『なまえ――君にこれを』
『これは何?』
『お守りだよ。大事に持っていてね。必ず、君の役に立つから』

 中心にあるラピスラズリを金の両翼が守るように覆っているデザインのペンダント。床に倒れたなまえは、自分から流れ出る血の温かさを感じながらきらりと光るそれを見ていた。
 誰かが近くにいる。その人物はなまえを見下ろながら得物を構えた。

「わりぃな」

 体に何かが突き刺さる感触。もう痛みはない。喉の奥から鉄の匂いがすると同時に、込み上げてきたものを反射的な咳として吐き出した。

「風邪?」

 目の前の少女が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。え、と声が漏れる。気が付くとそこは何の変哲もないいつも通りの風景、なまえが通う学校の教室だった。目の前の席に座っている少女は上体を捻りながらこちらを不思議そうに見ている。時間はちょうど昼休み。他の生徒達も何事もないかのように過ごしていた。なまえは胸に手を当てた。何かが突き刺さった場所。当然ながら傷などはなく、血も出ていない。
 どういう事だろうか。先程の光景は夢か妄想か。それともここが死後の世界なのか。なまえはあらゆる可能性を考えるが答えは出ない。

(気のせい、かな……)

 考えても分からない事は後に回し、とりあえずなまえは今から始まる抜き打ちテストに集中した。

 本日最後の授業を終え、なまえは帰宅準備すると図書室へ向かう。読書好きの彼女が金をかけずに趣味に没頭できる場所だ。部屋の扉を開けると、中は勉強をする者や専門書を読んでいる者がまばらに存在した。
 昨日読みかけだった本を取って一番隅の席に座る。この席は部屋の形の関係から入り口からでは見えない特別な場所なのだ。本棚も周りの視界を遮るように立っており、なまえにとって読書に集中できる席だった。
 手に持っていた本を机に置き、ハードカバーの表紙を開く。図鑑のような大きさのそれは、世界史の本だった。ありとあらゆる国の歴史が載っている。大抵の本は一日一冊のペースで読み終わるが、この分厚い上に大きさも文庫本の数倍もある本を読むのは時間がかかるため、なまえは昨日見たとこにこっそりと栞を挟んでいた。誰も手に取っているのを見た事がない本だし、バレないだろうと思ったのだ。実際、それは昨日と同じ場所に挟まっていた。彼女はそれを取って、続きを読み始めている。しかし読み進めていくうちに、違和感を覚えた。所謂デジャヴというやつだ。栞を挟んだページから先は読んだ事がないはずなのに、何故か初めて見た気がしない。
 結局、後半は斜め読みだけで満足してしまった。なまえはため息を吐いて次の本を取りに行く。世界史の隣にあった本は、各国の神話について取り扱った本だった。先程の本ほど大きくはないが分厚さはある。なまえはそこに連なる本の量を見て、一月は持つだろうと嬉しそうに息を漏らした。

 それからどのくらい時間が経ったのか分からない。気が付けば寝てしまっていたなまえは、飛び起きて辺りを確認した。
 図書室の電気は消えてしまっていて、窓の外から見上げた空は夜と言っていいほど暗かった。
 彼女が早く帰ろうと急いで荷物をまとめて部屋を出ると、廊下の電気は消えていて、人の気配は全くしなかった。そんな時間まで寝てしまったのかと思いながら一歩踏み出し、そして違和感に足を止める。妙に静かだ。人がいない静けさとは別の、緊張感のようなものが張り詰めている。足音でも立てようものなら、何かに見つかり殺される――そんな気がした。

(……?)

 なまえはまた、デジャヴを感じた。
 この景色を、見た事がある。この廊下を走っていた。いや、正確には逃げていた。何者かに追いかけられ、必死に走って、それで――。
 ピリリ、という電子音に、なまえの心臓は止まりそうになった。鞄の中からだ。慌てて鞄のチャックを開くと、スマホの画面が十八時半を示しながら忙しなくアラームを鳴らしていた。
 そうだ。今日は約束があったのだ。こんな事をしている場合ではない。早く帰らなければ。

「まさか、まだ人がいたとはな」
「っ!?」

 背後からの声に振り向けば、いつからそこにいたのか、赤い槍を持った誰かが立っていた。そいつは廊下の影から一歩踏み出し、窓から漏れる明かりが全身を映し出す。
 青い髪に青い服の青年。銀色のピアスが揺れてきらりと光った。
 この声に聞き覚えがある。この声、は――。

「――!!」

 それを理解した時にはもう走り出していた。
 同じ景色を走っている。死の直前の景色。あれは予知夢だったのだ。きっとこの先の角には曲がれない。

(曲がる前に、私は……)

 背中に後押しされるような衝撃と鋭い痛み。下に視線を向ければ、胸から赤い穂先が生えているのが見えた。次の瞬間、それが引っ込み、なまえは反動で床に倒れ込む。首にかけてあったペンダントが光る。
――あぁ、この光景は、やっぱりそうだったのか。

「わりぃな」

 体に何かが突き刺さる感触。もう痛みはない。喉の奥から鉄の匂いがすると同時に、込み上げてきたものを反射的な咳として吐き出した。

「風邪?」

 目の前の少女が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。

「…………」

 死んだはずだ。自分は確かに死んだはずだ。つい先程、あの青い人物に殺された。きっとこれは夢ではない。だとしたら、自分は「二回」殺されている事になる。
 なまえは立ち上がり、鞄を持って教室を飛び出た。友達の静止も聞かず走って学校の門をくぐり抜ける。息を切らしながら校舎を振り返った。ここにいてはいけない。今日この場所で自分は殺される。そう思ったなまえは自宅を目指した。
 あの青い人間が誰なのかは知らないが、あの場所にさえいなければ襲われる事はない。
 なまえは自宅のマンションに着くと鞄を床に置き、着替えもせずにベッドに潜った。思い出すのはあの時の死ぬ瞬間だけ。自分という存在が消えていく恐怖が全身を支配して震えが止まらなかった。
 やがて日は沈み、スマホのアラームが鳴る。今日は人と会う約束があったが、外に出てはいつあの青髪の人間に出会うか分からない。なまえはアラームを止め、再びベッドへ潜ろうとした。
 その時、室内とベランダを分けるガラスが大きな音を立てて割れた。

「クソッ」

 聞き覚えのある声と共に外から転がり込んできたのは、やはりあの青髪の青年。彼は外を向いて睨んでいたが、驚きで固まっているなまえと目が合うと、舌打ちをしつつ躊躇なく手にした得物で胸を一突きした。
 口の端から血が流れ出る。
――あぁ、どうして。どうしてここに貴方がいるの。なんで来たの。なぜ謝るの。そんな事するくらいなら、殺さないでよ。
 青年は苦い顔をしながら目を逸らし、得物を引き抜いた。

「大丈夫?」

 目の前の少女が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。

「…………」

 なまえは俯いて頭を抱える。何が起きているのか分からないが、きっと今回も死ぬだろう。このままではダメだ。何か解決策を見つけないと。そもそもあの青年は誰なのか。絶対に学校関係者ではない。あんな人間が学校に出入りしている所など見た事がないし、あの服装で外を出歩くなど一発で不審者登録されてしまう。
 なまえは頭を上げ、目の前の同級生に話しかけた。

「ねぇ、ちょっと聞きたい事があるんだけど……」

 学校の人間に片っ端から青年の目撃情報を探る。とりあえず、と行動したものの、予想通り何の成果も得られなった。だが彼女は諦めず、この学校周辺で起きた事件や不審者情報を自分のスマホで調べ始めた。放課後も図書室には寄らず、複数の新聞を買って新しい事件の有無を調べたり、井戸端会議をする主婦達の話にもこっそりと聞き耳を立てた。普段、あまりアクティブでないなまえがここまで行動するのは、純粋に死の恐怖というのもあるが、それの他に「最終手段を取りたくない」という思いもあった。
 なまえは時間を確認しながら、ぎりぎりまで聞き込みをする。名前も交友関係も知らない人間を探すには聞き込みしかない。だが、なまえの話しかけた人は皆、首を傾げるか横に振った。なまえは時計を見る。タイムアップだ。

「…………」

 残るは最終手段のみ。なまえは聞き込みを諦め、落胆と恐怖故に狭くなりがちな歩幅をしっかりいつも通りに保ち歩く。まだだ。まだ「チャンス」はある。
 日は沈みかけ、空は大分暗い。そんな時間になまえがやって来たのは、なんと学校だった。部活動で残っていた生徒達もとっくに帰ってしまっていて、校庭はおろか校内も静かだ。彼女はこの静けさを知っている。自分に理不尽が降りかかる前の静けさだ。
 心臓が破裂しそうなほど脈打っている。がたがたと震える手で胸のペンダントを握った。もうすぐ鞄の中のスマホが鳴り、あいつは現れるだろう。そうなれば、確実になまえは死ぬ。たが、それで良いのだ。彼女は死ぬためにここに戻ってきた。あの青年は毎回、彼女の胸に槍を突き刺す度謝っていた。おそらく怨恨で殺している訳ではないのだろう。お互い初対面の対応だったし、彼女自身も彼に恨まれる事をした覚えはない。どちらかといえば仕方なく、というような感じだった。……尤も、仕方なくで殺される身としては迷惑に変わりないのだが。
 とにかく、彼は僅かだとしても負い目を感じている。であれば、か弱い少女の死に際の一言くらい聞いてくれるのではないか、というのが彼女の考えだ。
 なまえは図書室の扉の前で待機する。それからしばらくしないうちに、アラームが鳴った。

「……っ」

 緊張で息を呑む。なまえはアラームを止め、周囲を見回した。

「まさか、まだ人がいたとはな」
「あっ……」

 何度も聞いたその声に、なまえは思わず後ずさる。
――殺される。殺される。このままじゃ私……いや、そうだ。私は殺される。殺されるんだ。
 震える足に精一杯力を入れ、一歩前に出てきた青年を見る。声を出す、という行為がこんなに重労働だったのは人生で初めての経験だ。

「あっ……あなたは……、誰……?」

 ぴくりと青年の眉が動いた。その瞬間、目の前から青年が消え、すぐ側で鋭い物が刺さる鈍い音がした。いつの間にか彼が近くにいる。胸からはやはり赤い棒が伸びていた。彼はこの一瞬で間合いを詰め、胸に一突きしたのだ。
 なまえは無意識に槍を握る。

「名前……を……っ」
「……それは教えられねぇ」

 そんな。それでは私は、一生あなたに殺され続けなければならないのか。名前じゃなくても良い。少しでもいいから、情報をくれ。どうして、私がこんな目に……。
 なまえの意識は薄れてゆく。胸から溢れ出る痛みと温かさも感じなくなってきた頃、遠くの方で聞こえた。

「だがまぁ、俺はランサーと呼ばれている」

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