ある雨の日だった、その子供を見た時あまりの珍しさに少しだけ足を止めてしまった
真っ白なその髪は雨に濡れていて、鋭い子供のようには到底思えない達観した瞳を持つその子供に少なからず目を奪われた
丁度迎えが来る前の雨宿りで立っていたシャッターの閉まった店の前で2人きり、何も話すことはなかった

「つまらないね」

静かな少年の声が雨音から浮いたように聞こえて私は横を向いた、少年は酷くつまらなさそうな顔をしていてよく見ると服の裾は喧嘩をしたのか血がついていた

「少しだけゲームでもしない?」
「どんな?」
「コインが裏表かってだけさ」
「迎えが来るまでなら」
「なにか賭けようよ、その方が面白い」
「私に賭けるものはなにもないけど」
「なんだっていい、そうだな・・・傘とかハンカチは?」
「そのくらいなら」
「オレは賭けるものが無いから500円で」
「お金はダメよ」
「・・・そんなに睨まないでよ、じゃあお姉さんが決めていいからさ」

彼は軽く笑って私にそう言った、後で聞くから考えていてと言われて彼はポケットから小銭を1枚出した
それを裏表しっかり見せられて手の甲に置かれる「どっち?」と聞かれれば分からずに適当に「表」と答えてしまう、その時きっと私たちの性格を表していたのかもしれない
お姉さんというにはもうあまりにも歳をとっていたのだが彼はそれを気にした様子はない、高く舞い上がったコインを2人で眺めて軽くパシッと音を立てて彼の手の甲にまた帰っていった
ふと目の前に車が止まり、迎えが来たのだと気付いた彼は手を空けて「お姉さんの勝ちだね」といった、欲しいものなんて何も無いしもう迎えの人が来てしまったから話をする暇もなくなった

「雨に濡れずに帰ってね」
「それがあんたの"勝利の報酬"か」
「ええ、風邪をひかれたら私のせいになりそうだから」

その言葉を最後に私は車に乗った
運転席に座った白服の男性に「先程の子供は」と聞かれるも「たまたま同じ場所で雨宿りをしていただけです」としか答えられなかった
それを巌さまに話したとて彼がなにかを気にする事はないだろうと思った、けれどそれは真反対の結果を産んだ
珍しく帰宅して同じ時間に夕食を取り広いベッドの中で互いに静かに本を読んでいた時にその話をすればあの方は酷く驚いた顔をして私を久方ぶりに抱いた「お前はワシのものだ」たかだか子供なのに彼は酷く嫉妬をしていたのだろう
あの日の夜を私は忘れられなかった
巌さまがお痛していることは私とて知っていた、けれど詳しくは知らなかったが時折この屋敷に客人を招いてはあの方は遊んでいたのだという、けれどいつか天罰は人に平等に与えられるようで彼もある日大負けしたらしい
それ以来あの人は金をなくしても尚"赤木しげる"という男に執着し始めた、誠にずぶとい人だと結婚16年目にして思うものの安心した

「主人は今出かけておりますよ」
「主人・・・あぁ鷲巣か、別にあいつに用はもうないさ」

彼と再会したのは雨の日だった、白い髪の青年は庭でタバコを吸いながら私が手入れする薔薇を見つめていた
まるで絵画のような不思議な雰囲気を持つこの人に人々が狂わされるのが何となくわかってしまう、なぜなら私もその1人だから

「傘を返しに来たんだ」
「いま・・・使っているじゃないですか」
「あぁそうだ、だからまた濡れて帰らなきゃな」

はじめて夫のいない屋敷に私は異性を連れ込んだ、白服の人達はきっと彼を知っているから裏庭からバレないように入れてしばらく部屋には来ないでと伝えた、彼らは戸惑いつつも二つ返事に了承した
雨に濡れた彼にタオルを差し出して紅茶を入れた、ただ私と彼は旧知の仲であり特別なことは何もない、そう思っていたかった

「なにをするの」
「オレがただ傘を返して昔話をするために来たと?」
「それ以上何も無いでしょ」
「そんな歳になってもまだカマトトぶるのか」

紅茶を入れる手を無理やり止められて、彼に手を取られる
重なったキレの長い艶のある瞳と絡み合った時思わず目を逸らせばふと視界いっぱいに彼が広がった
それがどういうことなのか理解するのには1秒も要らずに思わず彼の頬を叩いた

「馬鹿にしないで、夫に勝ったからって私は貴方たちの賭けの賞品じゃない」

思っているより力が籠ったせいか彼の口元から小さな赤が彩られてしまい思わず、ごめんなさい。と甘えを見せれば彼はそんなことも気にせずに笑っていた
それがまるで悪魔のようで肩を震わせた、まるでダンスを踊るように手を取られて奥にあるベッドに投げ込まれ私はその日白い蛇に噛み付かれたのだ


「そんな目で見ないでくれよ、ますますあんたを壊したくなる」

帰り際彼はそう言って二階の窓から出ていった、もういい歳をしながら泣くとは思わず私はただ重たい体でベッドに伏した
決してあの日を悟られぬように、決してあの日がバレぬようにと私が思えば思うほど巌さまは何となく察したようだった
「嘘をつくのが下手なのが貴様の欠点だ」「だが良い、ワシは寛大な男だ許してやろう」
そういって私を許したと思いきや相手がこの人の望む人物だと知られた途端に私は頬を打たれ、杖で何度も叩かれた、私は知っているそれは"羨望"なのだと、この男の前には現れないのに私の前には現れて私達を潰していく
足腰が悪いというのに巌さまは私を数年ぶりに激しく抱いた、そして察した彼は喜んでいたのだと、憎き赤木しげるも自分の女を抱いたのだと思うと尚のことあの人と自分が似ているから、そして妻に選んだ自分が誇らしいと思うのだろう

怪物は人だった
死を恐れ執着し固執し足掻いてそして朽ちた
残された大きな広い屋敷と莫大な遺産や会社の経営等は全て託された、あの人が逝って数日後の雨の日あの男はやってきた

「なんの御用かしら」
「なぁに少し噂話を聞いてな、鷲巣が死んだって」
「お線香の1本でも立てに来たの?」
「あぁだからいれてくれよ」

白服達には客が来たが決して見ないで欲しいと伝えて仏壇の前に2人で立った、線香に火をつけて彼は丁寧にそれを立てるかと思えばその火でタバコをつけた

「罰当たりな人」
「今更だろ」

そして少ししてから香炉灰の中にタバコと線香を入れてアカギは私を見つめた、一歩彼が近付けば私は一歩下がる、二、三歩といったところで彼に腕を掴まれる
そんな目で見ないで欲しい、もう二度と会いたくなどなかった、もう若くもない私なんて何も面白くもないのに彼は酷く優しい顔をしていた

「罰当たりな人だ」

本当にその通り、きっと巌さまはお怒りになり私は地獄の底に落ちる、その時の閻魔も鬼もみんなみんな巌さまの顔をしていらっしゃるのだろう
私は巌さまの遺影をみながら若い彼の熱を受け止めた、何度も何度も恋人か夫婦のように熱い目交いをして、私は彼の子種を身体の中で受け止めた
申し訳なさか快楽か分からずに涙を流せば巌さまとはまた違う白く細い筋張った男の指で私の涙を拭って慈しむように目尻に口付けた

「これが愛ってやつなのかもな」

あぁそうだ、40になって知らないとは言わない
愛の形が真っ直ぐな美しいものだと
また猫のように彼は居なくなりそして不定期で現れてはまるで恋人のように過ごした、白服たちは物言いたげな顔をしつつも何も言わなかった、私はつくづく夫に似てきたようでそれを彼はまた楽しそうに見つめていた
それに知らないふりをしてただ私は巌さまの遺影をみつめて、また彼に抱かれるのだった。