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「また、で申し訳ないんだけどな」
湯気が立つコーヒーの入ったカップから口を離したお父さんはそれは申し訳なさそうに眉を寄せた。
今回はとりわけ滞在期間が短かったなと短いなりの出来事を思い出しながらトースターかパンを取って父に手渡し、自分用のコップに牛乳を注ぐ。

「仕事の都合だしそれに今更でしょ?…次はなんて街に引っ越すの?」
僅かに表情を和らげたお父さんが街の名前を読み上げる。次に引っ越す街は今までにまして変わってるなぁ。

「ドミノ町?ドミノが有名な町なのかな、変わってるね。ここから遠いの?」
こう書くんだと童美野と紙に書くとお父さんは小さく笑った。
だけどすぐ真剣な表情になって口を真一文字に結ぶと私を見据えた。

「…とても遠い場所だから二度とここには戻ってこられない。友達にはちゃんと挨拶をして忘れ物がないようにするんだぞ」
日本に住んでいる限り電車や飛行機といった手段があるんだし、いざって時はそれを使えば会いに行けるんじゃ…と浮かんだ言葉を飲み込んで首を縦に振る。
お父さんは満足気に笑うと髪を優しく撫でた。

「そのバングルは絶対忘れないように。分かったな」
「…お父さんが格好つけてるところ悪いけど時間大丈夫?今日朝一で会議じゃなかったっけ」
「もうこんな時間か!?一週間後にここを出るからちゃんと荷造りしておくんだぞ?菜乃も気をつけてな!」
慌ただしく玄関の戸を開いて出ていくお父さんの姿を笑いつつ話に出たそれを見る。
左手首のバングルは照明の光と窓から差し込む陽の光を浴びて煌々としている。
荷物は少ない上にこちらに越してきてからあまり広げてなかったからすぐに終わってしまうだろう…チェス盤だけ忘れないようにしないと。
学校の友達はそこまで深い仲になった子は居ないしそんな気に掛けなくて大丈夫かな。

「童美野ってどこかで聞いたような…?」
牛乳を胃に流し込み空になった皿を流し台に持っていきながら首を傾げる。
いや、今はそんな事より新しい学校の制服や教材の方が大切だ。帰って来たらどうするのか聞かないと。
乾燥機に食器を放り込みガスの元栓、戸締りを確認してからローファーに足を通す。
戸を開けば春の色を帯びた風が頬を撫で、柔らかい太陽の日差しに自然と顔も綻んだ。


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極夜