プリズム




 5分後、会長室の、その重厚さ故に存在だけで来訪者にプレッシャーを与えている扉がノックされた。わずか5分だったが、ホークスにとって会長と二人きりという空間は荷が重く、1時間にも2時間にも感じられる沈黙だったので、やっと来た、と思う反面、もっと早く来いよ、と悪態を吐きたくなった。
 会長は顔だけを扉の方に向けて、「どうぞ」と声をかけた。彼女の声は決して大きくないが、よく通る。

「失礼します」

 扉が開いて、一人の女が入ってきた。
 遠目で見ると特に外見に特徴がないかと思われたが、距離が近づくにつれ、作り物みたいな人間だな、とホークスは思った。
 女は長身で、体に吸い付くような黒いスーツがその体をさらに細長く見せている。肌は白く一点の曇りもないが、正気がない。年若く、目鼻立ちは整っている。綺麗な人だと誰もが言うだろうが、印象に残るほどの美人ではない。特徴的なパーツが無いのだ。ホークスは、最新技術を駆使して作られた人型のAIロボットを思い浮かべた。不気味の谷をギリギリ超えたような外見の女だと思った。
 そしてホークスは、女の歩き方に注目していた。
 女は大股に歩いている。歩幅が長ければ長いほど重心はブレやすいが、頭の位置が一才動かない。一流のモデルは頭の上に物を載せてウォーキングの練習をすると言うが、彼女がそれをすればきっと、頭の上でジェンガができるだろう。まるで滑るような、恐ろしく安定した歩みだった。
 ホークスは、女が入室して数歩歩いたところを見ただけで、女が只者でないことを直感した。

 女はホークスと向かい――会長が座っているソファの隣に立って、ご無沙汰しております、と礼をした。会長はそれを視線で受け取ると、自分の隣を勧めた。

「こちら、国家安――」
「会長。紹介は自分でさせてください」

 女が会長の言を遮った。ホークスはそれ自体にも驚いたが、会長が従って唇を結んだことにも少し驚いた。

「国家安全情報局という組織で教官みたいなものをしています、狩野(かの)と言います。会長にはお仕事で協力をしたり、時々プライベートでお食事をしたり、お世話になっています」

 女改め狩野は、涼しげに「そうですよね」と会長に同意を求めた。つられて会長を見ると、会長も頷いている。比較的若い狩野が威厳のある会長に対して気後れしていないのは、プライベートでも付き合いがあるからなのだろうか。それにしても、会長のプライベートとはどんなものなのだろうか。冗談を言うところも見たことがないほどのお堅い仕事人間のイメージしかないので、ホークスは狩野と会長が仲良く食事をしているシーンがどうにも想像できない。
 女は会長に向けた涼しげな浅い笑みのまま、ホークスの方を向いた。

「君のお名前を聞いても?」

 キザ、とまでは行かないが、芝居の王子様のような、少しおどけた口調だった。ホークスは本名を名乗るか一瞬迷ったが、結局「ホークスです」と答え、年と"個性"を付け加えた。

「ホークスくん。よろしく」

 狩野は柔らかく微笑んでいるが、冷ややかなビジュアルのせいでどうしても人工的な印象が抜けない。そういうところが少し、会長と似ている気がした。
 ホークスの前に、女の右手が差し出された。握手を求められているのだと気づくまでに少し時間がかかったので、ホークスは慌てて、両手で女の手を握った。手の湿りを拭うのを忘れていた、と一瞬焦ったが、女は夏にも関わらず革手袋をしていたので、汗をつけてしまうような事態は免れた。
 ホークスの、まだ幼さが残る右手の甲に、狩野の左手が添えられて、程よい力で包まれて、僅かに上下に振られた。ホークスが両手を出したから、それに合わせてくれたのだと気づいて、思っているほど冷ややかな人ではないのかもしれない、と思った。
 握手を見届けると、会長が口を開いた。

「お互いの詳しい自己紹介は後でしてもらうとして、私の方からは今日の予定だけ伝えるわ。今後の予定はあなた(狩野)に送っておくから、目を通しておいて」
「はい」

 会長はその後手短に、夏の間二人が自由にできる部屋を用意したから、そちらに移るようにと指示を出した。部屋に必要そうなものは運ばせているが、足りないものがないか二人で確認をするように、とのことだった。
 ホークスはそれだけかと拍子抜けしたが、確かに時刻は昼の12時を過ぎていた。
 ホークスは、この場で会長が狩野にほとんど情報を伝えていないことに気がついた。狩野が来る前は「狩野の到着が遅れているから、ホークスへの説明だけ先にする」といった体を取っていたが、もしかすると二人の間での打ち合わせはとっくに済んでいて、今回はホークスと狩野の顔合わせだけが目的だったのだろうか。
 気を遣わせてしまったのか、それとも会長と狩野は久しぶりに会うようだったから自分が気を利かせた方がよかったのかと今になって考えてもしょうがないことが頭に浮かんだ時にはもう、狩野と会長は立ち上がって、部屋の場所の話をしていた。


◾︎


 狩野はどうやら公安委員会の建物に多少通じているようで、部屋に到着するまでに戸惑う様子が一切なかったので、ホークスは彼女の後ろをついていくのみだった。
 道中狩野は、沈黙ができないよう、しかししつこすぎない丁度良い塩梅で当たり障りのない質問を投げた。ホークスは狩野に対する疑問がたくさんあったが、会話が途切れないので、それらは一つも解消されなかった。

 会長が言っていた"部屋"は、会長室のあるフロアの2階下の端にあった。本当に一番端にあるので非常階段を降りた方が近道だと気づいたのは部屋の前に着いてからだった。
 狩野は会長から預かったカードキーをタッチして解錠し、ホークスのために扉を開けてくれた。どうぞ、と促す声に、ホークスは人当たりの良い笑顔で「お邪魔します」と答えた。初対面の人間と一対一の密室に緊張していたが、それを相手に気取られないよう、羽の一枚一枚、爪の先まで意識を張り巡らせた。

 部屋は10帖ほどの小さな部屋だった。ホークスは公安のビル内で生活をしているが、ホークスに与えられた自室と同じくらいの広さだ。角部屋なので窓から光がよく入り、照明をつけなくても明るかった。
 狩野は部屋のほぼ中央に置かれたミーティングテーブルに手を置いて、周囲を見渡した。

「なかなか良い部屋だね」

 ホークスは自分に同意を求められているのか独り言なのか微妙だと思ったが、とりあえず「そですね。ばってんエレベーターが近かともっと良かったですけど」と返した。

「ホークスがいつもどこで訓練しているの?」
「"個性"訓練は2階のトレーニングセンターか、公安の所有地でやっとうとです。座学は日によって変わるけど、だいたい小会議室かミーティングルーム――2階から4階にあるっちゃけど、そのどれかを使ってます」
「そうか。じゃあいつもよりだいぶ眺めが良い?」

 狩野は窓際に寄り、壁に体の側面をもたれかけさせて外を見た。ホークスも控えめにそばに寄って、窓の外の景色を眺める。いつも使っているフロアもかなり良い景色と言えるが、最上階に近いこのフロアから見る景色は別格だった。

「ホークスはどれくらいの高さまで飛ぶの?」
「飛行訓練用の施設では、300mくらいまで飛んだことあるとです。でも外で飛んだことはなかです」
「やっぱり外で飛ぶのと、それ用の施設とはいえ屋内で飛ぶのとは違うのかな」
「そうですね――オレは飛んだことなかばい知らんっちゃけど、指導員さんは風が全然違うって。機械の再現にも限界があるって言いよりました」

 ふと狩野の方に視線をやると、目が合った。てっきり窓の外を見ていると思っていたので、ホークスは少し驚いた。
 狩野は相変わらず現実味のない顔立ちをしていたが、日光に照らされた顔は、会長室で見た顔よりは人間らしく見えた。

「風か。奥が深そうだね」
「はい」
「…………」

 狩野は今まで絶対に沈黙を作らなかったが、突然何も言わなくなってしまった。口は噤んでいるのに視線はまっすぐホークスへ注がれ、正面切って向き合っているので、ホークスはなんとなく喋らないといけないような気がして、どうにか会話を繋ごうと頭を巡らせた。

「えーっと、そういえばさっき会長が、『足りないものがないか確認しろ』って言っとりましたよね。オレ的にはこのテーブルと椅子とホワイトボードがあるし、これで十分かなって思うんですけど。天井にほら、プロジェクターも付いとうし。狩野さんはオレにどういう感じで指導してくれるとですか? 何か会長に言って用意してもらわないかんもんとかあります?」

 ホークスは我ながらよく回る口だなと感心した。やはりコミュニケーションの訓練なんて必要ない気すらする。
 狩野はホークスから視線を外すと、窓枠に肘をついて、半ば壁にもたれかかるように立った。その様子がやけに様になっていた。

「模様替えがしたいな」
「模様替え」
「うーん。このテーブルと椅子、ちょっと取り調べ室みたいだと思わない?」

 ホークスは狩野の視線を辿った。確かに言われてみれば、そうな気もする。無機質で一切飾りのない机と、どこかの会議室から引っ張ってきました感満載のスタッキングチェアは、使い心地も良くはなさそうだ。

「スクリーンはあれを使えばいいのかな」

 部屋の隅に、ロールスクリーンが立てかけてあった。ホークスは羽を使ってそれを引き寄せ、手に取って広げてみる。狩野はその様子を見て「器用だね」と感心した様子で言った。ホークスは「結構練習したんで」と愛嬌のある顔で返した。
 ロールスクリーンは簡易的なもので、どうやらホワイトボードに磁石か何かで貼り付けて使うことを想定された物のようだ。狩野はそれを見て、間髪入れず「よし、新しいのを持ってこよう」と言った。

「えっ。いります?」
「いる。せっかくこんなに良いプロジェクターがあるんだから。もっと大きくて、壁に吊り下げるタイプのやつを買おう」
「プロジェクター、よう使う予定なんですか?」

 狩野は「映像資料を見るときにね」と答えた。ホークスはそういえばこの人若いけど、教官とか何とか言ってたな、と思った。ホークスのためにちゃんと色々準備してくれているらしい。

「まあ一番の理由としては、映画を観たい」
「…………映画?」
「ホークス、映画は好き?」

 唐突な質問に、ホークスは眉根を寄せながら「観たことはあります」と答えた。狩野は「その言い方だと、数は観てないって感じか。じゃあとりあえず、夏の間に10本は観よう」と言った。

 出会って20分も経っていないが、たった20分の間で、ホークスの中の狩野の人物像はあまりにもコロコロ変わりすぎている。初めはロボットみたいだと思っていたが、会長とプライベートの関わりがあると聞いて、会長のように理路整然だが人付き合いが得意な人なのだろうかと思った。部屋に着くまでの会話でホークスを気遣ってくれる優しさも持っている人という印象で、部屋の中の会話ではそうだ夏の間この人が自分の指導者になるのだと思い直したのだが。

「……狩野さんって結構、自由人とですか?」
「自由? とんでもない。上司の犬だよ」

 狩野が真顔で言うので、ホークスは冗談なのか分かりかねて、とりあえずはあ、と笑い声と相槌の間みたいな声を出しておいた。



 第五列 
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