ほしくず


ピアニスト女主1:×piano:安室[20190120]

ピアノを弾いている時だけ、私は自由になれる。






「それで、僕が彼女の世話を?」

僕は探り屋なんですがねえ、とバーボンはホテルの一室で肩をすくめながら溜息をついた。

「一ヶ月だけよ。場所が場所だから住み込みになるけれど、決まった時間に彼女を食事を作ってくれるだけでいいわ。あと簡単な掃除洗濯も。それ以外の時間は自由よ。好きに過ごして頂戴」
「好きに、と言われましてもねぇ」

登庁は難しいな、と考えながら、そんなことはおくびにも出さずに、あくまで探り屋の仕事ではないから渋っている、というスタンスを崩さない。

「バァーボン」

と、蠱惑的な熟れた林檎のような真っ赤な唇がゆうるりと弧を描いた。

「これは任務よ」

そう言われてしまえば、バーボンこと降谷零に断る術はなかった。



**********



麓の町から車で1時間。
山の中腹に、安室の任務対象である女性が住む家があった。
赤い屋根の一軒家。赤、なんて幸先が悪い。忌々しい色だ。好きにはなれない。
ベルモットから渡された鍵を使い、家に入る。
しん、と静まり返ったリビング。日没が近いため、電気のついてない部屋は暗い。
電気のスイッチをつけ、安室は一通り室内を物色する。通ってきた玄関と、リビングに監視カメラ。きっと録音機能付きだろう。
キッチン、トイレ、バスルーム、と見ていく。トイレとバスルームにはカメラがなく、最低限のプライバシーが守られていることに安堵する。
ついで、ここは彼女の私室だろうか。セミダブルのベッドに、わずかな小物があるばかり。物だけ見ると、あまり生活感のない部屋だ。
そして、最後の部屋の扉を開ける。
ベルモットは言っていた。この家には防音室があり、彼女はそこにいるはずだと。一日の半分以上をその部屋で過ごすと。
安室は扉の取っ手を掴み、ゆっくりと前に押した。
ドン、とまるで爆発でもしたように、安室の耳は音の洪水に飲み込まれた。



**********



私の親は犯罪者だった。
黒の組織、と呼ばれる犯罪組織からお金というバックアップを受けるかわりに、好きにやっていたそうだ。
父は科学者。母は殺し屋。
どちらも具体的に何をしていたかは知らない。ただ、母は父より先に死に、父は爆発で死んだらしい。実験中の事故だ。母は、任務の失敗で。両方とも、ジンと呼ばれる銀髪の目つきの悪い男が伝えにきた。

シェリーと宮野明美とは、両親が組織に所属するもの同士、少しだけ交流があった。
父に会うために組織の施設に行く時に、少しだけ一緒に過ごした。

私と二人の境遇は大体同じだった。けれど、根本的に違うことがある。
彼女達は生まれたあとに、両親が組織の一員となったけれど、私の両親は、私が生まれる前から組織の人間だった。母は私を生む前から殺し屋だったし、父も人殺しの発明ばかりしていた。そんな二人の血を私は引いている。

私は、父の頭脳と母の技術を受け継がなかった。私にあるのは音楽だ。それも偶然、たまたま組織の施設から出たときに、商店街の一角にあったピアノ。そのピアノを弾いてから、私は外で暮らすことが許された。住居自体は組織が用意したものに限られたが。それでも十分だった。組織の中しか知らなかった時からすれば。

外に出てからは、毎日毎日ピアノを弾いた。弾かなかった日なんて40度の風邪で寝込んだ時くらいだ。
どんどんと上手くなる私に、期間限定だが、組織は著名なピアノの先生をつけてくれた。先生のいない時期はプロのCDを何度も何度も聞いて練習した。
何人かの先生の指導を受け、今は独りこの家で弾くばかり。けど、独りじゃない。ピアノを弾いている時は、私は独りじゃない。私の中に、今まで出会ってきた人たちがいる。思い出がある。私は自由にどこまででも行ける。
弾ききった瞬間、意識が空から部屋に戻る。

―――パチパチパチパチ

拍手の音がする方を見れば、知らない男が立っていた。



**********



素晴らしい演奏をした女は、素晴らしい人格者、というわけではなかった。
世の中そんなものだ。小説家にしろ画家にしろ、素晴らしい作品を世に出す人間が人格まで素晴らしいとか限らない。むしろ、人としてどうだろう、と誰もが眉をしかめる人物が、とんでもない名作とやらを世に出すことがままある。
そう思えば、目の前の女性―――いや、まだ少女の域にいるだろう彼女は、特別破綻者というわけではなかった。少しばかりわがままなのは、年頃の女の子の特権だろうか。いや、そうではなかったな。と安室はベルモットを思い出した。あの女はいつでも女王様だ。いくつになっても。

防音室の中はかなり広く、部屋の真ん中にはグランドピアノが置かれている。
部屋の壁を埋め尽くすように本棚がずらりと並ぶ。本棚は楽譜や音楽史などで、これでもいうかとほど埋め尽くされていた。そして、壁の一面には大きなプロジェクター。たくさんの音と映像をこれで見たのだろう。
鷹宮沙羅という少女の人生がこの部屋にはあった。



**********



両親のことは嫌いではない。好きか、と言われると困る。非常に難しい。なぜなら好きと嫌いの気持ちが同居しているからだ。感謝と嫌悪も。

私を育ててくれてありがとう
(施設に預けてくれた方がよかった)

私の誕生日をお祝いしてくれてありがとう
(人を殺したお金で買ったものなんでしょ)

私を愛してくれてありがとう
(心の中ではどう思っていたかなんてわからない)

私にピアノを続けさせてくれてありがとう
(組織の意向だったとしても)

私とピアノと出会わせてくれてありがとう
(このことだけは)

私はピアノと出会い、ピアノを弾くために生まれてきた。私は、私を生んでくれたことに感謝している。だって、私はピアノに出会うことができたから。生まれてこなければ私はピアノに出会うことはなかった。これだけはただただ感謝している。感謝の気持ちしかない。
出会い、喜び、苦しみ、別れ、希望、そして―――。
私は何処までも羽ばたいていける。鳥のように。時には風になって。高く、高くどこまでも大空に。私は自由だ!!

死んだ父と母に対して無関心になることができれば、このなんとも言葉にしにくい感情を、苛立ちから開放されるだろう。けれど、無関心になるなんて、そんなことはできない。できっこない。心を無くしてしまえば、それは私のピアノじゃない。美しいピアノを弾くことができない。他人を感動させるような。私はピアノの前では素直でいたい。私の今まで経験したこと、気持ち、人生でぶつかりたい。そして奏でるのだ。私だけの旋律を!

私は私に足りないものを手に入れたい。吸収し、音楽の糧にしたい。私はもっともっとピアノが上手くなりたい。もっともっと!だから―――、


「ねえ、お願いがあるの」

鍵盤から指を離し、沙羅は安室の正面に立って言った。

「私とセックスして」



**********



は、と漏れた声は許してほしい。
この少女は今、何を言ったのだろうか。言われた言葉は分かる。だがしかし、頭が考えることを拒否している。
突然何を言い出したんだ。ぽかん、という表現にぴったり当て嵌まる顔をした安室は、まあるくなった目に沙羅を映していた。

「私とセックスしてって言ったの」

ちゃんと聞いている?と言わんばかりに、器用に片方の眉を上げた沙羅は、もう一度、その小さな口で同じことを言った。
安室としては、もちろん聞こえている。ただ、その言葉を理解したくなかっただけで。

コホン、業とらしく咳をし、自分のペースに戻す。

「なぜ、と聞いても?」
「もっとピアノが上手くなりたいから」
「……はあ?」

なぜ、その行為が彼女のピアノと関係があるのだろうか。全くもって分からない。安室は内心頭を抱えた。
安室に意図が伝わっていないことが分かったのだろう。当然だ。あの言葉だけでは、口にした沙羅だけにしかわからない。
沙羅は安室から目をそらさずに、ゆっくりと口を開いた。

「私は誰とも交際したことがないの。恋愛という意味で好きになった人もいないわ」
「…でしょうね。生まれた時から組織の中で生活していては無理もないでしょう」
「好意を抱いたことはあるわ。尊敬の念だけれど。友愛も…よくわからないわ。好敵手、と言うのかしら。コンクールで出会ったのだけれど、とても素晴らしい演奏をする人がいるの。心が震えるほどの。でも、それは恋愛ではないの」
「そのようですね」
「恋愛、という意味で人を好きになろうと思って、それでできるか、なんていったらできないわ。難しいもの。…今の私の環境を含めて」

組織のことを言っているだろう。将来を期待されたピアニスト、ということで自由は許されているが、それはあくまでもある程度だ。こうやって、世話という言葉でオブラートに包んだ監視要員として、安室がここにいる。

「だから、手っ取り早く男女の関係を経験しようと?」
「ええ、そうよ。たくさんの経験は私のピアノを豊かにしてくれる。それがどんなことであっても」

だから、と沙羅は姿勢を正し、まるで睨みつけるように安室を見た。

「私はあなたとセックスがしたいの」



**********



子供とする気はない、と安室は断った。流石に未成年に手を出す気はない。犯罪組織で後ろ暗いことに手を染めていてもだ。降谷零の正義の心がだめだと強く訴える。そうしたら、「私は今年21よ!」と怒鳴られた。なんとまさか。どう上に見ても20歳は超えていないと思った。外見年齢は18歳前後、ちょうど少女と女性の境目だ。

安室の任務は一ヶ月彼女の世話をすることだ。そして今は3週間目。ちょうど折り返し地点だ。
安室は考える。彼女は自分のピアノを豊かにしたいと言っていた。――それが、なぜセックスに繋がるのかは不明だが。考えてもしかたがない。彼女自身が、その行為がプラスになると感じたからだ。
しかし、自分は協力はできない。彼女の生まれには情状酌量の余地がある。子供は親を選べないからだ。逆もまた然り。
けれど、何かしら協力はしたい。彼女はいずれ日本を代表するピアニストになるだろう。音楽に特別造詣が深くない自分にも、彼女のピアノはとても素晴らしく、心が震える音だった。
そんな将来有望な彼女に、安室はなんとか協力してやりたかった。彼女の力になれるように。そして、彼女が世界に羽ばたく前に、必ず組織を壊滅させてみせると改めて誓った。安室ではなく降谷として。ならば、今できることを。彼女に。

「まずは、お友達から始めませんか?」

恋愛以前にまずは友愛をよく知らない彼女に。
安室は茶目っ気たっぷりに沙羅に返した。動揺した心は既に落ち着いている。



**********



警視庁にあるデスクで降谷は仕事をしていた。今日は朝からこちらだ。夕方には一度警察庁に戻る予定だ。
承認、却下、保留。とても早いスピードで書類を捌いていく。どんどん書類の山が低くなる様は見ていて気持ちがいいくらいだ。
そんな、いつも異常に集中して仕事をする上司に、風見は彼が一息ついたところで声をかけた。カフェインたっぷりのコーヒーとともに。

「今日は随分と集中していらっしゃいますね」
「ああ、今日は予定があってな」

だから必ず定時で上がる、と降谷は真剣な眼差しで言った。そんな上司の様子に、風見は頼むから事件よ起きてくれるなと神に祈った。無心論者だが。
上司の真顔にある両の瞳に、風見はどこか熱い色を見つけた。情熱というか、暖かい気持ちというか。こう、心がくすぐったくなるような。
もしかして、と思い、風見は降谷のデスクにある写真立てに目を向ける。私物を置かない上司のデスクにある、唯一の彼の私物。
風見の言わんとすることに気付いた降谷は口元を綻ばせた。

「ああ、僕のショパンが帰ってくるんだ」


戻る



MAIN

ALICE+