幼い頃の約束事など所詮は子供の口約束でお遊びでしかない、視線の先に見える白い帽子のつばと百合の花束を手にした女を見てはケビンマスクと呼ばれた男は思わず頬を弛めてしまう
あの花がある限り決して負けることなどないと思いながら。


十数年前、ロビンマスクの息子ケビンマスクは清く正しい少年であった、厳しい父と優しい母に育てられた彼はイギリスの由緒正しい家柄の子であり、彼もまた父や家を深く尊敬した
そしてそんな彼は幼いながらに恋をした、それは彼の家と比べれば遥かに庶民的な家であり父ロビンマスクと母アリサの友人の娘だった

「は…はじめましてナマエです」
「はじめましてケビンマスクです」

父親の足の裏に隠れた自分よりも小さく気弱で引っ込み思案な少女、そんな彼女に一目惚れをしたケビンは彼女の手を引き様々なことを得意げに教えてやった
両親達が仲睦まじい二人を見て微笑みあう中で二人は対等な友人として…いや、異性として幼いながら感じあっていた

「ナマエちゃんならケビンのお嫁さんにピッタリだ」
「そうね、ナマエちゃんなら是非お嫁さんに来て欲しいわ」

手を取り合った二人が泥だらけで大人たちの元に戻れば彼らは叱り付けることはなく嬉しそうに笑い、ケビンの両親は嬉しそうにそう告げた
結婚?と小首を傾げる少女に「パパやママのように一緒に過ごすんだ」とケビンは告げた後すぐに近くの花壇から花をちぎり片膝をついては彼女に差し出した

「ナマエ…ボクが大きくなったら結婚してください」

なんともかわいらしい子供の真似事、ナマエは差し出された花を受け取りケビンに微笑んだ

「ケビンくんだけのおよめさんになります」

誓い合った二人にそれなら許嫁だなと笑い合う彼らに首を傾げた子供たちに大人は微笑ましく説明してやった

大人になった今ケビンが思うのはあの時のせいで呪いにかけられたのだということだった。
あれからどれだけの月日が経過したのか、ケビンは背中に彫ったタトゥーの痒みを苛立ちつつ試合を終えて直ぐに控え室に戻ればそこにはひとつの白い花束が置かれていた

"親愛なる ケビンマスク様へ"

それ以上のメッセージは書かれていないメッセージカード、達筆で美しい英語からみて相当いい家柄の人間なのだと感じつつもケビンはその相手を知らなかった、知っている気がするもののそれは自分にとって都合のいい夢のようであり受け止められなかったからだ。


「ケビン今ならまだ帰れるから帰ろう?」

手を差し伸べる彼女を強く払いのけたのはそれが最初で最後であり、泣きそうな顔をさせたのは何度目だろうかとその日ケビンは思った
家を飛び出し良くない連中と関わる彼を追いかけたナマエは以前の彼に戻って欲しいと願った、しかしながら歳を重ねるごとに過激になる訓練の日々はケビンを腐らせるには十分なものであり、彼の苦しみが噴火するのは仕方の無いことであった

「ナマエもうお前はオレとは関係ない、関わってくるんじゃねぇよ」

残酷な彼女を拒絶する言葉を吐いたケビンはいっその事彼女が自分を嫌いになればいいと思えた。
けれど彼女は悲しみを含めた表情を浮かべつつも決して涙を流すことはなく彼の手を取った

「関係なくない、私は貴方の許嫁だから、貴方の隣にいる権利があるはずでしょ」
「ッ!!いつまでそんなガキの約束に縋るんだ、お前もオレももう関係なんてない!!ダディに言われて来たのならとっとと帰れよ」
「違う私の考えだけで来たの、お願いケビン…」

置いていかないで。
そう呟いた彼女の声を正面から受け止める勇気はなかった、きっと彼女の顔を見れば声を受けてしまえば戻ってしまう、それは自分の甘さであり捨てきれない弱さだと感じたからだった
もう二度と彼女は自分に触れることなど無いだろう。そう言い聞かせケビンは彼女を置き去りにした、例えどれだけ求められていたとしても。


物の少ない一人暮らしのアパートの中、ベッドや筋トレの簡易道具の他にあるのはひとつの花瓶でありケビンは帰宅するなりすぐ様ブーケから花を取りだしてはそれらを眺め切る場所もないと判断してはそのまま水を入れた花瓶の中に挿してやった
外の灯りを受けた百合の花は美しく、それを渡してくれる名も無きファンに感謝した、どういうもりなのかどんな相手なのかは聞けぬままで…

「これをケビンマスク選手にお願いします」
「分かりました、控え室にいるので直接お渡しは?」
「……いえ、大丈夫です」

ある日の試合会場にて次の試合だと出番を待ち侘びる中ケビンは水を買いに行こうとドアを開けて直ぐに聞こえた声に振り向けば大きなつばのある帽子を目深く被った女性はスタッフに白百合のブーケを手渡していた
多少記憶の中の声と違うが変わらない凛とした鈴のような声、背格好や服装から見てもケビンはそれが誰なのか感じ取り去りゆく小さな背中を見つめては今すぐにでも声をかけたいと思いながらも何も言えずにいれば目の前には白百合を持つ見慣れた男性スタッフが立っていた

「ケビン選手これ差し入れです、いつもの方から」
「あの子がいつも?」
「見てたんですね、ファンにしてはとても控えめで礼儀正しい方ですよかわいい感じだしスタッフの中でも結構話題になるんです」
「話題ってそんなに知られてるのか」

そう問いかければそりゃあ超人プロレスができる会場はだいたい決まっているし、スタッフも超人プロレス協会からの派遣であるため毎度同じ物を渡すような人は覚えやすいという

「いつも彼女言うんです"今日もケビンマスクさん、怪我がないと嬉しいですね"って」

普通は勝つといい、なんていうのに不思議な方です。と笑って告げるスタッフに白百合を見つめてはケビンは受け取りやはり彼女なのだと再認識してしまう
変わらない雰囲気や服装に態度、全てが彼を過去に戻そうとするように感じられては彼は背中がチクリと痛くなる、こんな背を持つ自分は彼女に相応しくないと感じて
そう思いながらも彼女の特徴を知ればリングの上から彼女を捜し求めてしまう、人の多い会場の中何万人もいる中で見つけることは容易く見つめた先の彼女は固く目を瞑り祈っていた、まるで無事を祈るように
触れたいと話したいと何年もの重ねた時間が溢れてしまいそうになりながらそれが許されないことは理解していたケビンは勝利を手にしても喜ぶことは出来なかった、控え室に戻りシャワーを浴びて帰ろうとすればいつも通りのファンに囲まれる中ふと廊下の角から見えた帽子は見違えることは無いものだった
ケビンの視線に気付く帽子の淑女は慌ててその場を離れてしまうことを彼は追いかけられずに眺めていた、まるでそれは拒絶のようなものだったからだ

「それでようやく白百合のお嬢さんに会えたのか」
「会えてない、互いに認識しただけだ」
「幼い頃の約束事を未だに想う一途な白百合のお嬢さんか、いいじゃねぇか」
「ガキじゃないんだ、いつまでそんな約束事に浮かれてんだか」

試合終わり珍しくスカーフェイスことマルスと夕食を共にするケビンは今日あった出来事の話をした、以前から白百合のブーケが送られていることを話してはいたもののそれが夢だと思っていた相手からだと確信したことを彼に告げればマルスは楽しそうにグラスの中のオレンジジュースを飲んでは笑った

「それならオレがその子を口説くかな、遊び慣れた女よりそういう一途なお嬢さんの方がずっと好みだ」
「マルスッ!!」
「冗談だ、ダチの女に手を出すほど女に困っては無い」

素直になったらどうなんだ?という彼に声を荒らげたケビンは座り直してはテーブルに置いた自分の手を見つめた、あの日触れた時よりもずっと汚れた手をしていることや彼女の想いを聞くのが怖くなったからだ
それでももう一度あの頃のように自分を見て欲しいと願うのはどこまでも彼女を愛しているからだろう、触れたい恋しいと願うケビンはふとコートのポケットの底にあるものを握りしめてはマスクの下でグッと歯を噛み締めるのだった。

次の試合の時に声を掛ける機会があれば掛けてみようと決めたケビンの想いは簡単に叶ってしまった、それも自身が思うよりずっと違う形でだった

「(これじゃあオレはストーカーだ)」

そう思うのは仕方ないことであり、街中を歩いていた際見違えることの無い大きなつばの帽子を被ったその女が花屋にいたからだった
年老いた店主と仲睦まじく話をする彼女は会話からして常連のようであり「またいつものメッセージカードを書くかい?」と聞かれていることからいつもここで花を頼んでいるのだと理解する、その言葉に嬉しそうに返事をした彼女は店内のテーブルで嬉しそうに、しかしどこか寂しそうにペンを走らせてはブーケに飾り付けてはそれを片手に店を出た
何処かで声を掛けて少しだけ話が出来ればと思いつつも数メートル後ろを歩くケビンはどうすればいいのか答えが分からずにいた、普段ファンの女性に話し掛けるように自然にしたらいいことはわかっている、名前を呼んで久し振りだと告げればいいだけの事だがそれが出来ずにいた

しかしまるで二人のことを神がイタズラを仕掛けるように事は起きた
大きなトラックが走る中、彼女の真横の道路には大きな水溜りがあることに気付いたケビンは思わず自然と足が走り出してしまう
バシャンッと大きな水飛沫が音を立てる頃「きゃあ」と小さな悲鳴がその場に響いた、彼女はトラックが通り過ぎる頃ふと自分が濡れておらず何か大きな暖かいものに抱きしめられていることに気付く
懐かしい心地よい香りと温もりに思わず薄く目を開けば夢のような人がそこにはいた

「…ケビン?」

彼女の声に思わずケビンは自身が咄嗟に彼女を庇う為に抱きしめてしまったことに気付き慌てて彼女から腕を離して距離を開けるも目を丸くして見つめる彼女は幼い頃と変わらない姿であった

「ケビンマスク選手ですよね、あのいつも応援してます、助けてくれてありがとうございます」
「…いや、いいんだ」
「コート汚れちゃいましたね、よければクリーニング出しましょうか?」
「気にしないでくれ」

ケビンは何故彼女がそんなに他人行儀なのだと悲しみを感じた、自分を応援してくれているその白百合を知らないわけが無いのだから彼女は自分を認識しているはずだと言うのにまるで他人の距離感だ
何も無かったただのファンと選手のように振る舞うのかと思いつつも触れられた華奢な手は変わらないものであった

「気にしないでくれ、たまたまアンタが濡れそうだから気になっただけだ、じゃあな」

彼女がそうしたいのならば距離を開けるしかないのだろう。そう判断した彼は先を進み彼女に背を向けて歩き出すが数歩先を歩く頃か細い声は彼に聞こえた

「ケビンくん…」

その言葉に堪らずに振り返れば彼女は泣きそうな表情で彼を見つめていた、今すぐに抱きしめたいと彼は堪らずに足を戻しては彼女の手を取り顔を見つめた
少し大人びた綺麗な彼女はあの頃と変わらない愛らしさがあり、ケビンの胸の中は彼女に伝えたい言葉ばかりが重なった

「話をしないか?」

例えどんな関係だとしてもいいと彼は判断して濡れたコートのまま頷く彼女を連れて近くの公園に足を運んだ
子供たちが走り回る声が聞こえる中で二人はただ静かに歩いていた、何を話すべきなのか何を伝えるべきなのかと悩む中でその空気を変えようとしたのはナマエであった

「あのよかったらこれ、使ってくださいマスクも濡れてちゃってますから」
「…!悪いなありがとう」

差し出された白と水色の淡いパステルカラーのチェックのハンカチは幼い頃自身が送ったハンカチであり彼女は柔らかく笑みを浮かべて白百合のブーケを握りしめた
柔らかい石鹸の香りに混じるコロンの香りは彼女が成長したようであり少しだけ寂しさを感じつつも、それはナマエもケビンに感じるものであった、ふと足を止めたケビンをみつめればベンチに座ろうと誘われ腰掛けようとするも彼は自身のコートのポケットから取り出したハンカチを敷くも何かが落ちていく

「これ」
「なんでもない」
「…まだ、持っててくれたの?」

慌てて取ろうとしたケビンに声をかけた彼女の声はどこか嬉しそうなものであり彼は直ぐにそれをポケットの底にしまい込んでは「あぁ」と返事をした
幼い頃の遊びだった、ナマエの母親とケビンの母アリサに連れられて初めて行ったスーパーの食玩コーナーで見つけたキラキラとした指輪の玩具、ケビンは母に駄々っ子のように頼み込んで買ってもらっては彼女に渡したもののそれは彼女も同じで二人は笑いあった

「結婚指輪ってくれたの、私もまだ持ってるんです」
「…そうか」
「ってコートに入れっぱなしなだけですよね、すみません」

静まり返る空気に彼女はブーケを強く握ったあとケビンにそれを押し付けるように差し出した、俯いた彼女は帽子のつばで表情は見えないが泣いてしまいそうだと感じたのはその声が震えていたからだ

「応援してます、これから先もずっと…あなただけを見ていますから、どうか無事に試合をしてください、それじゃあ」

耐えきれないのだと彼女はブーケを押し付けては立ち上がり去ろうとする背中を眺めた、小さくて華奢で泣いて震えるその背中は何年自分を想い追いかけてきたのかと考えればケビンは堪らずに彼女の手を取り自分の胸元に手繰り寄せた
互いに感じる熱も香りも懐かしく恋しさが増えていくがナマエはケビンの胸を押して逃げようとするのを彼は許さなかった

「名前を呼んでくれ、昔みたいちゃんと、そんな他人行儀な態度をしないでくれ頼むナマエ」
「でも…もう、私たち知り合いでもないじゃないですか」
「知り合いどころじゃない、唯一の許嫁だ」

頼むナマエ…と懇願するような彼の悲痛な声にナマエは何年も彼を追い続けていた気持ちが溢れてしまう、拒絶されたあの日泣くしか無かった幼い自分をどうにか言いくるめて彼が許す範囲で試合に行くようになり白百合のブーケを渡すことで自己満足を得た、それが受け取り拒否されない限りはまだ自分は彼に受け止めて貰えているのだと自分に言い聞かせられた
しかしながら面と向かって顔を合わせた彼の気持ちは何も分からなかった、近付いたようで離れていくようなケビンの態度はナマエを混乱させるには充分でいっその事突き放してくれれば良かったと嘆きたいところを彼は約束事を忘れていないようにいうのだ。

「私まだケビンくんの許嫁でいたの?」
「……いて欲しい」
「沢山女の子に囲まれてるのに?」
「…囲まれてない」
「嘘、いつも試合終わりにファンの子に囲まれてた、私いつもみてたもん」

胸元にいる彼女の表情は読み取れずに否定できない言葉にケビンは困っていれば強い風が彼女の帽子を飛ばしてしまい、みえた彼女の顔は赤く染まりその瞳に涙を貯めていたが彼女はそれをバレぬようにと慌ててケビンの胸に顔を埋めてしまう

「もう許嫁じゃないからこんなの迷惑だってわかってる、だけど私ケビンくんが好き、外の世界を沢山知ってるあなたは沢山魅力的な女の子がいるのはわかってる」

それでもあなたの隣にいたいと思ってた、だから私を忘れないで欲しいとブーケを送っていたと告げる彼女のいじらしさにケビンは体の芯に熱が溜まるようだった
それなりに外の世界に一人で生きてきた彼は女を知っていた、自分の容姿やその家柄に強さ全てにおいて完璧な彼によってくる異性は多く数年前の荒れていた時期にそうした存在と遊ぶ度にナマエへの罪悪感が重なった
そして比べる事は最低だと分かりながらもそうした存在と彼女を比べてはますます愛おしくなってしまうのだ、何処までも自分を追い続ける彼女を

「ナマエを傷付けたことは分かってる、それでもオレにはお前しかいない、要らないんだ、ずっとブーケが届くことが嬉しかったお前なんだとわかってたから、オレにとっての一番はナマエだけだ」

だからもう一度隣に立ちたい。と彼女の頬を撫でれば紅く熱くなる頬にケビンは「愛してるんだ」と告げれば彼女はこくりと小さく頷いては顔を上げた

「私もずっと好きなの」

そういった彼女にケビンはマスクをずらし唇を重ねようとするもふとそれは白百合に阻まれたことに彼は目を丸くする
一体どう言うつもりなのかとジトリとみつめれば顔を赤くした彼女はつぶやいた

「付き合ってすぐはダメってロビンお父様から…」
「なんでそこでダディが」
「ケビンくんならそうするっていってたもの、それに私はほかの女の子みたいにされたくないもん」

それを言われてしまえば反論は出来ないと思いつつそれ以上に父との付き合いが個人的にあるのかといえば彼女は「そりゃ私はケビンくんの許嫁だもん」と笑った、その言葉に彼ははぁ…と小さなため息を零しては否定が出来ずに「我慢するよ」と返事をした
白百合のブーケを片手に手を繋げばふと彼女がケビンの手に何かをつけては笑った為思わず見つめればそこには自分がかつて渡していたおもちゃの指輪が左手薬指の第一関節に苦しそうにはめられた

「これでケビンくんは私の正式な許嫁だ」
「…そう、だな」

もうお互いに許嫁だなんて言わなくても大丈夫な年齢だろう。と思いつつも彼は彼女の絡められた指を感じてはサイズを考える
おもちゃの指輪ではなく、ちゃんとした石のついた自分の想いを伝えるための指輪を送るために。