酒は呑むもの呑まれるもの


成人を迎えて酒を覚えてから数年。幾度となく失敗してきた。記憶を無くすのなんて当たり前。気がついたら玄関でそのまま倒れて寝ていたり、駅のトイレで寝ていたり、知らない人の家で寝ていたり。
今回も、その知らない人の家で寝ているパターンだ。もちろん記憶はない。途中までは友だちと行きつけの店で飲んでいたことは覚えているのだが、丁度一人でボトルワインを一本空けてしまったくらいだろうか、その辺からの記憶が曖昧だ。
ふかふかの羽毛布団。ちょうどいい硬さのマットレス。ちょうどいい高さの枕。むくりと起き上がり隣を見ると、なるほど、今回の私は初めての経験をしたらしい。
金髪。まつ毛まで輝いているのを見るとどうやら地毛らしい。ちなみに腕の毛までキラキラ。そしてめちゃくちゃ高い鼻にスっと伸びた鼻筋。ふむ。外国人ではあるまいか。はだけたワイシャツからのぞく首筋と鎖骨があまりにも艶かしくて、思わずゴクリと唾を飲んだ。どれアソコの大きさは、と覗いて見たけど生憎彼は服を着ている。と思ったら私もどうやら下着はおろか昨日いそいそとおろした買ったばかりの服をしっかり身につけている。あれ、ということはつまり一夜の情事はなかったということか。
スマホの時計で時間を確認すると午前5時32分。私にとったらほぼ夜。どれほど飲んだのだろうか、頭がガンガン痛いし気持ち悪い。口も酒臭いし、最悪の気分だ。
隣のイケメン風外国人さんを起こさないようにベッドからそろりと出て、辺りを見渡すとハンガーラックに掛けられた私の上着とカバンを見つけた。よくよく見なくてもわかる、その部屋の内装に、なんていうか、あ、ここホテルだわ。そう思った。でも枕元に電話はないし、備え付けの小さな冷蔵庫も見当たらない。まさか個人宅でしょうか?こんなに美しく整ったお宅があってもいいのでしょうか?テレビの中か面白半分で行ったモデルルームでしか見たことありません。

「ん、」

ベッドで眠る恐らくこの部屋の主の声にビクリと肩が跳ねた。まさか起こしたか?と思い恐る恐る後ろを振り返ったけど、その目はまだ閉じている。ほ、と胸を撫で下ろし、私はすかさず上着とカバンを手に取りドアノブに手をかけた。
今日が休みで本当に良かった。足元は未だふらつくし、何より吐き気がやばい。こんなの仕事どころではない。とにかくこんな綺麗なお家でゲロりんちょだけはしてはいけない。
ああでも、今すぐ出ていきたいところだけど、こういうのはなるべく後腐れのないように、が私の酒クズとしてのモットー。一旦ドアノブから手を離し、仕事で使ってるメモ用紙に簡単に挨拶を書く。日本語読めるかも知らないけれど、何も無いよりはいいだろう。リビングテーブルに、飛ばされないように小難しそうな分厚い本を重しにそのメモを置く。
さて、これで少なくとも気分悪くはしないだろう。服もわりかし綺麗に着てるし、吐いた様子もない。もしかしたら酒臭い口でチューの一つや二つかましてるかもしれないがそれもまた思い出だとでも思ってくれ。
ようやく再びドアノブに手をかけて、このモデルルームからおさらばしようと扉を引こうとした時だった。

「…お気をつけて」
「ひっ!?」

突然声がかかり、あまりにもビックリして変な声が出た。その声の方向を見ると、疲れた顔をしているもののめちゃくちゃ整った顔の紳士。あ、瞳の色は、エメラルドグリーンなんですね。

「うっ」
「…は、ちょっと、待、!」
「ゔぇ゙…」

ああ、やってしまった、
あなたが驚かすからいけないんです。その拍子にむかむか食道からものが込み上げてくる感覚、苦い味。なんとか口で留めようと唇にぎゅっと力を入れて、手でおさえて、だけどあまりの量に少し手の隙間からこぼれ落ちてしまった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう
なんだか高そうなラグにシミを作ることになってしまう。
じんわりと出てきた涙。とりあえず、トイレ、トイレはどこですかと金髪の紳士を見たら、えらく不機嫌そうな顔をして私を一瞥し、私を越えて寝室を出る。
カタンカタンと物音がして、しばらくするとまた足音が近づいてきて、大きな影がしゃがんでいた私のそばに腰を下ろした。

「これに出してください」

なんて流暢な日本語でしょうか。在日歴は何年でしょうか。それにしても私の背中を撫でるその手はなんて逞しいんでしょうか。
袋を手に入れたことによって胃の中にあったものを恐らく全部出したと思う。胃がひくひくしてる。しかもなんか自分から出てきたものは真っ赤っかで、本当赤ワインどんだけ飲んだんですか?て感じです。

「飲めますか?」
「…、ぁい」

喉が痛んで思ったような声が出ない。吐いたせいか、あるいはただの酒焼けか。多分両方だろう。
紳士はミネラルウォーターまで用意してくれて、汚したこともなさそうな真っ白なタオルを差し出した。蒸らしてくれたらしい、ふわふわの、ほかほかで、しかもいい匂いがする。

「あ、あの、ハンカチ、とか、ウェットティッシュ、あります…汚しちゃう…ので」
「今更何の遠慮ですか、ほら」

それを受け取らない私の汚れた口元と手を代わりに綺麗に拭ってくれる。
え、どんな天使でしょうか。きらきら輝くその美しい髪は、きっと天の使いだったからなんですね。
でもほら、これ今治タオルだよ。とってもいいやつだよ。しかもおろしたてかっていうくらいふわふわしてるんだ。いくら天使でもゲロ掃除にこれはおろしちゃあかんでしょう。弁償だなあなんて思いながら、天使様はすごく私に優しくしてくれるので甘えることにしてしまった。
天使様も今日はお休みらしい。落ち着くまで居てくれてかまいませんから、と、私をお風呂にまで誘導してくれる。ここまできたら確かに今更の遠慮か、と開き直って、素直に従う。
お風呂もなんて綺麗なんでしょう。シャンプーもリンスもボディーソープもボトルを揃えてて、なんかよくわかんない高そうな石鹸まである。水垢なんてものは一切見当たらない。自分の家のそれと比較してなんか落ち込んだ。でも綺麗に整ってはいるものの女性が使うような化粧品は見受けられないので、指輪もしてないし結婚もして無さそうだし彼女もいないだろう。まあ一夜の情事があったとしてもセーフだ。よかった。修羅場は勘弁。
サッとシャワーを浴びてトビラを開けるとまさかの脱衣所に天使様。私は色んな人に見られすぎてもう裸を見られたところで「きゃ、いやーん」なことにはならないのだけど、天使様にはギョ、という表現がぴったりなくらいの動揺がその表情に現れている。とりあえず渡されたタオルで体を隠して、控えめに謝る。自分では粗末な体だとは思っていないので、どうか許して欲しい。

「…失礼。下着を、渡すのを忘れていましたので」
「え、…え、下着?こ、恋人さんの…?」

天使様の目が面倒臭いとでも言いたげに鋭くなった。小さくため息をついて、「貴女が買ったんでしょう」とそのコンビニのビニール袋に入った下着らしいものを押し付けて、脱衣所から出ていく。
そうか、私が、買ったんかあ。
残念ながらなんにも覚えてはいない。でもちゃっかり私はお泊まりセットを用意していたようだ。ビニール袋の中には、トラベル用の化粧品も入ってる。せっかくなので中途半端に落ちたメイクも直してしまおうか。

「本当に申し訳ございませんでした」

一通り自分のことを元通りにして、天使様に深々頭を下げる。足を組んでコーヒーを飲みながら新聞を読む天使は、既にピシッと整ったシワのない服に着替えていて、なんていうかもう、眼福というか、ご馳走様ですって感じ。この人と結婚したらこんな光景が毎日見られるのかと思ったらこの人と結婚する未来の女性が妬ましくなってきた。
天使様はマグカップをカタ、とテーブルに置くと、「気分はどうですか?」なんてまた私を心配する言葉を投げかけてくれる。これ以上優しくされたら勘違いしちゃうぞ。

「はい、あの、汚しちゃったもの、弁償します」
「結構です。マットの汚れも落ちましたし、タオルはたくさんありますので」
「本当に、すみません…」

再び頭を下げる。もう、帰ってもいいだろうか。また酒に溺れてこの記憶を抹消してしまいたい。ちらり、と時計を見ると午前6時58分。もうすぐ7時か。漸く朝になってきた。

「え、えっと、お詫びと言ってはなんですが」
「必要ありません」
「あ、そですか…」

瞬殺だ。別に連絡先を教えてください、とか言うわけではないのに。まあ、もう私とは一切関わりたくないだろうから、その反応は普通か。

「で、では…」
「私の名前」
「へぁ!はい!!」
「私の名前分かりますか」
「へ!」

天使様とだけ認識するだけではいけないとでもいうのでしょうか。
まさかこれ以上会話が続くとは思わなかったから思いっきり声がひっくり返った。恥ずかしい。これ以上恥を重ねさせないで。

「記憶がないのでは」
「な、ないです。すみません」
「…では覚えていることは」
「え、え…あの…友だちと、飲んでて、その…」
「…。」

ため息をつかれた。え、やだすごく怖い。

「私はそのご友人の後輩です」
「え!?悟くんの!?」

ピク、と眉が動く。だから怖いって。
にしても悟くんの後輩の方でしたか。後輩にしては悟くんよりずっと年上に見える。そういえばなんか急に仕事入ったから代わりの奴用意するとかそんな変なこと言っていたような、気もする。いい加減な人だから特に気にもしてなかったけど、あれ、それで、この人が来たんだっけ。

「思い出しましたか」
「は、はあ、何となく」
「では私の名前は」
「……フェルゼン?」
「……。」

ち、違った!わっっかるわけないじゃないか。
なんか面倒くさそうな人だけど世話もしてもらったし悟くんの知り合いなら適当に逃げる訳にもいかない。
思い出せません。申し訳ございません。と素直に、再び頭を下げる。
またまたため息をついた天使様が大王様に見えてきた。次は何を言われるのでしょうか。責められているようで、その嘆息を聞くだけでビクリと肩が跳ねた。

「七海建人です」
「な、ななみ、さん」
「今度、ぜひ貴女のお店に寄らせていただきます」
「え、…あ、」

そうか、それ、話していたのか、とカバンをごそごそ漁る。
目当てのものが中々見つからなくて、ええい、もういいやと名刺を抜き取って後ろにボールペンで走り書いた。

「お詫びにもならないかもしれませんが」
「…、では、有難く頂きます」

私が経営してる小さなカフェ。ドリンクと食事無料と書かれた店の名刺を手渡して、営業スマイル。にっこりと笑う。

「今度、悟くんと一緒に来てくださいね」

そう言うと、せっかく少しだけ解れた表情がまた曇り、怒ってるのかなんなのか分からないけれど、怖いくらい、真顔だ。
いや、だってそんなこと基本的には有り得ないということを前提として話すけれど、もし、もしもこの天使様が少しでも私に好意を持っているのであれば、それはさすがのさすがにやめといた方がいいだろう。
だって、私と悟くんは、所謂、セックスフレンドなのだから。

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