01



室町時代。
国々の戦の中で重宝される生業がある。
忍者、忍、草と呼ばれる者である。

ここは深い山々に囲まれた学び舎、忍術学園。
忍者を育成、そして送り出す学び舎の一つである。
ある者は金のため。ある者は家業のため。ある者は夢のため。それぞれの目標を胸に子どもたちは門をくぐる。
しかしその道は厳しく、挫折する者、道半ばで命を落としていく者も少なくない。


そんな人里離れた学園に、突如天女が現れるようになった。

最初は訳も分からぬままにもてなした。行くあてのない天女は喜び、友好的でもあった。
しかしすぐに問題が現れた。
天女は独特な臭いを醸し出していたのだ。それは一様に皆の思考を鈍らせた。
天女から離れられなくなる者、鍛錬に身が入らなくなる者、症状の程度は様々だがしかしそれは確実に戦国時代では命取りとなっていくものだろう。

3か月経ち、どうするか本格的に考え始めたころ、1番目の天女が死んでしまう不慮の事故が起きた。
これに学園は内心安堵した。これで悲劇は終わると。

しかし天女はまた降り立った。
そしてその後も天女は何度も現れ続けた。
それは醜悪な悪臭を漂わすものから甘美な蕩けるようなものまで多種多様。その匂いに引き寄せられる者も幾多数多。
投げ出すにも未知数な天女。敵に悪用されることを防ぐために匿わざるを得ず。
臭いの良し悪し関係なく日を追うごとに学園の空気は淀んでいった。
どうすればいいか分からぬまま、3ヵ月を過ぎれば持て余して殺す算段へと変わっていくのが最近の常。

そして次が来る。


そんな時。
無臭の天女が降り立った。


見つけたのは不運委員長6年は組の善法寺伊作だった。
彼は自分の性質と性格をひどく嘆いた。




――――――
―――


チチ、
チチチ―――

鳥の囀りが遠くから聞こえる。
春の穏やかな風が髪をなびかせ、こめかみで揺れる。
高い塀に囲まれた縁側で、女は揺れた髪を耳にかけた。そんな陽気な天気に息が零れる。女はこの時代には独特な衣装を着ていた。


「やあ」

突然音もなく現れた男に、女は少し瞠目した後、柔らかく微笑んだ。

「こんにちは」

茶色の忍装束を着た男は包帯で顔も体も隠れており、相貌は見て取れない。しかしにんまりと笑う片目が唯一男の感情を表している。
男、雑渡昆奈門は慣れたように女の隣に腰掛ける。
女、天女もそれを受け入れる。

「んー、君はいつ来ても甘ったるい匂いをさせてるよね」
「これでも無臭らしいですね」
「私だけなんだよね、臭うの」
「ふふ、臭くないだけよかったです」

天女は楽し気に笑う。
昆奈門も軽い口調で話し続ける。

「私としては臭いがつかないかが心配なんだけどね」
「そう言いながら来てくださるくせに」
「匂いのせいかな?」
「さあ?私自身も匂いませんし。どんな匂いなんですか?お花系かしら?」
「んー、抱き付きたくなる感じ」
「お引き取りください」
「手厳しいね」
「冗談ですよ」
「知ってるよ」

とりとめのない会話。
しかし天女、なまえにとっては唯一の憩いの時間だった。



気づけば山にいた。

右も左もわからず途方に暮れた時、一人の少年に保護された。
保護されて、説明もなく軟禁された。高い塀で囲まれた部屋。少年が連れてきた学園長と名乗るお爺さんが言う。決して外に出てはいけない、外は危険なのだと。しかし後ろにいる少年が恐れているのは外ではなく天女と呼ぶ私自身だということは揺れる目で理解できた。
それ以降、少年と学園長は現れない。代わりに黒い忍装束を着た女性が私の世話のために出入りをした。しかし会話は必要最低限。声をかえられて一言応答するだけ。それ以上は許されなかった。

そんな日々が数日続き、これからの自分の行く末に不安を覚えていた頃。
彼、雑渡昆奈門はやってきた。


「ずいぶんな匂いを振りまいているね。今度の天女は無臭だと聞いていたのに」


彼は事も無げに秘密だったであろうことを私に言った。
それが私と彼の出会い。

それから彼は、狭い箱庭にもならないこの世界に時々訪れるようになった。
それが何故なのか。彼の言う匂いが理由なのか。
出会って1ヵ月。色々なことを教えてもらったけれど、真実は聞けないまま。
だけれど私を私として見てくれるその時間はとても満たされていて、それが壊れるくらいなら理由なんてどうでもよかった。


しかしそれも長くない。
す、と立ち上がった彼に告げたい言葉は飲み込む。

もう行ってしまうの、なんて。
それこそ彼を誘惑しているようで。醜すぎて消し去りたい。

(また、お待ちしています)
(次は、)

何度か言いあぐねて、

「……お気をつけて」

結局出たのはそんな陳腐な言葉だけ。
彼はそんな私を一瞥だけして姿を消した。

もう彼がいた痕跡はどこにもない。
それがとても切なくて。寂しくて。
唇を噛んだ。


逢瀬とも言えない、そんな時間だけが私を生かしていた。

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