「それで、聖杯戦争って何をするの?」
「はあ?」

 他人に見られないよう姿を消したランサーを連れて自宅に帰ってきた時の事だった。彼の素っ頓狂な声にびくりと肩を震わす。

「あんたそりゃあ何の冗談だ?」
「冗談のつもりは……えっと、聖杯戦争のこと少ししか知らないの。あなたの方が詳しいかと思って……」
「まさか、サーヴァントに聖杯戦争の知識を求めるマスターがいるとはねぇ」

 私が椅子に座ると、机を挟んだその向かいの椅子にランサーが姿を現す。

「ま、霊体化してる奴に声かけてる時点で、真っ当な魔術師ではなさそうだが」
「霊体化?」
「ほら、今まで姿を消していたろ。あれは霊体化っていうんだよ」

 頬杖を付きながら聖杯戦争について大雑把に教えてくれるランサー。こちらからの質問にも分かりやすく答えてくれる。最初に会った頃とは大分印象が違っていた。

「……つまり、嬢ちゃんは魔術のマの字も知らない人間だって事だ」
「まぁ……」
「困ったな……こりゃ魔力節約なんて言ってられないか……?」
「節約?」
「あー……正直言ってな、足りてねぇのよ」

 魔力の事だろう。それはまずい。今聞いた話からすると、魔力はサーヴァントの生命線。これからの事を考えるとかなり致命的な問題だ。

「七割の力が出せれば良い方だな。あんたの事を考えるともう少し抑えた方が良いが……って、今はその話じゃねぇ。あんたのガードについてだ」
「ガード……」
「他のマスター共は殆ど魔術師だ。自分が襲われた時の対抗手段を持ってる。だがあんたは……」
「…………」
「そうなると一番安全なのは俺の側だな。霊体化している時よりも魔力を消費するが、マスターが死んだら元も子もねぇ」

 どうやら彼が守ってくれるらしい。余計な手間をかけさせてしまうようで少し申し訳ないが、私に何も出来ない以上そうしてもらう他ないだろう。

「そういや名前を聞いてなかったな。嬢ちゃん、名はなんて言うんだ?」
「みょうじ、なまえ」
「そうかい。俺は……まぁ、知ってるだろうが、クー・フーリンだ。よろしくな」

 そう言って笑いかけてくる彼を見ると、なんというか、以前の行為が信じ難くなってくる。私を殺したのは本当に彼だったのだろうか、と彼をまじまじと見て、ある事に気付く。

「ねぇ……」
「ん?」
「もしかして、外を出歩く時もその格好なの……?」

 初対面の時を思い出す。あの時はそれどころではなかったが、よく考えると学校に全身青タイツ男は色々な意味でアウトだった。それに彼と出会う時はいつもあの格好。これから生活する上で服がそれしか無いとなると非常に不便だ。私の側にいるなら尚更。

「……明日服を買ってくるから、それまで外に出ないでね」
「あぁ? 急にどうした?」
「いいの、気にしないで」

 しばらくは彼の世話になるのだ。これくらいの面倒は私が見るべきだろう。とりあえず今日はもう遅い。ランサーにはリビングのソファで寝てもらい、彼に関わるその他諸々は明日以降準備する事にしよう。
 
 それから数日経った。ランサーは私を守ると言ったものの、今のところ守られるような事態は起きていない。彼は退屈だと言っていた。結構な事だ。できるならこのまま何事もなく過ごしたい。
 それと、今日は例の日だ。私がずっと越えられなかったあの日。始まりの日でもある。

「……ランサー」
「ん?」
「行きたい所があるの」

 ついてきて、と言うとランサーは嫌な顔せず了承してくれた。私が足を運んだ場所は学校。あの時、ここで何があったのか知りたいのだ。
 暗くて誰もいない校舎を見るのは久しぶりだった。ランサーを召喚してからというもの、一度も学校には行っていない。まだ例の時間まで少しある。私は図書館に繋がる廊下にちょこんと体育座りをして待機することにした。ランサーは廊下に座る私を訝しげに見ながらも、同じように隣で腰を下ろす。

「なぁ、何してんだ?」
「待ってるの」
「何をだよ」
「時間が来るのを」

 ランサーは首を傾げた。だがこれ以上は私にも答えられない。これから先は何が起こるのか知らないからだ。そんなの、当たり前の事なのだが。

(……ようやく抜け出せる)

 目を瞑ってその暗闇に安堵する。後一時間して何も起こらなかったら帰ろう。帰ったらずっと読んでいなかった本の続きを読もう。趣味として本を読むのはいつ以来か。そういえば図書室の本はまだ歴史コーナーで止まっていた。明日は学校に借りに行くのも良いかもしれない。そう考えていると、すぐ隣で光を感じた。何かと思い目を開けると、いつの間にかランサーが青い服に着替えている。あの戦闘服だ。

「え……」
「動くな」

 ランサーの赤い瞳に体が硬直する。

(殺され――)

 次の瞬間、唇に何かが触れ、ぬるりと生温かいものが口内に侵入してきた。それはもっと深く、奥に入り込む様に私の舌に絡みつく。

「えっ、ちょっ!……はぁ!?」

 声をあげたのは私ではない。もっと遠く、廊下の突き当り、階段の方からだ。
 ランサーは顔を離すとそのまま私を抱き上げ、正面の教室へ転がり込み窓ガラスをぶち破った。浮遊感の中、宙に舞ってきらきら光るガラスの破片を眺めながら、私は落ちているのだと理解する。ランサーは校庭に勢い良く着地すると私を地面に下ろした。割れた窓ガラスから誰かがこちらを見下ろしている。その子は躊躇なく窓枠に足をかけ、同じように飛び降りた。

「アーチャー!」

 その子がそう叫ぶと、落ちていく子を支えるような姿で赤い服の男が出現する。この現れ方は見た事がある。これはランサーが霊体化を解いた時とそっくりだ。そうか。アーチャーという単語もどこかで聞いた事があると思えば。
 その子とアーチャーと呼ばれた男は対峙するように私とランサーの前に立った。アーチャーの後ろにいる子が私を凝視する。

「まさかあなた……この学校の生徒……?」

 私はその子に見覚えがあった。ツーサイドアップの特徴な髪型とその美しい容姿は、この学校の生徒なら誰でも知っている。

「遠坂、さん……?」

 なんで、彼女がこんなところに。どうしてサーヴァントなんかと共にいるのか。

「アーチャー、あなたの言っていた例外ってこの子の事?」
「いや、これは私も予想外だ」

 アーチャーらしき男は両手に剣を握る。それに応えるようにランサーも槍を構えた。

「そっから動くなよマスター」
「ち、ちょっと待って……!」
「アーチャー!あなたの実力を見せて!」

 一瞬の静寂の後、前にいた男二人は激しく打ち合う。何が起こっているのか全く理解出来ず、この状況から私一人だけ取り残されているようだった。

 凛は目の前で繰り広げられている戦いより、それに釘付けになっている生徒に視線を向けた。怯えた表情で、何も理解できてなさそうな態度はまさに一般人のそれ。アーチャーの実力を見ると言った以上手出しはできないのだが、相手がこの様子では手を出す気にもなれない。

「ねぇ」

 気まぐれで声をかけてみた。相手はびくりと肩を震わしこちらを見る。その反応はやはりどう見ても戦いに巻き込まれた一般人。

「あなた、この戦いが何か分かってる?」
「え、えっと……聖杯、戦争……?」
「あらそう。分かってるのなら話は早いわ。悪い事は言わないから、早く降りときなさい」

 魔術師同士の殺し合いに、こんな度胸も覚悟もないような子が勝てるはずがない。そもそも聖杯戦争の性質からして生き残れるかどうかも怪しい。
 その子は戸惑った様子で口を噤み、視線を彼らに戻した。戦いは互角……のように見える。まさか、勝てると誤解しているのだろうか。
 凛が口を開こうとしたその時、ランサーの槍がアーチャーの剣を弾き飛ばした。それは綺麗な放物線を描く。その着地点は、ここにいる全員が予測できた。

「……!」

 ランサーのマスターは逃げる事も防ぐ事もせず、ただ落ちてくる剣を見つめている。予想外の事に体が動かなくなるのはよくある反応だ。しかしそれはあくまで普通に生活をしていたらの話である。この状況でこの程度の事にも対処出来ないようなら、やはりこの先どうあってもこの子は生き残れない。
 だが、そんな事でマスターを失うほどサーヴァントも馬鹿じゃない。ランサーはその敏捷を活かし、マスターに落ちてくる剣を軽々と防いだ。しかしそれは同時に、弱点を晒したとも言える。

「……なるほど」

 アーチャーは攻撃対象をランサーからそのマスターに変えた。この子がマスターとして無力なのを彼も察したのだろう。
 
「待ってアーチャー」

 凛は剣を構えるアーチャーに制止の声をかけ、ランサーのマスターに向き直る。何をされるのか怯えた瞳が、天敵に睨まれた小動物のような態度が、見ていてイライラした。

「ねぇ、あなた名前は?」
「あ……みょうじ、なまえ……です」
「みょうじさん、この戦いから手を引きなさい」

 こんな子が生き残れるほど聖杯戦争は甘くない。例え今回逃げ延びたとしても、いずれ他のマスターに殺られるかもしくは自滅というのが関の山だ。だが今ならまだ間に合う。マスター権を破棄して教会に保護を頼めば、少なくとも死ぬ事はなくなるだろう。

「聖杯戦争の事どこまで知っているの? この争いが楽しいものじゃないってのは今ので分かったでしょ。これは殺し合いなのよ」
「…………」
「今ならまだ普通の生活に戻れるわ。戦って命を落とす前に逃げなさい」

 そう言うと、その子は戸惑った様子で胸の辺りをぎゅっと握りしめながら俯き何かを呟いた。流石にこの距離では聞き取れないが、大分狼狽えているみたいだ。これならあとひと押しすれば、と優しい言葉をかけようとすると、その子が顔を上げる。

「お断り、します……!」

 強い拒絶と怒りを孕んだ声。凛は少しばかり言葉を失う。その子の目はさっきまでの怯えたものと違う、強い感情の色が見えた。

「――よく言った」

 ランサーが槍を構える。

「そこの嬢ちゃんよ、さっきから黙って聞いてりゃ、手を引けだの命を落とすだの、挙句の果てには逃げろだって? まるでてめぇが勝つみてぇな言い方だな」
「……当然よ。今のあなたじゃ私のアーチャーには勝てないわ」
「ほう、なら試してみるか?」

 彼の纏う空気が変わる。アーチャーが凛の前に出た。二人が睨み合ったかと思えば、一瞬その姿が消える。

「っ!?」

 武器と武器がぶつかり合う音と衝撃。先程までは彼らの一撃一撃を捉えられていたというのに、今はもう姿を目で追うのがやっとだ。
 凛はそこである変化に気付く。

(アーチャーが、圧されてる……?)

 なんとなく、赤い影は後退気味に見えた。気のせいかもしれないとしばらく見守るが、やはり攻めているようには見受けられない。たった今ランサーに負ける気はないと言ったばかりだが、もしそうなら撤退も視野に入れなければ。まだ本当の聖杯戦争は始まってすらいないのに模擬戦で敗退など笑えない。念の為アーチャーに声をかけるが、返事はない。まだ戦えるという意思表示だろう。だが余裕がなくなってきたのは一目瞭然だ。いや、だからこそ無言だったのかもしれないが。
 一方ランサーは攻め手をゆるめる気配はない。あれ程動けるという事は、今までのは様子見のつもりだったのか。舐められているようで少し腹が立つ。

(なんにせよ、このままじゃまずいわね……)

 アーチャーとしてはランサーのマスターを遠距離から狙いたいところだが、当然ランサーがそれを許さない。いくら退いても踏み込んできて、距離を取らせる隙を与えない。これではいずれアーチャーがやられてしまう。それなら今のうちに凛がマスターを仕留めれば良い話なのだが、それは彼女のプライドが許さない。一度手出ししないと決めた以上、例え相手が無防備だったとしても手は出さない。

(そうなると、やっぱり撤退しか……!)
「……めて……」

 ランサーのマスターが何か呟く。

「や、やめ……て……」

 その子は青い顔色で地面にへたり込みそのままぱたりと倒れた。

「――!」

 ランサーはすぐに感付きマスターの元へ戻る。倒れた子の前髪を手で退け状態を確認すると、その子を肩に担ぎ上げた。

「チッ、今回はここまでか……。命拾いしたなアーチャー。だが次はこうはいかねぇぞ」
「それはこちらの台詞だ。なんなら続行しても構わんぞ」

 ぴくり、とランサーの眉が動いたが彼はそれ以上何も言わず、こちらを睨みつけてここから去っていった。
 周りからサーヴァントやマスター諸々の気配がなくなり、この場に二人だけになった途端、緊張の糸が切れる。

「ちょっとアーチャー、挑発するのも程々にしなさいよね!あれで続けてたら負けてたわよ!」
「いや、それはないさ。あの時、私から距離をとった時点でランサーに戦闘を続ける気はなくなっていた。目の前の勝利よりマスターを選ぶとは、奴め少しは考える頭があるらしい」
「負けかけた癖に何冷静に分析してんのよ!帰ったらランサーの対策考えないといけないんだから、付き合いなさい!」
「私は別に負けた訳では……」

 ぷりぷりと怒りながらその場を離れる凛と、それを追いかけるアーチャー。ついさっきまで死闘を繰り広げていたとは思えない程和やかな雰囲気だった。

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