それはとても珍しい光景だと彼は感じた。
深夜零時を回った時計と静かなカルデアの廊下と冷たい空気、時折まだ起きている者もいるのか声が微かに聞こえるもののほとんどが寝り静かな様子だ。彼はただ予定もなくその空気を味わうように歩いていた、今晩は彼女は遅くなるからと夕食を断っていたのは知っており、彼も深く気にかけるつもりもなかった。ほんの少し酒でも飲むかと共有冷蔵庫の中で誰かしらが置いてそうな安いワインでも飲みたい気分で彼は足を運ぼうかと思う時、微かに香る深夜には相応しくない香りと音に釣られた。
いつも通りのカルデアの食堂は無人で暗い。しかし奥のキッチンにだけは明かりが灯り誰かがいるようだった。キッチンのメインを執るエミヤか、それともブーティカやタマモキャットなどだろうかと思いながら見てみればデュマは驚いた。

何せキッチンになんて立たない、今晩夕飯の席にも来なかった女が一人でそこに立っていたから。
彼女は短い髪をヘアゴムで結んでエプロンもつけずに仕事終わりのTシャツと作業着のままでフライパンを振っていた。料理にはさほど興味が無さそうな女だと彼は認識していたはずだったが、フライパンを片手に彼女は何かを口にしていた。それはアルミ缶でありラベルには未成年禁止という文言と共にビールと書いてある。どうやら一人で彼女は最高の戯曲を作っている様子であり、デュマはわざと足音を立ててキッチンの入り口からその巨躯で覗き込んだ。

「よお、随分と楽しそうなモン作ってるじゃねぇか」
「別に大したものじゃないわ」
「大したもんじゃない?俺の夕飯を断っといて冷てぇな、それにあんたが工具以外を振ってる姿なんて想像さえしなかったぜ」

どういう風の吹き回しだとデュマが聞くと、彼女は「別に私だって料理ができないって訳じゃない」と返事をするため、たしかに彼女が以前作ったカレーを思い出しては出来ないわけではない。という理由については納得するが、何故作っているのかという疑問については消えない。
しかしそんなデュマに彼女は香ばしく出来上がった料理を小さな小鉢に移しつつ「たまには飲みたい時ってあるじゃない」といいながら完成させては広いシンクの上に並んだ材料を手にする。とはいえ彼女は次に一人分程度の冷奴の封を開けて、出来たての小鉢の横に置くためデュマは「これは?」と聞くと「豆腐よ、そのまま食べるの」というため、彼はせめて皿に入れろと告げた。

「面倒じゃない、洗い物が増えるし」
「料理の味は素材や料理だけじゃねぇんだよ、色味のバランス、皿の一枚だってそうさ、シンプルと質素じゃ意味が違うぜ」

デュマはそういって水切りしてやり、近くの小鉢に冷奴を盛っては冷蔵庫から小口ネギとかつを節を取り出してだし醤油を掛けておいた。その間に彼女が卵を割っているのを眺めては先程作っていた小鉢をみる。
ごぼうと人参とごまが入ったシンプルなきんぴらごぼう。デュマには馴染みない料理ではあるが日本食をメインに作るサーヴァントエミヤのおかげで日本食も理解しており、彼は近くの箸を手に取るとひとつまみした。醤油とみりんと砂糖という日本食の基本的な味の中にピリッと感じた味わい。デュマはン?と不思議そうにしつつも彼女を見た。

「エミヤが作る味と違ぇな、胡椒……いや、もう少し違うな」
「柚子胡椒よ、唐辛子を入れるよりピリッとして美味しいでしょ?」
「ほぉ、普通(レシピ通り)の作り方じゃあねぇな」

そういってる間に彼女は卵焼き用のフライパンによく混ぜた卵液をそそいだ。ほんのりと香る出汁の香りが心地よいと鼻腔を擽られることと、フライパンの上に落ちて焼かれる音を聞くデュマは腕を組んで観客の気持ちになった。
料理になんて興味は無さそうな彼女がいったい全体どういう気持ちなんだかと彼は思いつつ素直に問いかけると、思っていたよりも機嫌のよさそうな声が帰ってきた。

「面倒な仕事が片付いたのよ、明日は休みだし私へのお祝い。最近飲んでなかったし、食べたいものを食べたくなったのよ」
「飯のことなら俺や誰かに頼めばいいじゃねぇか、献立の提案なら歓迎だぜ?」
「自分好みの味がいいのよ」

ここの人たちは料理上手だからと付け足した彼女はそれなりに綺麗な形のだし巻き玉子を完成させては巻き簾で包んで放置する。その間に冷蔵庫から小さな小鉢を並べていくと一品ずつの料理は少なくとも小さな宴会のようであり、デュマは相当面倒な仕事だったのだなと思いつつ、そんな彼女の邪魔をするのも悪いかと案外潔くキッチンを離れようとしたが「ねえ」と呼びかけられた。振り返ると彼女は嬉しそうに一本の日本酒を取り出しており、どうやら鬼から貰ってきたらしく、それはもう珍しく浮かれてるとさえ感じるのだ。

「あんた以外と料理に手を加えるのが好きなんだな」

食堂の椅子に座って隣に座る二人、デュマのその言葉に対して彼女は日本酒の蓋を開けてデュマのお猪口に注いでやりながら目を向ける。しかしながら彼は彼女の新たな姿を見たことや親しみやすさを密かに感じられた、それは自分も他人の作ったものに手を加えるのが好きだからだ。それは決して相手を踏みにじるという意味では無い。反対に元を愛するが故に手を加えたくなるのだ、もちろんいい味になると分かっていて。

デュマは彼女の作った料理を一つずつ摘んでは日本酒を舌から喉に流してゆく、鬼が好みそうな辛口だが透き通る上品な味もしており、ただの酒豪の鬼から貰った訳では無いのだと思いつつ目の前の彼女が機嫌良さそうに静かに時間を過ごすのを見つめた。目じりがいつもよりも少しだけ垂れて機嫌良さそうなほろ酔い姿で、デュマは生前の自分のそばにいた女たちとは全く違うこの女がどうしようもなく面白くてたまらなかった。
自分の描いた理想のような喜劇や悲劇のヒロインとも違う、時代が違うのだから当然だとしてもこのカルデアの中で一番彼の心を掴んで離さない彼女はいつだって裏方で暗い闇の中で彼らを支える存在である。それを告げてもカルデアのスタッフはほとんどがそうじゃないかと言われるのは目に見えているため彼はいわない。

「あなたは私が手を加えても何も言わないわよね」

彼女はそう呟きながら椅子を立ち上がりキッチンから七味を取ってきては昨日の残りであった牛すじ肉を甘辛く煮込んだ料理の上に赤くなるまでふりかけた。元の味がわからなくなりそうなほどに辛くなるのではないのかと思えるものだがデュマは何も言わない、何故なら彼女がそれを喜んで食べるから。

「言う必要があるか?読者が好んでる物語にペンで修正入れるほど俺は野暮な作者じゃあねぇぜ」
「でも直したいとか、嫌とかならないの?」
「ならねぇな、そいつがそれを気に入ったならそれがそいつの"正しい"読み方だろ」

デュマはいつだって"原作"が正しいものではないと思っている。かつて彼がシェイクスピアのハムレットをみた時。劇作家になろうとペンを持った時も、心を昂らせた時も、全ての時に彼は思い出す。あのシェイクスピアは元の作品から逸脱しているといってもいいほどの改変されたものだった。しかし心動かされたのは紛れもなくそれであり、彼は自分の作品がどこまでも改変されようが構わないと思えた、それが人の心を惹きつけるのならば惹かれた者の魂に間違いはないから。
それは料理にも言えることで、特に料理はレシピ通りに作ることなど簡単だ、どれだけ美しく洗練された宮廷料理であれど彼は食道楽として、美食家としてそれを評価する、だがしかし彼はそんなものを求めちゃいない。

「なぁどうしてこのきんぴらに柚子胡椒をいれたんだ?レシピ本でも見たのか?このだし巻きは懐かしい出汁の香りだ、優しい味をしてやがる、誰に教わった?」

デュマはそう問いかけた、彼は料理にだって物語を求める。料理はいつだって誰かを思うものであり、それは自分や他人など理由も異なる。いくつもの層が重なるそれは分厚い本のようであり、魅力的なミルクレープのようでもあるだろう。
彼女は日本酒を飲みながら珍しく口元を緩めて微笑んだ「元彼と地元の味よ」と笑った、デュマは話を聞きたいと前のめりになって横にいる彼女に寄ると二人の足先と膝が触れた。肩肘をついてデュマの顔を見つめる彼女は彼のルージュのような瞳を見つめては機嫌よく物語を語った。なんてことない普通の会話でもいい肴になってしまうのだ。

「そうやって色んな人に色んな食べ方や味を教えられると自分の人生に相手が溶け込むみたいで不思議ね」

ねぇデュマ……と彼女は小さくいいながら彼のジャボに指を這わせて、その暗褐色の顎先を撫でた。なんでも食べきってしまいそうな、しっかりとした顎と歯並びはいつも獣のようにも感じられる。
酒に飲まれたように蕩けた女の瞳で見つめる彼女にデュマは喉を鳴らすように唾を飲み込んだ、酒と肴の味が混じるのにどこか少しだけ甘いようなも思える。

「じゃあ俺はあんたの中に溶けてんのか」

いつの間にか皿の中は空になって酒瓶の中身もなかった。
デュマは自分が彼女の一部を作っていると感じていた、食事は人間には欠かせないエネルギー摂取である。そしてカルデアのほとんどの日の夜はデュマが担当してやってる、英霊であるデュマと違い、生きている彼女が次を迎えるための血肉を作るために、その中でも彼のものを食べて飲んで細胞に変える。それは何処までも官能的さえ感じられることだろう。
彼女はデュマの顎を撫でる手を止めて足に手を置くと立ち上がった。

「あなたが私の中に溶けてるかどうか?そんなの胃も心もでしょ」

貴方の書く物語も作る料理も騒がしく語るその言葉も夜を重ねる時間も、全てを形成してるのはデュマだと彼女はいうような顔をして背中を向けて去っていく、どこにいくんだとデュマが聞くと「寝るの、ご馳走したんだから片付けくらいしてよね」と意地悪に返されることにデュマはしてやられたと思いつつも、喜んでしてやるともと思いながら一人残った深夜の食堂でお猪口の中身を飲み干した、それは随分と最初辛いと思っていたのに馴染んでくると甘いと感じる味だったと思うのだった。

2026.05.15