ヴァルハラ評議会場にて、その女神(おんな)は静かに扇子を片手に回廊を歩いていた。
彼女が歩くだけで周囲の空気が数度低くなるような冷たさを感じ、彼女が傍を通ろうとすると他の神々は思わず道を開けてしまう。
深い闇を纏ったような胸から腹部まで見えてしまいそうな深いカットのブランジングネックにスリットの深いドレスに威厳を示すような高いピンヒールから伸びた足。周囲の者の視線を困らせるようなドレス姿に魔女のようなファーを纏ってその夜闇のような黒の中に魅せるきめ細やかな白い肌につい手を伸ばしてしまいそうになるものの、彼女から感じる香りは誰しもが一度は嗅いだことのある、死に近い香りだった。
氷とは違う根源的な恐怖の冷たさを纏った女神は辿り着いた会議室のドアを潜るなり、そこにいたギリシャ神――オリュンポス十二神の面々の視線が彼女に向けられる。円卓を囲む一番奥に座るのは天界を支配する絶対神「ゼウス」が座っていた。
老齢のその神は会議室に現れた女神をみるなり、それまで平然とした態度をしていた眼を途端に輝かせて手を挙げた。

「ナマエちゅあ〜ん、全く遅刻じゃぞ!ほれほれ早くワシの横にこんか!こんな下らん会議も愛するナマエちゃんがおらんとやる気もおきんじゃないか」
「黙りなさい目障りな筋肉ジジイ、どうしてこんな会議に毎度私が呼ばれなくてはならないのよ。というか相変わらず全員揃っているようにみえないけど、おじいさん(あなた)って相変わらず信頼がないの?」
「うーん、今日も今日とて手厳しい、しかしその息をするように吐く毒舌、ワシは嫌いじゃないぞ」
「本当におじいさん(あなた)って変態ジジイね、ドン引きよ、どうしてあなたのような存在が我が夫なのかしら」

私は知的な男が好きなのにと文句を吐く女神は目の前の神が最高神ゼウスであれど一歩も引くような態度をせず、彼の身内となるはずの円卓を囲む者たちはただ静かにお茶を飲みながら彼女が席に着くのを待った。
神聖なる美しいその部屋の中にて唯一の黒を纏う女神は神という部類よりも「魔女」に似ており、カツカツとヒールの音を鳴らしながら大理石の床を歩く彼女の手を支えるのはオリュンポス十二神が一柱でありゼウスの息子ヘルメスが手を取りゼウスの隣を案内するとナマエと呼ばれた女帝のような雰囲気を纏いし女神はゼウスの隣に腰かけるやいなやゼウスはその美しき漆黒の女神こと「妻」である彼女の手を取り、機嫌を伺うように彼女の手をすりすりと撫でたが妻の視線は円卓を囲む王たちへ向いた。

「久しぶりだなナマエ、相変わらずの様子だ」
「ええ久しぶりね、ハデスお義兄様あなた様の冥界でのご様子も伺っているわ、ベルゼブブは元気かしら」
「あぁそなたに会えると伝えると「よろしく頼む」といわれたぞ」
「フン、あんな陰湿な蠅の王にそのように言われるなど...まぁいいでしょう。ポセイドンお義兄様もお元気そうですね...ちょっとジジイいい加減触らないで頂戴、鬱陶しくてイライラするのよ」
「ナマエ...お前は相変わらずだな」

会議の場以外では顔を合わせることのない義兄達に挨拶をする彼女はそれが冥界の王であろうと、全海を支配する王であろうと変わらぬ高慢で高圧的な態度であり、本来そのような態度を決して許すようなポセイドンでさえ、それを当然のように受け止めている間、手をさすっていたゼウスは彼女にピシャリと手を叩かれても好好爺のような態度で「今日も美しいのぉ」という始末であり、その冷たい女神の態度に何食わぬ顔をしていた。

そうして会議が始まると気付けゼウスの代わりのように彼女が会議の主体を取っており、時折彼女の罵倒が会議室の中にこだまするが全員が特に気にせずに当たり前のように会話を進め、あっという間に時間が過ぎてしまい、適度な報告と話し合いの末に終えてしまう。

「いやぁ今日もワシの妻は素晴らしいのぉ、流石じゃなナマエ」
「黙りなさい、おじいさん(あなた)がだらしない態度だから私が主体となったまでよ。最高神だなんて筋力だけで掴んだ地位だからこうなるのよ、本当に厄介だわ...私は疲れたから戻るわ、精々筋肉ジジイは頭を使うためにメルへスの書いた議事録でも読んで今日のことを確認するといいわ」


では...と冷めた瞳で出ていく彼女をヘルメスが入り口まで送り届ければ待機していた彼女の従者達がすぐに彼女の傍に並ぶと女王のような高慢で高飛車な態度を取った彼女は行ってしまい、次第に全員が短い挨拶をして椅子を立ち帰っていくのを見届けたオリュンポス十二神の一人、軍神アレスは「はぁぁぁぁ」と深い息を吐きだした。
まるで部屋の中の空気がなくなったかのようにも感じるのに他の面々は何一つとして態度を変えずあの女神の話を聞いたり、時に「全くくだらないことね」という冷たい声を聞くのだから、アレスは命がいくつあっても足りないと感じてしまう。
すっかり疲れた彼の前に弟でもあるヘルメスが労いの言葉をかけつつ蜂蜜水を注いでやるとレモンと蜂蜜の甘い香りと味にすっかりとアレスは身体をリラックスさせつつ「ナマエ様(お母様)は相変わらず恐ろしいな」とつぶやきつつ、未だに席に座った父親ゼウスをチラリとみつめるが、傍に控えたヘルメスはゼウスにも蜂蜜水を注いだ。

「ゼウス様、こちらナマエ様(お母様)が自ら朝早くに皆様の為に摘んでこられたレモンの蜂蜜水でございます。本日のお茶菓子につきましてもナマエ様がご用意されておりました、それとこちらは事前に頂いておりました本日の会議内容のまとめと報告書でございます」
「ほほぉ相変わらず気の利くワシの妻♡これはたっぷり“感謝”せねばならんのぉ」
「おいヘルメス、これらすべてナマエ様(お母様)が?相変わらずオレはあの方のお考えが全く分からん、今日も相変わらず「アレス、あなたは相変わらずしみったれた顔をしているわね、みていてイライラする顔はおじいさん(ゼウス)そっくりね」といわれたし...」

彼女の態度はなにもゼウスだけではなく全員に対してであり、アレスは彼女が義理の母親となって以降、ゼウスはもちろんだがあのハデスやポセイドンに対する態度だけでも胃が痛んでしまいそうになるのに、自分にまであの鋭い瞳と厳しい声を掛けられてしまうことについて密かに怯えてその巨体が猫背になってしまう。

「なんじゃアレス、お主やはりまだまだ女心のわからん奴じゃのぉ、アレはお主にワシに似た愛おしい顔をしているのだからもっと自信を持て。といっておるのじゃよ」
「...なんていうかオヤジの言葉に関しては少し誇張が過ぎる様に感じるんだが」

とはいえ、この味は本物なんだよなとアレスは蜂蜜水を飲みつつ気難しいゼウスの第二の妻について考えるのだった。

◇◆◇

その夜、ゼウスの寝所にてネグリジェに着替えた女神ナマエはため息を零しながら手帳に今日の出来事をしたためながらも考え事をしてしまう頃、ドアが騒がしく音を立てて開くなり「マイワイフ〜」と間の抜けた声が聞こえ、彼女は慌てて手帳を閉じると鍵をつけて片付けてドレッサーのスツールに座ったまますぐに傍にあったブラシで髪を梳いた。

「なんじゃあ、こんな時間にまで髪を梳いてもしや“お誘い”かのぉ?老体に鞭を打つのもよいな、よし愛し合うかの!!」
「誰がするかこの色ボケエロジジイ、全く静かに過ごせると思ったのにおじいさん(あなた)が来たせいで台無しだわ」

髪を直している彼女の背後に来たかと思えば、その細い老人の身体のどこにそんな力があるのかと聞きたいほど簡単に彼女をお姫さま抱っこしては、広いベッドに彼女を連れていき、彼女を押し倒してはまるで獣のように鼻息荒く彼女を見下ろすが、当の妻である本人は睨みつける様に彼を見上げてはフンと鼻で笑ってみせた。

「ねぇゼウス、私は改めて思ったけど、やっぱりハデスお義兄様は素敵だわ、あの冥界の王としての知的な美しさと低い声、それにわずかに微笑むあの姿はまさに冥界の月明かり。あの佇まいも含めて王とはあぁいう方のことをいうのね」
「ゼウスは確かに綺麗な顔しとるぉ、冥界を統べるだけの知性もまさにワシの誇れる兄であるな」
「それにポセイドンお義兄様は寡黙で冷徹であのお姿は海のような美しさ...それに比べてあなたは本当にどうしようもないわ、見た目はおじいちゃんで、すぐに喧嘩をしたがるし、筋肉自慢ばかり、その上どこでもかしこでも私にデレデレして情けがない。もう少しお義兄様を見習うとどうなのかしら」

本当に盛りの付いた獣ねとあざ笑う目の前の女神にハデスはふふふと彼女と同じような笑みを浮かべた、互いに笑い合うとハデスはその身に力を籠めると萎んでいた老体はすぐに風船のように膨らみ、そこいらの兵などよりも圧倒的な肉体で華奢な女神を見下ろしてその細い顎に手を添えた。

「言いたいことはそれだけかナマエ」
「本当にあなたって...知性のかけらもない醜い神(ヒト)だわ」

そういった彼女にゼウスは唇を重なるなり、互いの衣類を脱がし合い肌を重ねた。
夜の中の月の雫のような涙をこぼす女神は「ゼウス!あぁゼウス!愛してるっ」と昼間とは打って変わって素直な愛を語り彼の首に手をまわしてその背中に腕を回して爪を立てるのをゼウスは「明日は羽織がいるのぉ」と嬉しそうに呟きながら彼女を深く愛した。

「アレスは相変わらず私が苦手みたいだわ...あの子が好きだと言っていたベリーのタルトにしたんだけど、あまりおいしそうな顔していなかったし...あぁどうしましょう」
「なんじゃナマエ、そんな心配をして会議の途中で焦っておったのか」
「そうよ、だって私はみんなの母親じゃないだもの...アレスはあなたにみた美形なのに、どうしてあんなに自身がないのかしら?あなたほど美しい神(ヒト)はいないし、その血を引いてるのに」

行為を終えるとすっかりナマエの態度は変わって、まるで彼女はそれまでなにか別のものを着て本来の自分を隠していたのかというようだったが、冷たく高慢で高飛車な彼女も、ゼウスや彼の身内を愛する心を持つのも本来の彼女だった。
広いベッドの中でゼウスの腕に抱かれてすっかりの百面相をして、眉間に皺を寄せるかのように吊り上がった眉を下にした彼女が「ハデスお義兄様にもベルゼブブに渡してといって安眠できるサプリを渡したけど迷惑だったかしら?」「ポセイドンお義兄様は私の態度に怒っていなかった?」あの子は?この子は?その子は?と次々とゼウスの腕の中で騒がしくする彼女にゼウスはまったく困ったものだと思いつつも、その献身的で広い心を持つからこそゼウスは愛おしく感じてその背中を撫でてはさらに強く抱きしめてやる。

「あやつらはみんなお主のことをわかっておる。そんな不安な顔をするんじゃあない、全くかわいいのぉ」
「あなたの方がずっとかわいいわ。私の愛おしい夫ゼウス、あなた以上の人なんていないのよ...今日も冷たくしてごめんなさい、愛しているわ」
「おお〜これこれ、ツンの嫁の夜だけみれるデレ、たまらんわい」
「もう...馬鹿なおじいさん(ヒト)」

ピロートークをじっくりと楽しむうちに眠気に誘われる彼女をみてゼウスは彼女の髪を撫でてやりながら寝るように催促した。次第に瞼を落とす彼女が「愛してるわ、私のゼウス」といって彼を離さないように強く抱きしめる姿をみてしまえば誰がこの妻に対して冷たいことをいえようか...深く眠った彼女を見届けてはゼウスは「ヘルメス盗み聞きは感心せんぞ」と注意するとドアの向こうから現れた息子に呆れつつナマエのドレッサーの手帳を取るように伝えてゼウスはその腕に眠る妻を抱きながら手帳を開いた。

一ページ目から「ゼウス」と書かれているのをみては彼は今宵も妻を抱きしめながら彼のことをたっぷり書かれた文章を読みながら眠りにつくのだった。

◇◆◇

ナマエとゼウスの出会いというのは偶然でもあった。
それは今から数千年前のこと、天界はゼウスが支配しており、自由奔放ないまより若いゼウスはある日見かけた女神(おんな)に一目惚れをした。
ゼウスは元より妻ヘラがいながらも度重なる不倫や愛人作りなどをして、数多の子を作り若干恋愛問題児でもあった。好戦的かつ欲しいものはどんなものでも力で手に入れるという考えが昔から存在するゼウスはもう随分色恋にも落ち着いていた頃、その漆黒の女神をみるや心臓を掴まれ「運命の出会い」などといって飛び込んだ。
そして彼はすぐにその女神に近づき、その手首を掴み引き寄せようとするや否や女神は彼の頬を力強くハイヒールで殴った。

そうだ...ハイヒールだった。
彼女はこの筋骨隆々の名も知らぬ男神に勝てないと瞬時に悟るなり、履いていた十二センチのハイヒールのヒール部分で勢いよくゼウスの目をめがけて殴りつけたのである。

「あっぶなっ!!なんてアマだテメェ!!」
「あなたこと突然ひと様を抱き寄せてきて何事かしら、そんな醜い汗臭いゴリラの肉体に抱き寄せられた私が正当防衛をするのは当然よ、汚らわしい、なんて最低の男なのかしら、品性のかけらもない」
「オレは全神々代表であるゼウスだぞ!!ちょっとはいいじゃねぇかサクッとヤろうぜ」
「気持ち悪い、品性ってものは顔に現れるのね恥ずかしくてたまらないわ。恥を持ったらどうなの?あなたが誰であろうが、突然女性にそんなことを言う時点でお角が知れてる...王であるのならもっと、まともな感性を持てば?」

ゼウスは想像以上に凶暴で口の悪い女に対してなんてヤツだと苛立ちを感じた。
確かに彼は軽薄で乱暴な真似をしたが彼なりには紳士的だというのに、この目の前の凡神は舐めやがってと思うのもつかの間に彼女は腕からすり抜けて、ハイヒールを履きなおすなり「最悪の気分だわ」と言い残して優雅に帰ってしまい、ゼウスはその態度に「あの女ゼッテェ抱く」とやはり品のないように思いながら彼女に会いに行くようになった。

元より椅子に座って書類をみる作業など大嫌いだった今よりも若いゼウスは彼女を追いかけ、妻のヘラも今やゼウスのことなどどうでもよくなり、離婚届は出さないものの互いにその関係をほとんど解消していたため、ゼウスはヘラの怒りに怯えることなく彼女のもとに足繫く通うようになるが、彼女はまるで蝶のように毎度ゼウスの腕から逃れては毎日彼は「醜い」「不潔」「野蛮」「神の面汚し」といって自身の自宅(神殿)に逃げてしまうのだ。
外では簡単に捕まえられても自宅は行ってしまうと彼女の自宅は警備がしっかりしており、古い神殿には結界などにより簡単に侵入することは出来ずにゼウスは物理的に破壊しようとしては「この馬鹿ゴリラ!!」と怒られたものだった。

いつの間にかゼウスはすっかりそんな彼女の罵倒を含めた態度を気に入り、それも含めて通うようになると彼女も彼と過ごす時間を数分ずつ伸ばすようになった。

しかしゼウスには不思議に思えることがあった。
それは彼女が誰とも関わった様子がみえなかったからだ。
他の神々が住まう場所からも随分と離れ、完全に一人になるような辺境の地で生きるこの女神は相当な変わり者だと思いつつも、ゼウスはいったいこの女神を落とせるのはいつになれるのかと変わらずに無理やりに迫っては時に罵倒され、時に殴られ、時に雷(スタンガン)を当てられたりしながら時間を過ごした。
過去の彼は相手を騙す形で関係を迫ったり、拉致したりと現代社会では問題になることをしていたが、彼女はそれらを一切に許さないため、困り果てたゼウスは「花でも送ってみては?」と息子のヘルメスにいわれた通り、天界でも有名で希少な枯れない花を片手に会いに行ってやった。

「...これ」
「なんだ花も知らねぇのか、お前いつも庭いじりしてるだろ」
「...こんなもの貰ったって枯れるだけで無意味よ、本当に考えもしないのね、これだから低能は」
「なんだと?それは天界でも希少な枯れないバラなんだぞ!お前に合わせた黒のバラで頼むのにどれだけ苦労したかっっ」

ゼウスは流石の対応に怒りをあらわにして告げるとそれは予想外にも目を丸くして、普段は深淵のような暗い瞳をしている彼女が光を宿したような眼を向けたのだ。
そして胸の中で抱いた一輪の黒いバラをじっくりみては小さくはにかんで「ありがとう」というものだから、ゼウスは呆気を取られては自分の胸にキューピットの矢が刺さる感覚をはっきりと感じた。

ゼウスという男は単純で彼女曰く単細胞。否定はしないものの惚れた女神相手なら彼はいつだって猪突猛進であるのは仕方ないとして猛アタックを続ける中で知ったことは彼女が孤独であるということだった。
そしてある日、ゼウスが今日も適当な花を片手に会いに行くとき、彼女の自宅(神殿)に男が押しかけていた。珍しいこともあるとみていたゼウスだが、客人の為に出てきたと思えば相手の男神は跪いては彼女に指輪をみせた。

「死の女神ナマエ、私はあなたを妻にしたいのです!是非この指輪を」
「...くだらない、そんなちんけな指輪を見せて何になるの、愚かしすぎて笑えもしない、とっとと帰るがいいわ」
「しかしナマエ、私は本気で!!」
「あなたが欲しいのは私ではないでしょ、くだらない噂話に騙されて“不死”が欲しいの?いいわ、私があなたを冥界よりも深い先に生きたまま落として永遠の命を与えてあげる、ほら指輪をはめてみなさい」

相手の言葉に冷めた瞳で言葉を返すが相手が引かぬ態度を見せると彼女は不気味に笑って身を寄せるが相手はその不気味な様子に怯えて逃げ出してしまい、彼女は腕を組んではフンと鼻を鳴らす姿にゼウスは近づいていきいつものように彼女を見下ろしてその手の中の花を差し出せば彼女は睨みつけつつも花を受け取った。

「なんだよモテるんだな」
「...くだらない男ばかりよ」
「オレもか?
「そう...ね」

どこか悲しそうに話をする彼女について、ゼウスは小首をかしげて戻るなり彼女が何を司る神であるかなど何も知らないと思いヘルメスに声をかけると、その答えは意外な相手から帰ってくることとなった。
それは彼の兄ハデスからであり、冥府の王であるハデスは死や魂を取り扱う神は少ないうえに脅威となりやすいからと知っていたようだが、弟が今追いかけている女神ほど安全な者はいないといった。

「聞いたぞナマエ、お前がモテる理由を」
「聞いたって...あなた知らなかったの?」
「おう!オレ...あぁいやワシは最近のことはてんで詳しくないんでな」
「何その話し方、年寄りじみた話し方ね、ようやく自分がジジイだと理解してきたのね」
「っっあぁお主と比べるとな!!」

無理もない、彼女はギリシャ神話の他の神々に比べればとても若くゼウスの子供たちよりもずっと後に生まれた女神であり、「死」を司る女神としての肩書きを持つ女神であり。
冷たく孤高の女神は触れる者に死を与え、その魂を冥界の最深部へと閉じ込めるなどと噂されて恐れられており、周囲は彼女を恐れて孤独にさせた。その上、彼女を求める男たちは彼女を手にした者が不老不死という名の永遠の命を手にするなどという噂話に踊らされていたのだ。
神々も人間も英雄も、彼女にその価値を求めてくるものばかりで、純粋な彼女を求める者はゼウスしかいなかった。
「死を司る」といわれる彼女だが、元の彼女の両親(神)が死に関連した冥界出身の神であるため、その血を継ぐ娘として勝手な話が広がりその評価へと向けられていたが、彼女は生まれて今までずっとその様子で、過去にはそれで対人関係に傷つけられたこともあるというのをゼウスは知ってしまった。

「ワシはお前さんが隣にいればいい、不老不死なぞ、そんなくだらんもの誰が望むかバカらしい」
「バカそうな顔をしているくせにまともなことをいうのね」
「そりゃあそうじゃ!ワシはお主が欲しいじゃ!!ナマエというという名の一人の女神(おんな)がな」

ゼウスはもう一度声高らかに宣言すると彼女はその頬を真っ赤に染め上げて「...まぁ、考えなくはないわ」といい、ゼウスはゆっくりと何百年もかけて純愛(ピュア)な恋愛を初めて、結果初めて出会った頃のような彼の姿は今やすっかり見違えるほどのよぼよぼの年寄りに変わってしまい、その代わりに彼女を妻として迎え正式に二人は愛し合う関係へとなったのだった。

◇◆◇

「本当にあなたの顔を見ると苛立つわ、その皺だらけの醜い顔、恥ずかしくてたまらない、こんな神(ヒト)が私の夫だなんて私の価値が落ちるわ。とっととソファで情けなく横にでもなってぐーたらとだらしなくお菓子でも食べてブクブクと肥えて糖尿病になればいいのよ」
「おお〜流石ナマエちゃん、ワシもう疲れ切っておったんじゃ、おっ今日はワシが食べたいといっていたオレンジのパウンドケーキじゃ!本当にできた嫁を持つと幸せじゃのぉ」

そうしてゼウスは執務室の椅子から首根っこを掴まれて退けられるなり椅子を奪われて来客用のソファに座るがそこには既にしっかりとオレンジのパウンドケーキと淹れたての紅茶が用意されており、紅茶のポットを片手に待機していたヘルメスが「奥様自家製でございます」と微笑みながらいうため「ヘルメス黙りなさい」と叱咤の声が飛んだものの、彼女は朝からずっと事務仕事に追われては苦しんでいるゼウスに変わり、承認印だけで済むものを眼鏡をかけてしっかりと確認しては次々と処理していき、数字が出てくれば電卓を叩いて次々と片していく。

そうして夫婦となって理解したことは孤独であったナマエは心からゼウスを愛しており、血のつながらない家族たちも強く愛しているということだった。
その証拠にゼウスの隣で立っていたヘルメスに近づくと「ヘルメス、あなた私が用意したものを食べれないといの」と怒り気味に言い放ち、ヘルメスが「ナマエ様(お母様)?」と従者として振る舞う彼が困惑する間もなく、無理やりに座らせてゼウスと同じケーキと紅茶を淹れては強制的に休憩をさせてはまた仕事に戻ってしまう。

「私は構わないのですが...うん、でもとっても美味しいです」
「ナマエにとってお主もまたかわいい息子なのじゃ、甘えておれ、ところでナマエちゃんミルクほしいんじゃが」
「今私は仕事をしているのよ!全くミルクくらい自分で近くの従者たちに頼めばいいのに、ちょっとそこの二人組!!今すぐミルクを持って来なさい、持ってきたらキッチンにオレンジパウンドケーキの残骸があるから処分しておきなさい!」

まるで吠える様に声を荒げる彼女に近くに待機していたメイドは肩を震わせるもののすぐに「やった奥様のケーキだ」と小さく呟いてはミルクを取りに行くのを見届けてしまえば、彼女は「...おかしい、死の女神なのに恐れられないなんて」と眉間に皺を寄せ不快感を示すような顔をしているため、ゼウスは彼女の前にいくと自分の皿の上のケーキをフォークに刺して彼女にあーんというように差し出しており。
それに気付いた彼女は酷く冷たい瞳でゼウスを睨むようにみつめてはフォークを奪うと彼の口の中に無理やりに詰め込んだ。

「こんな甘ったるいおじいちゃん(あなた)が好むような味、私が食べるわけないでしょ。自分のものくらい自分で食べなさいよ、人に食べさしを寄こすなんて、これだから年寄りは」
「ううむ、素直じゃないのぉ、でも相変わらずそんなところもかわいいのぉ、どうじゃ?一緒に食べてくれんかのぉ、ほれちょうどアレスも歩いておるからみんなで...の?」
「...フン、頼まれたから仕方なく招かれてあげるわ、アレス!!こちらに来なさい!」
「え!?なんですかっ!!」

そうして開いた執務室のドアの奥の廊下で通り過ぎようとするアレスを見かけるなり彼女は無理やりに呼ぶと、ちょうどアポロンもやってきており、さらにアフディテまでもやってきてしまい、執務室の中は神々で埋め尽くされる中、眩い彼らの中で漆黒の女神は小さく幸せそうに微笑むのをゼウスはみてはテーブルの下で手を小さくつないで幸せそうな彼女に「うまいのぉ」と声をかけながら彼女の手からケーキを食べさせてもらうのだった。

2026.3.26