プロローグ
『おばけちゃん』
甘い声で呼ばれる度にまるで首の裏をくすぐられた様な感覚になる、周りは自分に対して死を連想する中で彼女の呼び方はまるでマスコットキャラクターのようなふわふわとかわいい子供じみた呼び方だ
声と同じくらいに甘い彼女のバニラの香りが好きだと感じるようになったのはいつからだったか、全くもって覚えてはいないほど自然に彼女を好きになった
『今日は買い物に行きたいからお昼寝から起きたらモールに行きましょう」
新しいブランケットと枕が欲しいしクッションも買わなきゃ。といって髪を撫でる彼女の広い太ももを枕にして薄目を開ければいつも笑っているように見えるほど目尻の垂れたその目と視線が絡み合う
『おやすみなさいサイモン、ゆっくり…ゆっくり…休んで』
そしてここに帰ってきてね。
「ッッ」
「ようやく意識を戻したかゴースト!」
「悪いっクソ、どういう状況だ」
「言うなりゃいつも通り楽しく俺たちは絶体絶命って感じだな」
夢の中とは違う、目覚めた現実はヘッドホンがなければ耳が壊れそうな程の騒動であった。
追い掛けていたターゲットとの正面からの抗争、投げられたフラッシュボムと丁度防弾チョッキの上から撃たれた数発の銃弾の衝撃により僅かに意識を手放していたゴーストは夢見心地もすぐ様終わらせて手に馴染んでいたハンドガンを握り直してはソープの傍から応戦した
「いい夢でも見てたか?苛立ってるぞ」
「最高の夢だった」
「どうせまたコーヒーを飲んでたんだろ」
あの子の店で…という言葉に「美味かったよ」と返事を返せば軽い笑いが帰ってくる、早く終わらせて飲みに行かなきゃな。と言葉が返った
戦場の幽霊と呼ばれる程のゴーストには帰るべき場所があった
以前では有り得ないといえたかもしれない場所、それは自分の家庭だ、敵の武器を拾ってマガジンを変えながら今頃彼女は何をしているのかと考えては目先のことに集中しなければならないと言い聞かせる、浮かれたくなる気持ちはあるものの無事に帰らなければ求めたものは得られない
サイモン・"ゴースト"・ライリーにとって
ケイト・バニー・バニラは
この世で唯一、彼の家であり、家族なのだから
◇◆◇
「ハロウィンはもう時期が過ぎましたよ」
十二月に入ってすぐの頃だった、立ち寄ったコーヒーショップの店内はもうクリスマスムードであり、それはこの街全体だが、店員は頭にサンタ帽を付けていたからこそゴーストは尚のことクリスマスだと感じた
「エスプレッソを一つ」
素っ気ない返事かもしれなかったがゴーストからしてみればコーヒーを飲みに来ただけであり、この店ともこれきりの縁だと感じていた。
目の前の女は彼の注文を聞いては「2ポンドです」と特に気にした様子もなく言った為彼は会計を済ませてはレジの前でコーヒーが出てくるのを待っていた、昼下がりのコーヒーショップの割には人は落ち着いている…というよりも彼以外誰もいなかった
「(いいケツだな)」
自然とその女性店員に思ってしまったのはそれなりに彼の好みには合う女性だったからだ、彼だって男でそれなりに下世話なことは口にせずとも考える、黒いマスクの下で真一文字の口をしては店内に流れるクリスマスソングを聞きつつ店内に響くコーヒーメーカーの動く音を聞きつつ彼はこの静かな街を店内から眺めた
昼を過ぎてティータイムにしてはまだ早い時間帯である故か店内には誰もいない、シンプルといえば聞こえがいいが必要最低限の店内は今どきの経営としては上手くいくのだろうかと余計な心配をしている頃カウンターに小さな音を立ててトレーが置かれた
「頼んでないぞ」
「サービスですよ」
「甘いものはあまり得意じゃない」
「今どき男の人でも甘いものは食べますよ」
何なんだとこの女に彼は苦言を呈したかった、ゴーストはあまり利用する店先で店員に話しかけられることは好まなかった、服を選ぶ時に声をかけてくる店員がいる店は極力避けたいほどで今目の前の女は愛想良く話しかけているが彼は得意としない、しかし好意を無下にするのも若干の罪悪感があると感じつつコーヒーの横に置かれた一人サイズのブッシュドノエルを仕方なく持っていくしか無かった
「全く変わった店員だな」
そう呟きながらも悪い気はしなかったのは何故かと考えて外を眺めればチラチラと白い雪が微かに空から落ちた、珍しいこともあるものだと眺めつつ淹れたてのコーヒーを飲めばコーヒーメーカーの割には悪くは無いと彼は思いつつトレーの上を眺めた
ブッシュドノエルはまだゴーストを見つめ返しているように鎮座している
クリスマスにケーキに家族、そんなものはとうの昔に彼の手から離れたもので何年ぶりにこんなものに手をつけるのだろうかと彼がフォークに手を伸ばす前に、ふと伸びてきた手がブラウンカラーのケーキの上に乗せられたいちごを奪い去った
「遅刻の上に盗みか?中々上等なことをしてくれるな」
「道が混んでたんだよ、こんなものを頼んでるとは思わなかったがな」
彼に声をかけて現れたのはソープだった、同じチームの一員であり背中を預けるには十分な男だ
彼はいちごを飲み込んでは「甘い苺だ、いいのを使ってるな」と楽しそうに言うもので、例え彼の口にあったとしてもゴーストはこれを楽しめなかったので分からない。といえば彼は「そんなに食べたかったのか」とからかうように笑った後にコーヒーを買ってくると言って席を離れた
店内から見える景色は在り来りな街で歩く人々は穏やかなものだった
人々の生活が普段通りに存在して、目に見える度にゴーストはこの世に悪いことが全て無ければいいとさえ思えてしまう程暗い世界に足を踏み込んでいた
久方振りの休みだからと難しいことを考えないようにフォークで掬ったケーキを口の中に含めばやはりそれは甘いもので彼の心を包むようだった
「コーヒーをひとつ」
「2ポンドね、あの人が例の友達?」
「イかすだろ?」
軽口を叩くソープの言葉がゴーストの耳に入るのは店内に彼ら以外の客が居ないせいだった、知り合いだったのかと感じていれば二人は友人のように会話を楽しんだ。
確かにイケてる噂通り、でも俺の方がイケてるだろ?、冗談は髪型だけにしてよ、ひでぇな本気の言葉なのに、はいはいそれなら私はミス・ユニバースに入れるわよ、そりゃあ否定はしないな、あら優しい、だろ?それじゃあ俺にもケーキを、コーヒーとセットでえ〜っと、金を取るのかよ!
騒がしいまるで旧来の友人のような、学生のようなじゃれていた二人のやり取りな珍しいような微笑ましいような気持ちで眺めている間にソープは注文を終えて戻ってきてはテーブルの上にコーヒーとジンジャーマンクッキーの乗ったトレーを置いた
「ダイエットか?」
「ケーキは品切れだって」
「そりゃあ残念だったな」
空になった皿を差し出してやればソープは口先を尖らせて皿の上のクッキーを食べて直ぐに「うん…美味い」と満足気に笑顔で呟いた
先程用意されたブッシュドノエルもだがこの店のフードメニューも中々に悪くは無いのだと感じつつ残り少ないコーヒーを飲んでは外を眺めた、同じように雪の降る外を眺めてはソープはゴーストに言った
「いい街だろ」
「あぁ、そうだな」
自分には縁のない場所だとゴーストは思いながらも僅かにカウンターの奥の女を見た、彼女は誰も客が来ないからと赤い毛糸を伸ばしては編み物をしている、店内はクリスマスソングが流れており小さなツリーはピカピカと光っていた、季節を感じるなどいつぶりかと彼は感じながらそのコーヒーを飲み干す頃バニラの香りはほのかに店内に広がっていた。