真人は高いところから人間の往来を眺めるのが好きだったが、最近のブームはその往来のど真ん中に立って、至近距離で人間どもの顔を眺めることである。
 以前までは、自分は確固たる意思を持ち、自分の生きる道を行っているつもりの人間どもが、少し俯瞰して見れば蟻の大群と何ら変わらないことが滑稽でたまらず、楽しませてもらっていたのだが、こうして人間の面を間近で見ると、この人間はどういう感情でこの顔をしているのだろうとか、この人間はこんな悲壮な顔で今からどこへ行くのだろうとか、そういうことがいろいろ頭を巡るので、これはこれでなかなか楽しい。
 人間社会を学ぶための教材である映画や小説なんかを嗜むのは、学生で謂わば教室という閉ざされた空間の中で行われる座学で、こうして外に出て人間を観察することは、謂わば見学実習である。
 真人は夏油から「目立つことはするな」と言付けられている。今は我慢しろ、と。後でデカイ仕事があるので、不要な陽動は避けた方がいいというのは、真人にも分かる。

 うようよと蠢くように同じ方向へ進む人間たちは、真人が立っているところだけ、初めからそこに道なんてないかのように自然と避けて歩く。
 真人は自分の横を過ぎゆく人間の顔から、通りの脇に伸びる路地へ目を移す。
 路地の暗がりの奥には、目をよく凝らさないと見えないが、浮浪者らしき男が両脚を投げ出して眠っていた。

 真人は「お、ちょうどいいじゃん」と鼻歌のように呟いて、迷いのない足取りで向かった。
 派手なことはするなと言われてはいるが、来たる日に備えろとも言われている。その前準備にもいろいろ必要なので、真人は、適当な人間がいたら、その都度ストックするようにしている。

 ホームレスは、いなくなっても誰も気付かないから、犯罪に巻き込まれやすいらしい。
 彼らにも彼らなりのコミュニティーがあるらしいが、もともと定住性の薄い生き物であるから、誰か一人が突然いなくなったところで、他の地域に越していったんだろうとか、家族のところに戻ったんだろうとか思われて、捜索届が出されること自体少ないという。
 改造人間にするなら、元の個体はできるだけ健康で、頑丈な方がいいのだが、ないよりはマシである。

 真人はじめじめとした暗がりへ進もうとしたが、もう一つ気配があることに気づいて足を止めた。

「何してんの」

 汚い身なりの子供が、ホームレスの傍らにしゃがみ込んで、何やら機械らしいものを弄っていた。
 漏れた独り言は、驚くべきことにその子供の耳に届いたようで、そいつはこっちにちらりと目をやって、「ほっといて」と言った。そこで初めて、真人は子供が女であることに気づいた。

「俺が見えるんだ?」
「そういうの、ダルイ」

 子供は相も変わらず俯いて、何かぶつぶつ呟きながら、その合間に、どうやら真人に向けたようなことを言った。真人は、何こいつ、キモ、こいつもやっちゃおうかな、と思った。
 しかし真人の経験に、眠りこけるホームレスの横に座り込んで機械をいじり、あくまでも特級相当である自分を「ダルイ」で一蹴するガキに会ったことなどなかったので、触るのは後でもいいかと思って、ホームレスを挟んで子供の向かい側にしゃがみ込みもう一度、「何してんの?」と愛想の良い顔で聞いてみた。

 子供は伸び放題の前髪の間から真人を垣間見て、真人の猫撫で顔に少し警戒を解いたのか、手元に視線を戻した後、"ブツブツ"に毛が生えた程度の不明瞭な声で「失敗したから、直してんの」と言った。

 真人ははぁ?と思った。答えの体を取ったようなぼんやりとした返事だったが、子供の手元をよく見ると、それはどうやらスタンガンであった。

「改造?」
「うん。普通のは全然効かないから」

 真人は機械には疎かったし、興味があるわけでもないので、ふぅーん、と言いつつ、子供を少し引きのアングルで眺めた。
 髪はボサボサで、毛先が好き放題の方向へ跳ねている。真人は特に手入れをしているわけではないが、自分の方がまだ綺麗だと思った。顔はよく見えないが、汗なのか泥なのか、とにかく汚れていて、首から下も似たような状態だった。まだ子供らしさの残る丸い指先が、入り組んだ路線図のようなスタンガンの中をこねくり回していた。

「お兄さん、何しにきたの?」
「んー?」

 真人はどう答えようか少し考え、まあいいか、と思って、「こいつ目当てで来たの」と言ってホームレスの頬をつついた。ホームレスの体はズルズルと傾いて、ドサリと倒れた。
 真人は、ああ、失敗したってそういうことか、と思った。

「殺しちゃったんだ?」

 子供は叱られたような顔で、後ろめたそうに真人を見上げ、頷いた。罪悪感なんて感じないタイプの変わり者だと思っていたので、真人は意外に思った。

「どうするの? 人間って面倒だよね、殺しちゃったら捕まって、死刑になるんでしょう」

 真人は子供の表情に思ったよりバリエーションがあることを知り、楽しくなって、芝居がかった口調で煽った。子供は俯いて黙っていたが、明らかに手元が覚束ない様子で、動揺しているのが見てとれた。さっきまでの無愛想は虚勢だったらしかった。

「生きるって面倒だよね。俺なら殺さずに楽にしてあげられるよ。痛くも苦しくもない」

 痛みも苦しみも、分からなくしてあげる。
 あくまで提案の体をとった言葉ではあるが、真人はもう既に掌を子供に向けて近づけていた。子供は相変わらずこちらを見ないが、真人の言葉に耳を傾けていた。

「…………」

 子供の瞳が揺れていた。薄汚い容貌の中で、目だけはキラキラとしているのがどうもミスマッチで面白かった。半開きの口から僅かに覗く歯がカチカチと音を立てていた。

「…………やーめた」

 真人はあと数センチで子供の頭に触れるというところで手をひっこめた。行き場を失った手を、試しに傍らのホームレスに添えてみるが、何も起こらない。

「何してるの」
「んー? 教えてほしい?」

 出会い頭の真人の言葉を、子供はそのまま返した。真人はにこにこと笑いながら子供の顔を覗き込んだ。

「家は?」
「家?」
「家、あるの?」
「あるよ」

 あるんかい。
 真人はてっきりこいつもホームレスの類だと思っていたのでがっくりとした。家があるなら、いなくなっちゃまずい。子供、しかも女が消えたとなればそれなりのニュースになるだろう。しかし、帰って親やらに話されても面倒くさい。噂とはどこでどう広まって誰に届くかわからないものだ。
 やっぱここで殺そう。
 真人が手を持ち上げると、子供は自分が何かを間違えたことに気づいて慌てた。

「家はあるけど、ちゃんとしたやつじゃないよ。私しか知らないし、ドアもないし」
「はぁ? そんなの家って言うの?」
「そんなのしかないもん」

 子供はふざけているわけでも何でもないようだ。ドアもないもののことを家と呼んでいるのかと思うと馬鹿ばかしく思えるが、本当にその程度のものしか自分のものと呼べるスペースがないのだろう。

「じゃあいいや、そこで。連れてってよ」
「え、嫌だよ。なんで?」

 真人が手を動かす素振りを見せると、子供は慌てて「ううん、いいよ! 一緒に帰ろ!」と誤魔化した。


***


 子供は繁華街の入り組んだ路地裏をするすると通り抜けていった。時には異臭を放つ謎のパイプの森をくぐり抜けたり、トタンの狭い屋根の上を伝ったりと器用なものだった。
 真人はこの姿では不便だと考えて、しゅるしゅると少年の姿に縮んだ。
 真人がついてきているか、ときどき振り返って確認していた子供は、自分より幼い姿になった真人を見てぎょっとした。

「……え? さっきの人?」
「そうだよ」
「すごい。どうやったの」
「どうやったのって。どうやってもお前にはできないよ」

 背丈もなく痩せたこの姿から見る路地裏は、成人の姿とはなんだか違う風に見えて、真人は柄にもなくわくわくした。パイプが張り巡らされ、通風口からは時折熱い蒸気が吹き出す。スチームパンクの世界観に思えなくもない。

 子供はやがて、パイプにしがみついたり、窓枠に足を引っ掛けたりしながら、上へ上へと進み始めた。
 真人もそれに続いたが、なるほど、このガキはかなり身体能力が高いらしい。その身軽さは猿に似たものを感じる。よく見れば、子供にしては腕が長く、手が大きい。

 子供は徐ろに今まで登っていた建物の窓を開けた。建て付けが悪いのか、安い刷りガラスが騒々しい音を立てた。

「ここ、何階?」

 真人は下を見下ろしながら言った。それなりの高さだ。ひとつ上の窓とひとつ下の窓との間隔が妙だった。子供は窓を完全に開けきり、真人に中に入るよう促しながら、「5階半」とよく分からないことを言った。

「このマンション、何回も工事してるの。毎回業者も違うし、多分めちゃくちゃにしてるんだと思う」

 なるほど。無計画な改築工事によって無駄なスペースが生まれたのか。それにしても奇妙な空間である。窓から屋内に入った真人はあたりを見渡した。

 六畳ほどのこじんまりとした部屋だが、ガラクタが積まれているせいで余計に圧迫感がすごい。ほとんど足の踏み場がないが、子供が丸まれば眠れそうなスペースが申し訳程度に開けてあって、いつから使っているのか分からない薄っぺらい毛布が敷いてある。
 真人は思わず、ここで寝てんの? と言ってしまった。ここで寝ているのかと質問したのではなく、こんな、いつ脇のガラクタの山が崩れてくるかも分からない不安定な狭い場所で、こんな劣悪な環境で過ごしているのかという驚きから自然と出てしまった独り言だったが、子供はさも当然のことのように「ん」と頷いた。

 わざわざ案内してもらったのはいいものの、客人をもてなせるようなスペースはなかったので、子供はどうしようかと思った。しょうがないので、いつも自分が使っている毛布を窓際に敷き、そこに真人を座らせてやることにした。真人は礼を言うでもなくそこに腰掛けたが、それを咎めるほどの常識は子供にはなかったし、初めての客人に浮かれてそれどころではなかった。

「なんか食べる?」
「いらない」

 真人は人間ではないので、食事が必要ない。人間の食べ物を嗜好品として味わってみるのはごく稀にあるが、この荒屋で食事をする気にはならなかった。
 子供は「そっか……」と言ったきり黙ってしまった。心なしか落ち込んでいるようだが、真人は気にも留めず部屋を見渡した。

「このガラクタさあ」
「ガラクタ?」
「……この、あー、何。これさあ、お前が作ったの?」
「そうだよ」

  真人は手近にあった山の中腹あたりから、一つのガラクタを手に取った。
 鉄砲の形をしているが、妙に軽いのでモデルガンかハリボテだろう。子供の顔を見ると妙ににやにやとしているので、警戒して鉄砲をひっくり返したり軽く叩いたりしてみる。中で何かがころころと動く音がした。

 天井に向けて引き金を引いてみると、ぽん!と小気味良い音と共に、お粗末な人の顔のようなものが描かれた玉が出てきた。ばねで銃の本体に繋がれたそれは真人をからかうように揺れ、長い舌が憎らしげだ。

「……これも?」
「そうだよ!」

 なんで自信ありげなんだよ、と真人は思った。びっくり箱のつもりなのだろうが、真人は全く動じなかったというのに。どちらかというと出会ったときの方がいくらか驚いた。
 あのときは改造して殺傷能力をあげたスタンガンをいじっていたというのに、年相応にこんなものを作ったりもするのか。やっぱりこいつガキなんだなあと思った。

「くさい」
「火薬使ってるもん。窓開いてるからそのうちマシになるよ」
「お前、ひとりなの?」
「そうだよ」

 部屋の中には電灯がなかった。唯一外との繋がりである窓からは太陽の光が差し込んでいたが、窓枠に真人が座っているので、部屋の床に腰をおろしている子供に陰がさしていた。

「俺と来る?」

 真人は優しい声と顔で言った。
 子供は口もとを綻ばせて頷いた。



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