王や神、その時代、その国、その場所を収めるその者たちは常に様々な伝承や言い伝えが残されている。
その中に多いことは戦以上に──愛──であるかもしれない。
神々でさえも愛には抗えぬ。
一人の存在を欲し身内同士の戦になることはもちろん、星座に変えたり、冥界へ落ちたり、様々である。
「こんなところにいた!!」
十三戦乙女の十女──アルヴィトはその小さな体にそぐわぬ声量で声をだした。広々としており豪華絢爛の限りを尽くすは王として当然のものである。
視線の先にはあまりにも広いベッドの上で横になる男と、その男に膝を貸してる女が一人。
男───始皇帝が人類代表"神殺しの十三人'─エインヘリャル─のうちの一人として呼ばれたことは当然であるが、如何せんこの男にアルヴィトは手を焼いていた。
しかし、部屋に響くような彼女の声を聞いてもなお、男は面をあげることもなければ、反対に普段よりも深く眠っているばかりで、ベッドの上で膝を貸していた女はアルヴィトをみるなり小さく会釈した。
「アルヴィト様、始皇帝様はお昼寝中でございます。恐れ入りますが少々お声を……」
「あら悪かったわねナマエ……って違うのよ、ようやく見つけたと思ったら、彼ったらいつもあなたの膝で……ッ!いい加減練習とかしなきゃ本番にどうなるか」
ブツブツと不安そうに声を漏らす幼い少女──といえど戦乙女は彼女よりも遥かに歳上であるため、容姿だけの話──をみて、ナマエと呼ばれた女は手元の本を置くなり「お伝えしておきますので」と、それはもう慈愛に溢れた女神に近い微笑みを浮かべるため、寝ている相手に文句も言えないかと彼女は出直すと告げて、その場を後にした。
アルヴィトが部屋をあとにしてしばらくすると、ナマエは自身の膝で何かがモゾモゾと動き出し、彼女の手にその手を重ねたことに気づく。
それは先程まで寝たフリをしていた始皇帝だった。
「アルヴィト様を困らしてはいけませんよ、嬴政様」
「困らせてはおらん、朕は常に朕の行く道を行くだけだ、それよりも早く続きを読んでくれ」
「勿論でございます。どこまで読みましたでしょうか……ええと、ええと……」
始皇帝──彼が神と人類がその運命を決める対決を行う戦いに出てくれと頼まれたのは当然のことであり。彼は二つ返事の了承をした。ただし一つの条件を彼は出した。
それは──いま彼が膝を借りている女、ナマエを同伴させる、ということだった。
彼のスカウトへ行ったブリュンヒルデは当初、その内容について目を丸くした。その時も彼はナマエの膝に頭を乗せて横になっており、理由は何かあるのかと念のため問いかけた。
「こやつの膝は朕の玉座であるからだ」
それ以上の意味はない。というように言われた以上、それ以外に求められこともなければ良いとした。
そして始皇帝はほとんどと言っていいほど、静かにしている時にはナマエの膝を借りて話をしたり、物語を読み聞かせてもらったりとしていた。
その姿は気の狂わされた王に毎夜命を守るために物語を話すシュヘラザードのようである。
または熱心に彼女にその身を預け姿は、少し異なるもののケルト神話に出てくる足元の乙女に戦以外で足を置いていないと死ぬ呪いをかけられているマース王のようでもある。
しかして、その甘えた姿は例え話とは大きく異なり、まるで子が寝付く前に母に話を求めるような姿でもあり。その関係性について知らぬものは常に小首を傾げる関係である。
始皇帝には生前妃がいないとされていた。
もちろん、王である以上、側室は数多も与えられていた可能性があるのだが、正式な相手は記述されていない。
しかし、もしその相手が誰かといわれたならば、彼を知る者は、後の皇帝を含めて全員が「ナマエ殿である」というだろう。
「……そうして、二人は末永く幸せに暮らしたのでした」
物語の終わりを告げると彼女は本を置いて、膝の上に頭を乗せる彼をみた。その瞳は優しく、そして頭を撫でるのだが、他の者では許されぬことを彼女は当たり前のようにしてみせると、目元を隠した薄い布の下の瞳が心地よく閉ざされているのが分かる。
寝ているのではない、聴き入り、しっかりと粗食しているのである。
「好」
好(ハオ)──その一言だけで彼女は嬉しそうに口角を上げてよかったと返事をする。
そしてゆっくりと目を開ける彼は手を伸ばしてはナマエの髪を撫でては感想を話す。今日の気分にあった話であること、二人が幸せに暮らせたということ、物語のどこがよかったのかどうなのか、まるで子供のように無邪気に語る彼の声をきく彼女もまるで物語を読み聞くように目を細めて頷いた。
「ナマエよ、そなたから発せられる声に乗せられた物語は心地よい、さらに語るがよい」
「そうしたいのは山々でございますが、如何せん書物を読みきってしまいました、新しいものをお取り寄せ致さなくては」
「朕は動かぬ、ここが玉座である」
「それでは誰かにお持ちを?」
「ならぬ、ここはいま朕とそなたとの場所だ」
王としての威厳を持つ始皇帝を何も知らぬものからしてみれば人懐っこくありながらも我儘で王特有の唯我独尊な性格だと思うだろう。
しかしながら、彼を知るものはそれが王であるからだと理解している。
彼を膝に乗せたナマエもまた少し悩んだ後に「では」と話を始めた。
「子の名は"嬴政"と名付けられ……」
彼女が悩んだ末に話し始めたのは始皇帝──彼自身の話だった。
生前も書物を無しに何かを語れと命じれば、彼女は悩んだ末に彼の話をした。それは嬴政と春燕の話であり。彼は自身の恩人である春燕のことについて話したのはナマエだけにあった。
彼女はそれを聞いて、その口で話してくれる時、懐かしさと心地良さを感じさせてくれる。それは完璧に嬴政の話と合致するわけではなくとも、どこか懐かしさを重ねて良い記憶を感じさせ、あの日々の空気や香りなども思い出してしまうほどであった。
そしてその話を聞く時、彼は目を開けてナマエをみつめた。
ナマエは運命の相手だといえる。
「そして嬴政は……話をしておりますが、飽きてしまいましたでしょうか?」
「触れたいだけだ、気にせず続けよ」
始皇帝は語りをする彼女をこねくり回すように撫でては話を求めてやると、彼女は困り果てつつも話をする。
ナマエの声はまるで笛のように心地よい音色である。
紡がれる言葉の数々は美しく、その声と選び抜かれた言葉から重ねられた物語は、どのような話でも聞き入ってしまうものであった。
彼がナマエに出会ったのは王となってのことであった。
王となる男として、周囲は彼に女を充てがった。
その国一番の美女と呼ばれる美女をより集められては毎夜のように寝所にやってくる。
彼はそれに対して酷くうんざりしていた。まだ王となったばかりの彼は若さも相まって知らぬことも多かった。世継ぎというものが必要であることや、女を求めることが当たり前だという、その思考を否定することはなかった。
それでも彼は人を愛する以上に国の統一、民を思う気持ちを高めた。
良き王になることこそが自分の約束であるからだ。
しかし、始皇帝という名を冠しても彼のその特異な体質から来る痛みは消えることは無い。
痛みには慣れなかった。否──自分への痛みには慣れていたが、他人の痛みや憎悪だけは受け止めきれなかった。必要なことを必要なように行っていても、その痛みは必ずしも現れ、幼少期に比べて慣れた身体は倒れ込むほどまでにはいかずとも、全身を流れるその痛みと苦しみは呪いだ。
ナマエが現れたのはとてつもなく痛みの強い日だった。
古傷が抉られるかのように相手の痛みと憎しみをその日受けた始皇帝は寝所に入るなり倒れ込み、唸り声を上げて身体を縮めた。
ちょうど戸が開くなり、女の声が聞こえた、また誰かしらに呼び立てられた夜枷の為の女。近頃は不要だと言っていたのにこのタイミングでかと彼は始皇帝として振る舞うために横になった身体を起こした。
入口の兵にも部屋の前ではなく、さらに前の部屋で待機するように告げていた為、声が聞こえなかったのだろうが、着飾られた女は頭を垂れて挨拶をしていた。
「……さ、さが、れ、今宵は要らぬ」
取り繕った声も出せないほどかと彼は内心苦笑した。
しかしその様子を放っておくことのほうが普通は出来ぬはずで、女は表を上げるなり何かを告げて、遠慮なしに寝台へと近付いて天蓋の中に入ってくるなり、始皇帝の肌を見て彼女は触れた。
「あぁ誰か呼ばねばなりませんね、今すぐお呼びいたしますので我が始皇帝様、お待ちくださいませ」
その声はまるで癒しの鈴の音のようであった。
まるで真水を飲むように心地よいものであり、苦しい頭痛が和らいだように感じた。
浮かんだ傷跡に添えられた手からはぬくもりを感じ、それが痛みをさらに和らげるようであり、それはかつて幼い彼が春燕に腹痛の際に腹を撫でられていたような感覚に近かった。
「呼び付けずともよい、話をせよッ……」
「話、でございましょうか……なにがよろしいでしょうか」
「なんでもよい、兎も角話をするのだ」
「では、私の話を」
彼女はこの国を統一した唯一の王だという始皇帝を前にして、まるで子を扱うように接した。
身の上話をする中で、彼女は始皇帝の寝台に上がり、彼の頭を膝に乗せては優しく身体をさすった。まるで鍼師か薬師なのか、はたまたなにかを所得した仙人であるのか。彼女は話をするだけでその痛みを和らげた。
まるで母の子守唄を聞くかのような、そんな安心感を得た彼は眠りに付き、朝方になると彼の従者が女に怒鳴りつける声で目覚めたのだった。
曰く、その女は許可なしに始皇帝の寝所に現れ、あろうことか始皇帝の寝首を掻こうとした不届き者として処分するという判断を早々にし始める側近たちに始皇帝は女を見た。
怯え困惑する彼女の昨夜の話を聞いていた際に眠りこけていたが、側近や他の者たちからの差し金でなければ何者なのかと彼も問く。
そうすると女は宮女の一人であるのだと頭を垂らしてハッキリと告げた。
昨晩戦から戻ってきた始皇帝の様子が悪かったことに気づいた薬師が薬を届けにと向かっていたものの、本人の突然の腹痛による体調不良により、近場にいた女である彼女に頼んだというが、これもまた不思議なことに彼女はちょうど官僚に呼び込まれた妓女たちのおもちゃのされて飾り付けをされていたが、逃げ出した頃にそれが重なったのだという。
始皇帝様に……といわれた彼女はもちろん断れる訳もなく、また薬師の名を告げ、始皇帝の間へとは易々通された結果がそのようになったのだという。
しかしそれを聞いた者たちは薬師を呼べや、妓女を呼んでいた痴れ者は誰だ、そんなものは嘘でこの女がやはり始皇帝を狙おうとした不届き者であると口々に告げては処分を銘じようとした。
「好」
騒ぎ立てたその場を制しのはその一言。
若き始皇帝のその声はよく通るものであり、全員が始皇帝のその声を聞くなり膝をつき、頭を垂れては何事かと震えた。
「好である、朕はそなたを気に入ったぞ、名をなんと申すのだ」
困惑した女に官僚の一人が名乗らないかと急かすと彼女は震える声で衛兵に押さえつけながらも「ナマエでございます」と名乗って見せた。
「好!よい名であるなナマエ、今日よりそなたは朕の寝台にて語り部となるのだ」
は?───とその部屋にいた者すべてが声を漏らしたが、始皇帝はナマエの声と言葉をいたく気に入り、他の女は望まぬ限りは始皇帝の寝所への入室は許さぬとした。
元より宮仕えの女である彼女は女のみでありながら勉学に優れ、文字の読み書きができていた、平民でありながらも努力を怠らぬ姿、生まれ持って視力があまりよくないため、人の視界よりも半分近くしか物が見えないこと、弟や妹がいたということは昨晩の話で薄らと彼は知っており、それがますます気に入ったのだった。
それから始皇帝は毎夜、宮にいる限りは彼女に書物を読ませ、その声を聞きながらその膝の上で眠りについた。
しかしながら平民の出であり、さらに目も半分見えぬ視力の弱い女を、皇帝の妃に認めることはもちろんなかった。二人もその関係を望むことはなかった。
「その……始皇帝様?」
「なんだ」
「あまり唇に触れられては語るのが難しくございます」
「無問題(モーマンタイ)!朕はそなたの動く唇が好きである」
問題はある、話しづらいのだ。
そう思いつつも彼女は言い返せぬため、仕方なく続けようとするが始皇帝の爪を外した素の指先が、彼女の顎や頬を撫でたあと唇を摘んだり撫でたりとした。人差し指の腹でなぞられ、そして彼の指が口内に侵入するのナマエは抵抗を出来ずに噛まないようにと、ついに言葉が止まってしまう。
小鳥のさえずりのように心地よい声が止まると、部屋の中は途端に静寂へと変わる。
「ナマエ、そなたの声は本当に良いな、その唇の動きも、言葉の紡ぎ方も、全て朕を好くする、褒めて遣わそう」
始皇帝の指が口内に添えられた彼女は何も言い返せぬ代わりに舌がピクリと動く。その反応の愛らしさに彼は胸の内が暑くなる。
ナマエとは結ばれた関係ではない。
それは彼とて自分の立場を理解しているゆえに構わなかった。
しかし、彼女が結ばれても許されるような人間であれば恋することもなかったといえる。親代わりのように育ててくれた春燕について、一度恋だったのだろうかと考えたが、それはナマエと出会ったことにより完全な杞憂であると理解した。
ナマエの声を聞くだけで全ての痛みと苦しみが引くように感じられた。
頭を撫でられると心地よい、膝の上にいると陽だまりにいるように感じられる。
そしてそれとは別の欲望もしっかりと彼女に向けて存在しており、死後の世界で後の皇帝や、彼を見知った人物からしてみればナマエは妃といって良い相手であるのだが、彼は頑なにそれを認めないのは始皇帝という名を冠する者だからだ。
「目を見よ」
始皇帝の言葉に彼女は膝の上の彼をしっかりと見つめた。
恐れ多くも目布を外してみると、まるで宇宙の瞬きのように美しい瞳が見えることに、彼女はいつもうっとりと意識を奪われてしまう。
美しさをその瞳に閉じ込めたようだが、何度みても心奪われてしまうものだった。
そしてひと通り見つめたあと、彼の指が口元から離れるのを合図に、彼女は嬴政へ接吻を落とした。
「嬴政」
それはそよ風が吹くような声のようで心地よい。
彼女といると痛みはマシに感じた、人の憎悪も嫌悪も負の感情すべてが軽減されるように感じられて、始皇帝が無駄に名前を呼んでは彼女も呼び返した。
数多ある呼び名の中で、唯一ナマエだけが気さくに呼ぶことを許された名前であり、その名を呼ぶ時はまるで桜の花で咲くかのように心地よいほどある。
「おやすみなさいませ、ナマエはいつでもお傍におります」
囁くように告げる声は花々が風に揺らされて、心地よい香りを広げるように良いもので、始皇帝はその声を聞きながら彼女の手を取り片手を重ねて瞼を閉じると、もう片手がどうしていいのか分からなさそうなした後に、始皇帝の髪を撫でた。
それがどこまでも優しい母のようであり心地よく目を閉じる。
ナマエは不思議な女であるが、彼は聞かれたら答えられるだろう。
唯一の安眠をくれる語り部であり、最愛の女であると。
室内で静かに風が吹いた気がした。
彼女は嬴政の寝顔を眺めては愛おしそうに目を細めて微笑む。
どうか彼が今日も心地よく寝られるようにと祈りながら薄く瞼を閉じて、また寝ている彼に向けて良い夢を届けるように頭の中に残る話を語り始めるのであった。
原作:終末のワルキューレ
2026.03.01
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