「ハデスおじさま♡」
「… バルゼミア、やめなさい」
「えぇー、いいでしょ?おじさまったらバルゼミアのこと気にしてるの?」
ハデスは自身の悩みの種が数百年ぶりに増えるなど思いもよらなかった。
執務室で仕事をしているはずだったハデスの膝の上には今現在極ミニスカートのメイド服を着た、まだ幼さが残りながらも大人の身体へと成長している少女が占領しており、彼女は狭い彼の一人のようの椅子の上で横向きに座っては、長い足を肘置きから流してその手で小さなスイーツプレートを持ってハデスの口にかわいらしい紫色のマカロンを差し出していた。
嬉しそうにする彼女に対して他のメイド達は気にすることなく、しかし主人であるハデスに申し訳なさそうに目を少し伏せて待機しており、ハデスは万年筆を片手に職務に励んでいるはずがすっかり邪魔をする彼女に困り果てた。
「バルゼミア、何度も言っているが余は職務中だ、お前もメイドだというのなら自分の母を見習ってだな」
「ハデスおじさま、今日のお菓子私が作ったんです、だから食べて欲しくて」
「ぐっ……ぅ……分かった、分かったからそんな顔をするな、全くお前は本当に」
意を決して説教しようとすればまるで捨てられた子犬のような顔をする彼女にハデスはなにも言えず。自分のためと言って用意されたティータイム用のお菓子を彼女の口から仕方なく口に含むと彼は素直に「美味しいな」と告げてやるだけで少女は史上の喜びを感じるかのごとく微笑むため、ハデスはすっかりとどうしようもないとしていた。
「甘やかしすぎではございませんでしょうか」
「お前の口からそう言われる日が来るとは」
ハデスはやってきたハデスの居城にてメイド長をも務めるベルゼブブ専属のメイドであり、例のバルゼミアという少女の母親であるバーモットにそういわれてしまうと苦い顔をした。
まるで感情も灯さないような冷えきった瞳をするバーモットの黄金色の瞳は娘と全く同じものでありながらも透き通る光のようであり、ハデスの元に来た書類の整理を手伝う彼女は平然とした顔つきで「事実でございます」と一刀両断をしてみせる。
甘やかしすぎているという言葉にハデスはそれが誰に対してかというのはいやでも分かっている。彼女の娘バルゼミアに対してであるが、ハデスは自分でも痛いほどに理解していたが自分だけいわれるのは忍びないとして少しだけ声に重みを加えた。
「あやつに甘いのは余だけではなかろう、お前の父はもちろん、ベルゼブブもどうだ、アダマスも甘いところはあるではないか」
「お父様は論外でございます、ベルゼブブ様はあの子の父でございますし、アダマス様はまだ良いでしょう」
「であれば余も…」
なりません。とバーモットの低く厳格で規律を重んじた声が部屋の中で小さく響く、それは教育者であり、母親であり、そして何よりもバフォメットという特殊な血を継いだ者の眼差しであり、ハデスは友人の娘ではあるが自分の姪のようにかわいがっていた娘にそのような眼差しを向けられる日が来るとは、と思うが彼女の不安についても理解していた頃、ドアがまた開き短いメイド服を着たバルゼミアが現れた。
「ハデスおじさま〜、愛しのバルゼミアが逢いに来ましたよ……って、ママ!!」
「バルゼミア……またそのような態度でハデス様に接しているのですか、全くあなたという娘は」
「ハデスおじさま助けて、ママが怒ってる!!」
怖いと言いつつもハデスにベッタリとくっついて来ては彼の首筋や襟足の長い髪に顔を埋めるバルゼミアは全く怖がった様子はなく、反対にじゃれつきを許された子猫のようにハデスに甘えており、ハデスも思わず「まぁまぁそう怒ってやるな」と苦笑いをして宥めてやるものの母親でありメイド長であるはずの存在が「貴方様がそんな態度だからです」と文句を言うことに、まさか千年以上を得て彼女の新しい顔を見れるなどと思っている間にバルゼミアは折角だからお茶菓子を持ってくると言って出ていくと執務室に残された自分の側近のメイドだった彼女に微笑んだ。
「まぁそう怒るなバーモット、余がバルゼミアをかわいがるのは幼いお前を思い出すからだぞ」
それは子供を宥めるような物言いであるが、ハデスを見つめる彼女は深い息を吐きながらそうじゃないから注意してるのだと言いたげにするがハデスも十分承知だとした。
「幼い私をかわいがって下さったのは理解しております、しかし私たちはただのおじさまと友人の娘でした、ですがあの子は……バルゼミアは本気であなたを想っております、それは常にお忘れなく」
一通りの仕事を終えたバーモットはそれを最後に出て行ってしまい、ハデスは入れ違いで戻ってきたバルゼミアが母親が居なくなったのを見るなり嬉しそうにハデスに近付いては膝の上に座り、彼の首に腕を回してうっとりと黄金色のその蜂蜜のようにドロリとした瞳を歪めて、山羊のような瞳で呟いた。
「大好きですおじさま」
その言葉はもう何百年も聞いていた。
生まれてすぐからハデスの指を握り微笑んだ彼女にバフォメットの血を感じつつも、ハデスは久方ぶりの赤子、しかも女の子となればとことん溺愛してかわいがった。
欲しいものは極力与えてなんでもしてやって、バルゼミアは祖父バフォメットや父ベルゼブブとは別におじさんのように深く愛したものの、彼女が他とハデスを別にしたのは先程の言葉だった。
「ハデスおじさま、だぁいすき」
初めて覚えた言葉もハデス、初めて立ち上がり求めに行ったのもハデス、初めて微笑んだことも、触れることも、常に彼女はハデスを求めており、その愛に対して明確に彼女がハデスを好んでいるというのは嫌な程にわかっていた。
けれどハデスは当初それを純粋なる子どもの行為だと思っていた。
混沌を引き起こすフェロモンの能力も、感情の揺らぎを見せるはずの黄金色の瞳も、全てかつてのバーモットのように抑えることが出来ないだけだと思っていたが、それは半分正解で半分間違いだった。バルゼミアは少しだけ不器用で自分の能力を確かに抑えることが苦手だったがそれは彼女の肉体にバフォメットの血が多く宿りすぎた結果、その魔力が溢れてしまっているということであり、それに気付いたベルゼブブは彼女の魔力をコントロールできるように魔力を抑える為の石のついたブローチを贈り、バルゼミアはそれを身につけた。
それでもハデスをみるときの彼女は抑えきれないというよりも、抑える気はなくその感情の昂りを見せるものだからハデスは心底困っていた。
なにせバルゼミアはあのバフォメットを強く尊敬しており、自らもバフォメットの跡を継ぐと宣告したのだから。
「ほ、本気なのか」
「はい、ママが継がないんでしたらおじい様に何かあった時、おじい様のお家が大変になります、折角冥界でも屈指の悪魔(神)なんですから、その名を継ぎたいんです」
「バルゼミア、一応言っておくがなバフォメットという存在はあまりいいものじゃ」
「混沌と静寂、生と死、愛と破滅……あぁ、あぁなんて素敵なんでしょう!」
幼い彼女が学校から帰宅してハデスの執務室で勉強をするのは日課で将来の夢についての作文を考えているとき、ハデスはどんな夢を抱いてるのだろうかと微笑ましくみたのが間違いだった。
母のような規律ある存在を目指すか、父のような自らの研究に没頭する存在になるのか、それとももっと愛らしいなにかを目指すのだろうかとハデスはニコニコと作文を横から見せてもらえば「〇年〇組 バルゼミア 将来の夢はおじいちゃんの跡を継ぐ優秀な黒山羊の悪魔になること」と書かれていたのだ。
元よりバルゼミアは祖父バフォメットに随分と懐いており、初孫であるバフォメットは当然彼女を溺愛した、溺愛しすぎて目に入れても痛くないといいながら目に入れようとして止められた。
娘バーモットも父を尊敬しているものの、彼女はその血に苦しみ、さらに父の混沌を見続けた結果規律こそが何より、清い存在でありたいという強い願いからハデスの城でメイドをしており、だからこそハデスは安心しきっていたが、恐ろしくも覚醒遺伝といえばいいのかバルゼミアはバフォメットの血をより強く継いだ上にあろうことかあのカオスの化身を師のように仰ぎ尊敬しているのである。
「その…バルゼミア、なんだ?ほらもっと将来の夢はかわいくあるべきではないか?ほかの子供たちのように…ほっほらパティシエになりたいとか、そうだ!それこそお嫁さんとか!」
「……およめ、さん」
「そう!そうだ!お前のようなくらいの女の子はみんなそういうものだろう?あんなバカタレジジ……混沌を司る山羊ではなくてだな」
幼い頃の教育こそが全てだとハデスは必死にバルゼミアを説得した、正直なところ自分の本物の姪のようにかわいがっている彼女が何処ぞの知らぬ馬の骨にやるなど考えたくはないが、一時しのぎの嘘だとしても今紙に書いてしまうよりずっとマシだとハデスは思った、言葉には魂が宿り、文字は動かぬ証拠となる。
バルゼミアが何になりたいか、今はまだ幼いゆえに分からないからこそ愛する祖父を思うのかもしれないが、あれほど反面教師にしなくてはならない存在はおらず、彼女の父親ベルゼブブは常に悪影響を及ぼす義父バフォメットと教育について言い争いをしており、その姿は完全に嫁姑問題にも感じられるほどで、ハデスはバルゼミアを抱えて白い目でみていた、もちろんベルゼブブ側について。
「お嫁さん……私、ハデスおじさまのお嫁さんがいいな」
「……っ」
なんと愛らしい言葉なのかとハデスは胸を抑えた。
彼は自身の弟たちの世話をオムツ替えからミルクをあげるところまで全て見てきてやった。バーモットに関しても同様であり、目の前にいるバルゼミアも赤子の頃から世話をした。
弟たちはもちろんだが、バーモットの口からもそのようなことを聞かなかったハデスはまさに女の子らしい願いを聞いては年甲斐もなく胸がときめいた、無邪気な子供の愛ほどかわいいものはない。
そうだ、ハデスもまたとんでもなく彼女を溺愛して、かわいがって、甘く育ててしまっていたのだ。だからこそ彼女が母が抑えようとしてきた黒山羊の角もあの黄金色の瞳も出してしまうことを止めることはなかった。幼い頃からハデス様ハデス様と必死に着いて回る子供が次に結婚したいというとき、それはまさに叔父としての夢のようなものだった。
「ねぇおじさま、私お嫁さんになってもいい?」
「あぁもちろんだ、こんなにかわいいお姫様を妻にできるなど余は冥界……いや、神界一の幸せ者だ」
「うん、約束だよ、おじさまのお嫁さんにするって」
「約束しようバルゼミア、余はお前を妻にすると」
それは口約束のはずだった。
かわいい子供の口約束で成長すればそんなことも忘れると思っていた。
「ハデスおじさま、私もう結婚できますよ」
「……そうか、幸せにな」
「他人行儀にしないでください!旦那様はハデスおじさまですよ!」
「そうだな、余と同名のハデスさんだな、よしよしお前の両親にも言っておこう」
そして現在、ハデスは執務室で仕事をしていたはずだが不敬な自称ハデス専属メイドであるバルゼミアに背後から抱き締められ、彼の頭には柔らかい発育のいい何かが触れているのを死んだ顔をしながら書類に判を押して無視を決め込んだ。
あの日の約束に対してバルゼミアは百年が過ぎても騒いでいる始末で、ハデスは心底あの日の約束を悔いていたが友人であるバフォメットは「あの時、指を握られた時に余もバーモットも分かっておったわ」と高笑いをされてしまっており、バルゼミアの愛は本物であるからこそバーモットがハデスに厳しくしてしまうのも当然となった。
「おじさまったらそんなに私が嫌ですか?」
「嫌ではない」
「私に魅力がありませんか?」
「っ……」
バルゼミアは抱き締める手を離してはパタパタと足音を立ててハデスの向かいに立って、机越しに腰を曲げて書類を眺めるハデスの視界に入るために下から見上げてきた。
正直なところ、バルゼミアはとんでもなく綺麗な娘になった。
バフォメットが一目惚れをした人間の妻はそれはもう冥界でも屈指の美人であり、その血とバフォメットの魔性の血を継いだバーモットと容姿端麗なベルゼブブの血を引いた彼女はさらに美しい宝石のような娘となり、小さい頃あれだけかわいがっていた幼い少女の肉体は今や立派な大人となり、その美しい顔立ちから下に視線をやると深い男を誘う柔らかな二つの膨らみがあり、相手を欲望で狂わせてしまいそうな深い溝が見える。
「ねぇ、おじさま?」
「ッ、そんな薄着でいるんじゃない、全くお前というやつはいつまで経っても子供だ、そんなことではバフォメットの跡を継ぐどころか、メイドとしても務まらんぞ」
「きゃっ、あっおじさまのコートいい匂い」
「ほらもう仕事に戻れ、余も忙しいのだ!」
ハデスは自分のコートで彼女を筒巻きにするようにして着せるとまるで猫を追い出すように掴んでは廊下に放り出した「おじさまったら」と聞こえてくるが無視してハデスは椅子に深く腰掛けてはもう何度目か分からないため息を着いて、胃が少し痛むのを抑えた、その痛みはかつてバフォメットが原因の胃痛とはまた違う痛みであり、それを誤魔化すように冷めてしまったミルク多めに砂糖三つの入った紅茶を飲んだ。
「甘すぎる、糖尿病にする気か」
本当に困ったものだとハデスは呟きながらも自分の心臓が騒がしく音を立てることに知らないフリをした。