ぐしゃっ…という音はあまりにも鮮明でただ相手が倒れただけだと思った、しかしながら呼んでも揺すっても何をしても相手は起き上がらずに反対に医者でもないが脈を確認してみると動いているように感じられず心臓も同様だった。
全身から汗が吹き出るような感覚に蒸し暑い夏なのに南極にでもいるかのような寒さを感じられ呟いた言葉は「どうにかしなきゃ」だったが如何せん成人女性一人で成人男性、しかも生きていない状態で運ぶとなれば相当な重みだった、頭から血を流す相手の足を掴み引き摺ると地面は相手を引き摺った後がしっかりと残っており、あとでこれも直しておかねばならないのかと考える頃、背後から聞こえた土を踏む音に振り返るとそこにはニクトがいた。

「…こ、こんばんは」
「なにしてるんだ」
「倒れてるから運ぶんです」
「死んでそうだ、死んでるぜ」

独特の雰囲気と話し方をする男はまるで強盗のように全身黒ずくめで防弾マスクも付けたままだった、ニクトという男がこの基地内において少々癖のある男であることは有名であり、彼女も例に漏れず彼が得意ではなかった。
土を踏む音が近付いて彼女と血を流し倒れ込む男を見比べて、やはり彼は「死んでる」と冷静な声で呟いた、そんなことを彼女は理解したくなかったが理解していた、反対に分かっているからこそ隠そうとしていた。
この足元の人間が仕事上"敵"だと判断されていればそれはもう安心だったが現実としては彼は仲間でそれなりに顔も広い相手だったがあまりにもしつこかったのだ。
女を口説くのは残念ながら上手くなかったこの男に言い寄られ続け、数十分前この基地の人気の少ない場所で無理やり好意を押し付けられた時、彼女は軽く押したつもりが打ち所は悪く、足を崩して近くにあったそれなりに大きか石に頭をぶつけ死んでしまったのである。

「報告するつもり?」

彼女の声は震えていた、当然のことだろう、この事態が公になれば彼女は普通の犯罪者で特別視もされてないただの一般兵である彼女は即座にこの場を追い出され表の世界に戻ればフェンスの中になる。
そんなことは勘弁して欲しいと思っていたが悪運が過ぎるのか見物人が現れた、ニクトの視線はいつも重たく泥のようで内蔵の奥まで見られるような気分になった。
噂で聞いた程度であるが表に出せない素顔と人格が破綻し分散されるほどの拷問を受けた異常者、仕事の時こそ頼り甲斐はあるが会う度に静かに向けられる鉛のような重たい眼差しが苦手で堪らなかった。

「いいや、俺たちがするわけない」
「それなら手伝ってくれるの?」

鼻で笑うようにそう問いかければ彼は足元の男と彼女をゆっくりと見比べた、ほんの少しの冗談だったが彼は「あぁいいだろう」と返事をした、証拠隠滅をした経験のない彼女はニクトが相談を乗って何かを提案してくれるだけでも良かったがニクトは突如地面に落ちている男が頭をぶつけた石を手に取っては男の頭に向けて振り下ろした。

ゴッ⋯!ガッ⋯!グヂュッ⋯!ブヂャッ⋯!

音がその場に響き渡るようで彼女はニクトの行動に「は…」と小さな声を漏らすことしか出来ずに恐ろしくて震えた、彼が何をしているのかさっぱり理解出来なかったのだ。
次々と男の顔の形は消えていき、肉片が飛び散り、まるで泥で遊ぶような音がその場に聞こえるがニクトは無言で相手をハンバーグのミンチ肉を混ぜるように壊した。

「ハァ⋯こんなもんか」
「なに、したの、これ」
「生きてたら困るだろ?確実に始末しておくんだ、これで生きてても脳みそも欠けてて顔面も潰れちゃ生きていけない、まぁゾンビだとしたら関係ない、最高に面白いだろ!」

彼は自分の頬を叩いた、頭の中の彼がうるさかったのかもしれない。
ゾンビだとしても頭がつぶされてしまえば意味はないだろうにと何処か違う考えを浮かべてしまえばニクトはその場を後にしてしまう。
壊れた死体と二人で残された彼女はこれ以上どうすればいいのか分からずに床に落ちた頭の潰れた死体を見た途端に思わず吐き気が襲いかかり胃の中のものが溢れて土の上にぼたぼたとこぼれ落ちた。
事故だったはずが完全に言い逃れが出来ない状況にどうしていいのかと悩む頃、また足音が聞こえて振り返るとそこにはマスクを少しだけ浮かせてタバコを吸っていたニクトがガソリンタンクを手にしていた。

「次は燃やすの?」
「今どきのゾンビは頭を潰してもダメだ、手足をもいでも生きてるだろ、燃やして灰にするといいだろ」

彼はタバコを吸いながらガソリンを死体に撒き散らした。
ガソリン独特の香りがその場に広がりうっとなってしまうが10Lのガソリンタンクの全てを出してしまえば死体は血の匂いもせずに代わりの香りに包み込まれており、眺めていればニクトから火のついたタバコが差し出され自然と口に運んでいると、短くなった彼自身のタバコをガソリン塗れの死体に投げ込まれて燃え上がる。
まるでキャンプファイヤーの如く勢いよく燃え上がるそれを眺めていればニクトは鼻歌を歌っていた、軽快なリズムの鼻歌にまるで彼が上機嫌のように見えてなんの曲なのかと聞くとロシアの民謡だといった。

「この歌と一緒にフォークダンスをするんだ、яхшыと掛け声をしながらな」
「どういう意味」
「素晴らしいだ」

頭の声が落ち着いているのかとても冷静に言葉が帰ってきたことに安心感を覚えつつタバコの煙と人が燃える煙が混じり合うのを眺めつつ彼が教えてくれたяхшыという単語を呟いた、初めて彼のことを知ったと思う頃、彼は静かに告げる。

「よかったな俺達は共犯者だ」

まるでこれが非現実で夢のように感じられていたが彼の言葉で現実に引き戻されてしまい、自分はいまこの焼いている男を殺し、そしてその罪を彼にも被せたことを思い出して背中がまた冷たくなっていく。
しかしニクトはとても優しく、彼女に手を差し伸べた。

「俺たちのせいにすればいい、気狂いが起こした事故だと上も納得する、どうせこいつは約立たずだ、安心しろちゃんと俺たちが守ってやる」

彼の言い分はごもっともだ、この組織がニクトのような者を置いているのは使えるからであり、彼がそこで何をしようと利益があるのならば放し飼いをしているのは事実であるため、今回のことも彼がシタことならば許されることは理解できていた。
口の中に広がる唾液を感じる頃、咥えていたタバコを奪われてニクトが一息吸った後燃え盛る火の中に投げ込んだ、まるでキャンプファイヤーにゴミを投げ捨てるようなものだろう、彼女が唾を飲み込むとニクトの目は細められる。

「こいつより、お前の方が役たたずだからなぁ」

その事実は確かであり、どうなるかなど目に見えてわかっていた。
ニクトの目には何が浮かんでいたのか、いつかこうしたことをやらかす存在だと認知していたのかと疑念を感じながらも唾を飲み込んで顔を俯かせれば彼は満足そうに彼女の頬を撫でては呟いた。

「яхшы」

決してこんな曲や言葉と無関係でありながらも、彼女のために贈るためかのように鼻歌を歌いながら炎を眺めた、その瞳の奥には何も映っていないようにみえていながらも掴まれた手だけは今にも折られそうなほど痛くてたまらなかった、まるで逃がさないというような、そんな繋がれ方にこの罪を背負った以上は逃げられるわけなどないのにと内心思いながらも何も言えずに炎を眺めその先に相手の顔は見えなかった。

2025.09.18