運命の渦
14歳の夏のある日、ホークスは会長室へ呼び出されていた。
ホークスは自身を中核とするヒーロー育成計画の最高責任者が公安委員会会長であることは知っていたが、彼女は多忙を極めているようで、2ヶ月に一度訓練の見学来られればいい方であった。そんな人から直々に呼び出されるというのは、ホークスにとって淡々と繰り返されるはずの日々のレールから離れるイベントである。そして何の用かもまったく心当たりがなかった。ホークスは平然を装っていたが、握った拳の内はしっとりと湿っていた。
「あと1週間で、強化期間に入るわね」
「え? あぁ、はい」
会長はふかふかの来賓用ソファにホークスを座らせ、よく冷えた麦茶を出してそう切り出した。
「上がってきた報告を見ているけれど、"個性"の使い方はかなり板についてきたのかしら」
「そ…ですね、お陰様で。まだパワー面に課題はあるけど、コントロールも上手ういくごとなってきたし…」
「そう」
ホークスは会長がふと目を離した一瞬の隙に、ぺろりと唇を舐めた。彼は人懐っこいと思われがちだが実は逆で、かなり人見知りをする性格である。会長のことは昔から知ってはいるが、裏を返せば知っているだけだ。彼女の人となりまでは知らないし、会話をした回数も片手にギリギリ収まらない程度であった。
相手をよく知らず、そしてその相手とは自分の遥か目上の立場、最高責任者である。有り体に言えば、ホークスは緊張していた。緊張した時に人が取る行動は大きく分けて2種類ある。自分の行動に対する相手の失望を恐れて身動きが取れなくなり大幅に活動性が下がるタイプと、沈黙による相手の失望を恐れるため友好的な態度でコミュニケーションを取ろうと活動性が上がるタイプである。紛れもなく、ホークスは後者であった。
ホークスは体の内側で汗をかきながら、できるだけ可愛らしく見えるよう表面を取り繕っていたが、会長の表情は書面に目を通す時のそれと変わらない。自分がどう見られているのか分からない不安はホークスの舌を駆り立てた。
「あの、今日オレ、何で呼ばれたとですか? 何かやらかしもうたかなー、なんて」
「強化期間の訓練の件だけど」
「! ……はい」
会長は膝の上で組んだ手の親指と親指を一定のリズムで合わせながら、これまた一定のリズムで瞬きをして言った。きっとこれから本題に入るのに、ホークスの脳裏に「あの人機械みたいで苦手なんだよな」という職員のぼやきが過った。
「毎年この時期は、専門職員帯同のもと"個性"訓練を行っていたけれど、今年は別件で専門職員のほとんどが出張に出ることになったの」
ホークスはへえ!と瞼を僅かに上げた。そんなこと、あの人たちは言っていただろうか。
初めは事務的なやり取りしかしなかったが、それは幼いホークスとの距離感を測りあぐねていたからで、年を重ねるにつれ、ホークスは彼らに心を開いたし、彼らもホークスを可愛がった。ホークスを実験体のようには決して扱わず、一人の人間として接したし、頼めば規定から逸れたこともこっそりさせてくれた。"規定から逸れたこと"とは具体的に言えば、ホークスが"個性"訓練で使用している施設や特殊機器の時間外利用や、本当はホークスには見せてはいけないとされている彼自身のデータを見せてもらうことがほとんどであったが、秘密の共有は意図せず彼らの距離を縮めることに寄与した。
いつも疲れた様子の職員たちは、時折ホークスに向かって上司の愚痴や過密なスケジューリングへの不平を漏らした。そのおかげでホークスはすっかり人に慣れて、聞き上手になったのだが、その話は割愛する。
ともかく、ホークスと職員たちの関係はそれなりに良好だった。記録が伸びれば共に喜んだし、四六時中一緒にいることも珍しくなかった。そんな彼らが、夏休みの間出張でホークスに関する業務に携わらないとなれば、必ずホークスに伝えるはずだった。ついこの間会ったばかりである。大人数が長期間出張に出るのだから、会長からのお触れはもっと早めにあったはず――と考えるのが妥当だが、ここはかの公安委員会、日々移りゆくヒーロー社会に臨機応変に対応しなければならない。ホークスの知らないところで何か大きな動きがあり、彼らも緊急事態に駆り出されたのかもしれない。ともかく、何かイレギュラーが起きていることだけが確かだった。
一抹の不審感を抱いているホークスの内心を知ってか知らずか、会長は淡々と話を続けた。
「よって、今年の夏は"個性"訓練とは別の訓練を受けてもらうことになったの」
「別の訓練、ですか?」
「ええ。具体的に言うと、コミュニケーションの訓練」
「ちょ、ちょっと待ってください、コミュニケーション?」
ホークスは眉を寄せて、疑念を全面に出した顔をした。
ホークスは人見知りであるが、自分でもそれを忘れてしまうほど完璧に隠せているという自負がある。公安に連れてこられたばかりの頃はともかく、コミュニケーションが苦手だと思った経験も、そう評されたこともない。
今更コミュニケーションの訓練だなんて、馬鹿にされているようにすら思える。
「あなたを学校および類似する教育機関に通わせない、そのねらいは前に話したわね?」
「はい。オレの出自と、"ヒーローホークス"が結びつかんように……ですよね。そりゃ分かります。ばってん学校に行かんからって人と関わっとらんわけやないし、コミュニケーションに問題はないです」
ホークスの反論を最後まで聞いても、会長の表情は変わらなかった。
「あなたは将来、ヒーローとして様々な職種の様々な人間と関わっていく。あなたがヒーローとして働くために、出自はもちろん、公安で育成されたという事実も隠されなければならない」
ホークスは口に溜まった唾を飲み込もうとしたが、その音は静かな会長室に響いてしまいそうでやめた。口をつぐんで、会長の次の言葉を待った。
「コミュニケーションの訓練とは言ったけれど、その実は、嘘のつき方を学んでもらう。あなたが将来、ヒーロー社会および一般社会に溶け込めるように」
会長の口調は相変わらず事務的だったが、わずかにホークスへの情が滲んでいた。コミュニケーションなどと回りくどく抽象的な言い方をしたのは、齢14のホークスに、お前は嘘をつき続けて生きていかなければならないという酷な事実を伝えるのを躊躇ったためであろうか。ホークスは聡い子供だったので、それをなんとなく感じ取って、複雑な感情を抱いたが、蓋をした。
「……そうならそうて言ってくれりゃよかとに。それで、そん"コミュニケーション訓練"は誰が付いてくれるとですか? 潜入捜査官とか? ワクワクするなあ」
「"専門家"を呼んでいるわ。本当はここに同席して今あなたにした話を一緒に聞いてもらう予定だったのだけど、道が渋滞していて到着が遅れているの」
「へえ……」
ホークスは会長の言葉から、ホークスの指導にあたるその人物は、警察でも公安職員でもないことを読み取った。
「どげん人なんですか?」
「とても実力のある人よ。立ち居振る舞いから滲み出ているから、彼女を観察するだけでも良い勉強になるはず」
会長は淀みなく話しながら、ちらりと端末の画面を見て、もうすぐ着くそうよ、と言った。
ホークスは自分の前に置かれたグラスを見た。冷たい麦茶が入ったグラスは汗をかいて、コースターの上にはグラスの底の淵に沿って水が溜まっていた。
ホークスはグラスを手に取って一口飲んだ。溶けた氷のせいで少し薄かったが、喉が渇いていたのでもう一口飲んだ。グラスから口を離して一息つくホークスを、会長はじっと見つめた。
「今から来る人に、合わないとか、変だとか感じたら、すぐに言いなさい」
「何ですか。信用できん人なんですか?」
「いいえ。あなたを預ける人だから、慎重になっているの」
どうせ裏があるのだろうな、と捻ったことを考えなければ、ホークスにとっては少し気恥ずかしい言葉だった。誤魔化そうとして、もう一度グラスに手を伸ばした。溶けてまるくなった氷と氷の間を、少し色の薄い麦茶が、小さな海流のように滑り落ちていった。
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