伝承や伝説、その歴史に名を残した者たちはその歴史が語り継がれ、現代においても様々な形で残される。
書物・画・映像・話、人が人である限り、どのような形であろうとも語り継がれる。
それはもちろん、中国最初の王である始皇帝も例外ではない。

天界は常に地上界をみており、地上界の情報を常に得ている。
その為、天界の図書館というものは常に増え続ける一方であり、始皇帝の語り部、と呼ばれる彼女──洛熙は常に図書館に足を運び、暇さえあればその時間を本に費やした。
生前も本を読み書きすることを非常に好んだ彼女は死後、このように本に触れられることを喜んだ、知らぬ言語についても積極的に学び、その知識を増やし、毎夜始皇帝の寝所にて、彼の頭を膝に乗せて物語を語る彼女に王である始皇帝は常に上機嫌だった。

様々な話を読んでは胸を弾ませる。
人も、神々も、どんなジャンルでも、彼女は気になれば手を伸ばして読み耽る。本の虫とはまさに彼女のことであるといえるが、彼女はその日も本を両手いっぱいに抱えては上機嫌にしていた。

本の背表紙を眺めたり指でなぞるのが好きだ。
厚さや素材の異なる本が並んでいる姿は美しさを感じられる。
うっとりと見つめながら本を選んでいたところ、彼女がその視線を止めたのは漢文だった。
史記や三国志など中華の歴史を伝える書物はいくらでもある。
普段は知らないことを知りたいということもあり、あまり目を通していなかったが、軽く手に取り眺めてみれば、その歴史の懐かしさやその時代の空気、書き手によりけりのその文章にのめり込んでしまう。

歴史書から現代文まで並んだ棚をみていた頃、"始皇帝"と分類分けされているのを見かけた洛熙は思わずそちらの前を見た。数多の皇帝たちの始祖である彼の作品もまた多く、洛熙はそれをみるだけで自分の王が如何に優れた者であるのかを感じられて心嬉しく感じた。
現代社会においても始皇帝は愛されている。そう思えば彼女はとても嬉しくなりつつ、好い気持ちで受付に本を借りようとした際に思わず目に付いたのは、特集コーナーだった。

"ラブストーリー特集"

大々的に書かれた文字と愛を表現するハートの形に切られた紙が飾られているのを見た彼女は思わず受付カウンター傍のそこをみる。
ロミオとジュリエット、高慢と偏見、きみに読む物語。など王道のラブストーリーから、歴史書に関するものまで、司書たちが選んだものなのだろう。
彼女もうんうんと選ばれたものに小さく首を縦に振っていた頃、思わず手を止めてしまう、というよりも顔を青ざめさせた。

何故ならそこには始皇帝の話があったからだ。

カレには正式な妃もとい、そうした話はあまり無かったと記憶する彼女は思わず手を取った。おまけにその小説は現代小説であり、近頃出たばかりの小説であるのだが。裏表紙にはあらすじが記載されていた。

始皇帝── 嬴政は生まれながら不幸をその身に宿し中華初の皇帝となる。誰もが王に取り入ろうとする中、偶然にも出会った洛熙は平民の出でありながらも努力を怠らず文を愛した女であった、彼女と出会った嬴政は彼女と過ごす時間だけは幸福であり、声や文を気に入った彼女を自身の寝所へ招き、夜な夜なその声を聞きながら眠りに落ちる。決して結ばれずとも触れ合う二人の愛情は……

「違う違う違うッッ!なんですかこれ!」

ワーッと思わず声を出した洛熙にそばに居た司書は何事かと思い見つめるなり「あぁそれ地上界ですごく人気の小説ですよ」といわれ、洛熙は「は?」と目を丸くした。

一体全体なんのことやらと洛熙は本を借りて自室に戻るなり思わず借りた自身と始皇帝を描いた小説"膝上の玉座"を読み始めた。
司書いわく、この小説はかつて洛熙が始皇帝から頼まれて書いた彼の物語、そして後年発見されたであろう、洛熙の記録などから来る話となっていたようであり、彼女は燃やすべきだったと酷い後悔をした。
始皇帝の話となればいくらでも書物はある。
その中で洛熙のものは無名どころか、ほとんど表には出さないようにしていたはず、無理もない、他に優秀な書き手が多かったのだと彼女は読んでいたのだが、どうやらあれを一部恋愛的な要素に見出されているのだと知った洛熙はどういうことなのかと頭を抱えてしまっていた。

「不好(ブーハオ)、朕を差し置いて何をしているかと思えば……」
「きゃぁっ嬴政様!」
「そんなに驚くとは愉快であるな、何をしておる」
「書物を読んでおりまして、その、お昼寝のお時間でございましたね、申し訳ございません」

始皇帝は地図を読むことをあまり好まなかった。
知らぬ場所においては自分の行く道こそが道という考えがあったものの、洛熙に関しては彼女に道を丁寧に教えられたことや、彼女の部屋に何度も来ていることもあり、しっかりと広い宮殿内でも彼は洛熙の部屋だけはしっかりと来られる。
その為、派手な音もなく現れた始皇帝は彼女の背後を取っており、いつまでも寝所に現れぬ彼女に不満を感じていたことを告げるが、彼女が書物に読み耽ていたことには文句を言う気はなく、普段通りに微笑んだ。

「ではそれを読むがいい」
「え……こ、これは、その……嬴政様のお好みには合わないかと思われまして」
「構わん。読むがよい。せっかくだ、そなたの寝所で聞こう」

そういわれてその本を片手に抱き上げられた洛熙はすぐさま自身の寝台へ連れ込まれて、普段通りに座った彼女の膝に頭を置いて横になる始皇帝は今か今かと待つものの、彼女はこんなものを彼に読めるかと悩みながら言葉を探った。

好みのものではないこと。
大した内容では無いこと。
悪夢を見るかもしれないこと。

様々な理由を告げてみるものの始皇帝は次第に上にあげた口角を下にさげては、あきらかに不満であると言いたげな表情を見せるため、洛熙はどうしたものかと困り果てた。
数ページほど読んでみたが、初めこそは普通だというのに、彼女と彼が出会って以後の話は本当に甘やかでロマンス小説の名に恥じぬものだ。
そんなものを本人に読み聞かせるなど不敬であると彼女は困り果て、他の本にしたいと願うが、始皇帝は反対にそれ程までに断ろうとする洛熙をみて反対に読み聞かせろと命じる。

「それとも朕が読んでやろうか、そうだ、それが好いな!」
「あぁぁぁそれは尚のこといけません、わかりました、読みますから」

洛熙は必死に考えた、その結果ひとつの考えに行き着いた。
それは始皇帝は読み始めてしばらく経つと眠気に誘われるということ。
まるで洛熙の声が子守唄のように心地よいのか彼はいつも心地よい寝顔をみせるのだが、頭を撫でて柔らかい声で読むと彼は気付けば寝てしまう。
もうこれに賭けるしかないと洛熙は必死に考えて小説を手にした。

「で、では読みましょう」

始皇帝の簡単なおい立ちに始まり、その身に宿した他人の痛みを共有する特異体質、そしてその苦しみに苛まれた際に現れた洛熙の話。
ここまででも既に数十頁が進んだ、物語が二人の話であることが次第に明かされていくのを洛熙は口にしては恥ずかしさに消えたくなった。
優しくいつも通りに頭を撫でて見ようとするが、目隠しの薄い布越しにあきらかに視線を感じる洛熙は思わず「嬴政様、寝られないのでしょうか」と震える声で告げた。

「好(ハオ)!この物語は朕と洛熙のことであるようだからな、今日は眠らず聞くことにしたのだ」
「そっそれでは意味がないのでは?あくまでも睡眠のための読書でございますので、他の本に致しましょうか」
「無問題(モーマンタイ)!今日はそれを朕に朗読するのだ」
「ですが……その……」

拒否する権利など洛熙には元から無いのだが、これでは公開処刑のような気がした。
この物語はかつての始皇帝と本来は歴史に残ることもないような語り部の洛熙を描いた話であり、まるで自分の心情をさらけ出すようにして描かれた洛熙は自分ではないのに自分のように描かれた好意の描き方があまりにも苦しかった。
筆者はよく学んだのだろうと思うほど、洛熙がかつて書いた始皇帝の話を引用していた。

始皇帝の王としての背中、彼を膝に乗せた際の重み、彼の痛み、彼の笑顔、彼との全ての思い。

描いていなかったはずの洛熙の心情も丁寧に描かれており、この書き手はもしや自分の胸の内を覗いたのではないのかと彼女は心底考える。
実際に洛熙はあの頃から始皇帝を慕っていた。
ただの宮仕えの女でも、寝所の語り部でもない、持ってはいけない女としての感情を彼に持ってしまっていた。
そして始皇帝も、表に向きには出来ない感情を密かに彼女に向けていた、あの頃の二人もそれはよく分かっていた。
決して二人は結ばれない、結ばれることは許されない者同士。

「語り部はその夜、寝所にて……」

頁を捲る音が止んでしまう。
洛熙はその次が読めなかった"抱かれたいと告げた"と描かれた一文。
これはフィクションのロマンス小説である。
あくまでもモデルを始皇帝と彼の寝所を許された文人を望む女官見習いの女の話。
そう分かっていても洛熙は自身が望んだことを描かれてしまっており、言葉に出来なかった。始皇帝のあの寝所に招かれる洛熙だが、決して彼女だけではなかった。王としての務めを果たさねばならぬ始皇帝は時に隣国の姫や、麗しい舞姫、この世の美しい女という女を向けられ、時にそれを断り、時にそれを受け入れねばならなかった。

しかし洛熙は決して望んではならない。
自身の膝に彼の頭を乗せて、優しく頭を撫で、その寝顔を幾度なく眺めても、自身から望むように触れてはならない。
その小説に記されたように、宮内では彼女を虐げる者も数多いた。
それは当然だと彼女も理解していたのだが、始皇帝が他の女性に触れることを彼女はいつも苦しく感じた。

「洛熙……」
「す、すみません、これ以上読むのは少し不適切な内容が多いのでやはり」
「いや、朕が悪かった、少しそなたとの関係を描いた物語だと知り、面白おかしく聞いていたかったのだが、不快にさせたようだ」
「そのようなことはありません、ただこの物語は始皇帝様へ不敬にあたるかと思われまして」
「どの部分だ、朕を描いた部分か?」

全てであると彼女は告げる。
この話は全て嘘でとんだ酷い創作物であると強く批判してしまうのは彼女がその本の中の自分に嫉妬していたからだ。
けれど彼女はそれを上手く自分の中で理解できなかった。
それ故に言い訳がましくも皇帝を侮辱した内容に値するという。
元より彼女は始皇帝の事を記した書物を極力避けていた。自分が描いた書物は確かに表に出すべきものではなかったが、他者が描く始皇帝はその狂気や人を率いるカリスマ性、さらに陰謀的な話なども混じり合い、彼を知る洛熙だからこそ、創作物としても楽しく読むことは出来なかった。

「そなたは朕を本当に好く想うな」
「……勿論です」
「それはそなたが朕の語り部であるからか?それとも"女"として故か?」

膝の上に寝ていた始皇帝は起き上がり、優しく彼女を押し倒し、その寝台の上に寝かした。
視界いっぱいに広がる始皇帝の姿に彼女は目を丸くして驚いてしまう。
妃や、恋人、そんな関係ではない、それは嬴政自身がそんな簡単な言葉で彼女を繋ぎ止めたくなかったからだ。
自らは王であり、そして洛熙は自分を紡ぐ語り部、その関係がどれだけ心地よい名を刻んでいるのかと感じられた。
彼が求めぬ限り、洛熙は決して動かない。ただの語り部としての仕事を全うするだけであり、始皇帝は幾度か彼女を愛でた経験があったが、彼女を知れば知るだけ、まるで喉が乾き続けてしまうようだった。

そんな彼の前で、洛熙は望むような眼差しをした。
自分では出来ぬことをしている紙の中の自分に酷く妬いたような表情に滾ってしまう。
いつまで経っても初心で無垢な娘であるのだと感じると、その姿に生前守ってきたかいがあったとも思うほど。

「答えよ」

黙りこくった彼女の顎に手を添えて目を見つめさせると、書物を開いたままその手が落ちてしまい、始皇帝が目を向けると頁の中の洛熙は素直に物語の中の自分を強く望んでいた。
彼女が動揺するのも無理はないだろう、羨ましいと思ってしまったのか、そう思うと彼の胸は喜びに満ち溢れる。

「答えぬか洛熙」

子供を諭すように声を出した彼に洛熙は震える声で目を閉じて告げた。

「女、としてであります」

天を仰いでしまいたくなる。
先程まで嘘と真実の混じった書物の中の文字を読む声は少しだけ熱を孕んでいたが、いま出された声は火傷でもしてしまいそうなほどの熱い温度を含んでいる。
口角が緩み染み付いた笑みとは違う、本当の笑みが溢れてしまう、なんと愛おしいことかと始皇帝は彼女の頬を撫でて「愛い」と短く告げると彼女は観念したように身を縮めるため、これ以上の朗読は出来ぬと判断した彼は変わりに愛でることで時間を味わおうと決めて、その胸に強く抱き寄せてやったのだった。


「ありがとうございました」

数十冊の本を返却した洛熙は結局あの小説を読み切れなかったのだが、司書は彼女の借りた本を確認しながら、借りた本人と本を見比べる。
言いたいことがあるのかもしれないと思いつつも彼女は素知らぬフリをしていたかったが、司書は地上界で現在"膝上の玉座"が人気であり、今度ドラマもするらしいと話した。

「ド、ド、ドラマ!?」

あの時代を生きた洛熙からしてみれば摩訶不思議なものだが、現代社会では簡単に映像を写してそれを見ることができるのだというのは理解しており、一時期は始皇帝も夢中になってテレビを見たが、洛熙の朗読を聞く方が良いとして結果的に程よくたしなむ程度になった。
その為、ドラマになってしまうという情報を聞いた洛熙はそんなものたまったものじゃない!と思うものの司書はさらに追い打ちをかけるように「洛熙様が描かれた始皇帝様の書物も現代版に翻訳されて、新しく出たそうですよ、あぁ…あと洛熙様の日記も」というため、彼女は顔を青白くさせた。

彼の歴史を綴った物は公式的に描いた。
しかし宮内だけで留まる程度となったのは、始皇帝への威厳が甘いからだとされたからだった。
だが日記……については誰も知るはずがなかったはずだと洛熙は思いたいものの、自分は生前処分はしていなかった為、どこかしらで誰かの手に渡ったり、そのまま保存されていたのかもしれないと思う。

司書はちょうど人気で常に予約状態だと説明しつつも、あの辺……と指さした場所には、洛熙には見覚えのある背中がみえた。
一般人とは明らかに異なる美しい衣を纏い、美しく鍛えられたその筋骨隆々の背中、目隠れの布に、幾度も眺めたその姿───始皇帝である。

彼は他の利用者たち同様に特集コーナーの前で本を手にしているのだが、そのタイトルからして、洛熙が書いていた日記を現代文に翻訳した内容であるとされるものと、さらに先日の読み切れなかった洛熙と始皇帝の話を綴った書物を手にしていた。

「あっ、あっ……嬴政様、珍しいですね、このような場所に」
「洛熙ッ!面白い書物があると聞いてな、これだが知っているか?」
「あの……それは……私が書いたものでは」
「フム……"今宵の嬴政様の寝姿も大層心地よく幸せでありました、わたくしはこの寝姿を見届けられるので「わーわーわー!」……呼んでいるのだぞ」

不満そうな声をあげる始皇帝に洛熙は必死に声を上げて書物に視線を落とす彼の前に手をパタパタと振ってみるのだが、不服そうな声を出されてしまう。
本当に自分の日記が翻訳されているのだと書き覚えのある文章を思い出して真っ赤になる彼女だが、特集コーナーには中華ロマンス小説、という名目のコーナーがあり。
そこには作者のコメントなども引用印刷されて張り出されたものがあり、先日の書物の筆者コメントもあった「始皇帝と語り部洛熙を語るには欠かせない参考書籍は……」と書かれた文を読んだ上で、始皇帝の手の中のものを見た彼女は顔を真っ赤に染め上げる。

「そんなのもの嘘ですから、嬴政様は普段書物をお読みにならないのですから、そのような俗物をお読みになってはなりません」
「はっはっはっ、そなたが読んでくれぬ故に朕自らが読むしかなかろうとな、安心せよ、そなたが朕を想うていることは十分承知の上」
「そうではなくてっ、そもそも予約図書ではなかったんですかこれ?」
「朕が欲すれば、それ朕の物である」

それに文句をいう連中も少ないだろうと彼のことを知る洛熙は結局しばらくはまともに本も読めず、始皇帝に深い寵愛をさらに受ける羽目となった。

天界と地上界はインターネットが繋がっているため、洛熙は密かに小説サイトで「始皇帝と語り部について」という小説を現在ドラマ化まで決まった小説等を含めて完全否定するつもりであげたものは、残念ながら更なる燃料投下となり、天界でもさらに二人の関係について心の強い繋がりであると喜ばれてしまい、しばらく洛熙の元に女神さえやって来ては可愛がらてしまい。
彼女は自分が書き手には心底向かないのだと後悔しつつ「解像度が高い、本人か?」というコメントについて「違います」と嘘のコメントを返す彼女は自分がいかに彼を深く愛し、その情熱が文に表れているかなど気付くことはないのだった。

2026.3.1


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