走ること以外、本当に興味なんてない人。
それがトガシくんのイメージだと彼女も世間も思っていた。
恋人という関係に名前があるだけで、決して特別なんかじゃないと彼女が理解していたのは、学生時代から彼に恋人がいても、別れた理由がみんな『結局走ること以外興味無いから』というのは有名だった。
プロという肩書きがついているのだから当然だと思っていた。
他の恋人たちのように望むことはないと思っていたし、アスリートだからこそ飲み食いのひとつまで気にするのは当たり前だし、外に出たらたまに声をかけられるのも普通。特段付き合っていて苦労するなんて思ったことは無いし、何考えているのかもさっぱりわからない人ではある。
「付き合ってください」
三度目のデートでそう言ってきた彼は律儀だなと思った。
元から紳士的で優しくて、女性には人一倍気を使ってるのは雰囲気でわかる。見本通りのデートに告白。一回目のデートから、いやその前に誘われた時から薄々感じていたのに、ちゃんと律儀に重ねてくれたことに感謝してお願いしますと手を出した。
そうして交際が始まって三年目が過ぎた。
いい大人になったものだと熱いお茶を飲みながらテレビの前でニュースを見ていると、なんと珍しい熱愛報道が流れていた。
トガシくんの。
もちろんこれは嘘だと知ってる。
先週ちょっとした飲み会があり、どうしても行かなきゃならないと言われて夜ご飯を断られた。次の日はデートを約束していたし泊まってくれるかな、と期待していたが翌朝二日酔いだからデートは無理。とLINEが来ていたことにも、いつもの事と納得して「薬飲んで寝るんだよ」といって終わらせた。
トガシくんとデートをしていて断られることはいつもの事。
朝身支度を整えて家に出る直前に「ごめん」と連絡が入ってるのは一回二回じゃないし、出掛けた時にぼーっとしてて何考えるんだろう。と思う事もある。けど普通に恋人として過ごすこともあるし、別に何かを強く求めることもお互いになければ都合が合えばという関係。
周りはそれを"都合のいい彼女"というけれど、それでいいと思う。
何せ相手はプロのアスリート、選ぶ相手はよりどりみどり。元から来る者拒まず去るもの追わずな所のあるトガシくんだしね。と妙に達観的に見ているところがあるし、トガシくんはよく「ナマエさんと過ごすの気が楽でいいわ」といってくれる、そりゃあよかった。なんて思うけど周りの目は年々吊り上がっている…特に女友達は。
正直トガシくんは周りからあまり評価がよくない。
外面はいいけど恋人としての評価は底辺。落ち目な陸上選手だとか言われる時もあるし、顔は良くても中身がねぇなんて言ってくる人もいる。波風は立てない、火のないところに煙は立たないし火をつけようとする人は無視する。
今日は相当やることがないのか熱愛報道をグダグダ長く報道している。
近頃は芸能人の不倫や離婚が相次いでいたし、トガシくんは世間的には真面目で評価も高い人だし見た目もいい。撮られた相手の人はモデルさんらしくてスポンサー関係なのだろうが並んだ写真はお似合いだった。
華やかだなぁ、綺麗だなぁ、若いなぁと三十路手前の女は他人事のようにお煎餅をボリボリ食べながら恋人の熱愛報道を見ているとトガシ選手(25)と記載されていて、相手のモデルさんも名前(23)と載っている。
そういえば彼、25歳か…と思い出して若々しいなぁと感じる。真面目に紳士的に告白してきた彼も、見本通りのデートをすることも、アスリートだから行き場所や食べる場所を気にすることもいい事だった。
何故私?
ふと思った。スポーツウェア会社に務めている故に知り合い、三年前…つまり22歳の彼と仕事の関係で出会い、丁度コラボウェアを出そうってことで度々話をしたりして、そんなコラボ企画も終えてさよならかと思えば、気付けばご飯、ご飯、お酒、からの告白だった。
会社にはトガシくんの同級生だった子がいて、彼の学生時代の話を聞かされたりしたから、それなりには知ってる。彼女がいたり別れたりしたこと。当たり前だろうという内容だけど少し悪意を感じた気がした。モテるもんなぁ仕方ないね。と思っているとやっぱり自分ってどうだ?となる。
色々とデートはしてみるけど楽しそうにしている彼もいたら、思い悩んでいてそれどころじゃなさそうな時もある、ベッドを共にして寝顔を見つめると幸せだけど。この先の未来か…と考えていれば、まだテレビは熱愛報道をしている、本当に暇らしい。
結婚は?なんて話をしているしまつで、はい自分彼女でーす。といま電話でもしたらどうなるんだろうか。いや自称彼女は沢山いるから意味ないかと冗談を思って内心笑っていた所、突然チャイムが鳴った。
時刻は二十一時、こんな時間に配達かと思うがチャイムが何度も鳴らされて、そのうちドアがガチャガチャ鳴ると少し怖くて怯えてインターホンを見るとトガシくんがいた。
珍しい……と思いつつ「はいはーい」と返事をしてドアを開けるとトガシくんは私の顔を見るなり、ほっと安心したような顔をして「ナマエさん」といった。
「夕飯は?お風呂は?てか仕事終わり?」
いつも通り家に招いてやると、寒かったのか鼻先を赤くしたトガシくんは慣れたようにジャケットをハンガーに掛けて夕飯食べてきましたという。仕事終わりに来るなんて珍しいし、連絡したらいいのに、といえばしました、と返される。
テーブルの上に画面を伏せて置きっぱなしにしてたスマホを見ると、数十分前からトガシくんの「家行っていいですか」「あの」「だめですか」「ナマエさんの家」「今から行きますから」というメッセージと着信履歴があった。
お風呂終わりにお茶飲んでたから気付かなかった…と思っていると、トガシくんはテレビを見ていた。ニュース面白くないしと思って帰ると全部トガシくんの熱愛ニュースばかりでなんだか嫌な気持ちになりそうだなと思った。
しかしどうしてこのタイミングで来たんだろうか。
そう考えた時に、ふと思った。もしやあの熱愛報道……本物では?
『結局男は年下の女が好きなの』
そういって五つ年下の彼氏に捨てられた友達を思い出す。テレビにはトガシくんとモデルさん、かっこいいと美人が並んでいて、実はあれが初めてではなくて過去にも雑誌の表紙などで共にしていたから。なんてテレビでは言ってる。
プロのアスリートだから芸能人とも知り合いになるし、一般人よりも遥かに綺麗な人を前にしたらそりゃあねと思って、八畳のワンルームの狭い部屋で立ち尽くしているトガシくんの視線がしっかりとテレビを見つめている。
あんなに真剣な目を私に向けてきたことって告白の時以外あったっけ?と思うと妙に納得をしてしまう。振られますねって…言い訳がましくしたくないという感じか、彼は思い切りもまぁまぁいい方だし悩んだ末に爆発する時もある。
けど結構臆病で口にしない時もあるから、ここは年上の肌の見せどころだと思い、トガシくんのお茶を入れてテーブルに置こうかなと思いつつも部屋の真ん中で立ち尽くす彼に本題を先に言うほうがいいと思った。
「トガシくん、いいんだよ」
まずは枕詞から。
別に怒ってないよ。っていわなきゃきっと怖がるだろうなと思ったからだ、肩が揺れて振り向こうとする彼をみずにローテーブルに熱い煎茶を入れたマグカップを置いた。
部屋の中は女の部屋とは思えないほどシンプルだし、こんな時間に煎茶とお煎餅を飲んでダルダルの部屋着の時点で色気はない。ヘアバンドしてるしすっぴんだし顎にニキビできてるし最悪だと思った。
かたやテレビのトガシくんのお相手さんはありえないほど美人、かわいい、セクシー、クール、全部の言葉が似合いそう。スタイルのいいトガシくんも驚きだけどモデルさんは小豆くらいに顔が小さくてスカイツリーくらいに足が長い。
思わず自分の足元を見た、やばい、足の指毛発見、終わった。
こりゃあもう全敗ですねと笑った。職場のおじさん並にガッハッハッと豪快に笑いたくなった。そりゃあトガシくんもダメですって思うよね。と思った。
「テレビ、見てましたか?」
低い声で聞かれると、まぁそりゃあやることも無くて永遠に流されてたら見るよねと思いつつ頷いた。
悪いことをした気分になるのはこっちだ。貴重な時間を貰っちゃったと思いつつ、意外と繊細な彼を傷つけないようにと声を出す。
「怒ってないよ、トガシくんの言いたいこととか分かるしさ、言いに来たんだよね?」
「そうです」
「いいよいいよ、気にしなくって、言われることわかってるし」
なんかダルい女だなぁと自分で思った。しつこくない?気にしてないフリしてますよ〜っていいながら凄く彼にネチネチしてる気がして、これは不味いと笑って顔を上げた、こういう時こそ笑って見送ってあげよう。暗い話はやめにしてお茶飲んだら帰りなよって言って荷物はまた今度送ったげるから。とかなんとかいって。
「わか「すみませんでした!!俺ナマエさんと別れたくないです!!あの報道で勘違いしたなら本当に嘘ですから!!絶対別れるとか無理ですから!!」
ビッショビショに泣いている。
とんでもなく泣いてる…と驚いた、トガシくんは大股で二、三歩近づいてきては「別れたくないです!!!」と大声を上げて私を抱き締めた。酔ってるのか?と思いつつも、そんな匂いは全くしない。
嗚咽して肩を濡らして「別れたくないんです!」と叫ぶトガシくんはズルズルと落ちていき、私の腰に抱きついて駄々っ子のように別れたくないと叫び始める。
トガシくんは繊細だけど、いつもひとりで悲しむタイプだ、意外と静かで、そういう時は優しく傍に寄り添うだけ。結果が出ずにいる時も落ち込んでいても感情を大きく出さないし、我慢してるんだろうなと感じる。その反面泣きやすいところもあり、犬が頑張る映画を見てると泣いてたりしたのが可愛いかった。
「やだぁ……別れたくない……あんなの嘘ですから、俺ナマエさんのことまじで好きなんですよぉ」
頭を振ってヤダヤダというトガシくんはどうしちゃったのだろうかと思いつつ、ゆっくりと頭を撫でて「どうしたの?」と聞いた。こちらから別れるつもりは無いけどと思いつつ、しゃがんで行くとトガシくんがスマホを見せた。
凄い連絡の量にさすがだなと思いつつ、そのどれもが今回の件に触れている。みんな勘違いだと知っていても気になるんだろうけど流石に嫌になりそうだ。
「あ〜、うん…別れないよ?トガシくんが思わない限り」
正直なところトガシくんに熱愛報道が出たのはこれが初めてじゃないはずだ。女性のいる席には何度もいってるし、会社の関係で何度か飲んでいた時もすごく紳士的だが勘違いされないように気を使ってるんだなと分かっていた。
「本当に?俺と別れない?本気で?」
「逆になんで今更別れるの?」
「俺って面白くない人間だから……それにナマエさんも俺の事なにも言わないし」
捨てるタイミングがないだけなんだと思ってる。と言われると、まじか…と驚いた。ちょっと冷静に話し合おうよとお互いにテレビを消して座る。酷い顔をしてるトガシくんに箱ティッシュを差し出して拭いてあげるがイケメンは何をしててもイケメンらしいことを痛感。こちとらヘアバンドにすっぴん顎ニキビなのに、こんな女の腰に抱きついて泣いてたのかと思うと申し訳なさを感じる。
「それで?なんでこんなことに?」
「俺はいつも気にしないようにしてたんです、昔からフラれるのが当たり前だし、面白くないとか何考えるか分からないって」
それは知ってる。陸上以外本当に趣味も何も無いから。と思いつつ真面目に話を聞いてあげると、トガシくんはフラれ慣れているし、大体みんな一年くらいで終わる中で私との関係は三年も続いていて嬉しい。特に本当に好きで告白したのは私が初めてらしくて幸せだと心から思ってるという、かわいいね。
けれど周りに話をしてみても、私があまりにも何も言わない人だと思われているらしく、デートを断るのはもちろん、ドタキャンまでする話を同じ陸上仲間に伝えると酷い言葉を受けたという。私の友達も同じだから黙ってあげることにした。
その中で今回の報道で何も言わないのであれば、彼女はもう恋心はないしいう気力もないだけで実際はフラれてるようなものだと言われたらしい。多分…海棠さんたちでしょ、いいそうだなぁ。と思っていたら、どうやら成績はマシになってきた分、先日デートを断ったこともあり、罪悪感も重なったトガシくんは悩んだらしい。そして今日一日ずっと報道されたことにいよいよ爆発して走ってきたのだという。
「確かにナマエさんの意見ってあんまり聞いたことないし、いつも「いーよいーよ」で終わらされてきたから、本当は俺の事なんてって」
「あー」
「あーって、それ…うぅ」
「そういう意味じゃないよ、普通に無理させたりとかしたくないから、そうしてただけだから」
確かに前の彼氏にも「意見ないよな」といわれてフラれた気がする。意見がないというよりも相手の希望に寄り添いたいだけだし、求められたらそうすると思っていたのが裏目に出ていたらしい。
特にトガシくんは陸上のプロ選手で、彼に憧れる人も沢山いるし、自分に分からない世界にいる人だから何かで足を引っ張りたくなかった。別にドタキャンされても、デートがなくなってもまた次があるし、で思っていたが普通の子は怒るだろうから不安になったらしい。
そう思うなら改善したらいいだけなのにと正論をいうと泣きそうだからやめておく、これは今後の課題だ。
「俺のこと、好きですか?」
普通逆じゃない?と思いながらも「大好きだよ」というと泣き腫らしたトガシくんは「キスしたいです」といった。夜に来てワガママをいうとはなんでやつだと思い、少し冗談で「モデルさんとキスしたんじゃないの?」というと泣きそうな顔をして私の手を取った。
「本気でナマエさんしか好きじゃないから、俺本気だからね」
陸上より?という言葉はいわない負け戦はしたくない。
本気の本気でナマエさん好きだし、初めて声掛けた時とか緊張したし、初回のデートでトイレ行った時に鼻毛出てて死にたくなったし。と騒ぐトガシくんって案外相当私が好きなんだと思っていると、テーブルに置いていたトガシくんのスマホが震えて光った。ロック画面は私らしい、恥ずかしい。
「勘違いさせたりとか、不安にさせたりしたかもだけど、俺もずっと不安だから、ちゃんと教えて」
さてはこの子キスしたいだけだな。感じつつも仕方なく顔を寄せると少しだけ鼻をふくらませて期待してるトガシくんはいつものスマートさはない。てかこの子ってこんなに私の事好きなんだね、かわいいねと何度も思いつつ目を瞑った彼の鼻先にキスをした。
「は?え?」
「お茶冷めるし、お風呂まだなんでしょ」
明日休みでしょ早く休みなよと背中を押すと、期待していたトガシくんは酷く狼狽えてガッカリして、だけど何も言えないような顔をしていたが無視して洗面所まで押し込んであげる、そしてドアを閉める時に言い残しておいた。
「教えて欲しいなら早く用意して来てよ」
どうせ夜も長いんだしというとドアの奥で声を押し殺して喜びを噛み締めていそうなトガシくんの反応を僅かに感じた。一人ワンルームの部屋に残されてお茶を飲みながら足の指毛を簡単に抜いて痕跡を消しつつテレビをつけた。
今日の夕方頃だろうか、トガシくんに記者が突撃インタビューしている様子が映されていた。彼は少し困った後に「事実無根です、何もしていません」とハッキリと言った、それだけ…彼女がいるとか、相手の人とどうして撮られたかとか、そんなのは何も言っていない、ただそれだけなのに微かに聞こえたお風呂からの鼻歌に私は少し気分がよくなった。
今度二日酔いで断られた時は心配だからという口実で家に行くのもいいかもしれない。ドタキャンされる時は私もそうするからね。といってみてもいいかもしれない。そんな風に思いながら、そういえば下着がダサかったなと思い出しては着替えるのも面倒だと思い、狭いお風呂場を思い出しながら二回目のお風呂に向かう、多分きっとわかりやすい彼だからかわいい顔をするだろうな、と思いながら。
2026.02.03
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