怒髪、天を衝く
「どうしてキース教官にこの事を話さなかったの?」
「距離が近いよミカサ……あ、それくらいなら大丈夫」
距離を詰めていたミカサを宥め、溜息に近い吐息をついたルネッタが今こういう状態に陥っている原因は上位十名を選出する卒業試験の数日前に遡る。
同期から立体機動の自主訓練に付き合って欲しいと声を掛けられたルネッタの肩を第三者が叩いた。
「ほら行くぞルネッタ。お前らも付いてこい」
纏めて見てやらぁと言って笑うジャンの好意に甘えルネッタ達は訓練場の土を踏みしめていた。
「ふらっと居なくなる事があると思ってたら他の奴らの訓練に付き合ってたのかよ。少し前まで教官から怒鳴られまくってた奴と同一人物とは思えない頼られ具合だな」
「三年間も訓練していたら私だって────危ない!」
のんびりとしたルネッタの声が切羽詰まったものとなりワイヤーの噴射音とガスをふかす音、次いで少女の悲鳴と倒れ込んだルネッタを囲む同期のざわめき声がジャンの耳に届いた。
「……ワイヤーが巻き取りきれなかったのを見るに内部の故障かな」
「ごめんルネッタ!」
「見た所大きな怪我はしてないみたいだけど念のために医務室で見てもらおう。付き添い、お願い」
連れられていく同期の背中を見送ったルネッタは歯を食いしばり、その場に座り込んだ。
我に返ったジャンが駆け寄り押さえつけている部位に触れると、ルネッタは小さな呻き声を発し額に滲ませていた脂汗が滴り落ちた。
「……今すぐ医務室に行くぞ」
「ちょっと捻っただけ。片付けもしなきゃならないし……ジャン君!?」
口を真一文字に結んで立ち上がろうとしている強情なルネッタを無理矢理おぶったジャンは脚の状態を見てもらうべく、駆け足で医務室に駆け込んだ。
幸い先程の少女らは医務室に居らず、ルネッタとジャンの姿を見るなり室内に居た教官はルネッタをベッドに降ろすとブーツ、ベルト諸々を剥ぎ取った。
「患部が熱を帯びて腫れているわね。急いで冷やしましょう」
患部の状態に険しい表情を浮かべた女性教官が指先で脚をつつく。
変色し腫れ上がっているそこは当事者ではないジャンから見ても相当な痛みを伴っているだろうと推測するに易かった。
近くの椅子に腰を下ろし処置を施されていくルネッタを見守っていたジャンの瞳と紫色の瞳が重なる。
心底申し訳なさそうな表情でジャンを見つめたルネッタはただ一言「ごめんなさいジャン君」と告げると、俯いてしまった。
「ルネッタは何も悪くねえだろ。今日のことはエレン達に黙っておいてやるし、片付けも俺がしとく」
「片付けなら私も……いたっ!」
「痛み止めも貰っておけよ。また後で迎えに来る」
ひらひら手を上げて去って行ったジャンを見送り、白い包帯を巻かれた脚を見る。
過保護なエレンとミカサにバレた時は何と言い訳をしようと考えを巡らしている間に帰ってきたジャンに、結局宿舎の前まで送ってもらう事になった。
負傷しているのを勘づかれないよう"いつも通り"を装って開いた扉の先には、禍々しい空気を纏ったミカサと彼女に恐れ戦き退避しているサシャ達に出迎えられた。
「何処へ行っていたの?急に姿が見えなくなったから、心配していた」
「自主練!卒業試験に向けて綿密にチェックをしてたら遅くなっちゃって!心配かけてごめんね、ミカサ」
こちらの真意を探ろうとしている漆黒の瞳から逃れるようにジャケットを脱ぎ、ベッドに寝転がる。
ズキズキと痛みを訴え続けている脚がこれ以上酷くならないよう処方されていた痛み止めを室内の明かりが消えてから服用し、卒業試験に挑んだが結果は散々なものだった。
座学は余すところなく実力を発揮出来たが、対人格闘技や立体機動装置を用いた実技などの類いは合格スレスレといったところだろうか。
試験を終えた安堵感から薄れていた痛みが鮮明になり、立っているのもやっとといった状態。
貰っていた痛み止めもなくなりエレン達との話もそこそこに切り上げて踵を返そうとしたまさにその時、真横に居たミカサに腕を掴まれた。
般若、或いは鬼のような形相をしたミカサはルネッタを抱えあげるとエレンとそれを制しているアルミンに「付いてきて」と簡潔に告げ、歩き出した。
着いた医務室のベッドにルネッタを降ろしたミカサは性急にルネッタのブーツに手を伸ばし、ズボン下の白い包帯を指さした。
「おかしいと思った。普段のルネッタならあんなぎこちない動きは絶対にしない」
「あら先日の……腫れは相変わらずだし、熱も引いていないみたいねえ」
ミカサの眦が吊り上がり、エレンの眼光が如実に鋭くなった。
本能と今日までの経験が告げる。言い逃れは不可能だと。
「訓練中に捻挫しただけ。立体機動装置のメンテナンスを怠っていた私が悪いんだからキース教官への報告義務は不要だよ」
「ルネッタお前、最初の訓練でベルトルトとライナーに助けてもらったのを忘れてたのか?!何度同じ失敗をすれば……!」
「エレンそれは違う。ルネッタはいつも念入りに手入れを行っていた。ので、不具合からの転落は有り得ない」
──こうして話は冒頭に戻り一部伏せながら経緯を説明したのだが、ミカサの言葉で二人の表情が殊更恐ろしいものになる。
最後の良心とも言えるアルミンに縋ろうと苦し紛れに紡いだ声と、扉の開閉音が重なる。
「ルネッタ居るんだろ?俺だ、ジャンだ。脚の怪我……は」
ルネッタからすれば救世主。
恐ろしい顔をした面子を前にしたジャン・キルシュタインからすればこの上ない厄介事に巻き込まれてしまった。
血の気が引いていくジャンにルネッタは苦笑いを浮かべていた。
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極夜