初恋、一目惚れってやつを信じるかと言われれば信じない
けれど実際にそうなってしまったら信じるしかない、そしてそれは最低な形のものだった

「許嫁として来てくれたナマエさんだ」
「初めまして守さん、ミョウジナマエです」

オドオドしくて柔らかい表情は好みじゃない、見た目からしてみていい所のお嬢さんだと嫌でもわかる小さな仕草、突然兄から呼び出されたかと思えばそんなことかと他人行儀に思っていた
思っていたはずなのにか何か胸の内のどす黒い何かが芽生えたベッドの上で女を支配する時のような、相手を食い尽くしたいと願うような汚いなにかだった

「今後お前とも関わりが出てくるだろう、精々下手な事はしないようにしろ」
「人のものに手を出すほど飢えちゃいねぇよ」
「…それじゃあまた来る」
「突然失礼しました、それではまた」

短い挨拶を終えて行ってしまった彼女を見て重たいため息が漏れた
一体なんだというのか、考えたくもないことだった、まさか実の兄の許嫁に恋愛感情を抱くなんて言うのは

「こんにちは守さん」
「どうしてアンタがいるんだ」
「卓さんから様子を見てやって欲しいと言われてまして」

丁度朝のトレーニングを終えて昼飯を食べていれば家のチャイムが鳴った、ドアスコープなど見るはずもなく開ければ小さな彼女がそこに立っており鷹村はドアを閉めそうになる

「別に平気だ、帰りな」
「食材とか買ってきてますから」
「別に要らねぇよ」

中々気が強いのか引かない彼女にドアを閉めようとすれば足が差し込まれる、思わず目を見れば彼女は優しく笑って「すぐ帰りますから」なんて言うものだから鷹村は珍しく折れた
部屋の中は男の一人暮らしらしく荒れていた、到底女をあげるような部屋では無いが彼女は気にした様子もなくテーブルの上にあるインスタントラーメンを見た

「それで足りるんですか?」
「いつもこんなんだよ」
「おにぎりとか作りましょうか、丼系とどっちがいいです」
「…どんぶり」

伸びかけたカップラーメンを食べきって、適当に座れる程の場所を作ってやる、この家の中では香ったことの無い料理の香りに食欲がそそられた
1人では料理なんて到底作ったこともない、冷蔵庫の中は大抵空っぽで飲み物と軽いフルーツ程度だ、調味料ひとつもない家の中で香る匂いを少しだけ楽しみに思いながらテレビをつける

「焼肉丼です」
「見た目の割に案外豪快なもの作るんだな」
「焼肉のタレって万能なんですよ、企業努力です」

大きな丼鉢には米がありその上にはキャベツの千切りと山盛りの肉が乗っていた、見た目と反した豪快な男飯に少しだけ面白く思いながら口に運ぶ、不味くは無く特別美味いというわけではなく予想通りの味だった、キッチンに鎮座するテレビのCMなどで見た事のある焼肉のタレがあるのをみてそれのみの味付けなのだろう
彼女も隣に座って小さな丼を口の中にかきこむ姿は爽快でお嬢様と言えど意外にも庶民的な暮らしにも慣れているのかとおもえた

「って言えば不動産系の最大手のとこのお嬢様か」
「そうですね、でも私は上に兄がおりますから私はあんまり関係ないんですよね」
「それでウチと縁談の話が出たのか」
「元々鷹村コンツェルンは我が社と深い仲ですから、両親同士も顔見知りだそうですし」

兄の許嫁といえどそれなりに相手を知ってても悪いことは無いと自分の気持ちは置いておいて鷹村は話を聞いた
案の定自分の家同様の相当な実家持ちのお嬢様だと判明しため息を零す、世間知らずというのか危機感がないからこんな男一人の家にあがってくるのかと改めて感じた

「というかオレ様のところに来てていいのか、許嫁なんだろう」
「家が勝手に言ってることですから、あんまり気にしないでください」
「…もうすぐ出ていくから帰ってくれよ」

彼女の顔を見て腹ただしく感じた、自分の家も彼女の家も同じなのだと瞬時に察したからだ
自分たちの意思などはなくただ親の敷いたレールを歩くしかない、特に女であれば利益を考えてどこかしらに結婚に出させるのが一番有意義だという考えだろう
あれだけ容姿も整っていれば引く手数多だろうにウチに来たということはそれだけの価値が互いにあるからというのも鷹村は察して舌打ちをした、それからも彼女は定期的に鷹村の家に来ては食事を作ったり家を掃除したりまるで通い妻のように健気に尽くして帰っていく
そして鷹村もそれを気付けば受け入れるようになってしまっていた

「守ちゃんが健康的な生活してるみたいでよかったわ」
「あの女が来やがるからだ」
「誰か来るんですか?」
「卓兄の女だよ」
「卓兄さんの…あぁナマエちゃんね」

久しぶりに家にやってきた姉の京香と弟の渡は鷹村の家に来てえらく綺麗に片付けられており、さらに冷蔵庫の中身が揃っており健康的な食事をしているのを感じ嬉しそうに言った
だがしかし当の本人はそう簡単に喜べるわけもなく歯軋りでもしそうな程の表情で呟いた、惚れているとはいえ兄の女に手を出すほど腐ってはいない、そしてそれが当然になるのは良くないことだとわかっているからだ

「いい子よね、本当可愛くて優しくて妹になると嬉しいわ」
「はっ…もう時期なるだろ」
「どうかしら?兄さんとは上手くいってないみたいだし渡ちゃんとはさすがに歳の差が、ねぇ?」
「僕はダメでも守兄さんがいますよ!」
「おいおい、オレ様も卓兄の女に手を出す気はねぇぞ」
「あら、守ちゃん知らないの?」


家のチャイムを鳴らした、何度このアパートのチャイムを鳴らしてきたのだろうかとナマエはふと思った
ドアが開いて髪型が崩れている鷹村が出てきた、柔らかいシャンプーの匂いがして風呂上がりなのかと察してしまい少しだけは気恥しさを感じた、いつも通り買ってきた食材を冷蔵庫に入れて夕飯の支度をしようとしていればリビングに腰かけた鷹村に声をかけられる

「どうしましたか」
「オレ様に隠してることはないのか」

震えたような真剣な声に真面目な話だと察してナマエはごくりと唾を飲み込む、察するからに彼は何もかもを理解したのだろうと思った
黙っていれば彼に肩を掴まれる、大きな彼の手はナマエの小さな肩を覆い隠すには十分だった

「卓兄の許嫁じゃなく"鷹村家"の許嫁だってな」
「そうですよ、鷹村家の男児何れかと結ばれ結婚して欲しいと言われております」
「…キサマ、自分のことわかってんのかよ」
「わかってますよ、ただの種を残す為の人形だって」

兄は優秀だった、成績もスポーツも万能、男だから家を継げるし誰からも期待されている
両親も彼にしか期待はしない、女として生まれ平凡すぎる妹であるナマエに残された道は女として結婚をして子を成すこと、その中で両親の奨めた"鷹村家"の男児と結ばれなさい、それこそが女の生きる意味だと優しさを纏ったナイフで彼女を刺し殺していた

「でも…私は人間だから、感情があるんです」

初めて彼を知った時背筋が固まった、仮の許嫁として出会った鷹村卓が自慢のようにみせてくれたひとつのビデオ、それは彼の弟であり鷹村家の次男である彼が世界王者に初めてなった時のものだった
その時全てがどうでもいいと思っていたはずなのに、この人と結ばれたいと思ってしまったのだ、それを察してくれた卓に紹介してもらったのだ
初めて目の前にした彼はあまりにも格好よく声も出ないほどだった

「守さんのことが…好きになってしまって」
「そんなこと」
「最低ですよね、結局家に縛られて、それを都合よく好きになったからだなんて」
「いやまぁ」
「私ってばいつもそうなんです、でも守さんのことは本当に好きでこんな親のレールに敷かれたからって訳じゃなくて」
「違ぇよ!オレ様はお前が好きなんだよ」

肩を掴んで俯いていた鷹村の顔が上がったかと思えば彼は酷く顔を真っ赤にしており、そして口元を痙攣させるかのようにピクピクと動かしているのは彼が必死に自分がにやけそうなことを止めたいからだ
どんな結果であれ惚れた女と両思いなのだから喜ばないわけは無い、おまけに家の事情ってやつもすっ飛ばしてだ

「兄貴の許嫁だからって諦めてた、それにオレ様は家とは関係ない人間だしな、でもよ条件が揃わなきゃダメってんなら名前だけは借りてやるよ」
「え…と、それはその」
「好きだってことだよ、お前もオレ様が好きなんだろ?」
「は、はい」
「クソッタレな家も捨てちまえ、オレ様が新しいレールを敷いてやる」

力強く肩を抱かれそういわれればナマエは目を丸くする、そしてゆっくりとその言葉を噛み締めて涙が出そうなのをこらえて頷きながら鷹村を抱きしめた

キッチンに立つ姿か見慣れてきた頃鷹村は朝食を食べながら目の前の男を見つめた、自分と同じ顔をした兄と母親似の柔らかい表情の姉と弟

「どうしていやがる」
「いやなに、ナマエさんが結婚相手を決めたといったからな変なことはされてないか確認に来たんだ」
「結婚相手なんだからしててもいいだろうが」
「あら守ちゃんお嫁さんには優しくしなきゃダメよ」
「優しくしてる、今までとは有り得ないってくらいしてる」
「でもナマエさんが守兄さんを選んでくれて良かったですよ、やっぱり見る目があるんだって思います」
「まぁオレの嫁さんだからな」

そう話をする兄弟たちの間に顔を真っ赤にさせ申し訳なさそうなナマエがお盆を片手にやってきては鷹村の横に座って、1人ずつに焼き鮭を提供していく、相変わらず料理が上手くあれ以降一緒に住み始めたお陰で鷹村の身体は以前よりも健康的になりボクシングのキレも変わった

「でもそのいいんでしょうか、守さん一応本人はお家と縁を切ってるって言ってましたし」
「あぁ…その事なら私から父に言っているから大丈夫だ"鷹村"の何れかと結婚させたらいいんだろうってことにしたからな」
「ハッ、相変わらず口だけは達者だな」
「守ちゃんのこと思って兄さんはしてくれてるのよ」
「僕達も2人のために説得頑張りましたから、どうか2人は幸せに家の事なんて忘れて幸せになってくださいね」

小学生とは思えない渡の言葉に2人は目を丸くして彼を強く抱き締めた、家のことは確かに嫌いだが兄弟たちまで憎んでいる訳では無い、それどころか鷹村は心から兄弟を愛しているのをナマエは知っている
そんな柔らかい新しい"鷹村"の家に来たナマエは嬉しそうに微笑んで告げる

「はい、必ず幸せにしてみせます」

その言葉に隣にいた夫となる彼は「それはオレ様のセリフだ」と小さくつぶやくものだから笑みが自然と毀れてしまうのだった。