「ほなまた来るわ」
「気を付けてね」

行ってしまった彼の背中を見つめて少しだけ寂しくなる
千堂武士はこの大阪の街のヒーローであり、友達だ、それも性的な意味の
週に2.3度、彼からメールで「今日ええ?」という短い関西弁のメールがやってきて「いいよ」と短い返事を返せば彼は家にやってくる
夕飯を共にしてえっちしてそんでもってシャワーを浴びて帰っていく、泊まっていくかと問いかけても彼は考える暇もなく断りを入れて出ていくのだ
そして彼が帰ったのを見届けて自分もシャワーを浴びて、そして1時間ほど前は2人で温め合っていたベッドに入りなんとも言えない虚しさを感じながら目を閉じるのだった

「まだセフレみたいな関係続けてるの?」
「ぐっ…そ、そんなことないよ」
「選手とは変な関係を持たない方がいいって散々言ってたくせに」
「それは真理ちゃんが美人さんで言い寄られる可能性があるから気を付けてねってことだよ、私じゃないもん」
「だとしてもよ、もうそんなに子供じゃないんだしいい加減あやふやな関係なんてやめなさいよ、特に…ボクサーなんて」

元同期の仕事仲間が久しぶりに大阪に仕事に来たかはお茶をしようと誘ったのになんともまぁ美味しくないものだとナマエはがっくり肩を落とした
元々は東京で仕事をするつもりだったが気付けば異動させられ大阪という全く空気の違う場所で右往左往していたとき、インタビュー相手である千堂に優しくされたせいでナマエは簡単にコロコロと彼の手のひらに落ちてしまったのだ
全くあまりにもチョロい友達に飯村はため息をこぼしてコーヒーを飲み干した

「兎も角そういう関係でいいことなんてお互いないんだから、やめときなさいよ」
「うん…わかった」
「それとそういう関係の男の癖に一丁前に着けるなっていいなさいよ」

席を立ち上がった彼女が出ていこうとする際に首元を指差していった、その意味を理解して慌ててナマエはカバンから手鏡を出せばタートルネックの隙間からは鬱血した跡が見えており慌てて伸ばした、その間に行ってしまった彼女にコーヒー代を貰うのを忘れたと気付いたが取材費として経費で落としてもらおうなんて悪い考えをしながら仕方なくお会計の際に領収書を貰うのだった

「こんにちは」
「なんや珍しい、千堂お客さんやで」

「ナマエやないか、どないしたん」
「幕之内くんの試合が決まったからそれに対してのコメントを各選手から貰っててね、来月は幕之内くんの特集組むことになったから是非ライバルの千堂くんをと思って」
「別にここまでこんでもええのに」
「最近練習姿も見てなかったから、折角だしね」

なにわ拳闘会のドアを開けて挨拶もそこそこに取材対象としての千堂を相手に軽く話をしたナマエは首から下げていたカメラを持ち上げて小さく笑った
メモ帳とボイスレコーダーを使って彼からライバルに対してのコメントを聞きつつ、練習する彼の姿をカメラに収める、相変わらず格好いいだなんて記者としてでは無く女としての目で見つめてしまうのを慌てて止める、その後も同じジムの星やトレーナーの柳岡などからもコメントを貰い充分いい記事になるだろうと満足感に浸る
それじゃあ帰ります、とナマエが元気よく挨拶をして出ていってすぐ千堂が追いかけた

「どうしたの千堂くん」
「今日ええか?」
「…あ…うん」
「腹空かせていくから、カレー頼むわ」
「唐揚げ要る?」
「めっちゃ最高やん」

子供みたいな無邪気な笑顔に胸がときめいてしまう
例え大人の関係のみでも構わないと思える反面、もう自身も26で結婚適齢期というやつが過ぎてきている、職場の編集部内の独身も片手で数える程度であり時折からかわれる程だ
それを考えると尚のこと未来がないような気がしてため息が零れる、それでも離れられない自分はなんと愚かなのだろうか

「帰ったで」
「おかえり」
「ええ匂いやなぁ、ナマエのカレーは美味しいから楽しみやってん」

20時頃に家のチャイムが鳴りドアを開ければ嬉しそうな千堂が入ってくる、鼻を小さく動かして香りを楽しみ大きなその体でナマエを抱きしめる

「ん〜っ、今日も癒されるわ」

彼の甘い優しさはまるで恋人に対してのようでそれがまたナマエが彼から逃れられない原因だった、恋愛経験がない訳でもないが今までとタイプの違う彼にどこまでも溺れてしまっている
我が家のように手を洗ってスプーンとお茶を用意してローテーブルに腰をかけて2人して夕飯を共にする、唐揚げ付きのカレーとポテトサラダという特に風変わりもしない夕飯を彼はまるで豪勢なパーティかのように嬉しそうに食べてくれる

「カレーのお皿お水浸けなきゃ」
「ええよ、ワイが後で洗ったるから」
「ンッ…でも」
「でももだってもへったくれもないやろ、いつもみたいに可愛く強請れや…ワイのこと欲しいんやろ」

夕飯を食べ終えて軽く雑談をして洗い物をしようとしていたのに、気付けば彼にキスをされて、ベッドに横にされて、そして意地悪な男の顔をみせて言われる、答えるのが少し恥ずかしいから小さく頷けば満足そうに頬を両手で包まれてキスをされる

ダメなんだって
もうやめなきゃ
でも気持ちいいし
幸せだな

ドア越しにシャワーの音が薄く聞こえる、機嫌よく少し音の外れた歌を歌って
重たい体を持ち上げて乾いたカレー皿をシンクの中に入れて水を漬ける、まるでこのこびり付いたカレーみたいに私は彼から離れられないのかもしれないとナマエは考えた、千堂は甘く依存しやすい麻薬のようだが彼自身は自由で縛られる気配などない、きっと自分だけでないことも分かっているが考えるほど辛くなる一方だ

「どないした、いややったんか?」
「ううん、違うよ…千堂くん髪の毛乾かさなきゃ」
「後でええやろ、それよりもなんやえらい悲しい顔しとるやんけ、ナマエがそんな顔しとったら心配やしワイも辛なるがな」
「仕事でちょっとミスしたこと引き摺ってただけだよ」
「ほんまかいな、ええよワイが慰めたるわ」

ぎゅうっと強く抱きしめられて背中と頭を撫でられる
シャワーを浴びたばかりの彼の暖かくいい香りのする体に包まれながら小さくついた嘘に申し訳なさも僅かに感じてしまう
本当はあなたについて。とは言えるわけもないのでナマエは嘘をついた、そして彼の大きな背中に手を伸ばして頬を緩める

「千堂くんがいたら頑張れちゃうなぁ」

そういえば彼はガバッと身体を離してナマエを見下ろした
なにか気の悪いことを言ってしまったかと心配していれば彼は反対に酷く嬉しそうに笑って

「ナマエの為ならいくらでも元気分けたる」

そう言い残して彼は今日も部屋を出ていったしベッドはやはり冷たくなっていた
女はクリスマスケーキとはまぁなんてことを考えて言ったものなんだとナマエは少なからずその言葉を作った名も知らぬ故人を恨んだ(故人かも知らないが)
25を過ぎたあたりから突如周りは揃って結婚をしたり子供を産んでいた、そして少なからずそれを羨ましく思い尚且つ焦っている自分がいたのだ、周りがそんな人生を進める中で自分はまるでいつまでも子供のようにセフレという関係から進まない相手と関係をいつまで結んでいるのやらと呆れてしまう

「そうだ、婚活しよう」

そうだ京都に行こう。のようにナマエはふと夜中に思いついた
そうなれば婚活サイトを調べてスグに登録申し込みをした、年会費に3000円は少し痛手かもしれないが今のステップから上がらなければ彼の手からは逃れられないのだと言い聞かせた
さらば千堂、ようこそ新しい出会い、ナマエは一人自分で言い聞かせてその日の夜まるで旅行前日のような気分で眠りについたのだった。



近頃ナマエの様子がおかしいと千堂武士は思った
彼女との出会いはまさに運命だと思っていた、記者として初めて出会った彼女は大阪の街に慣れないのか不安げな顔をしており、声を掛ければ花が咲いたように笑った
そして取材と別で話を聞いていればどうやら東京からこちらに来たばかりで知り合いもいなければ何も分からない、忙しくて先輩方の指示に従い毎日走り回って取材をしているだけとのこと

「好きやで」
「…ん、千堂くんっ、わたしも」

あれよあれよという間にホテルで関係を作ってしまったが千堂は酷く喜んだ、晴れて自分たちは恋人同士だと思えば余計に盛りあがって彼女がドロドロになるまで事を及んだ
そして翌日立てない彼女を家に送り届け、さすがに無理はさせられないと思ったのだ

「はぁ〜ワイの彼女めちゃくちゃかわええわ」
「惚気る前に打ってこんかい」
「たまには話聞いてや」
「きっしょい砂糖吐きそうなお前の惚気はもう聞き飽きたわ」

ジムの中で柳岡トレーナーと千堂が叫び合う、その間も彼のパンチの激しい音が柳岡の持つミットの中に消えていった
柳岡はトレーナーであり兄のようだった、デートスポットや美味しい食事処などを教えてくれる、そしてセンスがいいのでナマエも嬉しそうにしてくれた、それに気分を良くして千堂は彼女と雰囲気を作って気付けば部屋に流れ込んで…ということをする中で

「晩御飯食べに来ない?」
「ええの!?」
「うん、簡単なのしかしてないけど自炊してるから」
「まじかぁ、嬉しいわ」

頬が緩まるのをどうにか手で覆い隠して、それ以来彼女の家に週三日ほど夕飯を食べる日が出来た、好きな女と食事をしてセックスをして流石に家に泊まれば抑えが効かなくなるのを分かっていた為家に帰るがまるで恋人どころか週末婚のような気分だった



「ナマエ、そいつ誰やねん」
「あれ千堂くん」
「おいキサマ人の女に手ぇ出すなら覚悟出来とるやろな」
「ちょっと何?どうしたの」

千堂の声が低く唸った
その先にはナマエと見知らぬ男がまるで恋人のように親密に歩いていたのだ、いまにも男に殴り掛かりそうな千堂を慌てて止めて隣を歩いていた男性は脱兎の如く逃げた
それでも収まりきらない千堂はナマエの腕を引っ張って彼女の家に向かって歩き出す、彼女が何かを言っていても耳に入らず怒りで身体の中が沸騰しているようだった

ドアを開けさせて靴を乱暴に脱ぎ捨ててワンルームのナマエの部屋にあがり、ベッドにナマエを押し付けて馬乗りになる

「どういうつもりや、さっきの男は誰やねん」

怒りを隠しきれない彼の声にナマエは怖くて堪らなかった、どうして彼が怒るのか分かりもせず指先が小さく震えた

「こ、婚活で知り合った人」
「なんでそんな男と知り合うねん」
「結婚相手を探そうと」
「ワイがおるやろが」

どういう事なのか自分たちはただのセフレでそれ以上以下でもない、この関係を断ち切るために登録した結果良さそうな人とデートをしていただけだが千堂の怒る意味が分からなかった

「だって私たちセッセフレじゃん」

意味がわからなかった、あれだけ愛し合って好きだと言い合っていたのにどうして別の男と婚活などというもので知り合ってデートをしているのか
これが惚れた女じゃなければ今すぐ拳で血祭りにあげている事だが流石に心底惚れた女にそんなことできるはずも無い
そして彼女の言った言葉に千堂は固まってしまい見下ろした

「は?」
「へ?」

2人して1度姿勢を正してベッドに正座をした、ギィッとスプリングが軋む音がしたがそこはいい

「セフレって誰と誰が」
「私と千堂くん」
「いやカレカノ、カップルやろ」
「うそぉ」

そして2人して冷や汗をかいた
壮大なすれ違いが発生してしまっていたのだ、千堂が好きだというのは主にベッドの上で普段の優しさも彼が紳士だからだということにまとまっていた
ナマエに関しては千堂は自分のことが好きだと自信を持ってわかっていた、おまけにベッドでの愛の言葉に返してくれていたために尚のこと両想いだと思っていたのだ

「じゃあなんや、ワイは勘違いしとったんか」
「みたいだね」

あはは〜っと揃って笑ったが千堂は人生で1番の焦りを感じた、もしかして脈がないのでは?と下を俯いていればナマエに大丈夫?と声をかけられ勢いよく顔を上げる、そして彼女の肩に両手を置いていう

「ワイのこと好き?」

改めて真正面からそう言われるとなるとナマエは恥ずかしかった
ベッドの中では勢いのまま伝えられるはずなのに明るい部屋でそう言われるとなると違う、だがしかし答えない訳にも行かずに小さく声も出さずに頷いた
その言葉を聞いた千堂は酷く肩の力が取れたように弱い力でナマエを抱きしめて耳元で「よかった」と呟いた


「それでセフレから彼女に昇格したと」
「うん、昇格っていうか勘違いしてただけだったみたい」
「あらそう、良かったわね、仕方ないから今日はお祝いってことでコーヒー代奢ってあげるわ」
「どうせ経費にするんでしょ」
「そりゃあそうよ」

そう言い残して伝票片手にまた今日も先に出ていった友人に微笑んでいれば入れ違えで入ってきた男が彼女に挨拶して目の前の席についた

「遅なってすまん、ほないこか」

彼の手には大量のカタログがあるのをみて小さく笑えてしまう、そのどれもが指輪なのだから何個買うつもりなんだと思えて
立ち上がって彼の腕を抱きしめるように自分の腕を絡みつけて歩き出したのだった。