朝目を覚ますと初めに目に入るのは小さなサボテンだった
重たい体を持ち上げてリビングに行けばまるで植物園かと言うほど緑があった、霧吹きやら小さなじょうろに水を入れてリビングとベランダに出て緑たちに挨拶をしつつ食事をあげる

「おはようサボテンくん」

小さな挨拶をして最後にサボテンに霧吹きを1度したらおしまい
食事を食べて着替えとメイクをする、今日もバッチリ決まってると自分に言い聞かせれば薄紫のパンプスを履いて街に出る

「こんにちは」
「いらっしゃいナマエちゃん」
「どうも…」
「今日は何買いに来たの?」
「玄関に置くお花を…と思いまして」

木村園芸の一人息子、木村達也は柔らかく微笑んで挨拶をした
ナマエはそんな彼の笑顔に小さく頬を赤く染めて微笑み今日の注文を頼んだ、基本週に1度の火曜日の午前に決まって来店していた
ボクシングに通っているという彼は午後は練習でいないが午前中は仕事をしている、その為狙ってその時間に行くようにした、何を隠そうナマエは彼に恋をしていた


始まりは半年前、仕事で疲れきったナマエは地面を見ながら歩いていた職場はだいのブラックで過労死になるんじゃないかと言うほどだった終電で帰宅し始発で出社、そんな日々が続く中健康診断のため出社時間が午後に変わった、ゆっくりと街中を歩くだなんていつぶりだろうかと感じながら目の下にこい隈を作った彼女は歩いていた時だった
足になにかがぶつかり小さく音を立てて倒れた、思わず疲れも吹き飛んでけってしまったものを見れば花だった

「大丈夫ですか?怪我ありませんか?」
「大丈夫です、私こそ不注意で大切な商品ですのに申し訳ありません」
「いやいや気にしないでくださいよ、花は強いから大丈夫…それより顔色も良くないけど大丈夫ですか?よかったら休んでいきますか?」
「へ、平気です、また来ますので申し訳ございませんでした」

何度も強く謝罪をして逃げるようにその場を後にした、優しい人だった低い声で柔らかい物腰で話をしてくれて、いつぶりに人と話しただろうか…と思ってしまう
とにかく謝らねばと考えて百貨店でそれらしいお菓子を買ってある日有給を使い同じ曜日と時間に会いに行った、出来るだけ目の下のクマをコンシーラーで隠してスーツではなくキレイめな格好で
あの人はどんな服装が好きなのか…と思ってはこれでは下心満載じゃないかと頭を振った

「あれこの間のお姉さん」
「あっ…こんにちは」
「花でも買いに来たんですか?今の季節だとそうだな…シクラメンとかパンジーとかがオススメですよ」
「いやそうじゃなくて、これよければ」
「え?いやそんな気にしなくても良かったのに」

花を買いに来たのだと思って説明してくれる彼に申し訳なさそうに先日のお詫びにと菓子折りを手渡されば驚いた顔で受け取った
女だが花のことなんて全くわかっていない

「ちょっとだけ待ってて」

そういって奥に行ってしまった彼の背中を見る、意外と身長もあるしシャンとした姿勢でかっこいい人なんだと改めて見惚れるがそうじゃない!と慌てて近くの花を眺める、こんなに花は綺麗に咲き誇っているのに自分と来たら仕事ばかりの生活でこんなに綺麗なものを見る機会も減っていたのかと少しだけ胸が痛くなる

「花は好き?」
「いえ、女なのに全然知らないんです」
「ははっ俺も花屋の息子なのに花のことはてんで興味なくてね、最近ようやくだよ」
「そうなんですか?それまでは何を」
「ずーっとボクシング、今もだけどね」
「だから姿勢がいいんですね」
「え?そう?」

彼のことをそこまでみていたと知られるのが恥ずかしくなって顔を背けたがとうの本人は褒められたことが満更でもないのか嬉しそうに笑った

「クマ…酷いけど寝れてる?」

心配そうな彼の声にコンシーラーで隠しているのにみえているのか…と少しだけ自分が恥ずかしくなる、そんな彼女の気持ちとは反対に木村は酷く心配そうな顔をしてまた奥にひいてしまう
何かだめだったろうか…と考えていれば彼は手に何かを持って戻ってきた

「紅茶とか飲める?」
「はい」
「ウチの親がハーブティ好きなんだけどさ、ミルク入れて飲むとよく寝れるらしいんだ、よかったらあげるよ」
「そんな!申し訳ないですよ、それでなくても今日は謝罪の意味で来てるのに」
「それは受けとったから、これは俺からの気持ち…あっそうだ俺は木村達也、きみは?」
「ミョウジ…ナマエです」
「ナマエちゃんか、君のクマが消えてくれる方が俺は嬉しいな」

どこまで優しくて紳士的なのだろうかとぽぅ…と見惚れてしまう、優しい顔立ちに耳に聞こえる心地いい声、全てが好きだと感じた

「わかった?」
「は…はい」

しっかりと顔を覗かれてそう言われればそう返事をする他ない、ナマエは首を何度も縦に振って頷いた、結局謝罪をしたはずが手にはハーブティのティーパックのセットを持たされており、その日の夜それにミルクをたっぷりと入れて眠りについた
翌朝の目覚めはすごく良かった、あまりの寝心地に少しだけ肌の色やツヤも良くなった気もしてしまう、そして気持ちはいつの間にか木村に会いたい…そうなれば通うしかないと気付いてしまう

「こんにちは」
「いらっしゃいナマエちゃん、顔色凄くいいね」
「はい、木村さんから貰ったハーブティーがすごく良かったみたいで…それでよかったらこれまたお礼に」
「ティーパックのセット?こんなの悪いなぁ」
「お菓子も入ってるのでよかったらご家族で」
「ありがとう」
「それと…仕事変えてみたんです」

あの日からすぐに転職活動を初めば給与も良ければ在宅ワークも多く、様々な面で条件もよく更にはホワイト企業に就職が直ぐにできた、会社とは少し揉めたが労基に走るぞといえば黙って頷きすぐに退職届を受理して貰えた
新しい職場も来月からということで少しだけゆっくりできるんだとナマエは嬉しそうに報告すれば木村はまるで自分の事のように笑顔で聞いてくれた

「よーしそしたら俺からもお祝いだ」

何か奥から出してきた木村の手には女性の手のひらサイズのとても小さなサボテンがあった

「在宅ワークがあるなら外に出る機会も減るだろうしさ、緑が部屋にあるといいと思うんだサボテンは月に数回霧吹きでやるだけでいいし、枯れることもないからナマエちゃんでも育てやすいと思うんだ」
「いいんですか?」
「正直サボテンよりうちの店は花の方が売れるしね、こいつは俺がずーっと面倒見てたからナマエちゃんなら安心して譲れるさ」

彼の手からナマエの手のひらに置かれた小さなサボテン、大切な宝物だとナマエは思い大切に手に抱いた、特にこのサボテンは棘も柔らかく育てれば花も咲くし…と丁寧に育て方を教えられ忘れないようにと紙とペンを借りてメモを取った

「それとさ….よければどっかお祝いにいかない?」

夢みたいだと思った、あの日からベッドのすぐそばに居るサボテンに挨拶をして髪をアイロンでしっかりと真っ直ぐ伸ばしたり出来るだけ伸びるマスカラを使ったり、1番お気に入りの柔らかいピンクの口紅を塗って
ミルク色の柔らかいサテン生地のフリルのトップスに膝下まであるロングのマーメイドスカートを履いて3cmの高さの出るパンプスを履いた

「いい天気でよかった」
「本当ですね」
「車でも全然良かったんだよ?」
「いえ、私免許もないのでご迷惑かけちゃいますから」
「よく運転するから気にしなくていいのに」
「またの機会に楽しみにしてます」
「俺にチャンスくれるの?」
「え…今日次第ですかね?」
「ははっそりゃあ頑張らなきゃ」

4月初めの海が見たいといえば彼はそれなら湘南にいこうといった、初めの出会いから半年、電車に2人で揺られて触れた肩が少しだけ暖かくほのかに香る彼の服の柔軟剤の香りと

「タバコ…吸われるんですか?」

前の会社で喫煙者ばかりだったせいで匂いに敏感になってしまっていた、それらしい香りかな?と思えば彼は酷く驚いた顔をしている

「もう何年も前にね、今はやめてるけどもしかして俺臭い?」
「臭くはないですけど、なんだかそんな気がして」
「鼻いいんだ」
「そうなんでしょうか」
「ナマエちゃんはいい香りだなぁ」

変態くさいな…なんて彼は言った後に苦笑いをした、電車の中から海が広々と見える何度か乗り換えをしてやってきた海はこんな時期だから誰もいない、電車を降りて歩く木村とナマエは手を繋ぐことはない
ただ静かに砂浜を歩いて雑談をした、どこでも話せるような内容なのにそれが2人の居心地を良くした
生憎と空模様は悪くなってきたかと思っていればぽつぽつと雨が降り始める、遠くの方は明るい為多分通り雨だろうと高を括っていればザーッと音は変わり2人の全身を濡らした

「ナマエちゃんこっち!」
「はい」

2人して砂浜を走って近くの屋根のある場所に逃げ込んだ
ベンチに2人で少し距離を開けて座る、濡れてしまったシャツが気持ち悪くカバンに入れていたハンカチで体を拭う

「せっかく来たのに残念でしたね」
「通り雨だといいんだけどな、近くにコンビニもないから傘も買えないよ」
「でも木村さんと来れて私は嬉しいです」
「…そう言われると誘ったかいがあったな」

彼は小さくはにかんで拭き終えたのかポケットにハンカチを直していた、ふと腕時計を見る彼に胸がちくりと痛む、午後からは練習があるのは知っているがまだ離れたくないと思う自分がいるのだ
けれどそんなワガママをナマエは言えずに雨が止まないことを小さく祈った

「このまま止まなきゃいいのに」
「え」
「そしたら、ナマエちゃんとここにいれるからさ」
「木村さんはその」
「なに?」
「なんでも…ないです」

どこまで臆病なのだろうかと自分でも嫌気がさしてしまう「木村さんは誰にでもそう言うの?」「私も同じ気持ちです」「かえりたくないあ」と素直に言えたらいいのに、そう思っていれば雨はゆっくりと止んでしまう

「帰ろうか」

シンデレラの魔法が解ける時はこういう時だったのだろうとナマエは思いながら頷いて2人で駅まで歩いた
電車の本数もそこまでなく2人して駅のホームのベンチに座る

「あんなとこにスイートピー咲いてる」
「どこですか?」
「あそこ」
「可愛い花ですね」
「もうすぐ時期も終わるからなぁ」
「そうなんですか、せっかくみられたのに」
「春の花だからね、それに見たかったらウチにおいでよ時期になればいくらでも見せるからさ」

優しくて暖かい子供では無いからこそ互いの好意が分かるのに1歩が踏み出せないでいる、帰りの電車に揺られて寝たフリをすれば彼は小さく「楽しかった」と呟いていたのが聞こえた、それに答えることは出来なかったけれど優しい思い出だ


「ナマエちゃんも気付けばすっかり園芸家だよなぁ」
「そんなことないですよ」
「まぁまだ半年だし知識は半分だもんな」
「家の中は緑だらけですけど」
「大切に育ててるから緑になるんだよ」

彼は人を褒めることが上手い、とにかく人のいい所を見つけるのが上手いからだろう、彼の手で準備されていく花達はいつだって活気がよくお客さんに愛されている
自分で買ったというのに花束を用意して渡される度に胸が高鳴った、まるで彼にプレゼントしてもらっているようだと感じてひどい自己満足だ

「良かったら送っていこうか」
「大丈夫ですよ」
「配達もあるから、ついでだし」
「じゃあ…」

彼の言葉に甘えて助手席に乗る、後部座席には配達用の綺麗な花束が載せられている、適当な会話をしていればあっという間に家に着いてしまい帰りたくない離れたくないといつも通り思ってしまう
けれど彼は仕事だから…とナマエはシートベルトを外そうとした時だった

「木村さん…あの」
「もう少しいたいっていったら、嫌か?」

嬉しすぎて声も出ない、真っ赤な顔で俯けば彼は静かに微笑んでもう一度エンジンをかけて車が動き出す、店先で話すことはあっても2人きりというのは海に行った時ぶりだもう少し身嗜みを整えればよかったと今更ながら後悔してしまう
どこを目指しているというわけではないのかただ雑談をしてドライブをするだけだ、道中お昼になりドライブスルーでハンバーガーを買って近くの公園で食べて、在り来りだがそんなデートがとてつもなく楽しいと思った
2時間ほどでまた家の前に戻ってきて、もう一度シートベルトを外した…残念ながらそれを止めることはなかった

「それじゃあ今日は楽しかったです」
「あぁまた来週も来てくれたら嬉しいな」
「必ず行きますよ」

それしかあなたと私を繋ぐものは無いから、自身が買った花束を片手にアパートの階段をあがり部屋に入るまで見送ってくれる木村にどこまでも優しい…と感じた
2.3分後突如家のチャイムが鳴り、相手もみずにドアを開ければ花束を抱えた男性がいた

「木村さん?」
「…ごめん、配達ってのは嘘なんだ、本当はナマエちゃんに花束を渡したくて」
「これ…スイートピー?」

ピンクや白や紫の淡いカラーの可愛らしい花束、見覚えのある花は海に行ったあの日の花だった
花束で彼の顔は隠れていてどういう意図か分からず黙ってしまう

「見たいって言ってたから…それに、君に渡したかった絶対に似合うであろうこの花を」
「もらっても、いいですか」
「…あぁ」

甘い柔らかな花の香りと大きな花束は圧巻だった思わず笑みがこぼれて彼に感謝を伝えようとしたが目の前の男は耳や首まで顔を赤く染めていた

「似合わねぇよな、こんなこと…本当はもっとストレートに言うべきなんだってわかってるんだ、だけど君を前にするとなんだか俺は臆病になっちまうんだ、前の恋に失敗したせいもあるんだろうけど」

確か好きだと思っていた相手に恋人がいたという話だったか、ナマエは八の字の眉になっている木村の胸に飛び込んだ

「素敵です、嬉しいです…私も同じ臆病な人間だから、だけどどうかワガママを言っていいのならその言葉をくれませんか?」

必死の思い出そう伝えれば木村の心臓の音が激しくなるのが聞こえた、ぎゅうっと強く抱き締められたあと決心したように互いの顔を見合わせる、熱が互いに行き渡って熱くてたまらない

「好きだよ」

たったその一言なのに胸の中に花が咲いたようだった、求めたくせに答えをいえずに彼の胸に顔を強く埋めれば優しく髪を撫でられる
優しい春の匂いが香った、それはきっとこの人の匂いなんだと感じて頬を弛めた





イメージソング:赤いスイートピー(松田聖子)