その日は珍しく少しだけ早い時間だった、少し遅れて食事を摂る他のカルデアのスタッフたちと入れ替わるように最後に来たのが彼女であるが、それでも比較的早い時間に来た方だった。
カルデアの食事はよくある社員食堂スタイルが主で時折ビュッフェスタイルにもなる、様々な国や出身の人達が集まるためどうしても味の好みというものもある。サーヴァントである複数名がキッチンを担当して毎食いくつかの献立というプランを練り上げて、おおよそ三種類の献立からひとつを選ぶこととなるが、彼女が来る頃には選択肢は失われており、特に気にすることなくそれを食すのが常だった。
なにか固有のメニューを食べたければその時間通りに来たらいいだけだが、騒がしい食堂に人に揉まれながら過ごすよりも、一人静かな食堂で食するのが合っている。本来食事を受け取って自室で食べても良かったのだがそうしないことには小さな理由もある。
「今日は早い方だが、残念、Cセットしかないぜ」
「じゃあそれで…というか、まだ残ってたのね」
「ああ、ちょこっと用事があってな」
作家サーヴァントの一人であり料理家のデュマ、彼は大抵いつも食堂の締め作業を請け負っている。大抵の洗い物はみんなで協力をして終えて、最後の片付けをするのが彼の役目であり、本来面倒でもあるが彼は彼女が来ることを知っている故に喜んでそれを受けるようになった。
Cセット──として出されたプレートはエビとベーコンのキッシュ、野菜がたっぷりのポトフ、赤かぶと生ハムのサラダ、やりいかのオリーブオイルのパスタといった洋風メニューであった。ガッツリが好きなタイプはAセットの焼肉丼にいくかとメニュー表を見ながら思いつつ、彼女は出してもらったプレートを受け取って、水を入れるといつものように隅の席に腰掛けた。
いつもなら向かいに座ってくるはずのデュマはキッチンから出てこなかった。黒いエプロンで真剣な様子で何かをしており、彼女もまた静かに感謝しつつ食事をした。早いといっても既に普通の人はシャワーを終えて寝る前のフリータイムに入る時間帯だろう、食堂明かりも最低限でデュマはいつも明日の仕込みがある、ちょっと考え事をしてる、いい構想が浮かんだ、などと様々な理由を持って食堂に彼女が来るまで残っているのを知っていた。
元より食事に重要性は求めてなかったのだが、デュマと親しくなるうちに遅いからと食事を取らなければ、彼が部屋まで食事を持ってくるようになってしまい、そこまでは申し訳ないからと遅くていいなら食堂に行くというようになった。
焼きたてと変わらない料理の温もりはデュマがずっと待っていてくれているからだと彼女は知っている、美食家である彼にとって料理はいつだって最高の状態で提供したいのだろう。お陰様で彼女は自分の舌が肥えたのではないかと思うときもある。実際以前よりかはいくらか舌は肥えた可能性は高いとキッシュを口に運んでは口の中で心地よく崩れていくのを味わった。
デュマは食べ終えるまで一向にキッチンから出てこなかった、少しだけ珍しいとも思えたが明日の朝への仕込みなどがあるのかと思いつつ、キッチンから食堂に香るショコラの香りに思わず気を奪われつつも彼女は丁寧にフォークを置いてキッチンのシンクにまで戻しに行った。
「ご馳走様でした、今日のキッシュとても美味しかったわ」
「あんたが好きそうな味付けにしといたからな、エビの塩抜きからキッシュの生地作りまでこだわり抜いた一品だ」
「それはありがとう……と、これ洗っていきましょうか?」
彼女は自分の食器とは別にシンクの中にあるヘラや泡立て器にボウルなどをみて問いかけるとデュマは作業をしたまま振り向くことはなく「ああ頼む」と返事をした。
珍しくお菓子を作っているのだと思いつつ彼女は彼の横で洗い物をした、大抵デュマが最後までしてやると甘やかしてくれるのだが、今日は少し自分の仕事に夢中な様子で、その熱量を物語に向ければいいのにと思いつつも、カルデアに来てからの彼は作家業より料理に夢中でもあった、無理もない、生前とは違う今の時代の料理は楽しくてたまらないのだろう。
ちょうど洗い物を終えた時、デュマの作業も終えたようで、彼女がタオルで手を拭く時、とても嬉しそうに楽しそうに彼は振り返っては「働き者のあんたにとびきりのご褒美をやろうじゃねぇの」と不敵に告げる。どうやら彼はそのつもりで用意していてくれたようであり、彼女はそれならと二つ返事で答えて彼に言われるがまま、また席につくとデュマは彼女の前にランチョンマットを敷いて、丁寧にティーセットにフォークとナイフを置いてくれた、まるで途端に宮廷に来た気分になるのは彼の所作があまりにも美しく客人を招くことに手馴れているからだ。
彼は先に一つのケーキが乗った皿を置いた、黄金比のように広い皿の上に一つのガトーショコラとホイップとミントと彩りを添えるためのベリーソース、ガトーショコラの美しい暗褐色の上には粉雪のような砂糖が計算されたように舞い落ちており、コンパスのような円を描くベリーソースも、バランスよく置かれた乳白色のホイップと香り良いミントのグリーンも、まるで一種の洗練された絵画のようである。
それを見る間にデュマは彼女のカップに紅茶を注ぐとその朱色が白いカップの内側に満たされていき、カカオと紅茶の香りが心地よく交わり彼女は思わず目を細める、全くもってこの男は料理に関してだけはこんなにも繊細なのだと感じたから。
「本日最後を彩るのはフランスが誇る"ガトー" そう即ちガトーショコラでございます、貴方の口の中で蕩け、そして奏で、甘美なまでの幸福を届けることを約束しよう」
「いつも思うけどそういう口上っているの?」
「雰囲気だ、ほら食ってみろ、甘いもの食いたいって言ってただろ…全く雰囲気を大事にしてくれよ」
呆れたようにそういった彼の言葉を聞きながら彼女は金色のデザートフォークを右手に持つと、その深いダークブラウンの美しい三角形のケーキに突き刺し、その先端を掬うと口の中に招いた。舌の上で溶けるチョコレートの甘みと芳醇な香り、ほんのり薫るブランデーの深い味わいが大人へ向けた味わいで、彼女は特段大きく表情を変えずとも隣に立っている料理人デュマを見つめた。
「最高のデザートだわ」
「お褒め預かり光栄です、ここ数日疲れた顔をしてたし、前に甘いもんが食いたいって言ってたろ?それにあんたは疲れたらチョコレートがいいとも、だから今日は特別メニューだ、あんただけに贈る俺からの物語だ、堪能してくれよ」
茶目っ気を込めて器用にウインクをして見せる彼に彼女はかのフランス三大文豪ともいわれるような相手、しかも英霊にまでなった彼に尽くしてもらえることは有難いことこの上ないと感じつつも、目の前のガトーショコラを見ては呟くように言葉を発する。
「そういえば貴方の本を読んでたけど、貴方はガトーを"甘やかす"という意味だと解釈していたわね」
「ン?あぁそうだ、ガトー(gâteau)から来たとな」
英霊となる彼にこんなことを言うのは野暮だと理解している、今の彼はその英霊の座というスーパーコンピューターよりも優秀な知識のライブラリーを所有している、それを言うのは少々の意地悪もあるがこの大雑把なところもある男には多少は問題は無いとして彼女は彼の過去を指摘した。
「どうやら意味は違ったそうよ?」
かつて彼が最後に残した大料理事典にて彼はガトーの意味を甘やかす(gâteau)から来たものだと解釈した、しかし真実はゲルマン語派から来るものだとされ。
「"食事"の意味だとか」
彼女はそういってフォークでガトーショコラをまた一口食べようと刺す時にデュマの手が彼女の手に重なった、チョコレート菓子よりも淡いが深い褐色肌の彼、深いルージュの瞳が彼女を捕えるといつものように歯を見せて楽しそうに笑って、その手からフォークを奪ってガトーショコラを彼女が切り分けるよりも大きく切った。
「らしいな、でも間違いじゃあない」
確かに言葉の語源とやらは違うかもしれない、それを調べる気もないがあんたがいうならそうだ、でも俺の中では違う、言葉の意味というのは自分が作り上げるもの、だからこそ、作品は様々な顔を持つのだと彼は熱く語りながら机の上に軽く腰を掛けて、フォークに刺した一口のガトーショコラにたっぷりのホイップクリームを纏わせて、そして彼女の口元に持っていくと見惚れる程に色っぽい表情をした。
「なにせ俺はあんたを"ガトー(甘やか)"したい」
宝石やシルクや絹やレースではない、胃袋から、内側から溶かしてやりたいと熱っぽく派手に語る作家の言葉を聞いて彼女は目を見つめたあと、静かに口を開けて一口でガトーショコラを食べた。口の中には先程よりも甘く感じるチョコレートの味が広がって、その後に彼のような味わい深い香りが鼻腔をくすぐった。
上品とはいえない彼は机の上に座って、脚を組みながら彼女を見下ろして、口の端についたホイップクリームを親指で拭ってその朱色の舌の上に乗せて食べてしまう。
「充分、gâté(甘やか)されてるわよ」
そう言って彼女は残ったガトーショコラを食べては机の上の彼に降りるように告げた、どうせ残ってるならブランデー入りのケーキは子供たちに食べさせられないのだから、隣に座って食べましょうと誘って。
二人きりの食堂はほんの少しだけ甘い香りがするのだった。
2026.05.10
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