深夜のカルデア内は静寂の限りだった。日中のような人やサーヴァントの喧騒も、キッチンから香る心地よい匂いも、誰かしらの騒がしい音も、なにも聞こえず、ただ夜が来たのだと冷たい空気の中で感じながら彼女は廊下を歩き、ラウンジに向かった。
時刻は既に日を跨いでおり、廊下を歩く人の影も見えず、彼女は自分の足音が廊下に響いて他人を起こさないだろうかと考えた。仕事が遅くなるのは毎日のことで、スタッフの中でも技術職を担う彼女は昼夜逆転じみた生活をするのは昔からでもあるが、それなりに大目に見てもらっていた。
広く薄暗いラウンジに辿り着いて、オレンジの間接照明が灯るカウンターにあるコーヒーマシンに真っ直ぐと向かい、手の中のマグカップを設置してブレンドと書かれたボタンを一つ押してみる。その間に一度自分の胸ポケットを撫でてはラウンジの隣にある喫煙所に入り、誰もいないその暗い喫煙所でタバコに火をつけた。
ふぅ……と一息零しつつ、喫煙者が少ないカルデア内でいくつか設置された喫煙室には感謝しかない。仕事のことばかりが頭の中を支配する、ここ数日は少しだけ落ち着いているが、それでも押し付けられる仕事や依頼は終わる気もしないと思いつつ半分ほどしか吸い終えたタバコを灰皿に押し付けてコーヒーマシンに戻ると一つの背中が見えた。
「こんな時間にまたこんなもん飲んで、あんた今晩も寝る気はねぇのか?」
体躯のいい男は足音を聞いて振り返ると彼女に向けてその白と赤のルーレットのような柄をした歯を見せて無邪気に笑う。重苦しいコートは脱いで見慣れたエプロンも付けていない彼──デュマは彼女を見て呆れたように笑うが、彼女は隣に行くとコーヒーを淹れ終えたカップを手に取り、戸棚を漁ってもう一つのマグカップを取り出した。
「寝る気が無いわけじゃない、癖みたいなものよ、飲む?」
「あぁもちろん、それなら早くその癖を直した方がいいぜ」
折角の美人も傷んじまう。と笑う彼に彼女は特に気にせず自分の真っ黒なマグカップとは正反対の真っ白なマグカップに同じブレンドを注いだ。大きな機械音、水の蒸発する音、豆が中で潰れる音、カップに注がれるコーヒーの音、それらが規律を守るように心地よく音を奏でる中でデュマの手が伸びて彼女の目元の小さな皺と疲れたような重たい瞼を撫でるように触れる。
彼の褐色の指に右目の縁を一撫でられた彼女は薄く目を開いて彼を見上げるとデュマは楽しそうに笑う、これはいつものことで、二人はほとんど毎夜、この人のいないラウンジでコーヒーを飲んでしまう。それは習慣になってしまっており、彼が寝る気はないのかと聞くことに対しての答えの一つでもある。
「タバコを吸ってたのか、いい加減やめろ、味覚が落ちる、俺の料理の味がわかるってのに質を落とすなよ」
「貴方も葉巻を嗜むじゃない、モンティーズ」
くすりと小さく笑う時、コーヒーマシンが仕事を終えた音を立て、彼女は二人分のマグカップを片手にラウンジの壁沿いとなるカウンター席に坐る。広い四人掛けのソファ席もあるが、彼女はいつも静かで小さな席を好み、デュマもそれに着いてくる。
モンティーズ──というのは彼が愛用する葉巻、キューバ産のモンテクリストという葉巻を愛好する者への愛称だ。デュマという男もまた作家として自分の作品に誇りを持ち、深い愛情を持つ男だ、彼が亡くなったあとに生まれたその葉巻を本当にごく稀に使用していることを彼女は知っている。
「俺はあんたのような'喫煙家"じゃねぇ、それにあれは違う」
「どう違うの」
「文化だ、そして作家(俺)へのリスペクト」
「料理人の癖に」
「そんなに煙が好きなら明日はスモーク(燻製)料理にしてやろうか」
スイッチが入った──と彼女は思った。デュマという男はいつもこうだ、少しばかり難しい互いの話をしあって、そして料理の話になるとさらに饒舌になる。作家としての彼よりも料理研究家としての彼の方がずっと見ている気がすると感じてしまうが彼女はそれが嫌いではない。元より本はあまり読まないタチで、その料理や食材の起源など考えることもなかったが彼は食に対する"物語"を求めていた。
ありとあらゆる国文化へのリスペクトも、情熱も作家や小説家としての彼同様に本物であり、だからこそ彼は今カルデアにいる中で様々な物語(料理)を味わえることを楽しんでいるのだろう。
「そんな風に話されると飲みたくなる」
思わずそう呟いた。時刻は一時と二時のちょうど真ん中、彼の話を聞いているとワインとチーズと燻製料理が食べたくなった、その言葉を聞いたデュマは目を細めて笑う。たまにはいいと言うが時間ももちろん、明日も当然仕事、その上ワインなんて彼はきっとどこかしらから盗んできてしまうかもしれないと思えば彼女はコーヒーだけでいいと思えるが、いつの間にか三分の一程になっていた、自分も彼のものも。
けれどもデュマの話というのは至って楽しくてたまらない。彼がただの小説家のみならず劇作家というかところもあるのかもしれない、身振り手振り大袈裟に動き、その表情は廻るように変わっていく。コーヒーの湯気がすっかり消えて冷めてしまってもそれを肴にできてしまうくらい。
カルデアに来てから長く、様々な経験をあの幼いマスターほどでは無いがしてきたといえる。それこそカルデアに所属する英霊との出会いだけでも魔術師だとすれば相当な価値あるものだ。彼女もそれくらいは理解している。それでも目の前で語る彼の冒険譚や仕事の苦労に物語の語り方を聞いていれば微々たるものだと感じてしまう。
「つい……話し込んじまったな」
ようやく一息ついてコーヒーを飲みきったデュマがそう零した時、彼女も自分のマグカップの中身が空になったと気付いた、時刻は二時を過ぎていた。もしこれがカフェの客ならコーヒー一杯で粘る客のようにも感じられる。デュマはまだ少し話をしてもいいと言いたげで、それはいつも通りである。彼女も夜更かしは得意でもう少しならと席を立てずにいたら黙り込んだデュマは肩肘をついて彼女の顔をみつめた。
「こんな時間にいいのか?俺と朝まで明かすってことになるぞ」
「ええ、もう少しだけ貴方の話を聞いていたいから」
楽しいと言う気持ちに偽りはない、そもそも嘘をついたところで意味もない。しかしカップの中は空であり、彼女はもう一杯くらいコーヒーを淹れる?と問いかけるとデュマは先程の言葉からしても少し驚いた様子から、さらに片眉をほんの僅かに上げて、そしてその後マグカップに手を伸ばそうとした彼女の指に自分の指の先をわざと触れさせた。
「それなら夜明けのコーヒーでもどうだ?」
挑発的に大胆に、それは簡単な誘いではない、官能的で詩的でロマンで大人びて、紅茶の中に落としたブランデーのような隠し味、熱っぽいデュマの重たい瞼と短いまつ毛に深いベルベットのような瞳が彼女を見つめる。彼の指が彼女の指先にほんの僅か、間違いかのように撫でるようにまた触れると彼女の瞳がデュマをみた。
「ええいいわね」
彼とは違う静かな笑みを浮かべた彼女にデュマは何度目かの呆気を取られる、いつだって自分が読者─彼女─にそうしたいと思うことを、彼女はデュマにしてみせる。
少しの間を開けたあとデュマは喉をくつくつと鳴らして笑っては彼女を見た、それなら新しいコーヒーを今度は俺が淹れるといってラウンジのドリンクや軽食が並ぶカウンターへと行ってしまい、彼女はその背中を見つめた。男性らしく他の作家のサーヴァントとは違う体躯の良さ、けれども英雄や兵士ではないその背中、機嫌が良さそうなのは背中を見てもわかる。刈り上げられた頭を見ると項から上に撫であげると心地よさそうだと思え、そうするうちにデュマは白地に赤、縁には金が入ったティーカップとソーサー、そしてそのカップの上には角砂糖を乗せたスプーンが置かれており、デュマは彼女の前にそれを置いた。
「貴女(きじょ)よ、今宵は我が国をご堪能あれ」
そう言って彼はシロップピッチャーを差し出して、角砂糖の上に蜜をかけるように注ぐと、白い角砂糖は茶色く変色をした、一体なにやらと彼女が魔法を見るように彼を見ると「これこそが芸術だ」と一言告げてパチンと小さく指を鳴らすとスプーンの上の角砂糖が青い炎に包まれる。
彼女が目を丸くしてみていればデュマは知らないかと満足気な顔をして、彼女の背後から身を寄せて薄暗いラウンジでコーヒーについて話した。
「カフェ・ロワイヤルだ」
「王室のコーヒー?名前通りの華やかさ、貴方が出してくれるだけのことはあるわ」
かつて皇帝ナポレオンが愛飲されたというカクテルでありコーヒー、角砂糖にはブランデーを染み込ませて溶ける時間をも楽しみ、デュマはその味をよく知っており、その美しさも味も愛していた。ゆっくりと青い炎が揺れるのを眺めるときデュマは彼女の背後から覆い被さるようにして見つめていた。
互いの香りが混じり合うのは砂糖が溶けていく過程のよう、煙が揺れるように、二つが一つに混じり合うのを二人は何も言わず眺める時間はほんの瞬間的なものだ。
「デュマ、貴方は本当に愛国者ね」
「ン?ああもちろんだ、あの国以上に芸術と作品を描き作れるところはないからな」
彼女の言葉に彼は返事をするが、赤と青と白、ティーカップと炎をみて微笑んだ彼女にデュマは気付いてしまうなり、少しだけ気恥しさを感じつつも少しをしてから笑った、時刻は二時半を過ぎていた。
「何せ、我が祖国は"愛の国"だからな、さぁ溶けたら混ぜて一つにしてくれ、そして今宵は俺とあんた二人で朝が来るまで語り合おうじゃねえの」
コーヒーの味を堪能した、互いの胃の中には互いのコーヒーの味が残っていた、それは愛を語るよりもずっと深く、二人は誰もいないラウンジで静かに話をした、それはなんてことの無いものだったかもしれないけれど二人にとっては重要な時間。夜明けのコーヒーを飲むかどうかはわからずとも彼のそれを飲みきるまでは互いにはまだ眠れない、ブランデーとコーヒーが混じりあうように、静かに煙が揺れていた。
2026.05.08
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