桜といえば春を連想した。
けれど桜は散ってしまう。それはまるで別れのようだった。
彼女は地面に落ちる桜の花を見ては、もうこんな時期なのかと感じられた。新学期や新生活。春というの縁起良いものであり。桃色のその花が彩る道はまさに夢現のようで彼女は過去のことについて思い出す。
それは泡沫の小さな恋、普通とは違う恋だった。
『これでお別れですね』
『うん、時間の長さは分からないけど、幸せだったよありがとう』
『ええ、あたしも、貴方様と過ごせたこの時間はきっと"小野小町"にとって何にも変え難き刻でございました』
人理継続保障機関「カルデア」──彼女はかつてそこにスタッフの一人として確かに所属していた。人類の崩壊から救われる為にと仲間たちと共に駆け巡り。それは決して簡単なものではなかったが彼女の人生に大きな存在を作った。
まるで桜の精のような儚くも美しい歌人──小野小町。
その相手は彼女と対等なパートナー、つまりは恋人としてカルデアで二人は時間を重ねた。
きっかけはどうであれ、二人はあの場所で互いを想い愛し合った。人とサーヴァントという関係にはいつか来る別れが絶対にある。それは人と人との恋愛ではないもの。英霊として世界を守るために呼び出された相手はいつか英霊の座に帰ってしまう。
そうすれば二人が過ごした小さな幸せの時間など消えてしまう。
それでも愛したいと願い二人は互いを求めて、恋をして、愛を育んだ。
前方から歩いてきた若い恋人や友人同士の姿をみた彼女は自分と彼女もと思わないことはなかった。それは決してありえないことだとわかっていても数多の可能性をを考えては胸が締め付けられてしまう。
自宅に戻ってきた彼女は一人には広い少し日本家屋に住んでいた。
過去を忘れられない自分が愚かだとは言わないが、いつまで経っても恋に恋する娘でもあるまいにとは思ったものだった。
カルデアを離れてから魔術師でもなく、普通の平凡な会社員として働き、貯金をして買った家も、小野家に縁のある土地であり。彼女は自分が如何に彼女を愛してしまっていたかを考えると胸が痛かった。
縁側に腰掛けてはティーパック式で淹れた熱い緑茶を飲みながら、庭のおおきな木を眺めた。
「相変わらず今年もダメだったかぁ」
この家の決め手は庭にある大きな桜の木であった。
咲く時はとても綺麗な満開の桜を咲かせるんだと前の持ち主に自慢げに言われたため、それに期待していたのに彼女が暮らし始めて十年近く、未だに蕾を見せることがたまにある程度だったそれには期待も薄れるばかり。
反対に過去に囚われた自分を表すように咲かないことは少しの関心さえ感じざるを得ないと思うのだった。
『あたし思うんです。座に登録されていますけど、本当の聖杯戦争になった際にはあたしはきっとあたしじゃないって』
『なにそれ、小町ちゃんは小町ちゃんでしょ?』
カルデアの彼女の個室にて夜を過ごすことは日課だった。
彼女の部屋でベッドで横になる彼女とそのベッドの下でクッションにもたれている小町。二人の関係は親友から発展した恋人関係であり。二人が人目も気にせずに自由に過ごせる時間を大切にした。
本を読む手を止めて、 小町を見つめると小町も本を読む手を止めては何を考えていた。
『あたしの存在はあまりにもあやふやだから、この身もお父さまがいるから多少の形を持ててるだけかと。あたし一人の力では到底役に立たないでしょ?』
自虐や自嘲ではなく、当たり前のことを告げられたとわかっていた。
小野小町という存在が生きていたにも関わらず、あまりにも薄い存在であることは彼女も知っていた。カルデアに来た際の小町の記録を改めて読み返した時。彼女は自分が誰なのかわからなかった。小野小町というだけで、自分がどのような人生を歩んだか、あまりにも分からず彼女は菩薩へと至った。
サーヴァントはあまりにも不安定な存在と知っていても、神霊クラスになってしまうとなれば話は変わり、彼女は事件の詳しいことには関与してなかったものの思い返しては胸が重たくなる。
『役に立つとかそんなのどうでもいい。私はもし小町ちゃんとまた会えるならどんな方法だってしてみせる』
それが私の聖杯の願い。
サーヴァントを召喚しようと思えばできなくは無い。だがそれにはどれだけ優秀な魔術師であろうと魔力の兼ね合いから維持は難しい。そして何よりも喚んだとしても応じて貰えるような報酬もない。
カルデアにいた際には人理を守るためとして様々なサーヴァントが応じてくれた。しかしながら誰かがいった『聖杯戦争ではないから』という言葉の意味を彼女も理解している。
英霊たちはどれだけ強くとも、どれだけ素晴らしい武勇があったとしても、人の心を持つものなのだから死が恐ろしくないわけもない。死以外の理由もあるだろうが彼女は小町が戦闘中にカルデアに戻ってくる時、胸が痛くてたまらなかった。
「マスターにも向いてないっていうか魔術師に向いて無さすぎる」
思わず一人ごちた。
そもそも普通の感性をしていたら魔術師なんて向くわけがない。誰かを犠牲にして自分の願いを叶える?そんなことはほんの少しの程度ならいいが命を掛けて願う願い。そんなものはない。
「とも言いきれない」
もし誰かを犠牲にして小町をここに喚び、もし二人で永遠の幸せを手にできると約束されたなら。もしその犠牲というものが自分の身内や知り合いなどではなく全く関係のない欲望に塗れた恐ろしい魔術師なら。それが正当化できてしまう理由があるなら。
「あるなら私は望んじゃう……か」
出来る出来ないという話ではなく。その可能性があるのなら選んでしまう。あの時、カルデアという広くも狭い場所で二人並んで読んでいた本。くだらないことで笑って、くだらないことで喧嘩をして。男であればと願いつつも相手に恋をして。
満月の夜だった。
空は雲が出ていてもとても美しいもので、少しだけ冷たい空気が肌を指す。隣に彼女がいれば。
人にあはむ 月のなきには 思ひおきて むねはしり火に 心やけをり
「こんな気持ちだったのかな」
小野小町の詩を覚えたのは学生の頃ではなかった。大人になって彼女に出会って。彼女に恋をして知りたくて学んだ。
詩を詠む度に小町が想った相手が少しだけずるいと思えた。
美しい詩を残してもらえて、ずっとその心を捕えて離さないとする相手が自分であればよかった。遊びで互いに詩の練習をしては才が無いと彼女は笑ったが都度小町は『あたしは好き』と笑ってくれるその優しい目尻が好きだ。
夜は人を深く考えさせてしまうのだと彼女はため息をついた。
こんなことを考えても小町は来ない。自分も彼女の為にと何かをしてる訳では無い。あの時あの瞬間だからこそ互いを愛し合ったのだから。あの時だけのものだと言い聞かせてしまえるのは彼女もすっかりと大人になってしまいすぎたからだ。
いい加減に身を固めてしまうべきなのかと考えてもできないのが大人になっても恋に恋する愚かな自分だと彼女は思いつつ、気付けば空になった湯呑みをいい加減に片付けようかと思い立ち上がる。
ヒタヒタと一人で住むには広い廊下を歩いてキッチンで洗い物を済ませて、彼女はいい加減お風呂にでも入ろう。その前に縁側の窓を締めなければと思いつつ戻ったとき、それは何か違うものを感じた。
柔らかい花の香り。
しかし彼女は庭に育てている花の中でも違う香りだと理解した。それをよく覚えていたからだ。思わずつっかけを履いては外に出て、大きな桜の木の下に行った。桜の木の少し裏には小さな井戸もあるが何かあったのかと小首を傾げた時、彼女は気付いたひとつに目を丸くした。
「咲いてる」
一輪だけ、桜が咲いていたのだ。小さくて見失いそうだったがそれはあまりにも健気に咲いており。彼女はそれを見ては頬を緩め、思わず桜の木に身を寄せた。
大木に身を預けては小町を思い浮かべてしまう。可憐な美しい自分の特別な人。あの日あの時だけの人。忘れられない彼女への思いは消えることもない。年老いて皺だらけの老人となり。孤独ゆえに誰にも看取られることなく生を終えたとしても彼女への思いだけが生きる糧となるのだと信じていた。
胸の内でつぶやいた「愛してる」
どれだけ飾ろうとも彼女には詩に出来るような頓知をきかせることも出来ない。それ故に素直な思いしか伝えなかった。眠る度に彼女を思い。朝になれば桜の木を見て思う。
「小町ちゃん」
そう呟いた時、空には雲はなかった。
桜は突如として力を込めたようにその木を揺らす。
なにかがおかしいと思う時、桜の木は突如として蕾をつけて、そして花が急速に開いていく。なにかの魔術的な攻撃でも受けてるのかと彼女は思わず桜の木から離れては見守るとき。
桜の木を囲うような魔法陣が現れる。それはカルデアの召還室でも見覚えのあるもので。彼女は目を丸くした時、自分の左手を見た、魔法陣の光が強くなると左手に痛みが走り。そしてまるで痣のように浮かび上がると同時に桜が強い香りを放っては満開の姿を見せた。
「サーヴァント、キャスターここに……あなた様があたしのマスターさ…」
「小町ちゃん!!」
突如として現れた少女を彼女は抱きしめた。
子供のように泣いて彼女を強く離さないように抱き締めては香りも姿も感触も全てがあの時と変わらないものだと感じられて彼女は間違えることはないと重い何度も名前を呼んだ。
例え相手が自分を覚えておらずとも、自分の中にある会いたいという思いだけがあればいいとした。華奢な少女の身体を強く抱き締めて肩に顔を埋めて泣きじゃくる女にサーヴァント、キャスターと名乗った小野小町は真名を知るマスターの背中に腕を回した。
「あぁナマエさま……お逢いしたかった……あたしの月」
「え……覚えてるの?」
「ええもちろん、あなたがあたしを此度の聖杯戦争へとお呼び立てして下さったのです。あんなにも情熱的にお求めになられるのは……少し、恥ずかしいのですが」
彼女は目を丸くしては小町の言葉に驚いた。
なにせ座に帰れば召喚時の記憶は消されるはずだからだ。もし再会できたとしてもそれはまた新しい彼女だと認知していたはずなのだがと思うと小町の指先が身を離した彼女の唇に触れる。
「あなた様が泣いて過ごされるせいで、きっと座が残してくださったのですね」
「だって、私ずっと」
「分かっております。あたしもあなた様をお忘れすることなどできるものですか」
誰よりも何よりもあなたをと小町が美しく微笑んでは彼女に身を寄せる。
眩しいほどの月明かりと美しい桜の下で二人は。
「ちょっと待って、なんかいる!!」
「あら……お父さま、そちらにいらしたのね」
「パパさん!?」
あと少しのところで彼女はふと桜の木の裏にある井戸の傍に立っている大男を見て声を上げれば小町はにこやかに告げたものの、彼女はかつてはカルデアに小町との関係の中で世話になった彼の父、小野篁がいることに目を丸くして驚いた。
「久方振りだなナマエ殿、いいや、マスター殿か、小町と共に馳せ参じたのですがどうやら私の方は冥界にいたものですから、こちらの下での召還となってしまったようで」
どうやらこの井戸も繋がってるようでと言われる前に小町の手を引いて彼女は篁の胸に飛びついた。懐かしい三人での再会を果たしたことに喜びを感じる彼女はその涙を拭われては笑みを見せた。
どんな形でもいい、愛おしい人に再会できたこと、それだけが彼女の喜びで願いであるから。それでも左手に宿りし契約の証。二人は桜の舞い散る木の下で口付けをし永遠を誓った。
「ねぇ小町ちゃん、聖杯へのお願いはある?」
「はい、あなた様と共にと」
必ず叶えてあげると告げて二人はその戦争へと身を落としていく。
けれども桜の木下、愛した女と女、その契りは絶対である。
2026.9.1
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