テレビの奥で一人の男がカメラマンや記者たちに囲まれてインタビューを受けている
NBAの日本人選手の中でも群を抜いて人気と実力がある男、流川楓だった、一人の記者が興奮気に問いかける「普段の食生活は」なんてちんけな質問である
けれど珍しくインタビューに彼は答えた

「嫁さんの手料理しか食いません」

その時流川というプロバスケットマンは無口無表情だが実は結構な愛妻家なのでは?と、そう答えた流川は早くもインタビューから逃れてしまったのだった



部活のない日は一日がつまらなく感じると流川楓は思った
テスト期間が近くなると赤点については比較的厳しい湘北は部活動が全体的に休みになってしまう、そしてそんな一日は非常に長く思えて気付けば授業とホームルームも終わって夕方になっていた
立ち上がって帰るかと教室を出て歩き出した時ふと遠くからいい香りがした、まるでそれに釣られるように足を進めていけば第2家庭科室に到着した
女子が1人エプロンをつけて料理をしている、普段ならばどうでもいいと無視して帰る予定だったが思わずドアを開けてしまえば彼女の視線が自分に向けられる

「…部活休みだけど」

正直気まずさはあった、見たこともない女子で興味もない家庭科室、ただ食欲につられただけで何を言えばいいのか分からず思わず注意に似た言葉が飛び出てしまう

「個人的な趣味で借りてるから大丈夫だよ」
「そ…すか」

とは言ったものの鍋の中に入っているビーフシチューを見ていればぐぅ…っとお腹が小さく鳴いた、目の前の女子はそれを聞いたあと流川を見上げて小さく笑いながら「お腹すいた?」と声をかけるものだから頷いた
椅子に座らされれば目の前の女生徒は手馴れたように出来上がったビーフシチューを皿に盛り付けて自分用であったのか生ハムのサラダと小さなロールパンが置かれていた

「これだけあると晩御飯食べれなくなるかな」
「大丈夫です」
「そっか、私2年のミョウジナマエきみは?」
「1年流川楓」
「……あっバスケ部か」

何かを理解したように彼女はだから大きいのかァ彩ちゃん言ってた子だよねと独り言を話し始めた、その間に目の前に置かれた食事に両手を合わせれば彼女は改めて目の前に座って観察をし始める
大きな牛肉を口の中に含めば柔らかくそれは口の中に溶け込んでいき初めて人の手料理で美味しいと感じたのは初めてだった、腹が減った時くらいならと女子からの差し入れも受け取る時はあるが大抵不味くはない程度だったが目の前のナマエの料理は違った

「うまいっす」
「本当?よかった、別に部活でここ借りてる訳じゃなくて趣味で借りてるだけなんだ」

正直流川にとって会話は得意では無い、けれどナマエは特に気にした様子もなく自分のことを話してくれた
この学校には料理で有名な家庭科の先生がいてその人に教えて貰っていると、将来的には食に関わる仕事をしたい、美味しいものを食べるのが好きだし作るのも好きだけど食べてもらうとなおのこと嬉しい。と熱く語っていた、普段ならば他人の声など雑音でしか無かったが彼女の声は心地よかった

「また食いに来ます」
「うん、待ってるね」

腹が満たされて満足した体で学校を後にする「ミョウジナマエ先輩」と1度心の中で復唱して名前をよく覚えた
それから流川は放課後部活以外の時間や部活後など時間があれば時折家庭科室に顔を出した、人の少ない時間故に2人だけの時間は心地よかった

「今度試合だよね、差し入れ持っていこうか?」
「来るんですか」
「家の近くだし顔出すくらいだけど」
「…待ってる」
「おーかわいい後輩のために頑張るよ、甘いものいけるっけ」
「ほどほどなら」

楽しみにしてなよ。と笑う彼女が椅子に座る流川の頭を撫でた彼女からしてみれば流川は大人しい大型犬のようだった
いつだってお腹を空かせて食べさせれば凄く満足そうな顔をする、さらに言えば食事中あまり分からないが美味しそうに食べてくれるのだ、特に美味しいと目を少しだけ大きくさせるのが子供のようで可愛らしかった、これが所謂母性本能と察して理解すればますます後輩である彼が可愛く見えるもので新しいレシピを覚えて技を広げるのが楽しくてたまらなくなった

そして土曜日
湘北高校も人気なんだとバスケに疎いナマエはハァ…と感心した、そもそも陵南高校との試合だと言っていたため学校の友達も見に行くと言っていたなと今更ながら思い出す
差し入れのポカリやらお菓子やらが重たく感じるもので足を進めていく、試合の開始時間から少し遅れての到着であり関係者として通してもらい普段来ないバスケの体育館の中を歩いて湘北コートに出れば見知った友達がいた

「遅れてごめんね、これ差し入れのポカリとか」
「重かったでしょ、ありがとう」
「うぅん、それより練習試合とはいえどう?」
「相変わらずよ…ってナマエにいっても分からないでしょ」
「バレましたか」

仲のいい彩子の言葉に苦笑してベンチに座る仲間達に冷たいスポーツドリンクを渡す、滅多に会うことの無い監督の安西先生にもしっかりと挨拶をすればつま先から頭のてっぺんまじ見られ優しく微笑まれ「あぁ君が流川くんの」と言われる始末ではて?どういうことだ?と頭を少しかたむけた

「先輩来てたんすか」
「こんにちは流川くん、これ差し入れのはちみつレモン」
「…うま」
「オレンジも少しだけ入ってるから甘さも多めかも、ポテサラとかにも入れると美味しいんだよね」
「ポテサラ」
「今度作るからそんな目でみないでよ」

意外と流川は食いしん坊なのか彼は食べ物のことを言うとじぃっと見つめてくる、それは言わずもがな食べたいということらしく作って出すと彼は満足そうな顔で食べていくのだ
汗だくの中作戦会議をしつつ2.3口みんなが食べたあとまたコートに戻っていく、ナマエはスポーツとは無縁の世界にいた、どちらかといえばドン臭く運動神経は悪い方だった為ドリブルをして走れるだけですごいと感じられるようなものだった
いつの間にか40分が過ぎて試合はあっという間に終了して1点差という僅かな点差で勝利を掴んだ湘北は満足そうな顔をしていた

「お疲れ様、流川くんこれ余ってるけど食べる?」
「たべ「おー、いいな流川彼女の手作りか…んっ。めちゃくちゃうまいな!」

流川の声を遮ったのはチームメイトの誰でもなかった、相手チームのエース仙道彰である
あっという間に大きなタッパに入っていたはちみつレモンが全て消えていき満足そうな彼は自身のお腹を撫でた

「いやぁ試合終わりに美味かったご馳走様です、君が作ったの?」
「えっあぁはい」
「へーこんなかわいいマネージャーもいたのか、ずるいねぇ」
「私マネージャじゃなくて」
「じゃあ流川のコレ?」

そういってニヤリと笑って彼は小指を立てるものだからナマエは思わず間抜けに口を開けて仙道をみつめていればいよいよ怒りに満ち溢れた流川と他の食べれなかったメンバーに追い出されていってしまった

「本当美味しかったよありがとう」
「いえいえ、お口にあって良かったです」

最後にそう返事を伝えれば彼は優しく微笑んでいってしまった、最後まで番狂わせな男だとみんなが口々にいうなか流川はナマエの手を掴んでいた
ゆっくりとチームメイトが着替えや片付けをしてる中2人はそこに立ち止まっていた

「一緒に帰る?」
「うす」

そうじゃないだろうと皆が思ったがまぁいいかと無視を決め込んだ
手元の荷物のなくなった状態で入口で待っていれば最後に大きく挨拶をした湘北のメンバーはそれぞれわかれていく
真っ直ぐと流川がこちらに来るかと思いきやあっという間に親衛隊やら女子ファンに囲まれる彼の姿にナマエは呆気を取られてしまう、すぐに来るかと思ったが様々な場所で名を知られている彼を簡単には手放さないと腕を掴む者もいた
ナマエはようやく流川が自分と同じ世界の人間ではないと理解して思わず先に逃げ帰ってしまった

1人だけの家庭科室は静かだ
レシピを見ながらどうアレンジをしたら美味しくなるのかを考えつつ手を動かす、料理をしている間は何も考えなくて済む
グツグツと煮込まれていく鍋を見ながら流川のことが頭に流れる
あの日からずっとだ、彼のことばかりを考えて上手くいかないことばかりで料理も何故かレシピ通りなのに美味しく感じられずにいる、ついに舌までバカになったのかと自分に呆れてしまう始末だった
ガラガラとドアの開く音が聞こえて思わず顔をあげればそこには流川がいた

「あ、流川く…ぇ…ぁ、なに、なんか怒ってます?」
「…怒ってる、どうして1人で帰ったんです」
「それはその流川くん忙しそうだったから」
「待ってろつったろ」

そんなこと言われたか?言われてないぞ。などと思っていれば彼の手が伸びて軽く額にデコピンをされる
女の子に手を挙げるとはなんという男だと叱りつけてやろうとすれば彼は「どあほう」と少し拗ねた子供のような顔でいった

「……カレー食べる?」
「食う」

食い気味に答えた彼にカレーとタマゴサラダを渡してやれば部活終わりだったせいかガツガツと食らいつかれ、空になった皿を渡され口いっぱいに頬張った彼は「ほあわり」というものだから思わず声を出して笑ってしまう
彼は可愛い高校一年生でしかなかった、そしてそんな彼に恋をしているのだとナマエは無性に納得した

「もうないよ」

3杯目を入れたあとそう告げれば彼は少し残念そうな顔をした

「こんなに食べてくれてよかった、ありがとね流川くん」
「楓」
「ん?」
「楓って呼んで欲しい」
「流川くんのこと?」

空っぽになった鍋を洗っていれば隣のシンクに流川も立った、自身の使った皿を洗っていく手は意外と慣れているようにみえた
なんの返事もない彼の言葉は肯定でしかないのだろう

「楓」

短くその綺麗な音の名を呼べば彼はみえない尻尾を振っているように見えた
思わず2度3度同じように名前を呼べばもうすっかり外の暗くなった家庭科室で彼の声が響く

「ナマエ」

その瞬間に胸がまるで燃えたように熱くなった、まるで火事のように胸が燃え上がってしまい呼んでくれた相手をみつめてしまう

「アンタにだけは名前を呼ばれるのも話されるのも気持ちいい」
「る、かわ」
「これからずっとアンタの飯が食いたい」
「それは」
「だめか」



本日の夕食は焼き鮭 だし巻き玉子 納豆 きゅうりの塩漬け 味噌汁 ご飯 です
そういってテーブルの上に並べられた食事にはアメリカにいるというのを忘れさせる程の完璧な和食だった
テレビをつければ今日の試合が再放送されており、丁度終わり際のインタビューだった

「楓くんこんなこといったの?!」

きゃーきゃー騒ぎながらも丁寧な箸使いで夕食を食べる目の前の女性を見つめた
あの日から対して変わらない見た目だがひとつ変わったことは料理の腕がぐんと上がったことだろう、あれなら調理師管理栄養士は勿論フードコーディネーターにパティシエ挙句の果てにはソムリエにバリスタに販売などの資格まで取ったナマエは海外にきてからも料理の腕を磨き続けている、それは夫の楓同様だろう

「嘘じゃないだろ」

そう言いながら本日3杯目の白米を食べた彼はお椀をナマエに差し出した
ぶつくさと何か言いたげなナマエが小さな独り言を漏らしていくのを楓は耳に入れずに夕飯を食べながらいう

「俺の胃袋を掴んだんだ、死ぬまで離すなよ」
「反対に私から離れられるの?」

ムッとした表情の彼女がそういうものだから思わず楓は笑みがこぼれて小さく笑いながら告げた

「いや、無理だ」

そういえば彼女は少し恥ずかしそうに、けれど満足そうな顔をし空になったお椀に愛情と同じほどのご飯を入れた