帳消しのブレンドコーヒー
『おー小春、どだった?』
「どうもくそもないよ!悟くんの後輩に手出すところだったよ!!」
『え、ヤらなかったの?』
「悟くんが先輩だとは思えないよね…めちゃくちゃ常識人よ、彼」
『ふーん。でも結構好みの顔でしょ?外国人ぽい顔好きじゃん』
「はは、目の前で吐瀉ぶちまけて申し訳なさでもう二度と会いたくないよ」
『うわ、七海可哀想』
まあこれからちょくちょく付き合ってやりなよ、と軽く言われて一方的に電話を切られた。
五条悟。顔がいいからって調子に乗りやがって。思わずスマホをぶん投げたくなるけど今月結構ピンチで修理に出せないからなんとか思い留まった。
あれから私はそそくさ七海さんのモデルルームとでもいうのでしょうか。な部屋から逃げるように脱出して、引きずる気持ち悪さと頭の痛さを病院で点滴を打ってもらうというチートで治し、今、私のお城、私の経営するカフェの中。本日お休みの看板。カーテンも閉めて薄暗い店のカウンターで座って、頭を抱えた。
本当に、来るだろうか。寄るというからサービス券を渡したものの、正直、来て欲しくない。
この店の中で私は完璧でいたいのだ。こぢんまりとした小洒落たカフェのいかにもな店主でいたいのだ。それが酒の席の記憶で崩れてしまう。きっと彼の美しい金色の髪を見る度に、今日の愚行を思い出すだろう。
悟くんとの出会いは、彼はこの店の常連さんだった。私のケーキがおいしいのだと、月に1回は来てくれていた。ただそれだけの関係だったけれど、お酒の席で偶然にも出くわして、あまりにも顔がよかったからこんな人と一緒に飲めるなんて気分がいいなとふわふわ思っていたら気がついたら致していたのだ。ありがちだよね。
またこれが体の相性がよかったんだ。それから定期的に会うようになって、悟くん全然お酒飲めないのに飲みに付き合ってくれたりして、私の性格も十分把握してくれて店には来なくなったし、私も会う時には手作りケーキを手土産に持っていったりして、あれ、こう思ったらもう既に付き合ってるみたいだ。けれど、お付き合いはしていない。シンプルに猥雑な関係です。
悟くんはいいんでしょうか。後輩くんと穴兄弟になっても。私は正直、面倒事になりそうなので遠慮します。
兎にも角にも、悟くんを恨んでもしょうがない。全ては私が酒クズなせいで招いたこと。きっとあの天使様は私に好意なんて感情は持ち合わせていないはず。あんな綺麗なお部屋にゲロぶっぱなす女、私はゴメンだね。
きっと私の店に行くっていうのも社交辞令だろうし、天使様には天使様に相応しい女性がすぐに現れるはずだ。私も早く、忘れなくては。
…忘れたいのになあ。
「や!昨日ぶり〜」
「い……らっしゃいませ〜」
来ちゃいましたか。冗談真に受けやがって。
大男二人。全身真っ黒な悟くんと、白いスーツに青シャツの七海さん。なんて目立つ二人なんだろうか。他のお客さんも何事かと二人に釘付けになっている。
丁度二席空いていたカウンター。遠慮なくドカッと悟くんは腰をかけて、ビビった隣のサラリーマンがカップにコーヒー半分残ってるのにお会計を申し出た。
「お冷お持ちしますね」
「ね、これって僕も有効?」
そう取り出したのは七海さんに渡したはずのお店の名刺。
〇名様までとか七海限定とか書いてないし僕もいいんだよね。と調子のいいこと言って、そんなわけないでしょうが。でも悟くんが頼むドリンク代の原価なんて知れてるし、どうせ頼むだろうケーキは頻繁にタダで食べさせてあげてるし、「特別ですよ」と諦めて伝えると子どもみたいな顔をして喜んだ。
ああもう、後ろの席の女性方があなたに見蕩れていますよ。お客さんには手を出さないでくださるとありがたいです。
「すみません。仕事で近くまで来たもので、せっかくですし」
「そうなんですね。ありがとうございます。ぜひゆっくりしていってください」
にこ。営業スマイル。
相変わらず仏頂面の天使様。私は昨日の愚行を払拭したくて頭がどうにかなってしまいそうだ。いいや私なら大丈夫。仕事モードと酒クズモード別人じゃん。なんて飽きるほど聞いてきたさ。
「ブレンドと…そうですね、スコーンを」
「僕、悟くんセットね」
「悟くんセットできないですよ。もうマシュマロ置いてないです」
「えーー!?」
悟くんセットとは
マシュマロココアにいちごショートの組み合わせ。最初はココアだけだったんだけど悟くんがマシュマロ持ち込み始めて、なら、と思ってしばらくは置いてたけど、お店には来なくなってしまったからもう下げたやつ。他にマシュマロ入れろなんて言う人いないし。いちごショートは基本的にはいつも店に置いてるケーキで、一番悟くんが気に入ってくれてるやつ。
それにしても天使様、もう少し単価の高いやつ頼んでくれてもいいんだけどな。でもそれに対しては何も言わずに、にこ。営業スマイルで承る。悟くんにはしょうがないからココアにホイップクリームをこれでもかと言うほど盛ってあげた。
「おまたせいたしました」
うん、コーヒーもめちゃくちゃ丁寧に淹れたし、今日はスコーンも一際上手に焼けた。舌の肥えてそうな天使様でもマズイなんて思わないことは間違いないだろう。
悟くんは馬鹿舌なのでわりと適当でも喜んで飲んでくれる。わー僕のために為に生クリーム泡立ててくれたのーなんて言ってるが業務スーパーの冷凍のやつだ。ふ、馬鹿なやつめ。
少しにやけた口元を慌てて隠す。お客様に見られてはいなかっただろうか、とちらり、目線だけを店内へ向けると、天使様とだけ、目が合った。
見られた、だろうか。にやけ顔を。店の中ではスマートに粛々とした女性でいたかったのだが。特に、あんな姿を見られた貴方には。
誤魔化すように咳払いをする。ほれ見たことか。私は結構動揺してるらしい。
二人に絡まれては困ると思いそそくさと空いた席の清掃にうつる。忙しくしてなくては。話しかけられるのは勘弁だ。
結局、結構本気で忙しくて二人と話す暇なんてものは本当になかった。バタバタ忙しない私に遠慮がちに天使様が声をかけてきて、「お会計を」と一言。今日はお詫びだからと言ったけど、中々引き下がらなくて、このまま粘られても困るなと思って、つい、口が滑ってしまった。
「本当にいいですから昨日のことはなかったことにしてください」
天使様が、キリッとかっこいい切れ長の目を丸くする。
ああ、他のお客さんもいるのにこれではこの人と昨日なにかあったんだ、なんて、丸わかりじゃないか。こんなことを、言うつもりじゃなかったのに。
横で悠長に私たちのやり取りを見ていた悟くんが、「酷い女」と笑っている。私が彼を傷つけたとでもいうのでしょうか。でも確かに彼の表情は、落ち込んでいるような、少し悲しそうな顔をしていた。