「貴方様は勘違いしておられます」
ベルゼブブの私室のソファにて向かいに座ったバーモットはハッキリとそう告げた。
あの口付けのあと、ベルゼブブは直ぐに彼女を突き放して慌てて謝罪をして逃げ出そうとしたがバーモットはもう逃げる気はないとこの一週間の考えの末に向き合うことを決めて戻ってきたゆえに、ベルゼブブを逃さないとして彼の手を掴んだ。
華奢な彼女のどこにそんな力があるんだかと驚くが二人「ダメだ」「嫌です」という少し間抜けな攻防の末に一度話し合おうという提案をした二人は研究室の隣のベルゼブブの私室にてコーヒーを淹れてゆっくりと席に付いた。
ベルゼブブはコーヒーにミルクを少々と砂糖を二つをいれて黒から茶色に変わるのを眺めるように混ぜていくと、向かいに座った彼女はどこか力強い眼差しを向けており、素直に彼女がこんなにも感情が出るなど珍しいと思った。
「貴方は私を愛しておりますね」
「あ...いや...あぁその」
「何故ハッキリ申さないか、それは貴方の内なるサタン、いえ正確には悪魔的生命の破壊衝動(デストルドー)のせいではないのですか?」
ベルゼブブは今までにないほど饒舌に話をするバーモットがどこか怒ったようにも感じる態度に押されながらも、突然彼女の口から出た言葉に何故それを知っているのかと驚いてしまう。それを知るのはほとんど自分のみであり、自分を一番知るハデスでさえもサタンという名の闇を抱いていることしか伝えていなかったはずだ。
しかし答えない彼に対してバーモットはどこか納得したような態度で「貴方様のことをお調べ致しました」というが、ベルゼブブは自分のことなど天界の基礎情報しかないはずだと驚いてしまうが、正確にはベルゼブブではなくサタンのことをと告げた。
「我が父、バフォメットはこの第三層の界の中で博識でございます。特に魔や悪や混沌になればなおのこと」
「そこにサタン(僕)のことが?」
「そうです、貴方様の性質についても書かれておりました、そして何故ハデス様や父が私と貴方を巡り合わせたことも理解しました」
「バフォメット卿も...?」
ますますわからないとベルゼブブが驚く間に彼女は話をした。
古来よりサタンは全ての混沌と破壊と悪を司る者であり、その根源は悪魔に根付いた破壊であるとした。愛するものを壊したいと思う強い感情故にベルゼブブは狂わされた人生であり、孤独を歩んできたものの、それに似た力、または対抗できる力を持つ者はいる。
その一人が上位悪魔のバフォメットであった。
バフォメットは混沌を司り、生命を活性化させ、本能を刺激する、つまりサタンとは似ていながらも正反対の創造と破壊を司る神(悪魔)であるのだ。悪魔と神は同一視されており、バフォメットは上位悪魔であり、上位神であり、ハデスと渡り合えるのは当然のことであった。
魔術に優れ、知力優れた悪魔の血はサタンに抗うものである。
「つまり貴方様がどれだけ怯えようとバフォメットの血を引く私には意味などないのです、私達は同じ血を持っているから、反応しないのです」
「そ...そんなわけない」
「では何故私は死なないのですか?貴方様もおかしいと感じられていたのでしょう」
想いが胸の内の中で溢れても、彼女と過ごす時間に幸せだと感じても、唇を重ねても、決してベルゼブブの内なるサタンは目覚めなかったことに対して彼自身も僅かな違和感を感じていたが、それは自分が抑えているからと思っていたが彼女は席を立ち、ベルゼブブの隣に座ると彼の手を取り優しく握った。
「私を愛していないのなら、そういってくださって結構なのです、ただ私は貴方を愛しております」
「...ぼ、僕は」
答えられない、最後の一滴が溢れてしまえばとベルゼブブは怯える時、彼女の右手がベルゼブブの左胸をまた触れては刺青をなぞるように撫でる。
「心を誤魔化すことなどできないのです、私はバフォメットの血を継ぐ者、その心などわかっております」
貴方がリリス様を愛していることも...と彼女が寂しそうに告げることにベルゼブブはごまかせなかったが彼女は手を離して座り直しながら膝の上でスカートを掴むように拳を作った。
ベルゼブブは確かに胸の内でバーモットへの愛をずっと告げていた、そしてそれはあの日リリスに向けた感情と同じだったが何一つ反応しなかったのだ。
ハデスはずっと二人の相性の話をした本当の意味を理解する彼はそれでもリリスへの想いとサタンという自分への恐れや迷いを抱いており言葉を返せずにいれば彼女は「もう一点、貴方は間違えております」と告げることに伏せていた顔をベルゼブブはあげた。
「確かに私は清くありたいと願いメイドになりました、ですが先程もお伝えした通り、私はシスターではありません。貴方と同じく過去があり、愛する相手もおりました、そして...その身を捧げたことも...あります」
それはベルゼブブにとって彼女と自分の血以上に驚くべき事実であった。
彼女が手紙を読んでいた際にも聞いた信じられない言葉だったが、彼女は自分は周りが思うような無感情な生き物ではなく、ただ心を押し殺してきただけだといった。それは過去の痛みを誤魔化すためでもあった。
一度だけの恋ではない、彼女はいくつかの恋をした。
幼少期にはバフォメットの娘ということから怯えられてしまい、力の制御も出来なかったが成長とともに学び普通の悪魔(ヒト)として生きるようになり、確かに好奇の目を向けられるものの、それでもまともに彼女を見る相手も現れた。
一度目の恋はまだ彼女が学生の頃、勉強熱心な彼女に心惹かれた神が彼女に声をかけ、二人は静かに惹かれ合い恋をした、しかし彼女の黄金の山羊の目をみた彼はそれに本能を狂わされ、翌日には怯えて逃げてしまった。
二度目の恋はメイドになる前の頃、懸命に真面目にメイドとしての学びを得る彼女に彼女の専属講師となった相手が心惹かれ、誠実で優しい相手に彼女も心惹かれた、しかし彼女の屋敷に通う相手はある日、屋敷のメイドに手を出した、それを発見したバーモットにバフォメットのせいだと吐きすてた。
三度目の恋はメイドになってから、彼女は職場恋愛はしないと思いながらも優しい同僚に熱心に誘われデートを重ね恋人になった、しかし恋人になってすぐのとき、彼女の純潔は汚され、相手は彼女の上で笑っていった「バフォメットの娘を抱いてやった」と、そして相手は誰彼構わずにそのことを自慢気に語り、バーモットは全てを諦めた。
自分が恋をする度にその血を望まれ、妬まれ、怯えられる。
それがどれだけ彼女を苦しめ続けたことか、話を聞くベルゼブブは自分とは違う痛みを持つ彼女に言葉も出なかった。黄金色の山羊の瞳はその薄い涙の膜の中で連れていた。
神秘的で美しいとずっと持っていた瞳は悲しみと純粋なる愛を求めるものであり、彼女の清廉がそこに存在した。
「貴方様の思うような者ではございません、幻滅いただいて構いません、どれだけ綺麗事を言うおうと私があの血を継いだ黒山羊の娘であることは...」
「キミが好きだ、愛してる」
「...あ、の」
「キミが誰だとか何者だとかどうでもいい、あぁくそ...僕の能力が溢れたことを考えてなかったな、さっきからずっとだ、僕は論理的な行動を出来てない」
バーモットが言葉を言い切る前にベルゼブブは強く抱きしめた。
全く考えることも出来ずにただ愛していると告げて抱きしめる彼の心臓は騒がしいほどに音を立てており、まるで全身が焼けてしまうのではないかと思うような熱が全身を支配するのに、ベルゼブブは感情を抑えることができなかった。
ただ目の前の愛する人に言葉を伝えて、抱きしめて、本当の自分の気持ちを教えてやりたいと思うだけで、そこには計算も策略もなにもなく、彼をただの一人の青年にしてしまう。
「バーモット、キミがどんな恋愛をしてきたかだとか、誰の娘だとか、そんなものキミが僕を気にしないように僕だって気にならない、それ以上に僕はキミが好きだと心から言えるんだ」
「...はい」
「キミは僕になんだって教えてくれる、コーヒーの味も、食事の美味しさも、湯船の心地よさも、眠ることも、愛情も」
「...メイド、ですから」
誤魔化すように告げる彼女にベルゼブブは小さく笑みを浮かべては抱きしめる腕を優しくほどいて彼女をみつめると真っ赤に染まった彼女は鉄仮面や機械とは程遠い恋をした女性の顔であり、ベルゼブブもまた恋の熱に浮かされる男性の顔であり、互いの深淵(サタン)の瞳と黄金(バフォメット)の瞳が交わると今度はベルゼブブから彼女の唇に優しく唇を重ねて瞼を閉じてその柔らかさを味わった。
そして離れると互いに額を突き合わせて少しだけ照れくさくももう一度だけ触れるだけのキスをして互いの手を握った。ベルゼブブがどれだけ彼女を愛おしいと思おうとかつて愛する人を傷つけた力は湧き上がってこず、反対に凪のように落ち着いているようにも感じられた。
「あぁ本当にキミの言ったとお...え、バーモットそれ...」
「へ?あっ...あぁ!みないでください!」
「それは山羊の角じゃ、あれ尻尾も?」
「みないでください!」
珍しく声を荒げるバーモットだが、ベルゼブブは目の前の彼女の頭から小さくもハッキリと山羊の角が生えていることと、スカートを押し上げて小さな尻尾が布越しにみえたことにより、バフォメットの血がさらに強くなっているのだと気付き科学者としての好奇心があふれるもの、彼女は口付け以上に恥じらいを持って彼に見られることを拒絶し、二人はすっかりと先程の空気も忘れる頃、ドアが音を立てて開いたかと思えばそこには見たくもない三人、バフォメット・ハデス・アダマスがおり、三人は浮かれたようにクラッカーを片手に持っており、バフォメットは娘をみては声を上げて自身の能力(フェロモン)を噴射させた。
「よくここまでやったな蠅の王...いや我が義理息子ベルゼブブよ!!」
「本当にめでたいことだ、お前たちの相性がいいとは思ってのことだったがまさかここまでいくとはな」
「よかったなベルゼブブ、これで脱・童貞だぜ」
いやはやめでたいと感動している三人の保護者面した面々はバーモットが実家に帰ってきた頃からバーモットの悩みとベルゼブブの悩みを互いに共有し、さらに今後どうするのかと方針を話し合い、偽の手紙まで用意してみたが上手くいったようだと喜ぶもののベルゼブブとバーモットはすっかり抱きしめ合うようにじゃれついていたまま固まっていたものの、迷惑三人組にすっかりと意識を取られ、ベルゼブブは全身が熱くなり、すぐにそばにあるアポミュイオスの杖を取ろうとする前にバーモットが立ち上がり、三人に近づくと父バフォメットはその巨体でかわいい娘にデレデレとした表情を向けて声を上げた。
「おお〜かわいい我が娘よ、本当はお前たちがベッド・インするところまでみたかったんだが我慢できなかったんだ、さぁいま目の前でまぐわうとい....ッッ」
ドグシャッと音がすると同時にベルゼブブ・ハデス・アダマスは父娘をみた、そこには華麗に娘にジャーマンスープレックスをキメられ声もなく沈められた大黒山羊の悪魔がいた。
床が割れて完全に倒れ込んだバフォメットを無視して綺麗にブリッジから起き上がった彼女はハデスに近づくと「やめろ!余はプロレス技は!」と叫ぶ間にその細腕で担ぎ上げては本の手本になるほど美しいパイルドライバーをキメて冥王を沈めた。
そうして冥界ツートップを沈めた彼女はアダマスをみつめては静かに床に倒れる二人を指さした。
「アダマス様は壊れてしまいますとベルゼブブ様にご迷惑をかけてしまいますので、こちらのバカ二人を連れておかえりいただけますでしょうか」
「お...おう、わかった」
アダマスはすぐに二人を抱えて部屋を出る直前でベルゼブブを小さく憐れむようにみつめた、その瞳は絶対に彼女を怒らせるなというような表情であり、彼もそれを察して小さく頷くとすっかりともとに戻った彼女が珍しくため息をついては「お飲み物が冷めましたね」といってコーヒーを再度淹れ直して、ベルゼブブの前に置くと彼は再度ミルク少々と砂糖二つをいれて、くるくると黒い液体の中身を混ぜて砂糖を溶かして茶色に変化するのを見守ると、メイドとしてトレイを持ってみつめる彼女に不思議そうにみつめた。
「なにかあった?」
「いえ、ベルゼブブ様は甘いものがお好きだな...と思いまして」
いつもミルク少々と砂糖を二つですから。という彼女にベルゼブブは少しだけ照れくさそうにししつつも一口コーヒーを飲んだ後、コーヒーの上の波紋を眺めて呟いた。
「キミがそうしたんだよ、僕はもっとずっと暗くて苦いものが好きだったのに」
きっとこのコーヒーの味を知った頃から僕はキミが好きだったんだろうね。
そういったベルゼブブは返事のない彼女を見上げると、彼女は表情こそないようにみえて真っ赤になってしまっており、ベルゼブブもソファから立ち上がると少しだけいたずら混じりに彼女の顎に手を添えて見上げさせた。
「バーモットって意外とわかりやすいよね」
「それは...貴方様だからです」
「うん、嬉しいよ」
貴方こそこんなに甘いだなんて思いもよらなかったとバーモットが内心呟けばベルゼブブはそれを見透かすように唇を重ねた、今度は二人静かに、初めて本当の愛を語り合うように、コーヒーの香りに包まれながらほんのり残ったハチミツのリップクリームの味を感じて。