それはまるで夜の闇の中に溶けて消えてしまいそうに感じられた。
この世すべての悪とはまた違う、黒い何か、復讐者にしては何処か哀愁を帯びている。その人物を見た時、彼女は誰なのだろうかと思った。
数ヶ月前、スノーフィールドの特異点の縁があり、また新たなサーヴァントが数名このカルデアにやってきた。ヒッポリュテは常識的で信頼のおけるサーヴァントだが、プレラーティたちは如何せん怪しい存在で、周囲はまたそんなサーヴァントと契約して…とマスターに苦笑いをした。そしてつい先日、スノーフィールドの黒幕であったはずの一人の王…ジョン・ラックランドもカルデアとの縁を結んでくれたようであった。

「お前のことを妃に迎えてもいいぞ」

自信満々にそういってくれた彼に彼女は驚いたものの、ありがたい言葉だと返しつつ考えさせてもらうという返事でなんとか落ち着かせてもらい、かの欠地王と友好を歩んでいたのがカルデアのスタッフの一人である彼女だった。
まだ若い姿のジョン・ラックランドという男は自信満々な体を装いながらも卑屈で皮肉で自己肯定感がとんでもなく低かった。初めて来た際には黒獅子の姿であり、その姿はあまりにも荒々しく本物の獅子のようであったため第二臨の姿でいてもらうことが多く、彼女もそんな彼とは気付けばそれなりの仲として過ごしていた。

若いかの王は少しだけ素直になりきれず、けれども優しく、彼女はそんな彼が不器用で愛らしい人だと感じていた。

そう思う日々の中で彼女は見慣れないサーヴァントがいると感じた。
サーヴァントは服装や態度のみならず、人間とは明らかに異なる雰囲気を持っているのだ。そしてスタッフとしても見覚えがない相手であればサーヴァントだろうと思うのは当然の摂理で、彼女は静かな夜の廊下で外を眺める彼を見た、外は真っ白な雪景色だが光のない窓辺から静かに眺めるその男はまるで絵画のようだと思えた。
漆黒とは違う、少しだけ柔らかい黒に深い紫の髪。人生に疲れたようななんともいえぬ哀愁を帯びたその男をみていたものの、彼女は手元に持っていた資料の紙が手を滑ってしまい、その紙はまるでイタズラのように彼女の手から滑り落ちて男の足元へと落ちてしまう。

情けなくも出てしまった声と紙が落ちる音に男は視線をやると何も言わずに足元の紙を拾った。一枚二枚でなく数枚まとめて広げて落とした彼女は慌てて拾っては差し出された紙を受け取ると素直に感謝をした。

「ありがとうございます、助かりました」
「この程度であれば構わない」
「……あの、新しい方ですか?」

彼女は僅かに小首を傾げてキョトンとした顔で聞いてみると男は少しだけ驚いた顔をしたものの自分の姿を見返しては納得をしたようだった。
見た目からして王を冠する存在なのかもしれないと感じて、彼女は長身だが細身の彼を見上げると、彼は緑と黄色の混じったような少し色素の薄い翡翠色の瞳で彼女を見つめ返した。

「この姿は初めてだな、君は若い私と良くしているだろう、分からないか」

いや、分からなくても当然か。
と、まるで自嘲する様に低い声で返事をした彼に彼女はじっくりと見つめ返した。黒と紫、肩や胸にある黄金の獅子、しばらく考えた後、彼女は「あっ!」と声を出しては嬉しそうに笑った。まるで知り合いと久しぶりに会えたような顔だった。

「ジョンくん!」

その言葉を聞いた彼は目を丸くしたが直ぐに目尻を緩めて微笑してみせた。壮年の姿をしていた彼はまさか自分が幼い姿の時と同じように呼ばれるなど思いもよらないだろう。実際に彼のマスターは若い彼を呼び捨てで呼び、今の壮年の姿であればほかの王同様の呼び方をされるものだからこそ、正体を知っても彼女が変わらず自分を呼ぶことにはくすぐったささえ感じられた。

「もしかして別クラス?ううん、霊基再臨?最初来た時は黒獅子さんの姿だったもんね」
「そうだ、数刻前にマスターから授かったのだ、こんな私に勿体ないことこの上ないがな」
「召喚でもなかったから、だから分からなかったんだ」

彼女は姿を変えた彼を前にしても普段と変わらぬ態度で笑いかけて、あれこれと質問をすることに立ち話もなんだからと二人は人気の少ないラウンジに向かい、窓際の椅子に腰掛けた。
そこはジョンが彼女と愛瀬という名のお茶を嗜む場所であり、ある意味特等席でもあった。共有ラウンジではありつつも、いつの間にか置かれたラベンダー色のクッションを背もたれに、彼女は今の姿の彼が普段と話す彼とはまた違う存在なのだと理解しては楽しそうに会話を弾ませることを、彼は哀愁混じった瞳で見つめることに不思議に感じられた。

「ジョンくん…あぁいや、ジョンさん?どうしたの?」
「いや、君は私の姿や中身が変わっても変わらないのだな。こんな中身のない男だ、若い頃の私の方がずっと話も弾むだろう」

現に仲睦まじい。と付け加えられると彼女はその瞳を丸くさせて「変わらないでしょ」と笑った。
黒獅子も、幼年期のジョンも、壮年期の彼も、根本的には変わらない。そう感じるのは同じ席で隣に腰掛けて話をしているからだ。話し方や態度は多少違えども、根本的な彼の部分は何も変わらない。

「でもまぁ、ちょっと歳が近くなったかな?」

そういった彼女は話し方こそ軽いが、その実カルデアのスタッフとしては平均的な年齢で、成人などとうに越した女だ。その為普段の若いジョンと並んでしまうと年の離れた姉弟のようであるが、今はその反対か、まだ年齢差のある男女に見えるものだ。
背も高くなったと椅子に座りながら壮年のジョンの頭の上に手を添えて測るような素振りを見せて笑った彼女だが、少ししてから「流石に子供扱い過ぎたね」と普段の彼に対してなら怒られる様なことをしてしまったと思いつつも、ジョンはただ静かにそれを受け止めるため、彼女はいつもと違う空気感に困ったようだった。

「この姿では困らせてしまうのは分かっていたが会ってみたかったのだ、しかし困らせたようだな、悪い事をした」

若い自分に戻ろうと彼がいうことに彼女は思わず彼の膝の上に置かれた手を掴んでは戻らなくていいといった。

「ちょっと…ほんの少しだけ緊張してるだけだから」

人見知りではないが、普段を知る相手の未来の姿、今のジョンは正確に言えば何もかもを失い疲れ果てて終焉へと向かおうとする姿であるが、彼女の目にはそれ以上に大人になったジョン・ラックランドという、ただの一人でしか無かった。
日頃彼女に対しては尊大だが自己評価が絶妙に低い彼、しかしそれでも彼女には堂々した態度を見せる彼は見ていて微笑ましいものだが、いま目の前のジョンは物静かで彼女を穏やかな表情で見守る故に彼女は何も言えぬ気持ちになった。

「というか、少し恥ずかしいのかも」
「なぜだ、私の存在が君への羞恥心だと?」
「そうじゃなくて、私は若い頃のあなたしか知らないから」

記憶については共有しあっているというジョンの霊気は少しだけ特殊であり、彼女は彼を知らずとも、彼は彼女を知っている。
若い自分自身が彼女に不器用なりとも想いを寄せて二人が小さな絆を育んでいること。そして根本的な彼がそうであるのならば、壮年期の彼もまた目の前の女に寄せる想いは同じであるだろう。

「こんな素敵な人になるんだもん、そりゃあ多少緊張するでしょ?」

そして彼女も若い彼を悪いと思わないのだから、目の前の彼に対してもさらなる思いを抱くのも無理はない。それは明確なものでは無いが多少悪くない。というもので、それを意識するからこそ気恥しさを感じてしまうのだが、ジョンはそれを聞くなり口角を緩めて手を伸ばした。
若い頃の彼とは違う、骨張って大きい無骨でさらに男性らしくなった手だと彼女が思うとき、ジョンの手が彼女の髪を撫でて耳に掛けた。愛撫するような優しく耳を触れるか触れないかというような絶妙な触れ方である。
若い頃の不器用で社交で慣れた触れ方とは違う、女を知っているような触れ方で、目を丸くして見ている間にジョンは今度こそ小さく笑った。

「そなたのその顔は初めて見たな」
「ジョンくん…これまで何人口説いたの」

なんて狡い表情と態度をするのかと彼女は身体が火照るのを感じながら、照れくさそうに視線をおもむろに外しつつ窘めるように問いかけると、彼は何処か先程よりも気分良さそうな、硬い表情筋ゆえか分かりにくくとも、楽しそうな雰囲気を滲ませて彼は少しだけその身を揺らして彼女の顔を覗き込んでは、その翡翠色の瞳の中に捉えて告げる。

「いま口説いているのはそなた一人だ」

その一言を聞く彼女は今度若い彼と会う時には大人の君はズルいと言おうかと考えた。しかしかの若き彼はそれを言われれば顔を真っ赤にさせて「普段の俺にはそんな風に言わないだろう」と拗ねたように言うような気がして言えなくなりながら、目の前の男のズルさに彼女はただ何も言い返せずに背もたれにしていたラベンダー色のクッションに強く背中を預けると、人気の少ない夜のラウンジの窓際で膝の上に置いた手を優しく取られてしまう。それは少しだけ冷たいが温もりのある手のひらだった。

「若い頃の私にはいえないな」

見透かしたようにそういった彼に彼女は今度こそ何も言えず、これから二つの姿で切り替えられるのは困るなと思ったが、さらに黒獅子の姿にでもなられてしまうと、もっともっと困るのだからどうしたらいいのやらと思った。何せ彼の翡翠色の瞳が彼女を見る色だけは変わらないから。

2026.05.29