ジョン・ラックランドは以前より恋人に対して気に食わないことがあった。
民衆や、家族兄弟、または今いるカルデアではなく。
恋人に……である。
恋人とは、彼がこのカルデアに来てから知り合ったスタッフの一人で。特別優秀でもなければ、何か特筆すべき点があるというわけでもない。そんな普通の女だったが彼は時間を重ねる内に良い仲になった彼女と晴れて恋人となった。
若い姿をした彼は、それはもう分かりやすいように浮かれた態度を見せては気を許しているマスターはもちろん、兄にさえその事を言われてしまい、多少のことはあれど素直に悪い気持ちではないと思っていた。
交際当初は……。
今の彼は交際を初めて早数ヶ月が経過した。アヴェンジャークラスであるため周回要因として呼ばれることは多くはなかった。出撃要請を受ければ素直に応じてやるものの比較的落ち着いた彼はサーヴァントであるため当然だが、恋人はスタッフとしてカルデアで働いている身であるため、ジョンとは異なり多少毎日忙しなく働いている。
その事については彼も王として、寛大なる恋人として受け入れてやった。
問題は恋人としての時間のことだ。
彼女とは犬好きの茶飲み友達のような関係から始まったものの、未だにその延長線から抜け出せていなかった。
サーヴァントの部屋はクラスごとにいくつか分かれており。固有結界やら、時空を歪めたりやら、何らかの方法で可能な者は自分の場所を持つ者もいるし、それこそカルデアでの生活を満喫しているメンバーもいる。
アヴェンジャークラスはその中でも癖が強い部類ではあるため、ジョンも自分の居場所を作っていたが、彼女との交際が始まればスタッフとして個室を与えられている彼女の部屋に入り浸っているのが常だった。
一日の業務を終えて一通り済ませた彼女が部屋に戻ってくるなり「ジョンくんただいま」と同棲している恋人のように気さくに声を掛けられると、ジョンは静かに部屋の中で過ごしていたが、少しばかりその気を緩めては返事をしてやる。
食事も済ませて帰ってきた彼女がシャワーを浴びるのを見送って。ジョンは図書館で借りてきた本を読む手に力を込めながら小さな決意をするように呟いた。
「今夜こそ……今夜こそだ……」
それは男としての決意と願いである。
何せジョン・ラックランドは未だに彼女と甘い時間を過ごせていないからだ。そもそもが彼女が人間の身であることや、この場所自体が忙しいこともある。それでも恋人らしい時間というのはなかった。
それは忙しさだけではなく、彼女自身の問題もあった。
若い姿のジョンはその身でありながら普段彼のそばにいる二匹の愛犬達がいなかった。それは座に還しているわけではなく、今晩はマスターたちのところに行かせているのだ。
何せシフト制の仕事において、彼女は明日が休みであることを把握していたジョンは今晩は甘い夜を過ごしてみせると決めていた。
初めての夜、彼女は仕事に疲れてるからといった。
別の日の夜、彼女は明日が早いからといった。
さらに別の日の夜、彼女は犬の目があるからといった。
つまり、ことごとく彼はフラれ続けていたのである。
ロンドン塔やビッグ・ベンよりも高いプライドを持つジョンは彼女の断りに腹を立てたかったが彼は案外女性に紳士的であった。それが愛する恋人ならなおのこと。
人理のためという壮大なこの場所で働く彼女に無理強いするのは彼もよくはないと判断し、仕方なく「次はないぞ」と苦しそうに呟いて彼女の部屋に無理やり用意した王室御用達の広いベッドで横になると、彼女はジョンの髪を撫でながら「ありがとうジョンくん」と甘い声で呼ぶのだからその夜だけはと許した。
だがしかし、そんな関係ももう数ヶ月。
さすがのジョンも自身が寛大な男であると言い聞かせるには限界で。ありとあらゆる対策を立てた。それはまるで政治的な策略を練る時のように執拗かつ執着心を滲ませて。アヴェンジャー特有の黒い空気を漏らして。
「ということだ、今晩は逃がさないぞ」
「……ジョンくん、えっと」
シャワーも終えて、さぁ寝ようとする彼女を上から押し倒すように見下ろしたジョンは胸の奥で滾る熱を収める気はないと宣告してやった。
案の定、彼女は視線をさ迷わせたり、困ったような表情を見せるがジョンは彼女の髪を撫でながら、エメラルドのような色をした瞳で彼女を見つめる。
「余は待ち続けたのだ。明日は休みであろう?今晩は犬たちもいない。我らを阻むものは何もないぞ」
「え……と、でも私眠たいかなぁなんて」
「寝る前にコーヒーを飲んでいた者がいうか?先程まで眠くないから寝れないかもと言ってただろう」
「急に眠くなってきたっていうか、ふぁぁ〜あー眠たいなぁ、ジョンくんも今日はね?ほら寝ちゃおう?」
間抜けな猿芝居を打つ彼女にジョンは苛立ちさえ感じた。
伴侶として迎えると王として宣告した時、彼女は柔らかい笑みと共に「恋人からね」と告げたことから互いの想いが成就していることは明白で。恋人という関係をジョンは許してやったのだ。
想いがないのならばまだよかった。なにか理由があるのならばそれを言えばよかった。なのに彼女は何も言わずにのらりくらりと言い訳ばかりを並べるのだから腹が立って当然だとジョンは思いつつ、彼女の両手首を押さえつけて睨みつけた。
「婚前交渉を拒むのであればそういえばいいだろう。だがそうでは無いはずだ」
子供でもない彼女は現代女性としてそれなりの恋愛や経験をしていることはジョンも理解している。そこに嫉妬するほど子供ではない。
ではなぜ拒むのかと考える時。彼女は本当は自分を愛してないのではないのかと感じた。裏切られることなど慣れている。愛されないことも慣れている。しかしながら、それでも彼女からの嘘だけは許せないと思うのだ。愛してしまっているから。
ジョンの背後に黒い影が現れて、それらが危害を加える訳では無いが何かしらをしようとするのは明白であり。ジョンは心底彼女に愛憎入り交じった感情を向けているのが分かる。ジョンは顔を寄せて無理やりに唇を奪おうとした時、彼女の声が上がった。
「ダメー!!ダメっ、ダメだからね!絶対そんなの許さない!」
「なっ……!貴様なぜッ!」
「何を言われてもダメ!今のジョンくんはダメ!私が犯罪者になる!」
まるで警報機のように叫び始める彼女に呆気を取られるジョンが怒り返そうとするが、彼女は手足をバタバタさせながら「だめ」「犯罪者にしたいの?」と繰り返していることに何一つ理解が出来ずにジョンは見下ろした。
「お前は何を言ってるんだ」
震える声で問いかけると彼女はジョンの下で真っ赤な顔で睨みつけては彼にハッキリと告げた。
「いま私がジョンくんに手を出したら、私が犯罪者になるでしょうが!」
それは年下を叱りつける年上のような態度。まるで母や姉を思い出すような態度にも見えて、ジョンが目を丸くするものの、彼女はジョンの今の姿は若い頃、父王に愛されていた頃の姿であり、それは厳密にいえば十五、六歳の年の瀬の頃である。
しかし、それは見た目だけの話。
サーヴァントとして現界しているジョンの中身は立派な大人で、好きな物も宝石や酒に女という、到底彼がその年齢の頃には口にすることはもちろん、知りもしないものを好むのだから、見た目だけの話であるのだ。全盛期がいくつかあるジョンは比較的この若い霊基の時が一番取っ付きやすいからとしているが、どうやら彼女はジョンに惚れていても、その見た目からして手を出せば犯罪者予備軍……どころか、犯罪者になると騒ぎ立てているのである。
「じゃあなんだ、俺がお前を抱くときは大人の姿ならいいのか」
「え……と、それは」
「いいだろう、少し待て……こういうことか」
まるで魔法のように自分の上に股がっていた少年が突如として壮年の男へと変わり果てると、滅びへと向かおうとしていた全盛期の歳を重ねた姿で彼女の頬を優しく撫でた。
先程手首を掴んだいた手とは違い、さらに無骨な男性らしい手をしており、その指先が彼女の唇を撫でると彼女の表情が次第に林檎のように染まっていくのを見て壮年の彼は何も言わずに唇を落とした。
「どうやら君は、私の見た目は関係無さそうだな」
ゆっくりと重ねた唇を離したジョンがそういうと、彼はまた若い姿に戻っては壮年の自分が口付けをしたことに苛立っても良かったが、それ以上の収穫があったのだ。
なにせ目の前の恋人はどうやら、ジョンの年齢も見た目も言い訳にしか使ってないのだと確信したからだ。
唇を重ねただけで生娘のような反応をした彼女に、ジョンは子供と大人の間の表情を見せながら意地悪に笑って、馬乗りになったまま、彼女の頬に優しく手を添えた。
「本当のことを言え、そうすれば余はお前に全てを与えてやる」
金も、宝石も、地位も、名誉も、持ちうる自分の全てを与えてもいいと、これまでいた愛人以上、王妃以上の待遇をしてやるとジョンは自信を持って告げるのは、彼女がそんなことを求めないのを知っているからだ。
建前ばかりで逃げ惑うのは、捕まったら逃げられないと互いの性質を理解しているからだろう。
濡れた彼女の唇を親指で撫でながら、潤んだ女の瞳をその嫉妬深い翠の瞳で覗き込む。明日は休み。邪魔者はいない。
「サーヴァントに年齢の話をするなど、意味がないことくらいよく知ってるだろうに、まったく狡い逃げ道を探す女だな」
反論しようとする彼女にジョンは呆れながらも小さく笑って、その反論を飲み込むようにキスをしてみた。見た目の話はもう出ない代わりに、彼女は残った薄い理性を自ら剥がすようにジョンの背中に手を回した。
今晩はどうやら、朝まで眠らなくていいのかもしれないと小さく笑ってキスをした。
その少年の瞳はすっかりと大人のものと同じだと彼女は思いながら、こうなってしまうともう二度と逃げられないのにと分かっていたから、どうにか飲み込まれぬようにと自分の胸の中で言い聞かせる頃には、目の前には男しかいないのだった。
2026.06.03
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