言葉に胸の奥が熱くなった。心が震え瞳が揺れそうになるが、もうそれも歯を食い縛り抑えつけなくてもいいということだ。名前は顔を上げた。マーピープルの母が、人間である父や私を愛し、愛されたくて歌を歌っていたように、そして私が母の歌を愛したように、彼女はきっとこの日のために私に「魅了」を贈ったのだ。
名前は肩を下ろした。越前リョーマ。君って人は。
「これでいい?」
顔を覗き込まれて、名前は深く頷いた。リョーマも頷き、軽い口調で付け加えた。
「まあ、俺も万能ってわけではないしこれかけっぱなしも疲れるからさ。早くそれ使いこなしてよ。それで、俺を魅了で堕とせるくらい、強くなって。」
名前は眉を顰めてみせた。
「無理だよ。君には効かないんだから。」
「そうかもね。でも、あんたならできるよ。」
名前は心の中で小さく笑った。リョーマの加護が、「魅了」を隠してくれる。彼がそばにいて、守ると約束してくれた。不安定な力の前でこれまで何度も心が折れ、全てを諦めてしまいたいとすら思っていた。でも、彼の言葉が、少しだけ未来を見せてくれた。
湖畔に夕陽が沈む中、リョーマが微笑んだ。彼のフェイの力が周りを包み、母の魅了の気配を優しく感じる。まるで母の唄が心の中で響くように。
私はまだ魔女としては未熟で、半人前で、この力を制御するのが苦手だ。でも、リョーマがいるなら──いつか私も強くなれるかもしれない。
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