つまらない恋の話
1.財閥の秘書


今年24歳、世界ランキング3位。俺のテニスキャリアはいわゆる、成功、なのだと思う。プロテニスの世界に身を置くということは、プレイ以外に考えるべきことがとにかく多かった。移動のこと、体のこと、道具のこと、食事のこと、金のこと、他にも色々。自分のテニスにはたくさんの人が関わっていて俺がプレイに集中できるようサポートしてくれている。跡部財閥の存在もその一つだ。

「どうだ越前。」
「まあまあっすね。悪くはないけどつま先もう少し柔らかくてもいいかも。」

今日はツアーの合間に、跡部さんが俺のスポンサーであるスポーツメーカーの担当者を連れてやってきた。シューズの新しいモデルの試作が上がったとのことだ。並べられた複数のシューズを順に試し、実際にコートで簡単に動いては履き心地をフィードバックをした。専用モデルの制作は有難い話だった。パフォーマンスに直結するものであるし、良いものを使うというのはモチベーションにもなる。

跡部さんたちは今日、わざわざこちらのスケジュールに合わせ、この打ち合わせのためだけに飛行機で移動してきた。そうまでして俺に手間暇をかけるのは、メーカーはもちろん跡部さんのとこにも恩恵があるからだ。俺が成功すれば着用モデルの注目度も相対的に上がり、売上に直結する。俺とスポンサーとの間に入ってパイプ役を担う財閥にもそのマージンの取り分があるのだ。

シューズの話だけではない。跡部財閥にはスポンサー契約の交渉や、メディア対応のサポート、日本国内のトレーニング設備の提供など、様々な面で支えられている。
跡部さんとは学生時代にネットを挟んでの火花を散らしあったものだが、今は専らビジネスの関係である。

「完成品が上がったら連絡する。」
「ウィンブルドンに間に合うと助かるんだけど。」
「そうだな。今年のウィンブルドンは───」
「例年通り6月末からです。およそ2ヶ月後ですね。」

跡部さんの視線を飛ばした先で、間髪入れずにそう答えたのは若い女の人だった。跡部さんはひとつ頷いて俺に向き直った。

「急ぎ対応する。楽しみに待っておけ。」
「跡部さん今年もウィンブルドン出るんでしょ?」
「ああ。ワイルドカードはほぼ内定してる。仮にお前と当たってもコートの上じゃあ無礼講だからな。」

そう不敵に笑って、跡部さんはスーツのジャケットを翻した。そのタイミングで先ほどの声の女性は流れるようにコートを抜ける。その後ろ姿はすぐに見えなくなった。

彼女のことは薄っすらと見覚えがあった。ここ数年、跡部さんの後ろにはスーツの女性がついて回るようになった。どこか目を引く、雰囲気のある人だったからなんとなく印象に残っている。名前も知らない、どこかで会えば軽く会釈を交わすだけの人。

「あの人、マネージャー?」

なんとなく気になって跡部さんにそう尋ねれば、いつもの尊大な口調でこう言った。

「俺の秘書だ。」


秘書。その女性は、先ほどの話の中でも口角を綺麗に上げ続け、手帳を胸に抱え、背筋を伸ばしていた。艶やかな髪を綺麗にまとめ、スーツに身を包むその姿は、絵に描いたようなまさに財閥の秘書。

「景吾さん、車が参りました。」

いつの間にか戻っていた彼女は静かにそう言って跡部さんの影に溶け込む。スポンサー担当者と秘書を従えて、跡部さんは颯爽と帰って行った。



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