アレクサンドル・デュマ・ペールはこのカルデアに来る前、そう、あの時のスノーフィールドの時からカルデアに馴染んでいた。彼の性格と料理への情熱と愛情からくるものであることは明白で、彼がカルデアに来てからというものの作家でありながらも所謂キッチン担当になるのはごく自然のことなのかもしれなかった。
カルデアで働き始めた彼女にとって、否、スタッフ全体からしてみても英雄や聖女や作家がキッチンを支配するなど予想もしていなかったことだが、そんなことにも慣れてしまい、数多の企業の中の食堂ではカルデアが世界一だといえるほどの味があるだろう。
料理ほど人と人を繋ぐものはない…と彼女は思いつつ時間を大幅に逃して夕飯を食していた頃、向かいの椅子が引かれる音と誰かが座る音がして、彼女は目の前を見ると黒いエプロンをした男、デュマが座っていた。
彼女とデュマは奇妙なことに、ほんの少し、他のスタッフと比べては交流がある。それは彼女がいつも遅い時間に食事をしていたり、夜中にコーヒーを飲むためにラウンジに行ったりとしていたからだ、なんて事ない平凡なスタッフの彼女にとってデュマはシェイクスピアやアンデルセンに並ぶような作家だ、作家のサーヴァント(だけではないにしても)それなりに癖がある人かと思えば彼は案外気さくなタイプであると知り、次第に会話をするようになった。
「どうだ味は?」
「今日もとても美味しいわ、あなたが担当したの?このローストビーフとスープが特に好きだわ」
「ほほう、お前さんいつも的確に俺の"味"を見つけるな、それも純粋な俺が作った料理だけ」
そんなつもりはなかったと彼女は思いながらもカルデアの料理はどれも美味しいのは当然だが、特に彼の料理が舌触りも味の好みも合致してしまうのだから仕方ないだろうと思いつつ黙り込んで食べる頃、デュマはいつも彼女をじっくりと眺める。その姿はまるで親が子の食事を待つようなものであり、決して評価を待つものではない。
そうして彼女が静かに食べ終えて口元を拭いた頃、デュマは少し考えたような顔をした、食後のデザートかコーヒーでも考えているのだろうかと思う時、彼の口元が楽しそうに弧を描き、彼女に一つの注文を頼んだのだ。
「なんてことを頼むのかしら」
食事を終えた彼女は食堂のキッチンに立っていた。
その理由は一つ、先程デュマが楽しそうに彼女に依頼してきた内容は「俺に食事を作ってくれ」ということだった。当然彼女は断った、それも親切丁寧に、当たり前のことだ。彼女はそもそもデュマのような美食家でもなければ自分一人の際でも料理はしない。カルデアに来る前、一人暮らしをしていた頃や来てからも遅い時間の食事や特になければカップ麺や携帯食料で済ませるほど食事や料理には無頓着、そんな彼女が美食家で料理研究家の"あの"大デュマに料理を作るなど言語道断だと言いたかった。
「味?見た目?そんなものどうだっていい、あんたが俺のために作ったものが食いたいんだ」
でも…と彼女が断れば彼はその独特の歯をキラリとみせつけては「いつも飯を作ってやってるのは誰だ?」と決して逃れられない言葉をいう、こういう時、言葉を選べる側はズルいと思いつつ彼女は唸りながらキッチンに立った。念の為にキッチンのメイン担当を務めるエミヤには当然許可を貰ったものの、莫大な調味料や食材はもちろん、包丁の数さえ驚いて悩みに悩み果てたあと、彼女はストッカーと冷蔵庫の中身を見て、自分で出来るものを考えた。
それはまるで劇の開演を待つような心地だ。
デュマは鼻歌でも歌いそうになほど上機嫌で食堂からキッチンを見れば、彼が貸した黄色いエプロンを着けて料理をする彼女の背中を見つめる。自分が入らないキッチンに入るというのは中々に難しいものだと彼も理解している。他人の家の中でもキッチンだけは聖域で、簡単に手を触れるものではない、というよりも難しいのだ。
デュマからすると少し小さい、彼女からすると少し大きい、そんなカルデアの広いキッチンの中から聞こえてくる包丁の音はダンスのような軽快さはない、迷うようなたじろぐような音、野菜が剥かれる音、水が注がれる音、火がつく音、炒められる音、様々な音が幾重奏となり奏でられる。その音に混じって、時折彼女の「あ」やら「っいた」やら「違う」やらというボーカルが混じるとデュマは思わず目を閉じてしまう。
広い食堂の中で彼は一人で楽しそうに待つこと三十分ほど、ようやくキッチンから出てきた彼女は誰もが使用するトレーの上に小さな皿と水の入ったコップを入れて彼の前に現れる。
「お待たせしました」と少し疲れたような顔をしつつデュマの前に置いたのは、なんてことない素朴なカレーライスだった。白と茶色のメイン食、分厚いロース肉は一口大のカット、飴色に食感が分かりやすそうな玉ねぎ、心地よいほど鮮やかなオレンジ色の人参、少しだけ形の歪なじゃがいも、添えられた赤い福神漬け。まさにそれは何処にでも見られる家庭的な料理であり、デュマはそれを絵画を見るかのようにじっくりと眺めた。
「普段作らないから、適当に作れるものって思って……スパイスは分からないから市販のルーが合ったから味は悪くないはず」
デュマは何も言わなかった、しかし丁寧に彼女がするように手を合わせては「いただきます」と挨拶をして、その銀色のスプーンでご飯とカレーを丁寧に乗せて口の中に頬張った、一口、二口、三口と豪快に彼は掬っては口の中に放り込む。
深く味わい咀嚼して、その喉仏が大きく揺れて、胃の中に消えていく、ただ彼は無言でそれを食べていくのを彼女は少しだけ不安になりながらみつめては、ついに耐えきれずに「どう?」と問いかけた。
するとデュマは静かに一度スプーンを置いては向かいに座る彼女をみつめた、その瞳は新しい物語を見つけた時のような輝きだ。
「実にいい、こりゃあ"名作"だ、市販のルーという初心者ならではの冒険しない真っ直ぐとした味、レシピ通りに作ったんだろう、水加減も野菜の煮方も最高だ、不慣れだからこその王道とルールを守った味はスパイスの風味もよく効いてる」
彼は熱心に語り始めることに彼女はしっかりと言葉を聞くものの、いかんせん作家の言葉はあまりにも真っ直ぐで情熱的で、少しだけ独特で、彼女は肯定的な意見なのだろうと思いつつも長い感想を聞くうちに少しだけ小さく息を吐いて、彼の言葉を遮ると「それで美味しいの?」と聞いた。
その時、デュマは作り手が何を求めているのか理解して、ハッとした顔をした、彼女は難しい言葉も多大な賛美も不要なのだ、ただその胸に宿る不安を一言で無くして欲しいのだろう。
「あぁ……美味い、とてつもなく美味い」
噛み締めるように、そしてとても満足そうな笑顔で彼はそう答えた。そうすると彼女の胸から不安が簡単に消えて、よかったという安堵の声が漏れることにデュマは片手を伸ばして彼女の左手に自分の手を重ねた。
デュマのペンや包丁を握る無骨な男の手が彼女の手を包んで、そして彼女の人差し指の絆創膏を撫でた、それは料理する前には無かったはずの絆創膏であり、この料理の際に出来た真新しい傷なのだろう。
「あんたが俺を想って作った料理だ、これ以上に美味い料理はないだろう」
「嘘つき、美食家じゃない」
「俺は作家だ、物語性を重視してる、そして物語ってのは"想い"だ」
どんな形であれ、その優しい想いがこの中にはちゃんとあるのならば、美味しさだけを追求した料理は敵わないのだと彼はいう。彼女はそんな事ないと言いたい気持ちがありながらも、自分の手を優しく撫でるデュマの手を拒むことができずに「そうね」と短い返事をした。
「特にこの"一節"がいい味を出してる、どんな味にも敵わねぇさ」
熱い視線と声で語る彼に彼女はこれだから女たらしはと目を細めて薄く笑って早く食べるようにいった、食べ終えたら互いの食器を洗って食堂を締めなければこの香りを嗅ぎつけて誰かが来てしまうかもしれないから。デュマはその言葉を聞いては料理は味わうものだと答えつつも、二人の時間を邪魔されるのは嫌だといって手を重ねたまま、もう一度スプーンを動かした、なんてことない優しいカレーだ。
2026.05.06
→