「ナイト卿は好きな人が出来たことは無いの?」
まるで子ネズミのように忙しなく動き回る大きな背中に問いかければカーペットのマントを羽織った鎧姿のバイクメットを被った男は振り返り、表情は分からないというのに彼女に対して一体何を聞くのだと言いたげな態度を示した。
少し前まで腐った死体でも出てきそうだったこの部屋はまるでそんなことも無かったかのように新居の如く全部屋が美しく変化を遂げており、比較的綺麗であったキッチンは更に磨きがかかったもので彼が焼き上げていたパルミエの甘い香りが部屋の中に拡がり小さく腹の音を立てると彼は慌てた様子でオーブンの時間を見るがやはりもう少し時間がかかるようであった。
「申し訳ございませんマスター、もう暫くお待ちを貴方に食してもらいたいのは山々ですが完璧なものをお出ししたいのです」
そういった彼に対してそれよりも話し相手が欲しいのだと言ってキッチンに置いてある二人用の小さなテーブルに設置してある彼女の隣の席の椅子をひいてやれば彼は戸惑いを見せつつも恐る恐る腰掛けては何を話せばいいのかと落ち着きがなかったものの彼女は先程の質問の問いが帰ってきていないことにもう一度彼の過去の恋愛話を問いかけた。
「私はそのようなこと」
「いえない?あぁ話を聞いてるだけってダメか、私は⋯」
気難しい同居人の彼に対して恋バナをしてみたいと感じた、彼の言うマスターという存在を知ることはなかったが彼の恋心を知りたくてたまらなかったのだ、しかしながら一方的に聞くことは失礼にも値するかと彼女は自分の初恋や過去の恋人の話をして見せた、"あの"ナイト卿に対して。
大層なものではないが彼女は趣味として自身のブログにラブストーリーの小説を書いていた、そうしたラブストーリーは夢見がちな部分もあるが歳を重ねるごとに自身の体験も含めリアリティを増していく程度には様々な人間と恋愛をしてきた彼女にとって、はるか昔を生きたナイト卿はどんなロマンスを体験したのかと気になってたまらないのだ。
「って在り来りな恋愛ばかりだった」
「⋯」
「あくまで雑談だけど同じ話を404くんにしてみたの」
「⋯⋯」
「彼は『スーパースター以外そんなこと考えたことない!君こそ俺の唯一無二だ!』なんていうものだから、大袈裟だけど彼らしくて」
彼女がそうして話を進めていたもののふとミシリと歪な音が聞こえ、何事かと思えばナイト卿の膝の甲冑部にヒビが入っており思わず彼女は目を丸くして慌てて彼に手を離すように告げれば彼は素直に手を離すものの顔を下向けては何かをいいたげにしており、しかしながら言葉に出来ないのか不満は彼のヘルメットの隙間から薄い紫の煙となって出てきていた。
「なにかいいたいことでもあるの?」
「いいえなにも」
「でも怒ってるみたいだし」
「全くありません」
ツンケンとした態度を取る彼はまるで初めて出会った頃のようだと感じられて思わず驚くものの彼女は彼がそう言うならまぁいいかとこのホテルで生活をしている一人の男の一途具合は相当なものであり、あれがもっとマイルドで落ち着きのある性格であったならときめきに変わっていたかもしれないだろうと呆れつつ伝えていればテーブルの端が音を立てた。
「ナイト卿?」
「何もありません!」
彼は感情が昂ると声が酷く大きくなる、ナイト卿が彼女と404との関係を気に入らないことは以前から認識は薄らとしていたものの彼女は楽しくなり404が自分のブログの大ファンであり如何に一途でかわいらしい反応をくれるのかと思わずイタズラに話してみれば彼のヘルメットの隙間からはまるでエンストした車のように煙が溢れ出てくる。
それがますます楽しくなり彼女は「404くんが次の彼氏だと楽しいかもしれない」と椅子から立ち上がり俯かせたナイト卿の顔を覗き込むように言えばいよいよ彼は蒸気機関車の如く黒い煙を溢れさせているようだった。
否!違う!これは本当に黒煙だ!!
慌てて視線を向ければあの完璧なナイト卿のパルミエが黒い煙という名の悲鳴をあげており、ナイト卿は気付くなり慌てて取り出してシンクの中に投げ入れるように置いて真っ黒な炭となったパルミエだったものを換気扇をつけて呆然と眺めた。
「申し訳ございません」
静かな彼の堅苦しい言葉に話し込みすぎたのはこちら側だからと謝るものの彼が彼女の謝罪を受け入れるわけなどなかった、何故なら彼にとって彼女は"マスター"であるからだ。
「ここならまだ食べられそう」
「いけません」
「でもナイト卿が作ってくれたのに勿体ない」
「早急に作り直しますので」
「怒ってる?」
やはりどこか彼の声は何かを含んでおり、からかい過ぎたかと眉を下げて唇の先を伸ばせば彼はシンクの中の真っ黒のパルミエを眺めては動けずに立ち止まっていた、彼が"マスター"と呼ぶようになってからというものの当然初めての出会いよりマシにはなったがどことなく心の距離があることは不満であった。
思わず彼のマントの裾を指先で遊んでは「怒ってる?」ともう一度面倒くさいとわかっていながらも問いかけるのは彼にはそれ程踏み込まねば一切の答えをくれないからである。
「貴方に怒っておりません」
「じゃあ誰に」
「あの小煩い男にです」
「どうして」
「それは⋯」
あぁもううじうじする男だと彼女は呆れてマスター命令。とこういう時ばかりの絶対的な言葉を掛ければ彼は酷く困ったような顔(表情は分からないが雰囲気)で悩んだ後逆らえぬからと本心を白状した。
「貴方と親しくしているのが赦せないのです」
「だって彼は友達だから」
「分かっております、しかしその⋯なんですか、恋仲だとか、なんだってその⋯わ、わた」
「わた?」
私がいるのに⋯
か細く、本当に蚊の鳴くような声で言ったナイト卿の言葉に彼女はまるで目が飛び出したのかと思うほど見開いてしまう、当のバイクメットを被った鎧姿の身長190cmの大柄な従者はポツポツとシンクの中の真っ黒なパルミエに声を掛けるように、別に恋仲になりたいわけではないがどうして私に言うのだ、あんな男がいいわけがない、私の方がずっと貴方に相応しいのに。と次々とパルミエの数だけ呟いており、その姿に夢中になって見つめていた彼女は思わず呟いた。
「ナイト卿って本当にかわいいね」
「かわいいなど騎士に相応しくありません」
そういいながらも主人からの賛美の言葉に喜びを隠せぬような彼の纏う雰囲気にくすくすと笑えば彼は高貴なる騎士であるプライドが許せぬ様で主人と称する彼女に向けてどうしようもないように眺めていたが彼の大きな手を取った彼女がヘルメットに反射した自分を眺めるように彼を見つめた。
「でもナイト卿は恋人にはなってくれないんでしょう?」
この同棲生活を始める際に彼女はナイト卿に恋人になろうと告げた、しかしながらその誘いを断ったのは彼だった、あくまでも主従であり命令であろうとそれは聞けぬと言った、彼の一方的な主従関係だとしても彼女は恋人という関係を無理強いするのは悪いと現在の生活と比べれば彼と暮らす方がずっと楽に過ごせると理解し(さらには他の住民達の兼ね合いも考えて)このホテルで結果的に穏やかに過ごしているのである。
男女の仲ではなく、あくまでも主従という名のルームメイトとして過ごしている彼女はそうした彼からの時折覗き見える独占欲や嫉妬心を感じてはいい加減素直になるべきだと思えた。
「こい、びと」
自分の手よりも遥かに小さく細い手を眺めたナイト卿は動揺を隠せなかった、彼女の口元や柔らかな口元を見つめた途端に彼はまた薄紫のその煙を出していっそ逃げようとしているようにさえみえて彼女は空いた手で彼の煙の中に手を入れて擽るように触れられないものを撫でた。
「ナイト卿がいるのに他の人と恋人になるのはダメって、それはどういう意味?」
「我が主よ、あの言葉に深い意味はありません」
「じゃあ私はほかの人の恋人になってもいいよね、あぁそうそれじゃあ」
てんやわんやと慌てふためくナイト卿の態度に愉しそうにからかい混じりに接していた彼女は煙から手を離そうとすればその煙は彼女の手首を強く掴んだ、痛むほどではないが逃す気は無い彼の煙に対して何者をも拒絶し反射するようなヘルメットをみつめた。
何度目かの彼女のなに?と物言いたげな視線にナイト卿は彼は自身が従者でありながらも主に対する想いをただのその関係だけに収めたものではないことは理解していた、それでも認められないのは彼のプライドと信念だった、何度も喉から出てこようと悩んでは引っ込む彼の声に仕方がないかとため息をこぼして苦笑いをした。
「私の負けでいいよ、私達はマスターとそれに仕える騎士、それ以上でも以下でもない」
「マスター⋯」
「それにいいよ、恋人って呼び方が違うだけで似たようなものだと思ってるし、ほら早くパルミエ焼き直してよ、おやつの時間が過ぎちゃう」
期待してお腹ぺこぺこなんだからと彼の手を握っていた手で彼の胸元を軽くノックして伝えてやれば彼は多少呆気を取られたものの納得したようであった、これで話はまとまったと冷蔵庫から必要な材料を取りだしている背後でシンクの中を眺める彼は小さく呟いた。
「マスター、従者、恋人⋯っっ!」
結局のところナイト卿は恋人という呼び方自体が慣れないだけで本心は恋人と変わらぬ関係であるという認識でいいのだろうと彼女は納得しつつ冷蔵庫を漁る姿に気付いた彼に早速バターと卵を手渡してテキパキと用意する姿を眺めつつシンクの中に残った半分だけ綺麗な焦げたパルミエを口に含んだ、相変わらず何処か夢の世界に連れて行ってくれそうなその至福のお菓子は今日は半分現実世界を見せてくれたと感じつつ、もう一枚真っ黒なものを口に含んだ、それは苦いだけの筈だというのに美味しくて堪らないのはきっと至高の我が騎士-恋人-が作り上げたものだからだろう。
2025.07.30
原作:MonsterxMediator
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