都会の気温は三十八度、もういっそ人の体温と同じ気温だ。
ほとんど山しかない半田舎(というのは都市部がほどよく近いし電車がある場所という意味)は相変わらずの静けさがある、ふと家の奥の塀から覗き見えた見覚えのある男性の横顔に息を飲んで、その男の足が一歩二歩三歩と進んで右に曲がって入口の大きな門を抜けてきては思わず声が大きく上がった。
「おかえり広くん」
渡辺広がこの家に来るのは実に五年ぶりのことであった。
彼は声をかけられるやいなや驚いた様子で縁側を腰かけるキャミソールにショートパンツ姿の女を見ては名前を呼んではにかんだ、それから彼は左手を上げて手に持っていた大玉の西瓜を見せつけるものだから、少しだけうなじに垂れた汗が喜んでいるようである。
凡そ十数年前に家を飛び出した祖父の友人の孫である彼は五年前、もう滅多にここには来られないと思うと言い捨てて出ていった、本来彼は実家を飛び出した頃から来ることはなかった上に、一年に一度程度しかこちらに会いには来なかった、彼の住む場所から考えればここは随分と田舎であり走っている電車も三両編成の錆び付いた電車だった。
タクシーで来ていたのか門の奥でタクシーが走り去っていくのを眺めたあと彼の手の中の西瓜を受け取って今晩食べようと告げた、祖父は二年前に床に伏せてしまい両親は相変わらず海外での生活からは戻ってこず一人でこの広い日本家屋に住んでいた、靴を脱いだ彼は丁寧に高さのある床に正座しては丁寧に靴を揃え直して、白い靴下で家の中を歩く。
ペタペタという彼女の足音と、
ギィギィという二人分の重みを受けて鳴る廊下の音。
それを聞きながら彼女はちょうど昼時だから素麺でも湯掻くから座って待つようにと居間に招いた、滲むような汗をかいた彼にタオルを差し出して西瓜を氷水の張った木の桶の中に入れて涼しい廊下に出しておけば蝉の声は少ないがますます夏らしい雰囲気を醸し出していた。
「変わらない感じ?」
「あぁこっちに来る予定で来たわけじゃないから土産を買ってこなかったんだ」
「下手な海外のお菓子より、西瓜の方がずっと嬉しいよ、一人で食べるには多いけど」
「俺も呼ばれるから平気だろ、真ん中の部分は仕方ないから譲ってやろう」
そういって彼は居間にある仏壇の前に静かに腰かけては線香に火を付けて静かに手を合わせた、祖父母の写真が並んで置いてあるその仏壇の前で永らく頭を下げる彼を盗み見た後に出来上がった昼食を机の上に並べては静かに声を掛けつつ何を話していたのかと問えば彼は「美味い西瓜を持ってきたことについて話してた」というものだから、本当に美味しいのから分からないのにと笑いつつ硝子皿で揃えた机の杖の素麺と簡素なおにぎりを見ては彼は目を輝かせるのはちゃんとした日本食が久方振りであるからだろう。
「料理が上手くなったな」
「素麺とおにぎりに上手い下手があるの?」
「握り方は美味い、麺の硬さも」
「そりゃあお褒め頂き光栄で」
褒め方が雑すぎるだなんて笑っていえば彼は本音だというから、それはそれで嬉しさが少ないような⋯と思いつつも飲み込んで、お昼のワイドショーを眺めてはつまらな過ぎて話題にもならずに在り来りな話をしつつ皿の中身を減らしていった。
幼い頃はよく顔を合わせて夏は遊んだものだが大人になった彼はそこいらの一般的な人間よりもずっと屈強な身体をして、半袖の袖から伸びた腕を見比べては筋肉の付き方を感じて彼女は力こぶのひとつもできない非力な自分の腕を眺めてしまった。
「食べて寝たら牛になるのに」
「じいさん達と同じことをいうな、こんな時間だしお前も少しは寝たらどうだ」
「私は別に⋯」
洗い物を終えて台所から居間に戻れば、今から続く縁側で彼は日に当たりながら横になっていた、白い肌は太陽の陽を浴びて白飛びしているように見えて眩しさに目を顰める、両手を枕にして仰向けに寝転がる彼は心地良さそうでほんの少し羨ましいと感じる彼女の頬を風が撫でると同時に縁側の縁に吊るした風鈴がそのまま寝てしまいなさいと言うように音を奏でた。
まだほんの少し濡れた手でどうするかと悩む間に彼の足が彼女の足の間に入って上体を起こしては彼女の左手をむりやり引いてそのまま固くて暑い場所に寝そべった、半分ほどは陰に隠れたことももあり涼しさはあれどやはり陽が肌を照りつけてこのまま寝てしまえば日焼けしてしまうと感じて、胸に抱かれる彼女は彼にもう少し部屋の内側に行こうと誘いかけては彼は仕方が無いと芋虫のごとく転がって日陰に入り込んだ。
ジリジリと照り付ける日差しで廊下が焼かれる時、彼女は従兄弟のような幼なじみのような友人のような知人である彼の胸に顔を寄せて抱き締められていた、ほんのりと香る彼の汗と洗剤の香りに鼻を押付けてみれば彼の長いまつ毛が影を薄く作って彼女を見下していた。
「ムッツリだな」
そういってからかう彼にそんなことは無いと文句をいえば楽しそうに笑われて全く三十路を過ぎた男のくせになんというからかい方かと感じる彼女の薄いキャミソール越しの背中を指で撫でる彼の方がずっとその言葉が似合っていた。
「お昼寝するんでしょう」
「そうだ、起きたら西瓜を食いたいしな」
「その頃にはよく冷えてると思うし、丁度いいね」
寝ちゃおうと二人はそこにあった火照る空気を夏の熱気のせいにして抱きしめ合って目を閉じた、彼女が彼の背に手を回す時、やはり最後に出会ったあの日よりもずっと鍛えられていてそして仄かにタバコの香りがしていた、彼の父親と同じような香りだと感じたがきっと気のせいだと目を閉じた。
子供のように西瓜の種を庭先に吹き捨てる彼を見て楽しいのかと問いかけたら、懐かしさだと思い出を語った、幼少期はこの片田舎で夏休みを共にしてよく遊んだものであるが近年の地球温暖化のおかげか昔よりも蝉の声は少ないように感じた。
寝て起きる頃にはじわりと汗をかいていたものの、氷が沢山入れられた麦茶を共に西瓜を食せば少しだけ気が紛れて、大きい割に随分と甘い西瓜である事にいいものを買ってきたのだと感心すれば聞き馴染みのある街のスーパーで買ったと彼は告げる彼に驚くものの、彼は甘くて大きな西瓜の選び方を教授した。
「それおじいちゃんに教えてもらったでしょ」
「知ってたのか」
「だって私のおじいちゃんが教えてたことじゃない」
「覚えてたのかえらいな」
全くもってすぐに子供扱いをするんだからと彼女は頭を撫でる彼の手を見てはその太い関節に短い爪をした彼の手は細かな傷が目に入り、思わず不安げにそれを見れば彼は気にした様子もなく彼女の頭から頬を撫でて唇に触れて口の端に付いた赤い水滴を拭ってやった。
昼寝も終えて三時のおやつも終える頃、今晩は泊まっていくのかと聞いた彼女は客人用の布団を確認する頃、客間の入口の襖にもたれ掛かる彼が散歩に行こうと言った、夕飯の用意の心配をするもののそんなに客人扱いせずともいいと言う彼の言葉に甘えてつばの深い日焼け対策用の帽子を被って流石に外に出るならばと簡素な半袖のワンピースに着替えて玄関口に行けば靴を履いた彼と二人、誰もいない少し田舎もどきの近所を歩く。
田舎もどきとは言うが都会に慣れた人間からしてみれば家の真裏に山があるような場所は田舎である、田んぼがありカエルやドジョウがいる場所は年寄りが住む場所であるだろう。
幼い頃と変わらぬ山の散歩道を歩けば日に当たるよりずっと涼しく、虫や草木の音が二人の耳の奥に響いていた。
「仕事一旦区切りついたの?」
「三ヶ月ほど休む間も無かったからな」
「怪我しなかった?」
「怪我してそうに見えるのか」
心配してるのに誤魔化してと彼女が呆れつつ山道を歩いていれば小さな川が見えてその道沿いに二人は進んだ、互いに汗が滲んで暑さに嫌気が差しそうだが自然の空気は心地よく、都会の喧騒から離れたこの場所はいつでも心地よい場所であり、足を止めた彼が近くに腰掛けるものだから彼女は暇を持て余したように川に近付いてサンダルのまま川の中に足を入れた。
「冷たくて気持ちいいから足だけでも浸かれば?」
「靴下が濡れる」
「別に乾かしたらいいでしょ」
「濡れたくないんだよ」
昔から少しだけ潔癖の気があったような気がした、回し飲みにしろ川で遊ぶ時に服のままであることも少しだけ抵抗をする彼に無理やりさせていたことを思い出す彼女は相変わらずではあるものの拒絶された気持ちになり悔しそうに思わず腰を屈めて掌でお椀を作ってはいつの間にかタバコを取りだして火をつけていた彼にますます濡らしたい気持ちが溢れて水を掛けてやった。
「火を点けたばっかりだぞ」
「そりゃあ、わるぅございました」
「今のタバコは一箱五百円じゃ買えないってのにっ!」
そう文句を言った彼はズボンの裾をまくって彼女に近付いては大きな手のひらに水を溜めて顔に向けて勢いよく掛け返した、服が身体に張り付いた彼女はやり返されたことに笑って子供のように彼に水をかけ返してはまるで二人は小学生の頃のような感覚であった。
小さく彼女の息が上がって降参の一言を申し入れる頃には彼女は川の中に腰を下ろして濡れていた、反対に彼は涼しい顔をして濡れた顔で彼女を見下ろして笑っては両手を重ねて最後の一発というように彼女の顔に水を掛けた。
「降参っていったのに」
「遅い、最後まで気を抜くな」
「戦場だったら死んでた?」
「かもな」
ふと彼の視線が顔ではなく首より下、彼女の上下する胸を見つめていた、水に濡れたワンピースはそこまで薄い生地ではないが濡れたせいで肌に張り付き彼女の下着をほのかに透かしていた。
浮いた下着の形をワンピース越しに感じる彼女は差し出された手に自分の手を重ねて導かれるがままに家に戻っては寝室に駆け込んだ、まるで待ち侘びていたように二人は足を縺れさせそうになりながらも寝室に入っては唇を奪った彼に答えるように彼のシャツのボタンに手を掛けた。
座ることすら億劫になって彼を壁に押付けてシャツから覗く肌に唇を置いて、荒い呼吸をしたまま彼の素肌を撫でてゆっくりと膝をついた。
「広くん」
外はまだ夕刻にもなっておらず太陽が顔を見せており、部屋の中は十分な明るさだったが彼女はベルトのバックルに手を掛けては程よく熱を帯びた彼のものを急かすように暴こうとしたがガチガチと鳴るだけで外れることは無かったものの眼前に伸びた手がベルトのバックルとファスナーを外し、現れたシンプルな黒一色のボクサーパンツの奥に潜むことも出来ないモノをゆっくりと取りだして赤黒いその肉棒で彼女の白い頬を優しく打った。
「ナマエ」
名前を呼ばれた彼女はまるで教えてきただろう?と問われるような声色に顔を上げることはなく手を添えて唇を添えて何度か繰り返すように口付けをして先端に唾液を垂らしてはそのまま果実を舐めるかのように陰嚢を舐めては左手で竿を上下すると頭を撫でられる。
微かに聞こえる彼の呼吸に夢中になって奉仕をして喉奥まで飲み込んでは彼を見上げると壁に背を着いた彼は一層深い溜息に近い吐息を漏らして彼女の髪を掴んだことに頭を揺らした、口腔内で硬く大きくなるそれはまるで生き物のようであり、いつも彼女は捕まえた魚のように元気に跳ねると感じた。
彼の汗が一筋うなじから垂れると優しく頭を二度叩かれて離れるように合図され、彼女が顔を上げると乱れた彼が妖艶に壁にもたれかかっており、彼の視線を感じては立ち上がり釦を一つずつ外していく、服の隙間から現れた日焼けのしていない素肌がヴェールを外すように現れて薄い黄色の少し子供じみた下着を顕に指せると彼は堪らずに汗ばんだ首筋に顔を寄せた。
「あっ」
気恥しさを感じるのは汗臭さを気にしたせいで、エアコンのひとつも無い部屋の中では扇風機もつけていないため空気が篭もるのではないのかと不安に感じた。
「広くんっ、扇風機つけよう」
「暑いのか」
「そこまでだけど、ん」
「じゃあいいだろ」
女心を分かってくれないと思いつつも強く言えずにまるで二人は社交ダンスでも踊るように足を絡ませて一、二、三歩と進んで床に転げた、ベッドは目の前だと言うのにそこまで上げてくれずに畳の上に転がされた彼女はされるがままにワンピースを脱がされてブラジャーをずらされる事に慌てて背を上げてホックを外しては腕を抜こうとするのを急かすように手伝われて下着を部屋の隅に乱暴に投げ捨てられる。
「この間買ったばっかりなのに傷んじゃう」
「なら新しいを買ってやる、もっと色気のあるやつだ」
「なに、それっ⋯子供みたいって、こと?」
「この歳で薄黄色の下着なんて着けてる女なんてあまりみないからな」
その言葉を聞いては彼女は口をへの字に固く結んでしまう、まるで彼の言葉だとほかの女を知っているようで悔しくて堪らないのだ、電話の一本さえくれない癖に突如現れて身体を求めるくせにと彼女が物言いたげにすれば彼は胸元に埋めた顔を上げては子の機嫌を取るように頬を撫でて顔を覗き込む。
「機嫌を直してくれ、悪気はなかった」
「薄黄色だってかわいい」
「あぁそうだな、それを着てるお前がかわいいよ」
子供を言いくるめる言い方だった。
それでも彼は「似合ってる」というものだから一転して許してしまいたくなる、広という男はいつもズルい顔と声を演出する為彼女はついぞ許してしまう。
それを知る彼は唇に機嫌を直すためのキスを落としてはまた顔を下げて胸元に顔を埋めてその荒立つ手で乳房に触れた、カサついた乾燥した彼の大きな手に撫でられて全身が震えていけばゆっくりと彼の左手が肋を撫で、腰を撫で、そしてパンティの横側を指先で遊ばせて下ろしていく。
それに応えるように足や腰をゆっくりと上げて、最後には自分の足で下着を完全に脱ぎ捨てる彼女は彼のシャツに手を掛けて肩から下ろしてやると彼は腕を抜いて服を脱ぎ捨てた、大小様々な傷が微かに覗き見えて見つめる頃、足の間を彼の指が弄ぶように撫でたことに身体が思わず反応した。
ちゅく⋯と水音が聞こえた彼女はきっと彼の耳にも届いたことだろうと察しては気恥しさに消えてしまいそうになりつつも素知らぬフリをすることに感謝さえ覚えた。
きっと彼からしてみれば男としての喜びで、彼女からしてみれば想った相手に触れられたのだから当然だという言い訳を胸の内でするしか無かったがそんな事も考える暇を与えぬ様に濡れた谷を撫でられて泥濘の中に指が沈み込む。
「はぁっ⋯」
鼻から抜けたような声だ、女特有の高い声が漏れ出て、日中や日頃感じぬ"女"というものを触れられてしまうだけで教え込まれるのはいつも不思議で堪らない。
布一枚を剥がれる度に人から獣に成り下がるような、そんな感覚を味わいながら身体の内側を慣らされて乳房を吸われては身体を揺らめかして逃げてしまいたくなりながらも久方振りの触れられ方にどうしようもない喜びを感じて彼の頭を両手で抱き寄せた。
「ナマエそろそろいいか?」
指がスルリと抜け落ちて低い声で呟かれてはこくりと頭を縦に振る彼女に、ズボンを完全に脱いだ彼に避妊具をと視線を彷徨わせるが先に用意をしていた彼はゴソゴソと用意をするのを眺めつつ彼女は身体を起こしてベッドに手を置いて彼に背を向けた。
「ナマエ」
確かめるような彼の声に彼女は幼い頃のように広くん。と声を漏らしせば膝をついた足を拡げられて腰を撫でられると身を固めてしまう、しかしながらその身の固め方も無視して彼は何度か濡れたその場所に乾いた避妊具をつけた肉棒を擦り付けては潤滑油代わりにして、もう一度彼女の名前を確かめるように呼んではその熱を埋めた。
「あぁっっ!」
「ッ⋯はぁ」
狭く熱く苦しく互いの体温が混じり合う事に肌の下から湧き上がるような熱がじわりと玉を作って汗を流させる、広に手を掴まれて激しく揺さぶられては古びたベッドが甲高い悲鳴を上げてその都度彼女の声が埋もれてしまいそうになると彼はその声を求めるべく彼女の口元に指を入れて強く腰を打ち付けた。
「あっ!アッ、はぁっ⋯あ」
繋がれた右手を見た時、彼の手の甲には火傷や切り傷のような痕がいくつもついていた、項に顔を埋めた彼がゆっくりと背中を撫でて噛み付く事に痛みと快楽が混じり合うようであり、より一層締め付けては彼を望むようだった。
「会いたかった」
消えそうな声で聞こえた声に五年前も同じことを言いながら抱いていた彼を思い出す、会いたいという割には置いて出ていった癖にと内心は文句を吐きたいのに思い出したかのように帰ってきては求められることの喜びは何用にも変え難いものであり、振り向いては口付けを求めてしまうと優しく上から押しつぶされて舌を吸われると西瓜と煙草の味がすることに不思議な感覚を覚えた。
「ひろくん⋯ひろ、くっ、ぁ」
向かい合って彼の膝の上で何度もそう呼んでみれば彼は泣きそうな心地よさそうな顔をする、そう呼ぶ相手がもう殆どいないからなのだろうと彼女は思いつつ、自分以外にその名を呼ばないで欲しいとも思った。
互いの汗が混じり合い一つになり、ベッドがあるのに床の上で二人で揉みくちゃになっては痛いとは感じられなかった。
「そろそろっ、イク」
「っ、ん⋯い、いよ」
蒸し暑い部屋の中で扇風機もエアコンもなく、ただ外の風が生ぬるく部屋の中を通っていきながらも酸欠で熱中症になりそうになりながら抱いて抱かれた、彼が背中を強く抱き締めて吐精すると同時に痛い程に背中を抱き締められては古びた傷のような背中が傷んで、耐えるように彼の背中に抱き着けば正反対の硬い筋肉質な肉体を味わい肩に顔を埋めれば彼の汗の香りがした、それは全く嫌な酸味のある香りではなく、塩気のある健康的な汗の香りであった。
目覚めた頃には外は暗くなっており、夕寝が随分と長くなっていたと感じる彼女はいつの間にやらベッドに横になっており、隣にいない存在を見ては起き上がりパンツに適当にあるキャミソールを着て一人で暮らすには少しだけ広い家の中を探索して灯りの点いた離れの部屋を静かに開けるとそこには床の間に飾られた刀に向けて懺悔するように頭を下げる彼がいた。
「オニの話をしてたの?」
思わず声をかけてはようやく顔を上げた彼が正座をしたまま振り返り短く返事をする、床の間には一本の小刀があり、それは広の祖父とナマエの祖父の形見の品といえる一本であった。
彼の実家にあった二本の立派な刀は彼を守るべく共について回っており彼女はそれが羨ましくて堪らなかった、幼いとはいえ逃げ出すことを教えてもくれず連れ出してもくれず、ただ出ていった後に帰る気がないというように現れた彼に初めて抱かれた時の苦味だけを覚えており、思わず背中を掻いてしまうと彼の足が進んできては彼女の背中を優しく撫でた。
「いい加減いい男を作れ」
「作れたらこんなところに居ない、今更こんな彫りモノした女誰も貰いてなんかないよ」
夏は暑くて背中に彫った刺青が嫌に痒くなってしまい堪らずに背中を隠れるように掻き毟ると彼に良くないと言われて座らされては優しく背中を見られてしまう、大きな仮面をつけたオニが二本の刀を持った和彫りはまるで傷がある職業の女のようで並大抵の男は逃げ出してしまい彼女はそれで良いとした。
白い保湿剤を手のひらに広げた彼は優しく揉み込むように背中に塗り込んでやってはその色まで入れた美しい背中を見つめては胸が痛くなる、ただの普通の女である彼女がこんなものを彫るだなんてと内心考えるがその答えを聞く度にどうしようとない喜びを感じるのだ。
「それに私はずっと広くんの女でいい」
帰ってこなくともこの背中にある痛みと痒みで思い出させてくれるからという彼女の背中に唇を置いた、仮面を被ったオニの目元には小さな黒子が並んでおり、どこか美しくさえ感じるものであり、それは彼女の目を通したものだからなのだと知っている。
「思い出した時だけでいいし、帰ってこなくてもいい、でも寂しかったら逢いに来て」
恋人になりたいといえば縛り付けることになり、その拘束は彼を苦しめることを知っていた、彼が尊敬する最愛の祖父たちとの思い出はここにしかもう無いことを知っていた彼女はこの家を捨てることは出来なかった。
背中に顔を埋める彼が「ごめん」という度にそれなら連れ出してくれたら良かったのにと思いながらもそれをすれば彼は完全に彼のルーツを捨てる羽目になることを知っている彼女は出来ずに守ることを決めたのだ。
「ナマエちゃん」
懐かしい呼び方にくすぐったさを感じて彼女は背中を顔を埋める広に振り返っては夕飯を何にするかと問いかけては何も返ってこずに仕方がなく苦笑いをして「広くん」と呼べばまるで動物がじゃれるように背中に顔を埋める為何度も彼の名を呼べば嬉しそうにするものでそのいじらしさに頬が緩んで身体ごと振り返れば瞳が交わり合った、この家にいる時だけは仮面を外してオニから人へと戻る為、彼女はその人となる彼を愛してやる頃、部屋の中には冷たい風が流れた。
優しく撫でるように、居心地のよい場所だと教えるように。
翌朝目覚めた時、家の中には何処にも彼はおらず居間のテーブルの上には"また来る"と一言だけ書かれた紙が残されているのをみて彼女は痒くなる蒸れた背中を爪で掻いた、それがいつになってもいいと言い聞かせながら昨日の熱を思い出しながら、恋しさに身を焦がしつつそれでも彼がオニとなり生きる姿に少しでも幸あれと祈って背中を強く抱き締めた、そうするとまるで彼に抱きしめられているようだったから。
2025.07.12
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