それなりに上手くやれてると思うのは大抵やれてない側の意見だ
目の前に出された封筒の中の書類を広げては向かいに座る彼女は「私はもうサインしたから」という、書面の一番上に書かれた文字は"離婚届"という短な文字でありプライスは手に持ったサインペンを握り直した。
「今から帰る」
電話越しに伝えた言葉に彼女はいきなりなのね。と困った振りをしつつも嬉しそうに夕飯は何がいいかと聞かれることをプライスは幸せだと感じていた、新婚生活もままならない人生でも帰る度に妻である彼女は暖かく出迎えてくれるのだ
「雨降ってたのにそのまま帰ってきたの?びしょ濡れじゃない」
「お前に会いたかったっていえば満足か?」
「そんなお世辞言えるだなんて仕事のせいかしら」
「よく言う、俺は昔から言ってたつもりだぞ」
本当は口にはしてはなかっただけだと抱き締めて濡れた髭を押し付ければ彼女は無邪気な子供のように笑ったものだった。
交際期間は多少の時間があり、知り合いの紹介から知り合った彼女とは上手い付き合いをしていた、軍人と付き合うということは孤独が付き物でも会う度に彼女はプライスを笑顔で迎えて優しく受け入れた
「寂しい思いをさせるのはわかってる、それでも君となら人生を歩みたいと思う」
それが出来るのが退役後の老後の人生だとしてもだとプライスが伝えれば彼女は目を細めて嬉しそうに笑った、寂しいのは今だって変わらないけど夫婦となれば少しは寂しくなくなるかもと
結婚記念日、誕生日、クリスマス、新年、祝い事が出来たのは両手で数えられるかどうか怪しい程でいつの間にか彼女の誕生日を思い出すのは数日過ぎてからのことで、自身の誕生日でさえも彼女からの「おめでとう」の一言からだった
「ねぇジョン心配しないで?この書類にサインをしても私たちの関係は何も変わらないわ」
いままでと同じだという彼女の一言は慰めなのかもしれないが残酷な程に冷たくも感じた、それはも今でさえ冷え切った関係だといわれているようであり、実際プライスはこの夫婦関係が他の夫婦と比べても良好でないことは理解していた。
周りが離婚や不倫などといったパートナーの問題を耳にする度に彼とて他人事でないことを理解していても、それなりの年齢を重ねた以上はそのままの変わらぬ-たとえ冷めていたとしても-夫婦関係が続くのだと思っていたのだ
「何も変わらない…か」
「ええそうよ、同じ家じゃなくなるだけ」
数ヶ月開けた埃まみれの家になるというだけだと頭の中で呟いた、彼女との生活でよかったところは自分がどれだけ家を開けていても埃まみれにならないところだ、いつ帰っても綺麗に整えられた花の飾られた部屋に帰ってこられる、それがどれだけ幸福な事なのか彼は理解していた
「眠れない夜は嫌でしょう?」
胸を裂かれた気分である、同じベッドで眠れないことも彼女は知っていてそれを追求してこなかった、休みだからといって家にいても何をする訳でもなく飲みに行く自分と変わらぬ生活をする彼女はまるでルームシェア相手よりも冷めていることを気付いてはいたがそれが自分たち夫婦の関係性だとも思っていたのだ
「寂しい思いをさせてたのか」
思わずプライスはそう問いかけた、静かな家の中は二人の呼吸音さえ響くように感じられるほどで書類から彼女に視線を移せば彼女は唇を噛んだ、それは昔から彼女の癖で嘘や核心を突かれた時のものだ
何度か噛み締めたあと彼女は「…かもしれないし、そうじゃないかも」という、意味がわからないとプライスはみつめた
「寂しいなんて気持ちもうとっくに消えてると思っているから、先の未来を考えてなんだと思う」
貴方を嫌いになった訳じゃないそれどころか申し訳なさすら感じている。
残酷な彼女の言葉にプライスはハァ…と溜息をこぼしそうになる、どうしてこうなったのか分からなかったが彼女の言葉の意味は理解出来てしまう
このまま定年を迎えて退役したところで二人の未来は何も変わらない、ただ同じ住所で夫婦という関係になっただけの男女、そこには生活も何も無いただすぎる時間を眺めるだけ、そんなものに意味はあるのかと問われれば互いに利己的故に理想だけを語りはしない
「こことここにサインを、提出は私がするからそれだけでいい」
裁判が必要なら考えさせて欲しい、黙って働いていたからそれなりに収入があるし財産を半分にするなら少し時間がいるけど弁護士を挟めば簡単に終わるし…と淡々と告げる彼女の言葉は右から左に流れて、テーブルの上の彼女の手を眺めればそこにはもう指輪はなかった
「本気で終わりなのか」
プライスは彼女の手に自分の手を重ねて呟いた、祈りに似た言葉だったかもしれない、本当はこれは夢で自分がみている悪夢じゃないのかと思えた
けれど彼女はプライスをしっかりと見据えて告げる
「最初から始まってもなかったのかも」
顔を伏せて彼女は「サインを」と告げる、彼女の細い手とテーブルの上の紙を見比べてプライスは黙りこくってもう片手で握っていたサインペンを握り直した、どれだけ恋しくても二人はもう戻れないのだから仕方がないと言い聞かせながら、それでもまだその左手に指輪をと…考えてしまうのだった。
2025.0303
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