伊地知潔高
寮に戻る前に駐車場をちらりと窺うと、伊地知がいつも使っている車は定位置に停まっていた。よかった、多分いる。
自室の机の上にぽつんと寂しそうなスマホを取って、伊地知に『焼き鳥食べませんか』と連絡を入れた。すぐに既読が付いて、『いいんですか?』と返事が来た。
寮の共有スペースで待っていると、伊地知はすぐに来た。伊地知は伏黒の座るソファーの隣に座って、「お昼まだだったんです」と言った。相当疲れているらしかった。伊地知も前はここで学生をしていたにも関わらず、スーツ姿のくたびれた男が寮のソファーに座っているのはどこか違和感があった。
「ああそうだ、お金。いくらでしたか?」
「…………」
伊地知が擦り切れた財布を取り出した。伏黒はちょっと考えて、「五条さんが払ったのでいいです」と言った。厳密に言うとまだ払ってはいないのだが、まあ近いうちに実現される未来だしいいだろう。嘘をついたことにはならない。
伊地知は五条の名前を聞いてぎくりと固まったが、つやつやと照らされた焼き鳥を見て揺らいでしまったようで、苦々しそうにしながらも「ではいただきます……」と手を合わせた。
伊地知は塩のももを取った。容器の一番端の、一番貧相な串だった。伏黒はタレのももを取った。
「おいしい……」
伊地知は今にも泣きそうな様子で眉を下げた。続いて伏黒も串に向き直る。
肉を頬張る直前、タレの甘い香りと、バーベキューで香るような香ばしさがふわりと漂った。帰りの階段と、伊地知を待っている間に冷めたようで、ちょうどいい温度感だった。
伏黒は伊地知の方を見た。伊地知も伏黒を見ていた。伊地知は口元に手を当ててこくこくと首を縦に振った。伏黒はなんだか嬉しくて、「旨いですね」と笑った。
***
二人でぺろりと焼き鳥を平らげた。一瞬だった。伊地知は口元に着いたタレをティッシュで拭いながら、美味しかったですね、と言った。
「実を言うと、最近脂っこいのがどうも……なので食べられるか分からなかったんですけど、これはジューシーでありながらさっぱりしていて良かったです」
なるほど、疲れやストレスが胃にきているのだろうか。最近は見るたび顔色が悪くなっているので心配していたのだ。少なくともその片棒を担いでいるであろう自らの担任予定の男を思い浮かべて顔を顰めた。伏黒はまだまだ若い。胃もたれとかいう感覚はいまいちピンと来ないので、肉を食べれば元気が出るかと思っていたのだが、そう単純なことではないらしい。もっと気を遣うべきだった。今回買ってきたこれはたまたま当たりだったものの、これがもしとんでもなく脂ぎっていたら大変なことになっていたかもしれない。伊地知のことである。伏黒がわざわざ買ってきてくれたからと、無理をしてでも食べただろう。そう思うと腹の底がひんやりした。当たりの焼き鳥でよかった。
「それで、あのぅ…………支払いが五条さん、というのは?」
伊地知が所在なさげに手を揉みながらそう言うので、伏黒は断固とした態度で「大丈夫です」と言った。
「伊地知さんは気にしないでください」
「はぁ……でもあの人に理屈は通用しませんから……」
これは相当重症だ。伊地知に対する五条の態度は、彼が伊地知に心を開いているからこそなのだが、如何せんその開き方がよくない。ある意味正直な伊地知が自分の一挙手一投足でハラハラしているのを見るのが楽しいらしかった。伏黒には一生理解できない。あの人のことはもちろん尊敬しているが、それとこれとは別だ。
「もし、本当にやばかったら、……いや、そんなにやばくなくても、何でも俺に言ってください。学長には言えないでしょう、伊地知さん」
「伏黒くん……!」
伊地知の目いっぱいに涙が溜まっている。あの人どこまで好き勝手やってるんだ……と伏黒は頭を抱えたくなる。
「伏黒くん、これどこで買ったんですか?」
「麓の屋台です」
容器や串を片付けていると、伊地知がお茶を持ってきてくれた。ありがたく受け取りながら答えると、伊地知は「屋台?」と首を捻った。
「あれ。最近来るようになったのかな」
「そうだと思います。私の頃もなかったし」
伏黒はどこか満ち足りた様子の伊地知を見て、また行こう、と思った。そういえば家入は酒を嗜んでいるし、五条は……甘党だけど味覚が異常ってわけじゃない。多分気に入るだろう。それから先輩にも。今度タレと塩、ももと皮、何が好きか聞いてみよう。
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