六月

当たり前の光景だ、爆発物に巻き込まれて吹き飛んで死ぬ事も隣で話していた仲間が突如スナイパーに頭を撃ち抜かれることも、何の変哲もない日常だ
ゴーストにとってそれが当たり前の光景で、例え自分が食事をしていようと銃口を突きつけられて戸惑うことは無いし仲間が拷問に掛けられていても冷静な対処をすることが出来るのだ、けれどそれが精神的疲労にならないかと言われればそうではない、彼も善良な人間で愛国心があり仲間に対しての情もある、正義と悪という二極化されたものを知っている、けれど彼はどちらにも所属出来ずに黒寄りのグレーの場所に立っているのだ、そうせざるを得ない

141の連中は所詮ほかの奴らを駒にしか思っていないんだろう。

そう罵倒されたとしても否定は出来ない、任務が第一優先であるのは誰も皆同じだろう、けれど今回ばかりは犠牲者が多かった、別部隊と共に挑んだ任務だが半数近くが帰らなかったのだ。
仕方ないことだとしても誰かしら責任を押し付けたがり、足を止めずに進めというゴーストの言葉をどうしても許せなかった協力部隊の一人は彼を冷血漢だと告げた

『あんた達はいつも誰かを犠牲にして家に帰ってるんだ』

言い過ぎだと仲間に宥められたその男にゴーストは何も言い返せなかった、夢を見るのだ、足元を埋め尽くす死体達を、一般人も兵士も家族も恋人も全て関係ない、彼の足元には死体があるのだ、生きている以上その山の上から足を退けることは出来ない、そうした時人は寂しさを感じその心の穴を埋めるために行動するのだ、肌を求めようと…

ゴーストは恋人を持つことは無かった、それは彼が特殊部隊員であり極秘任務ばかりを請け負う故に万が一がパートナーにあってはならないからである。
過去に愛した女はもちろん居た、人々が考える結婚して夫婦という最上の幸せも夢に見た事があるが彼には出来なかった、してはならないと知っていたのだ。適当なホテルから電話を掛けて三十分後、部屋がノックされドアスコープを覗いた先には女が一人、ブルネットのピッタリとした服を着た女はスマホを片手に立っていることを確認してはドアを開ける

「こんばんは」

低い男を誘う声にマスクをつけた彼に隠せぬ好奇心を含んだ艶めかしい視線を向けては慣れたように部屋に入りカバンとジャケットを備え付けの椅子の上に乱雑において振り返る

「シャワー?それともスグに?」

時間の説明をする彼女に150ポンドを手渡せば彼女はしっかりとそれをポーチに入れる

「そのままでいい」

女の肌に触れ衣類を脱がせては現れる白い肌、細いその躰を撫でてはどこか物足りなさを感じた、ベッドに互いに横になり傷んだブルネットの髪が広がる時ふと違う女を頭の奥で思い出す、赤いリップの唇は魅力的なはずだというのにグロスのツヤが足りないと感じ、風でも起こしそうな睫毛は重たそうであり、頬を撫でられ唇を寄せられては香る女の匂いは全く自分の求めたものとは違った

『おばけちゃん』
「悪いが今日は終わりだ、金を持って帰ってくれ」

頭の中に響いた声に思わずゴーストは思わず女の身体を突き放しベッドに腰かけてそういえば女は文句を言うものの別でチップを手渡せば渋々と部屋を後にされる、どうして彼女が浮かんだのかと考えた
甘ったるいバニラの香りに触れたことも無いはずだが分かる柔らかい躰、その躰を暴きたいわけではなかった、ふしだらで下世話なことを考えたとしてもただ静かに話をして食事をすることがゴーストにとって心地よいものだった、あの日が何よりも彼にとって心地よかったのだ。

「ケイト…ケイト・バニー・バニラ…」

一度もまだ呼んだことの無い彼女の名前を呟いてはベッドに寝転がり瞼を閉じた、彼女は店の中でコーヒーを淹れていた、顔を上げては店の中に入ってきた自身を見つめては微笑むのだ

『おかえりなさい』

◇◆◇

気付けば車を走らせていた、ロンドンからあの街にかけてたいした時間は掛からない、外は雨が静かに降り始めていたがそれも気にせずにアクセルを踏んだ、彼女に会えると保証されているわけでもなく、さらに言えば二人は恋人でもないのだから何かを求めることは間違っていることを理解していても今のゴーストはあの店を一度目に入れるだけでもしたかったのだ

「まだ開いてるのか」
「おかえりなさい、締めの準備をしてたの…雨降ってるのに傘を持ってこなかったの?」
「このくらいの雨で傘を差すイギリス人はいないだろ」

カランカラン…と看板もみずに暗い店内に向けてのドアを開ければそこには女が一人電気も付けずにカウンターの中でスマホを触っていた、彼女は顔を上げては変わらぬ顔で普段通りの挨拶をしては彼を見て立ち上がり奥からタオルを片手に現れては差し出した

「風邪をひくから拭いて、コーヒー?紅茶?」
「紅茶がいい、とびきり熱いものを頼む」
「お腹は空いてない?」
「平気だ」

それならよかった、私今さっきまかないを食べたばっかりなのと告げて行こうとする彼女の背中に思わず腕を回せばバニラの香りが広がった、思っていたよりも細く、けれどやはり女性らしく肉付きはよく心地よいもので彼女の表情は何も見えなかった、ゴーストは何も言えずにこの行為が本能的なものだと理解していた、振り返った彼女に思わずマスク越しに顔を寄せようとすれば簡単にそれは人差し指で犬を待てするように止められてしまう

「カップケーキがあるの、チョコレートがたっぷりなやつ、丁度デザートにいいから食べましょっか」

明るく笑った彼女はするりと腕をすり抜けて通り際のカウンター椅子を叩いた、座れという意味だった、ゴーストは冷静になり自分がとんでもない犬だということを感じては気恥しさに消えてしまいたくなりつつも彼女は何も言わずにカウンター用の小さなライトを付けてはお湯を沸かしてカップとソーサーを温める間もスマホを弄っていた

「ごめんね、オーナーとやり取りしてて」
「気にしないでくれ、店終わりに押しかけた俺が悪い」
「最近売り上げが良くてね、やっぱりこの近くの大学の新入生が今年は多かった影響かな」
「そうなのか、この近くの大学は意外と人気らしいな」
「学校自体は…だけど教授がいいんですって」

私は大学に行ってないから分からない。と笑う彼女が砂時計をひっくり返してはゴーストが来なかった間の近頃の街の様子を教えた、約三ヶ月程だが四月を過ぎれば若者が入れ代わり立ち代わりであるのだという
この街に来る前に調べていたゴーストもこの街が学生にはいい場所だということは知っていた、そのため遠方から一人暮らしまでして来る若者も多く静かだが活気溢れる街だ
ちょうど砂が落ちきれば彼女は温めていたカップに紅茶を注いではソーサーに置いてゴーストにカップケーキと共に差し出した、その隣に同じものを用意しては手を洗い自然と腰を掛けては手掴みでそれを頬張った

「見苦しかった?」
「いや、俺もそうしたかった」

無言で前を見つめてカップケーキを口に含んだ、チョコチップがたっぷりと入ったそれはまるで子供の頃食べたお菓子のように甘くてジャンクに感じられた、丁度一緒に淹れた紅茶の香りを嗅いではカモミールだと気付く

「リラックスに安眠、それに美肌の効果もあるの」
「そんなに酷い肌をしてるか?」
「乾燥気味って感じ保湿した方がいいかも、それに寝れてないというか疲れた顔をしてる」

簡単に言い当ててくるのだと感じた彼は最近あまり夢見心地も良くないんだと零せば彼女は静かに頷いた、仕事の話をする気はなく彼女も余計な詮索はしなかったものの眠れそうにはなかったゴーストは彼女に「今晩だけ一緒に寝てくれないか」と何故か自然と提案していた、外の雨が強くなる中でもその声ははっきりと店内に聞こえており、彼女は真っ直ぐとゴーストを見た

「セックスはしない。それが条件なら」
「男の家に来るのにか」
「男女だからこそちゃんと線引きをしなきゃ、私たちは客と店員で少し先を行ったお友達」

自己紹介もしていないでしょ?と顔を覗き込んだ彼女にそういえばそうだとゴーストは思い出した、人伝に聞いた名前を何度も胸の内で呟いたが彼女からは聞いていないからと「サイモン・ライリーだ、ゴーストと呼ばれてるが好きに呼んでくれ」「私はケイト・バニー・バニラ、みんなは私をバニラって呼ぶ」と互いに挨拶を交わした

「ケイト…」
「なぁにおばけちゃん」
「これは手作りか?」
「そう、なかなか好評なの」
「だろうな」

最後の一口となったカップケーキを口の中に放り込んでは二人は片付けをして早々にゴーストのセーフハウスに向かった
互いに驚く程に無言だった、エレベーターの中も廊下も部屋に入ってすぐのビーズのれんに対しても、しかし彼女はカウンターの赤いマフラーをみては「まだここにあったんだ」と笑った為この部屋に彼女がいるのだとゴーストは感じた。

軽く濡れた彼女にタオルを差し出してはシャワーを案内してやれば彼女は特に何も言わずにそのままシャワーを浴びた、聞こえてくる音に緊張感を味わいつつもどうして自分は彼女にこの頼み事をしたのかと悩んでいる間に彼女は戻ってきていた、髪まで洗ったらしい彼女にドライヤーはないことを告げれば予想通りだと笑われてしまい彼女の後を続いてシャワールームに向かった。

部屋に存在するバニラの香りは心地よいものでそれはこの街に帰ってきたと感じられるものだった、シャワーを浴びつつ数時間前まで自分は欲を吐き出すために女を買っていたのになんという事なのかと彼女に言えぬことを感じつつ一頻り洗い終えて水滴を拭いリビングに戻れば彼女はまたスマホを睨みつけていた

「またオーナーか?」
「そう…今あの人旅行してるからこの時間の連絡が一番多くて」

ほら…と写真を見せられればそこには日本の建物らしい古風なものが映っていた「オーナーは日本が好きなの」と説明されては直ぐに納得してしまうもシャワーを終えたゴーストを見つめた彼女はテーブルにスマホを置いては「もう寝る?」と優しく子供に聞くように問いかけた。

一人にしては随分と広いベッドだった、それは元の持ち主が本来二人で使用する意図で買ったものだからだった、今頃元の持ち主は狭いシングルのベッドにいるだろうと考える頃ゴーストの手を引いて彼女はベッドに上がり込んだ
隣にただ並ぶだけだが二人分に沈んだベッドは心地よく、何度か来たこの部屋が今だけは彩りがあるように感じられるほどであった、優しく手を取られて指を絡めて天井を静かにみつめれば彼女は優しく「モールの中に新しいお店ができたの」と話を始めた、まるで日記を書くような、子供に物語を聞かせるような、なんてことの無い言葉であり、ゴーストはなんの返事もしなかった。
ただ彼女の言葉と声が心地よかったからだ、嗅ぎなれないはずの匂いだと言うのに彼女の甘いバニラの香りだけは何故か自分の生活に馴染みあるように感じられるほど自然に入り込んでは離れる度にその香りを考えてしまう

「新しい学生さん達はいい子たちでね、この間もお店に来ては映画館のチケットをくれたの」

ふと視線を向けた時、彼女はゴーストを見つめていた。

「眠れない?」

腹を満たしてカモミールティーを飲んだのに未だに眠れぬのは隣に女がいるからではなく夜が怖くてたまらないからだ、寝る度に夢を見る、親兄弟や仲間の死、自分が与えた全ての死がその身体にまとわりついていた、夜は悪いことを考えてしまうことを理解していた、ゴーストは何故自分がここまで弱くなってしまったのかと考えては目の前の女をみつめる

「抱き締めてあげましょうか」

横を向いた彼女がそういって腕を伸ばすせいだ、ゴーストは人生において甘やかされていると感じた、それはいい意味にも悪い意味にもなるものだったが彼を幼い少年のような素直さに戻してしまう
愛欲や性欲ではなく、ただ母に甘える様なそんな感覚であろうか
ゴーストは何も言わずに自分よりも小さな彼女に身を寄せれば彼女は優しく腕を回してゴーストの頭を包み込むように左手を下にして抱きしめて、右手で優しく背中をトントン…と叩いてやった

「この街はね、優しい人が多いのよ…貴方の心をきっと少しだけ柔らかくしてくれる、頑張り過ぎなんだよ貴方達」

国の為、仲間の為、家族の為、そうして自分を後回しにする人達はいつか壊れてしまうから何処かで自分を甘やかさなきゃならない。と彼女は静かに告げる、まるで何かを知ったような口振りの彼女に何も言えずに背中に腕を回した

「ケイト」

暗い部屋で名前を呼べば彼女は返事をしなかったが心臓の音は規則正しく聞こえていた、背中に腕を回せば今まで触れてきた女とは違う心地良さを感じたがそれは安心感だと彼は知っていた。

「おやすみなさいサイモン」

あぁおやすみ。

ふと…目を覚ましたのはカーテンを閉めていない窓が夜から朝にかけて明るくなる空とコーヒーの香りを感じたからだった。
寝ぼけ眼をどうにか擦りぼんやりとする頭を覚醒させては昨晩隣にいた彼女は居らず、しかしながらベッドの余熱はまだ僅かに残っていた
コーヒーの香りに釣られるように隣のリビングに行くものの彼女はおらず淹れたてのコーヒーとクロワッサンのモーニングが並べられていた、そんな材料は買ってきてなかったぞ…と思いつつ店で用意して持ってきたのかと考えてはゴーストは席に座りコーヒーを口にした

「身体が軽いな」

一体いつぶりにこんなに身体が軽いのだろうかと彼は身体を解した、夢は何も見なかったがずっと心地よい香りと温もりに包まれていることだけは分かっていた
ふとテーブルの隅に置かれた『おばけちゃんへ、帰ります食器は部屋に置いててね、ケイトより』と書かれたメモ用紙と僅かばかりの金に彼女は本当にしっかりとした女だと感じた、こうされてしまえばもう次は誘えないだろうに…と感じながら、一晩限りの夢だとしてもそれは悪くは無いもので雨はもう止んでいた、甘い彼女の香りを残して。

TOP NEXT