ガエリオは今、人生の絶頂期を味わっていた。
妹であるアルミリアには、お兄様は婚約の話が持ち上がると任務を言い訳にいつも逃げてばかりで、と何度も非難されていたが、それも全ては彼の恋心故だ。
ガエリオはサラ・ヴァンドームに恋をしていた。初めて出会った時から十年以上続く片思いだ。それを見事、この度成就することができた。しかも、あのイカれたMS狂いの彼女相手に。これを奇跡といわずなんという。
ボードウィン邸の大広間での婚約発表から数日後、ガエリオとサラの二人は当主であるガルスの代理でとあるパーティーに参加していた。
パーティーの趣旨は、ボードウィン家が出資をしているとある世界的な音楽祭。先日千秋楽を迎えたその公演を祝う、祝賀会だ。同じように資金を提供した他の名家や企業団体、そして音楽祭では見事な演奏で人々を魅了したソリストやオーケストラのメンバーに、そのほか各分野の著名人が参加していた。
規模が大きく、挨拶回りだけで一苦労だ。もっともボードウィン家当主の名代であるガエリオと、彼の未来の奥方であるサラは挨拶を受けるばかりで移動して回るといった手間はなかったが。とはいっても、ひっきりなしに声をかけられてばかりでは流石に疲れが溜まる。
ガエリオは近くを歩くウェイターから飲み物を二人分貰う。シャンパンゴールドに輝く、白葡萄だけで作られたスパークリングワインを一口含めば、自分の喉がどれほど渇いていたか実感する。パーティーも半ば、といったところか。閉会まではまだ時間がかかる。
婚約パーティーの時はギャラルホルンの制服を着ていたガエリオとサラだが、今は二人、それぞれパーティー用のフォーマルな装いに身を包んでいた。
ガエリオは夜光に映える黒に近いミッドナイトブルーの細身のタキシードに、同色のカマーバンドと蝶ネクタイ。胸ポケットには白のポケットチーフを三角が三つできるように折り込み、革靴は黒のエナメルだ。袖口からちらりと見えるシャツのボタンはサラの髪と同じゴールドだ。
サラといえはガエリオのタキシードにあわせ、ロイヤルブルーの床上数センチのロングドレスを着用していた。生地は光沢のあるシルクで、ホルターネックのドレスだ。胸元が開いていないかわりに背中が肩甲骨が見えるほど露出している。
ガエリオは反対したのだが、サラにいいように丸め込まれ今に至る。魅力的で刺激的な彼女の姿に、どこぞの男がふらふらと誘惑されないか心配だ。ガエリオはパーティーの始まりから終わりまで絶対にサラの隣から離れる気はなかった。
また一人、二人と挨拶を交わす。社交的な笑みを浮かべ続けた顔がそろそろ引き攣りそうだ。明日、顔が筋肉痛にならないことを祈る。
隣へと目をやれば、サラは普段の様子からは想像できないほど作り笑顔が上手く(いつもは気だるげな表情か腹に一物あるような笑顔だ)、ガエリオは意外に思った。
意外といえば、婚約してからガエリオはサラの新たな一面を知ってばかりだ。恋人期間のないまま一足飛びに幼馴染から婚約者へと進化したからか、今が実質恋人のようなものだ。恋人兼婚約期間といったところか。
彼女の父親が世界中を飛び回り、だからといって社交界との関わりがないわけではないため、彼女が礼儀やマナーといった教育を受けているだろうとは思っていたが、なんというかガエリオの想像以上だった。堂に入った、というのだろうか。まるでどこかの国の王族のように、一つ一つの仕草が洗練されていた。
端的に言うと惚れ直した。ガエリオはサラに首っ丈だった。今ならあばたもえくぼ。彼女の悪癖さえも愛せるだろう、きっと。
パーティーも終盤に差し掛かったところ、一人の女性が二人のもとに訪れた。ブルネットの髪に上品なラベンダー色のドレスが似合う、美しい女性だ。彼女は確か――、
「まずはご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。この度はこのような素晴らしい音楽祭を開いていただき、ありがとうございます。私も一演奏者として参加でき、とても嬉しく思います」
「いえ、こちらこそあなたのような世界的に有名なピアニストに参加していただけるとは、喜ばしい限りです」
「まあ、そんな」
ピアニストの女性は控えめな笑みを浮かべ、謙遜の言葉を述べる。
あの曲は特に素晴らしく、情熱的な演奏で…と、しばし大成功を収めた音楽祭についての話がガエリオと女性の間で続く。その間、サラは時折相槌を打つも、基本的にはガエリオの隣で終始上品に微笑んでいた。
一通りの社交的な会話を楽しんだ後、会話の切れ目を好機に話を終わらせる。最後に、では、と互いに笑みを浮かべて別れるはずが、なぜか女性は一歩前へと足を踏み出し、ガエリオとの距離が近くなる。まるで、遠目には抱き合って見えるように。
突然のことに一瞬動揺するも、ガエリオは慌てて距離をとろうとする――が、ガッと己の手を勢い良く掴まれる。女性の細腕だというのに力が強い。流石ピアニストといったところか。まるで手首に指が食い込むようだ。
「いきなり何を、失礼では「黙りなさい」っは!?」
なんだかとても低い声が聞こえた。まさか目の前の女性からだろうか。つい先ほどまで鈴を転がすような声を発していたとは到底思えない、とてつもなく低い声が。ガエリオは己の耳を疑った。が、真実は残酷であった。
「サラ様と婚約したからっていい気になるんじゃないわよこのクソ野郎が。あんたなんかすぐにサラ様に捨てられて終わりなんだから。むしろサラ様に相応しいのはこの私よ。いい?近いうちに必ず婚約解消させてみせるから。覚えておきなさいよ」
f*ck youと最後にガエリオにだけ見せるようにギリギリと力をこめる手とは反対の手で中指を立て(もちろん隣にいるサラにもばっちりと見えている)、サラには熱っぽく陶然とした眼差しを向け二人の前から立ち去った。
「なっ、なっ、なっ…!」
「ガエリオ、落ち着いて」
なんだあれは!!!
という悲鳴をガエリオは、すんでのところで飲み込んだ。今、思うままに叫んでは、ガエリオの方が不振な目で見られる。
なんなんだあの女は、と憤慨するガエリオは気付かない。先ほどの女性の行為が周囲にどのように見られていたのかも。こそこそと、浮気では?だの、昔の女か?などと囁かれていることも。
知らぬはガエリオばかりであった。
「あの女とは一体どういう知り合いで、どこで出会ったんだ!?」
「えー?どこだったかなぁ」
「あんなにお前に惚れているんだ!何かあっただろう絶対!」
「んー…」
「頼む思い出してくれ!!(絶対にサラは渡さん!!)」
帰りの車でこんなやりとりがあったとか。