そもそもあんな風来坊だか野良猫だか分からないような男に惚れた方が間違いだったと過去の自分に言ってやった
それでもその時の自分は彼を心底愛しており、彼しかいないと信じており、いつかは帰ってきてくれる好きだ愛してると想い続けていたのだった。

「別れよう」

律儀にそういいきった彼を私は見上げることしか出来なかった、狭いワンルームの部屋で彼は荷物など何も無くテーブルの上に置いていたタバコとライターをポケットにしまいこんで部屋から出ていった
少ししてから立ち上がり裸足で追いかける、雨に濡れる彼は驚いた様子もなくいつものような無表情でこちらをみて「どうしたの」と聞くものだから手に持っていたビニール傘を差し出した

「タバコ湿気たら勿体ないでしょ」
「ン・・・あぁ、そうだね」
「長い間ありがとう」
「こちらこそ」

そう言って去っていく彼の背中を再度見つめて部屋に帰って玄関から動くことも出来ずに泣きじゃくった
彼を4年もこの家に縛り付けたのだ、それこそ奇跡の賜物で居なくなった方が自然なことなのにどうしても心はそれを許せなかった、床に落ちた銀髪や残ったキツいタバコの香りや温もりを思いながら涙を流し続けた


気付けば40代もすぎて私は絶賛独身の身である
元々経営していた雀荘も細々と続けることが出来ており、人生を案外楽しんでいる方ではあった、周りの人間は結婚をしろだ子供をもてだというが50も過ぎればまるで腫れ物を扱うように何も言わなくなり反対にそれがいい。だなんて冗談を言ってくれるほどにはなった
雀卓の椅子を見る度にいつの日かの銀髪の男が座っている姿を薄く思い出してしまう、どれだけ想像しても彼がそこにいるなんてことはもう何十年もなく、この先もきっと無いのに未だに自分が執着心がある根暗な性格なのだと思えてしまうほどだった

メンツが足りなければ入るが基本的にバイトの子にしてもらっている、だというのにその日はえらく混みあっておりバイトを3人も出しても足りないほどだった、入口のドアに"満席"と看板を裏返して呼ばれた中年男性の席に付く
1人は見覚えのある客で珍しく友達か知り合いを連れてきたのだろう、楽しそうに談笑をして4人で笑い合いながら程よく打っていく

「そういえばナマエさん聞いたことあります?」
「なにを」
「赤木しげるって人の話ですよ」

何十年ぶりに聞いた人の名前だろうかと思いつつも「知らない」と素っ気なく答えた、まぁまぁな手牌だと満足しつつ彼の話に耳を傾ければどうやら彼は死神やら神域やらなんやらと伝説を作りまくってるらしい

「ここの雀荘にも来てたりして」
「そんなわけないでしょ」

実際は来ていた、深夜0時を回って2人きりで雀卓について練習をした、ぶっきらぼうに見えて熱い人で神業だと言いつつも彼はそれを丁寧に説明が出来るから納得もできた

「雀荘の店長さんのくせに麻雀が打てないなんてね」

からかうように彼はちいさく笑うから少しだけムッとした顔で睨みつける、それでも後ろにたってくれる彼はこうしたらいいあぁしたらいい、この手配だと…なんて全て教えてくれた

「お父さんがここのオーナーなだけで私はただの学生だったんだもの仕方ないじゃない」
「まぁそりゃあそうか、とはいえナマエさん筋はいいから覚えたらすぐ強くなるよ」
「アカギくんより?」
「・・・フフッかもね」

それから毎晩2人でデートのような密会のようななんとも言えない練習をした、賭けるものはしょうもないもの、夕飯のメニューやらデザートやらタバコやらといったものだった、そんなある日彼はいったのだ

「今日俺がナマエさんに勝ったら俺の女になって欲しい」

笑うことも出来ずに緑色のテーブルを見つめて「いいよ」と零れた声はとても小さかっただろう。
その日私は持ち点5万点、アカギくんは5千点スタートの半荘だったが直ぐに負けて降参しますといえば彼はとても嬉しそうに笑って私にキスをした、思ってるよりも優しくて温もりのあるキスにあぁこの人もやっぱ普通に人の子だし柔らかいんだな。なんて思ったことを覚えている
こんなに鮮明に覚えているということは私は相当彼にご執心であったし、今なお彼を焦がれてはいることだろう、歳を重ねて周りの人間の髪が白くなる度に彼の銀髪はどうなってるのだろうか。なんて思ってしまう
そんなことを考えつつもあんがい流れは自分に回ってきていたようで絶好調の1位で終わりを迎えてしまう、店の人間が客を負かすなんてサービスしてくれ。と言われるも苦笑いを浮かべて新しく入ってきたらしい1人客の受付をしようと入口に戻った

「今満席ですけどもし1人なら足りないところ座りま・・・」
「こりゃあまるで死体でも見たような顔だな」
「まぁ、死んでてもおかしくないと思ってたから」
「取り敢えず空いてるとこ座らせてもらうぜ」

まるで2.3日ぶりくらいに会うように彼は何の気なしに現れて私に笑いかけた、派手な背広とシャツを着てシワを増やして昔よりもいくらか柔らかい表情をまとっていた
店の中で一部の客が"赤木しげるじゃないのか?"なんて言ったせいでみんなそっちのけでひとつの席を見つめる、素人相手にかもるわけも無い彼が座ったということは少なからず強い相手だったのだろうか若いまだ20そこそこの子が彼と親しげに話をしていて相変わらずの人たらしなのかと感じつつもタバコに火をつけて受付から人混みを見つめた

「もう店じまいだけど」
「なんだよ、そんな時間か」
「今何時だと思ってるの」

気付けば朝の4時、なかなかに白熱した麻雀をし終えた彼は「ソファあるか?」なんて聞くものだから店の奥にあると伝えればそのまま自分の家のような足取りでいってしまい寝ていた
3時頃まで打っていた客たちの片付けをし終えてコーヒーを片手に事務室に行き声をかければ薄目を開けて呟いた、ふと彼を見ると年相応に銀髪には歳をとったゆえの白髪が混じっていた

「なぁナマエ、1局くらい付き合っちゃくれねぇか」
「断ったら?」
「ここに住み着くかもな」

意地も悪い爺になったものだ。
楽しそうに笑う彼にどんなルールでやるんだと仕方なしに付き合ってやることにした、ルールは単純にその一局でアカギが逆転出来たら勝ちだという
私は知っている赤木しげるがこんなことで負けるわけが無いことをそもそも彼に賭け事で勝てるはずがないのだから、私は席について数十年前と変わらずに牌を触る彼を見つめた、短いまつ毛と楽しそうな口元、昔と雰囲気が違うがこれもまた歳を重ねたゆえの彼の完成系なのだろうと感じた

ロン
と彼が短くそう告げる、最後の最後にしてやられたと思いつつも懐かしさを感じて片付けをする
ふと前を見れば彼と目があって慌てて背けてしまう、あまり一緒にいたくは無いのだ、気持ちが溢れてどうしようもなくなる、変わらない彼の姿に安心感を覚えつつも寂しさもあった
自分の知らない世界で自分の知らない生き方をしたこの男を責めてしまいそうで

「帰らないの?」
「まだ少しだけな」
「もう閉めたいけど」
「いいだろ、俺の為にもう少し」
「ここ店覚えててくれたんだね」
「暇さえありゃ通り際に見に来てたさ」

なんて酷い言葉なんだろうとまるでそれじゃあ恋焦がれていたようじゃないかと、床の汚れを見つめていた私はふと目の前に革靴が見えて自分に影が落ちた、顔をあげれば彼は私を見つめていう

「忘れられなかったんだ、あんたのことが」

都合のいい夢を見てる気分だった
くだらない少女漫画のような展開だと思えた、それでも彼は私の手を取って自分の頬に擦り寄せた

「ナマエさんといると俺ァ死ぬのが怖くなった」

久しぶりに昔と同じように名前を呼ばれた
あれだけ死ぬのが怖くない、死ぬ時は綺麗に死ぬと彼はよく言っていた、死への恐怖がない男は強い、死神さえ味方につけるのだから
それでも彼も人の温もりを知るとなると怖くなったのだという、自分のような人間では結婚も子供も有り得ない、平凡な人間の人生など歩めるわけが無い
そう思えば思うほど離れらなければならないと思いながら気付けば時間だけが過ぎていき、あの日逃げてしまったのだと

「もういい歳だ、今更こんなことをいうのが卑怯なことはわかってる」
「それでも俺はあんたがいいんだ、40数年生きても忘れられなかった」
「人生をくれ」

まるで慈悲を強請るように彼は幼子のような顔をしていう、私は何も言えずにそっと指先で彼の唇をなぞれば彼の乾いた唇が薄く開いて私の指を噛んだ

「最後にあんたが欲しいんだ」



全くなんて男なんだと私は無駄に天気のいい今日思った
盛大に祝われた大きな墓の前でタバコを吸っていれば遠くにいる坊主にどなられたが聞こえないふりをした

「本当酷い男だね」

一緒の墓に入ってほしいだなんて。
2割ほどしか吸ってないタバコを線香代わりに置いてやる、どうせみんなそんな事をしているようで他の墓と比べていくらかヤニ臭いものだ

「次はもっと早く帰ってくるんだよ」

私がそう言い残して最後に墓石にキスをして歩き出す
帰り際突風で髪が乱れ整えようとすれば薄らと笑う彼が見えた、猫でも風でもなんでもいい見失わずに今度はしっかり帰ってきてね。それだけを願いながら少しだけこぼれた涙を拭って歩き出すのだった。