シャキン…シャキン…とハサミの音が風呂場の中に響いた
真っ黒な綺麗な髪が床に広がる度に自身の思い出もこの髪のように無くなっていくのだろうと思えた、10cm以上切ったその髪はまるで別れの合図のようで風呂場の曇った鏡を手で擦って見えた彼は一端のスポーツマンになっている

三井寿は恋人だった

ことの始まりは去年彼は高校二年生でありナマエは新卒2年目のつまらないOLをしていた
会社の飲み会を終えて飲みすぎた頭を冷ますように千鳥足で歩いていたのがよくなかった、明らかにガラの悪い男たちにぶつかってしまい腕を掴まれて何かニヤニヤと言われているのが聞こえるが酔いが周り過ぎたせいか何も分からなかった
そんな時に彼は心底機嫌の悪そうな顔で目の前に現れて男達を地面に捩じ伏せていった、不良の割に綺麗な顔をしているな…なんてのがその時の感想であり、彼は家に連れ帰ってくれた

「水置いとくぞ、女が夜道1人で気をつけろよ」
「もう帰るの?」
「そりゃあな」
「泊まりなよ、お礼くらいさせて」

社会人二年目って気が狂ってるなと言い訳をした、私は無事その高校二年生を食ってしまったのだ(後日知ったことだが寿くんはハジメテだったらしい)
そこから関係が始まった、不良ゆえに家には帰りづらいのか彼はよく家に来た、何をする訳でもなく夕飯を共にして熱を共にして朝を迎えてまた別れて
恋人かと聞かれればあやふやで友達かと言われればそんなに優しいものでもない気もして、1番わかりやすい"セフレ"という関係に落ち着いてしまった
全く7.8つほど年下の男に手を出してると友達に知られた日には「犯罪」だと怒鳴られたほどだった、けれど三井くんはあまり高校生らしさも少なかった

「髪の毛もったいないなぁ」
「暑いし乾かねぇし面倒なだけだったけどな」
「その割には私の高いトリートメントしっかり使ってたくせに」
「あれ使うと次の日寝癖とか少ないんだよな」
「お高いですから」
「そりゃ悪ぃ」

顔をボロボロにさせて泣いていたのか目も少し腫れている彼はどこか嬉しそうに笑った、髪が足元に落ちていく度まるで新しい彼が誕生していく気がして、過去の私たちはまるで思い出に変わるようだ
短くなってよくみえる首筋は綺麗で鏡でよく見た彼は振り向いて言った

「ナマエさんに任せてよかった」
「…そうだね」

まるでこれは別れの儀式だ
女の子が振られて髪の毛を切る時のような、そんなくだらないもの
鏡越しに少し笑う彼はかっこよかった三井くんは元から不良じゃなかったことを見ていればわかる
どんなにガラの悪い子達とつるんでいてもタバコを吸わないし、デートの際にバスケコートを見る度に彼は熱心に見つめた

「バスケするの?」
「あぁ」
「だから……別れるの?」

年下の男に何を執着しているんだと自分の中で苦笑した
彼はれっきとした高校生であり今が1番の青春時代であろう、こんな年上のなにもない女なんてダメだと自分がいちばん理解しているのに手離したくないと思えるほど彼は魅力的だった

「わかれ…あー、そうだな」
「そっか、それなら今日はお別れ会だね」

そんな顔しないで欲しい
三井くんは優しい子だ、こんな女のワガママに付き合ってくれた、夜ご飯を食べに行こうと言えば来てくれるし、飲み会に迎えに来いと言えば原付で来てくれた、寂しい夜を過ごしてくれた
結局自分のエゴでしかないのに彼は自分の寂しさを埋めるためと言い訳をして私のものまで埋めてくれていた

「おいおいビールは飲まねぇぞ」
「なによ、今までだったら喜んで飲んでたくせに」
「俺はちゃんとバスケに戻るからそういうのはもうしねぇんだよ」
「…最後の夜くらい付き合ってよ」
「ぐっ」
「おねがい」

私本気でズルい女だな、目の前で「1杯だけだからな」と小さいグラスの中にビールを注いだ彼を見て心底喜ぶ底なしのクズの私、未成年者に酒を飲ませていいわけないだろう、万が一これが学校に知れたらどうなることやら…なんて悪魔がささやく
いっその事部活なんて行かなきゃいいのに、バスケなんて

「俺本当に楽しみなんだ」

ボロボロの顔で前歯の抜けた間抜けな顔で彼は心底嬉しそうに微笑んだ
もう私の居場所はないのだ、その夜最後だからと行って抱きしめて寝た、ここで身体を重ねれば必ず戻れなくなるからハグだけにした、三井くんの匂いも温もりも吐息も寝る時の小さないびきも可愛い顔も全部これが最後なんだと思うと無性に悲しくなって彼が眠った隣で泣いた
翌日彼は朝早くに家を出ていった、確か歯を入れて病院で足の調子を診てもらって学校に行くとか言っていたなぁ…なんてひとり寂しくなった部屋でゴミ箱の中にある切られた髪の毛をみつめた
それで話は終わるはずだった…そのはずだ

「おい!待てよ!」
「待たないってば!!」
「どうせあんた足遅いんだから意味ねぇぞ」
「うっ、うるさいなぁ」

私は結局あの日から未練を捨てきれなかった
朝から仕事に行こうとやる気もなくメイクをして家を出て電車に乗った時だった、学生が多いなと思っていれば湘北と翔陽のバスケの試合があると話し声が聞こえた
湘北…湘北といえば確か三井くんがいたような…気付けばその学生の後ろについて歩いてしまっていた、会社には親戚の危篤だなんて嘘をついてしまった優しい上司は明日も休んで大丈夫だなんて言うものだから罪悪感が増した
バスケなんてルールも知らない、どうして2点やら3点やら入るのかコート内の線の意味も分からない

「かっこいい」

それだけだった、コート上の三井くんは誰よりもかっこよかったしそもそも周りの人達の会話からして彼はどうやら有名人だったらしい
彼の指先から放たれたシュートは綺麗に弧を描いてゴールの中にパシュッと音を立てて入るのだ
運動神経のない自分からしてみればまるであんなのは魔法のようだった
あんな人を縛り付けていたのかと考えると尚のこと自分が恥ずかしくてたまらない、最後の試合のホイッスルが鳴ってあっという間に試合が終わった勝ったらしい湘北のみんなは嬉しそうな顔をしていてあぁ青春だなぁ…なんて思えてしまう
だがしかし見つめすぎた、バチン!と音がたったのでは?というほど彼と視線が混じってしまったのだ

「あ!!」

会場内に響いた三井くんの声にみんなの視線は私と三井くんに向けられる、これはやばいと悟った私は慌てて2階席から走り出して逃げる
そもそもスーツ姿で女1人、どう足掻いても目立って仕方ないだろう、階段を慌てておりて入口に向かって走っていれば後ろから大きな声が聞こえた
結局すぐ私は捕まえられた、まるでラグビーのようにタックルのごとく捕まえられれば履いていたパンプスは右足から投げ出された

「試合後に走らせやがって」
「走ってきたのはそっちでしょ」
「なぁこの後時間あんだろ、勝ったんだから祝ってくれよ」
「わっ、私だって仕事ですけど」
「こんな時間に?どうせ二日酔いとかで休んだろ」

休んだなんてよく分かってるな、なんて思いながら結局彼に言われるがまま待つことになった
続々と出てくる観客と選手たちに圧倒されながら待っていれば現地解散らしく三井くんはチームメイトに何かを告げてやってきた

「お待たせ」
「で、何食べたいの」
「……ナマエさんの飯」
「そういうのは」
「もうダメか?」

まるで捨てられた子犬のような顔をする彼に胸が締め付けられる、昔の如何にも不良ですという雰囲気と打って変わってスポーツマンの爽やか男子に変わった三井寿に私は少し弱い、いや嘘だいぶ弱いかもしれない
スーパーによって2人で買い物をする、他愛ない話をした、部活のことや今日の試合の話、まるで普通の高校生だ

「なぁ、俺…ナマエさんが好きだ」

家に着いた途端彼はそういった、壁に優しく押し付けられて背の高い三井くんを見上げれば彼は少し寂しそうな顔をしていた

「あぁいう関係じゃなくてちゃんと恋人になりたい」

きっと彼は悩んだんだろう、バスケと私について
中途半端に生きてきたからこそ真剣に向き合わなきゃならないと、それはバスケに対してもそうだ3年生なんて1番大事な時期を彼は悩んでいるのだ
彼のボールに触れるその大きな手が頬に触れる

「好きだ」

答えを言わなくても寿くんは知っている、馬鹿だけどバカじゃないから彼は唇を重ね合わせた
背中に腕を伸ばせば彼の体温と匂いを感じる、あの日ベッドを共にした時のタバコや血の匂いでは無い汗と制汗剤の匂いと洗剤の香り、あの時とは違う学校のジャージを身にまとった彼の背中に腕を回して声が漏れる

「私も」

そういえば寿くんは嬉しそうに微笑んで強く抱きしめた、寂しい夜を過ごす日はもう無いだろう