二年生と新田明
任務終わり、真希は車に乗り込みながらスマホを確認した。電源を入れると、白い起動画面が暗闇に慣れた目を容赦なく刺した。今日は山での任務だった。日が暮れるのが早かったので、久しぶりの強い光に顔をしかめながら、後輩からの一件のメッセージを開く。
「んん?」
真希は眉根を寄せて画面に目を凝らした。やっぱり見間違いじゃない。そこには確かに「先輩方って、焼き鳥、皮ともも、タレと塩ならどれが好きですか」とあった。
伏黒は冷静で頭が良いが、時折突飛な言動をする。何も説明しないので余計タチが悪い。本人はそれが最善策だと本気で思っているのでもっとタチが悪い。頭が柔軟な証拠だよ、と乙骨はフォローしていたが。
「なあパンダ、狗巻。恵が」
窮屈そうに隣に座るパンダ、助手席に座る狗巻に画面を見せる。二人とも、最初にメッセージを見たときの真希と同じ顔をした。
「何だ? 急に……」
「いくら……」
「何の前触れもなくこれだよ」
真希は首を捻りながら、もう一度スマホと向き合う。答えない理由もないので、「真希:タレ、もも」と入力し、お前は?と促す。
「…………」
「ハイハイ。お前に聞いてねぇよ」
「何でだよ、俺にだって聞かれる権利はあるだろ!」
「逆に何でだよ」
狗巻はちょっと考えて、「ツナマヨ、こんぶ」と言った。
「塩、もも?」
「しゃけ」
たぷたぷと画面を叩いて、送信する。車内にポンッという音が響いた。真希はスマホをポケットに仕舞いながら、未だに訝しげな顔をしている。
「なんで急に焼き鳥?」
「おかか、明太子」
「いや、これは半分独り言みたいなもん」
「恵面白えな」
真希は考えても仕方がない、帰ったら聞けばいいと思って腕を組み、眠りの姿勢に入る。今日の朝は早かったのだ。帰りにきちんと寝られることを算段に入れて明日の予定も組んである。
「焼き鳥って何の話っスか?」
運転席にいる新田がミラー越しに真希を見たので、寝るに寝られなかった。真希は腕を組んだまま不満げに口を尖らせ、「知らん……」と返す。パンダが察して、会話を引き継いでくれた。
「恵から『タレと塩、ももと皮どれが好きか』ってメッセージが来たんだよ」
「はあ、これまたいきなり……」
「しゃけ」
赤信号で一時停車すると、新田はハンドルを人差し指で叩いて一定のリズムを取った。絶妙にウィンカーとずれている。何か考え込んでいるようだった。
「こんぶ?」
「焼き鳥って、な〜んか最近聞いた気がするんスよね〜……何だったっけか……」
口をへの字に曲げて目を閉じた新田の肩を狗巻が叩いた。青になった信号を見て、新田が「うおっ危な。ありがとうございます」と慌てた。
「お土産か?」
「焼き鳥をか? お土産に向かねえだろ、焼き鳥」
「おかか、こんぶ、明太子」
「ああ、そういや五条さんが買ってきたことありますそういうの。詰め合わせになってるんスよ」
パンダは人間とは違って食事を必要としないので会話に入り切れず、若干尻の座りどころに困ってもそもそと動いてみた。だが、狗巻の言った「お取り寄せできる焼き鳥セット」というのには覚えがあったので、狗巻の座る座席を掴んで前のめりになった。
「いろんな種類の肉とタレが入ってるやつだろ。みんな喜んでたよなあ」
「まあ、あれはな。五条悟にしちゃ良い選択だった」
「しゃけしゃけ」
パンダは呪骸である。人間と同じような食事はできない。それでもあの日、五条が引っ提げて帰ってきた紙袋をみんなで開けて、教師も学生も入り乱れて焼き鳥パーティーをしたのは楽しかった。普段、どうしても陰鬱な空気が漂いがちな高専に、活気と、熱気と、炭と肉の香りが漂った。みんなが楽しそうだと、パンダも楽しかったのだ。
「確かあれ、薬味もいくつかセットでついてたよな」
「よく覚えてんな真希。そんなに楽しかったか? まあ憂太がいたしッッッテ」
真希はすっかり目が覚めたようで、狭い車内を最大限に使ってパンダを殴打した。狗巻は「明太子!」ととがめるような口調で言う。この子意外としっかりしてるんだよなあと新田は思う。
「そうそう、自分的には特製タレと柚子胡椒の組み合わせが最高でしたね。あれは止まんないッス」
「あー新田さん、そういやめちゃくちゃ食ってたな」
「おかか、ツナマヨ、しゃけしゃけ」
「確かに手羽中タレと黒七味も旨かった、が! それしか“勝たん”はないな。時代は砂肝だろ!」
「おかか!」
おっと、真希とパンダの争いを止めようと思って話を逸らしたのだが、ちょっと方向をミスっただろうか。今度は真希と狗巻の間で盛り上がりはじめてしまった。新田は苦笑しながらハンドルを切る。そろそろ高専に着く。車通りがまばらになってきた。
新田は真希と狗巻の争いに油を注ぐように絶妙な合いの手を入れるパンダの活き活きとした表情をバックミラーで見た。楽しそうで何よりだ。
ナビ画面の右上のデジタル時計は、もうそれなりの時間を示していた。そろそろみんなもお腹の鳴る頃だろう。新田は真希と狗巻の言い争いに割って入るように、「そんじゃ!」と高らかに宣言した。
「今日一日頑張った若人に、新田サンが麓のコンビニで何か奢ってあげるッス!」
………………。
…………あれ?新田はちらりと三人を窺った。さぞ喜んでくれるだろうと期待していたのだが、意外とみんな冷ややかな目をしている。パンダだけは「おぉ〜っ……」と控えめに拍手をしてくれた。そんなに嬉しくなさそうである。
「何スか? ダメッスか?」
「いや……だって、なあ」
「しゃけ……」
「何スか!」
「今食いたいもんってなると結構な量になるし……コンビニくらい私ら自分で事足りるし……」
冷淡に言い放った真希の言葉の刃が新田の胸を直撃した。現役高専生を舐めていた。自分が高専にいたころは、コンビニでも何でも、奢ってやると言われたら跳んで喜んだものだ。みんな大人ッスねえ……と言うと、パンダが一言、「その頃の明がガキだったんだろ」と言った。
学生でありながら戦力として十二分に頼られているこの子たちと、一補助監督、しかも若手の自分では給金にも差があった。大人の良いところ見せたかったんスけど……と呟くと、狗巻がやけに優しい表情で「高菜、高菜」と慰めてくれた。ありがとう…………いや、騙されないぞ。キミもさっき、真希たちと一緒に冷ややかな視線を向けてたの知ってるんだからな。
コンビニでなければどこがいいのだろうと新田は考えていたが、車はもうほぼ高専に着きそうで、周囲の道路には建物すらなかった。今日は何もできないか、くそぅ、と悔しく思っていると、助手席でうつらうつらとしていた狗巻が突然起き上がって、窓に張り付き「ツナ! ツナマヨッ!」と声を張った。
「なんだようるせえな……」
「おっ、焼き鳥屋じゃねえか」
「焼き鳥ィ?」
せっかく、ようやく入眠していた真希は一瞬目を開けたが、そこが高専の敷地内でないと分かるとすぐに目を閉じた。一秒でも長く眠りたいらしい。パンダが狗巻の視線の先の焼き鳥の屋台を見つけると興味が湧いたのか、しかし不機嫌な顔のまま、真希は気だるげにそちらを見た。
チャンスだ。新田は内心ほくそ笑んだ。みんなの口はもう焼き鳥の口だ。ここでもう一度奢ってやると言えば、みんな子供のように飛び上がって喜んでくれるだろう。
「しょうがないッスねえ〜……明お姉サンがご馳走してあげますよ!」
「ツナマヨ〜」
「別に自分らで……」
「馬ァ鹿、こういうときは素直にお言葉に甘えるんだよ。ゴチになりま〜す」
夜蛾の教育の賜物か、パンダが両手を合わせて新田に頭を下げた。真希が茶化すように「うぃ〜す」と倣う。
パンダの口から「ゴチになります」なんて言葉がでるなんて、子どもの頃の自分は思いもしなかっただろうな……と新田は哀愁を感じたが、狗巻が純粋に嬉しそうなので良しとした。
***
「ど、どうしよっかな……」
停車場所に困っていた新田に、真希が後部座席から「コンビニの駐車場に停めればいいんじゃね?」と急かした。なんだ、この子もやっぱり早く焼き鳥が食べたいんだなと思うと愛しくて、はいはいと笑うと真希が怪しいものを見る顔をした。
「はい降りて降りて〜。パンダくん、留守番よろしくッス」
「任せろ、車中の平和は俺がーー」
「パンダ何食う?」
「だァから!」
パンダが外を歩くとちびっ子たちの注目と好奇の的になってしまうので、一時車を降りるときはいつも残してきている。暗い車内にぽつんと一人で座っているパンダを外から見て、狗巻はできるだけ早く帰ってやろうと小走りで屋台に向かった。
「狗巻、そんな焼き鳥好きだっけか」
「そういう真希さんは焼き鳥大好きッスもんね」
「あ? 違えよ」
「おかか? こんぶ、明太子!」
先頭を切っていた狗巻が振り返って屋台を指した。店先に一人、誰かが立っている。先客か、と思ったが、その後ろ姿には見覚えがあった。
「…………恵じゃね?」
「あ、禪院先輩。……と狗巻先輩、新田さん。お疲れ様です」
「私苗字で呼ぶなって言わなかったっけか?」
良い匂いがする。真希は、伏黒と、真っ先に最前列を陣取った狗巻の後ろからその匂いの源泉を覗き込んだ。若い女がくるくると串を回している。たっぷり塗られたタレがとろりと火の中に垂れていった。思わず喉を鳴らすと、狗巻が意味深風なニヤケ顔でこちらを見るので、肩を小突いてやった。
「お。旨そうッスね〜。しかも安いし」
「めっちゃ旨いです」
「そうなんスか?」
新田のほぼ独り言のような発言を拾った伏黒がくるりと振り返った。心なしか目がキラキラしている。よっぽど期待できるらしい。
そこで新田は、あ、と思った。そういえば数日前、昼時に出ていった伊地知が顔色を良くして帰ってきたので、事情を聞いてみると、伏黒と美味しい焼き鳥を食べたと言う。伊地知が疲れ切っていたのはもちろん新田も知っていたので、元気になってよかった、食べ物の力は偉大ッスよねと笑った記憶がある。
焼かれている串は、ざっと数えて20本はあった。また伊地知と食べるのだろうが、いくら何でも多すぎる。新田は確認のため、伏黒の肩をちょいちょいと叩いた。
「伊地知さん、最近胃薬飲んでるんスよ。さすがに二人じゃ多くないッスか?」
「この間ここのはさっぱりしてて旨いって言ってたんで大丈夫です。二人じゃないですし」
新田はまさかと思って串の内訳を見る。タレももと塩ももの本数が少しだけ多い。伏黒を見ると、彼は何故か申し訳ないという顔をしている。
「すみません、補助監督が誰か聞くの忘れてたんで、適当に買いました」
「…………あぁ〜っ、そッスか〜……全然いいッスよ〜……」
どんどん語尾が窄まっていく新田を不思議そうに見る伏黒の背中を、お前は悪くないと狗巻がぽんぽん叩く。真希が「私たちに奢ってくれる予定だったんだよ」と解説を加えてもなお、伏黒は不思議がっていた。「大人にはいろいろあるんだよ」と真希が締めようとすると、店番の女が笑って話しかけてきた。
「そんじゃこの間ツケ、その人に払ってもらおうかな」
「えっ」
「ん? ツケ? 何の話?」
反応を見るに、どうやら話が分かっているのは伏黒だけだった。真希と狗巻が伏黒を見ると、今度は伏黒が説明をする番だった。
「この前買いに来たとき……金足りなくて……」
「ブッハ! そんなことある? だってここ超安いじゃねーか、どんだけ買う気だったんだよ」
「ハァ? 違いますよ」
「高菜高菜」
伏黒は必死に言い訳をして張り合っていたが、途中でふと我に返って女に向かってこう言った。
「てことは、五条はまだ来てないんですか」
「うん、いや、てかあれ5日前でしょ? 私あの後店出すのは今日が初めてだから仕方ない」
一連の会話で、真希と狗巻、新田の三人は、足りない代金を五条にツケたのか……と理解した。なかなかやるな、と真希が漏らすと、伏黒はきまりの悪そうな顔で目を逸らした。
「でももともと先生にパシられてたんでしょ? お駄賃だよお駄賃」
「…………」
新田は伏黒が、五条ではなく伊地知と焼き鳥を食べたのを知っている。伏黒がむずむずとしているのは、別に五条に対する罪悪感ではないだろうと思った。店の女は純粋にその事実を信じている。不可抗力なんだろうが、結果的に彼女を騙していることに気まずさを感じているのだろう。
「……そんじゃ、自分が払いますよ。前回の分と今回の分あわせ、て…………」
新田は尻のポケットとジャケットのポケットを探った。ない。財布がない。車に忘れてきたかと思ったが、そういえば今日の朝バタバタしていて財布を持ってきていなかった。
「………………」
「あ、俺払います。ツケの分も今日あるんで」
「あれ、いいの?」
出来上がった焼き鳥が入った袋を伏黒に渡し、女は代金を受け取った。
女は、学生に、しかも新一年生に奢られてしまって落ち込む新田に向かって「おねーさん元気出せ!」と笑って声をかけた。
「がんばりマス…………」
「あ、そうだ。これあげる」
突然、女は足元をがさがさと漁り始めた。がちゃがちゃとガラス特有の音がして、女が顔を上げる。その手にはオレンジ色の一升瓶が握られていた。
「何スかそれ。酒じゃないッスね」
「ただのジュースジュース。みんなで飲んでよ」
悪いッスよと遠慮する新田の手に、女が無理矢理瓶を握らせた。なんかこれどこかで見たな……と伏黒は思う。女は若干お節介なところがあるらしい。新田はオレンジ100%、と書かれたラベルを見ている。
「特にうちのもも塩に合うよ」という女の言葉に、狗巻が目を輝かせた。新田は恐縮といった風に受け取ったが、実は喜んでいるのがバレバレだった。
「また来てね!」
「はい!」
店員に「また来て」と言われ、「はい」とここまで素直に言ったのは初めてだった。新田は腕に抱えた瓶のひんやりとした感触を堪能しながら思った。
「良い人だな」
「はい」
「パンダくんお待たせッス〜」
「おう。あ、恵」
「お疲れ様です」
真希が「パンダ詰めろ」と無理矢理身体を押し込んだので、パンダの口からきゅうと音が漏れた。後から伏黒が乗り込んできて、彼の持ったビニール袋から甘いタレの香りが車内に広がる。みんな自然とため息を漏らした。
「早く帰りましょ。みんなで焼き鳥パーティーッスよ!」
「悟には内緒な。全部ひとりで食っちまうから」
「あいつに隠し事は無理な話だろ〜」
「高菜、しゃけ!」
「確かに、ご飯もあったらもっと旨いと思います」
「伏黒くんも慣れたもんッスね〜。自分最初は全然分かんなかったッスよ」
帰ってすぐ、伊地知も呼んでみんなで夕食にした。みんながみんなあの店の虜になったことは言うまでもない。
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