バルゼミアがハデスの城にメイドとしてきたのは、彼女の母バーモットが自身の誇りを守る為に頭を下げてハデスのメイドになりたいと願った時とは全く違った。
まさに彼女はバフォメットの血を継ぐに相応しい混沌と無秩序の存在であり、その日のことについてはハデスも頭を抱える程の日であると簡単に思い出せるものだった。
「バルゼミアも卒業か、全く月日というのは早いものだな」
ハデスは冥界のカレンダーを眺めながら大きく丸をつけた日は自分の愛娘といえるほどに可愛がっていたベルゼブブとバーモットの娘の卒業式の日だった。
思えば入学式からやらかしていたな……とハデスは目を閉じて思い出す。
まずバフォメットの血を継ぐ者としてバルゼミアは数ある学園から避けられた、とにかくどの学園も絶対に来ないでくれと願うことを知っており、母バーモットはその中でも自分が通っていた冥界一偏差値も高く規律がしっかりとした厳格な学園に入学を希望したものの、それはなかなか受理はされずバーモットとベルゼブブは小首を傾げながら「偏差値は充分足りている」というが、小学生時代からの学生生活における態度から来るものだとハデスは理解しており、胃が痛くなりつつも希望した学園に"冥王自ら"直筆の願書を出し、何かあれば全てハデスが責任を取ると念を押して、かつて親バカバフォメットのせいでめちゃくちゃにされかけた学校長は今回も逃げられないのかと泣きながら受理した。
「おじさま♡みてくださいこの制服…ママとお揃いなんですよ」
「懐かしいなバーモットと同じものだ、よく似合っているな、この三年間しっかり学んでくるんだぞ
「フフッハデスおじさまのために頑張ります」
シックで真面目さが目に見えてわかる丈の長いスカートタイプの制服を着たバルゼミアに少しでも落ち着いてくれたらいいもハデスは思った。
バーモットの頃は彼女が大人しい分、父親であるバフォメットのバカ親ぶりが発揮され、それはもうとんでもない事が重なり、親の代わりに頭を下げるバーモットと共にハデスは冥王でありながら頭を下げたもので、バルゼミアの親となったベルゼブブであれば大丈夫だと思い安心していたのもつかの間。
「バルゼミア、これはどういうことだ」
「これ?ちょっとこの学校は堅苦しいから少しだけ手入れしたんです、丁度パパの作ってた薬とおじい様の薬を混ぜて割ってみたら、みんなもうすごいの」
入学から数日後、ハデスのもとに学園から緊急連絡が来たことに慌てて駆けつければハデスは早速と頭を痛めた。
何故なら学園長の部屋につくまでに既に学園の中はむせ返るような甘さを醸し出しており、生徒も教師も目をとろんとさせており、欲望のままに生きており、校庭では運動部が運動という名の非健全な夜の運動会に精(性)を出しており、職員室では愛の咆哮が聞こえ、清廉な学園は数日にしてバフォメットの血により完璧な混沌の会場となっており。
ガスマスクをつけて部屋の隅で震えている学園長は「たすけて」と怯えた子うさぎのような姿をしており、バルゼミアは学園長の机の上に足を組んでは座っているが、既に制服は魔改造され、長いスカートは改造されて後ろから見れば普通でも前から見れば正面部分は短く、その下はハイレグのようになっており、ジャケットを改造したコルセットと大きく開いたデコルテにパフスリーブの長袖は完全に夜の店のキャストのようであり、到底学生の制服からは遠かった。
「この制服も今年度からの新しいものにしてみたの、かわいさ重視でちょっとバフォメットに眷属…いいえ、仕える民としては物足りないけど、学生らしさがあっていいですよね?」
「眷属……お、お前はなにをしてるんだ!!」
「キャンッ!おじさまが私にゲンコツを!?」
「当たり前であろう!こんなことをしてお前の母に面目が立たぬだろう!今すぐそのふしだらな服を着替えろ!魔力も抑えろ!全く……余だ、今すぐアレ(バフォメット対策課)を呼べ」
バルゼミアの魔力はバフォメット程ではなくともそれなりに強い、ドロリとした重たく甘い香りは魔力耐性の少ない下級神も含めてすぐに溶かされてしまうほどであり、それを考慮してブローチで抑えていたというのに彼女は学園を自分の領地(テリトリー)として早速有象無象の場所に変えてしまったのである。
ハデスは眉間に皺を寄せて、学園を元に戻すために数日の処理が必要であるため、その間はバーモットと共に強く説教をしていたものの祖父バフォメットは「流石は余の跡を継ぐ者だ」と笑うため、ハデスはバイデントで黒山羊を遠慮なく刺した。
まさにその三年間というのはカオスに溢れた日々でありながらも、流石はバフォメットの血を引く者であるともハデスは彼女から渡された通知表を眺めては教師のコメント欄に関してはマイナスなコメント(この子を制御できませんの意味)が書かれているものの、学園での実績や成績表は常にトップを飾り彼女の優秀さには感心し、素直に褒めてやったものだ。
「褒められたら伸びるタイプだなら素直でかわいいものなんだがな」
毎学期通知表を手に現れては「おじさま見てください!」と笑顔を見せる彼女に流石だなと頭を撫でると彼女の頭の山羊の角が喜びから小さく伸びながらも目を細めて幸せそうな顔をする。
両親も時折困らせつつも優秀な娘を素直に褒めて伸ばし続け、あの混沌さえ無ければバルゼミアはまさに優等生であり、教師たちも彼女が混沌さえ求めなければバーモットに次ぐ数百万年の歴史ある学園でも優秀な生徒であると言えるだろう。
如何せんあの娘は兎に角バフォメットの血が濃く、悪魔(神)と人の子であったバーモットと違い、神と半神半人であるからであり、幼少期よりベルゼブブが入念に彼女を検査し続けた結果、バフォメットの血は強き者を求め、より濃いバフォメットの血を作ろうとする性質に気付いてしまった。
それゆえにバルゼミアがハデスを求めることは本能的なもので、バーモットのような静謐な愛とは違うことも血の運命だとハデスも理解していた。
かつては自分の妻になりたいと言っていた娘も今や大人になろうとしている。このまま大学へ進学なのか、それともなにかしたいことであるのだろうか、ハデスはカレンダーの丸が今日であることを思いながらフッと小さく微笑む時、ハデスの居城が騒がしいような気がしたものの彼は気にせずにそろそろ政務にでも戻るかと思う頃、彼の執務室のドアが大きな音を立てて開いた。
「ハデスおじさま♡いえ……ご主人様ぁ♡♡あなたのバルゼミアがあなた様の御奉仕に参りましたわ!!」
そういって現れたのは美しく成長した姪御のようなバルゼミアであった。
彼女が生まれて初めて抱いた頃は手の中に収まるような大きさだった彼女は今や立派な"女"となったわけだったが、ハデスはその服装と言葉に盛大に飲んでいた紅茶を吹き出した。
見覚えのある格好、いや本来あまり見ていたくない格好、さらにはあまり聞いていたくない言葉にハデスは慌ててハンカチーフで口元を拭うとドアを開いたバルゼミアはガラガラと大きなピンクのキャリーケースを引いは部屋に入ってくるものの、周囲の従者や兵たちは思わず顔を俯かせた。
「バルゼミア、どういう意味だ…いやその格好でわかる、知りたくもない」
「おじさまったらやはり分かってくださるんですね、そうですメイドですよ、メ・イ・ド♡バルゼミアはハデスおじさまに朝も昼も夜もぜーんぶ御奉仕する為に参りました!」
帰ってくれとハデスは腹の底から出てしまった声は既に胃に穴が空きそうなものだった。見た目からしてわかるがバルゼミアの格好はメイドとは思えないものだった、それはバフォメット家式のメイド服であるが、それはカオスの化身、黒山羊の悪魔の制服に名だたるもので、際どいほどのV字のハイレグに背面はTバックにガーターベルトにハイヒール。
そして幾度かバフォメットの館に赴いたことのあるハデスはそのメイド服が上半身こそまともな長袖のクラシカルタイプの自分の城のメイドたちのようなものであるはずだったことを知っているが、バルゼミアのメイド服は上半身の胸元が大きく開いており、今にもその育った二つのたわわな実りが落ちてしまいそうな程であり、彼女が歩くだけで揺れてしまうのをハデスは慌てて目を逸らした。
「どういう事だ、お前は今日学園を卒業したばかりであろう、先のことはお前の両親からは聞いていなかったが進学するのではないのか、あぁそうだお前が気になっていた冥界一のジュエリーショップで働くとか、あぁそうだ余が推薦状を書いてやろう、どうしたいんだ?多少はお前の手伝いをしてやろう」
先のことをあまり聞いてなかったが助力はしようとハデスは背中に嫌な汗をかきながら必死にかわいい姪の将来についての話をしてやるが、執務室の中にピンクの煙が薄く散布され、彼女のバフォメットによく似た黄金色の瞳をさらに宝石のように輝かせて、ぐにゃりと彼女の瞳孔が横長の山羊のような形に歪むのをみていれば、入口立っていたメイドが煙を吸うなり「バルゼミア様万歳」と呟いては服を脱ぎ始め、廊下にいた兵の足元にピンクの煙が触れると「混沌こそが全てだ」と叫び武器を置いて隣の兵と絡もうとするためハデスはすぐに机の上の受話器を手に取った。
「医療班(対バフォメット課)いますぐ来てくれ!アラームも鳴らせ、警戒態勢4だ」
「そっそんな……おじさま情熱的ですわ、あぁお仕事姿も麗しい♡」
「やめろ!黙れ!抑えろ!頼むから抑えてくれ!!」
三十分後、自体は沈静化されるとハデスはバルゼミアに適当に羽織るものを手渡して、改めて執務室のソファで「それでどういうことなんだ?」と普段のように叔父として話を聞いてやった。
「私おじさまのお嫁さんになりたいんです」
「およ……はぁ、まだそれを言ってるのか」
「まだって……本気ですよ?私ハデスおじさまがずっと好きなんです」
大好き、好き、本当なんです。
必死に泣きそうになりながら隣に座るハデスに呟くバルゼミアにハデスはもう百八十年にもなるのにその恋心という名の憧れを続けていることは尊いものだが、少しだけ現実を見てほしいとも呆れてしまいながら「わかってる」と落ち着かせるように頭を撫でて返事をした。
「学園ではおじさまやパパやママの言い付け通り沢山勉強を頑張ってきました、ですが私は自分が一人で生活したこともないし(というよりベルゼブブが絶対に許さない)いつもお姉様方(メイド)にお世話されてばかりで何も知りません。こんなのお嫁さんにはダメなんです!」
母バーモットは何よりも貞淑に清く美しく、バフォメットの混沌の血を抑えるためにメイドとしてハデスに仕えた。そして今ベルゼブブやハデスに仕えるその姿はバルゼミアからみても完璧なものであり、理想的な妻の姿であるとして彼女は花嫁修業として、そしてなによりもハデスを支えるために働きたいといった。
「もちろん、おじさまがダメだというのでしたら他の…ゼウス様やポセイドン様のお城にいきます!」
「ポセイドン……ゼウス……いやならんならん、ポセイドンはまだしもゼウスなどお前がいけばどうなるか!」
あの女好きの不貞弟の神殿に仕えるとなればゼウスが鼻の下を伸ばし、ヘラの雷が落ち、あそこに神殿にいる神々がカオスに飲み込まれる、ポセイドンに関してはそもそも彼女(バフォメットの血)を受け入れないだろう。
「ちなみに何故お前の祖父たるバフォメットの館でメイドをしないんだ?」
「それはおじい様がハデスおじさまが「一番信頼たる男だ」と言っていたからです」
それにお好きな方にお仕えできるなんてパパとママみたいに幸せじゃあありませんか。と赤く染めた頬に両手を添えて乙女チックに照れる彼女にハデスは必死に考えた。それはもう冥界全体よりも重要なことであるとした。
何故ならかつて彼女の祖父バフォメットはその力で冥界を何度も壊しかけており、その血を母より濃く受け継いだ彼女もまた同じことをしかねないからだ、ベルゼブブから授かったブローチをしていても抑えることが出来ないことのある彼女を野放しにしてしまえばどのようなことが起きるのか、それはハデスとて考えたくもないことだ。
「つまりお前は社会勉強の一環として、余の城でバーモットのように勤めを果たすということだな」
「はい」
「しっかりと他のメイドたちの指示に従い、しっかりと貞淑な一端のレディとしてのマナーを学ぶというのだな」
「もちろんです」
「そうか……」
その方がいいかもしれない。
これまでは学生として学業に励んで自由を得ていたが、それが開放された今、知らないところで知らない者に仕えたり、またはさらなる自由という名の混沌を求めるよりもハデス直々に目の届く範囲に置く方がもっとずっと楽で安全ではある。
「私ハデスおじさまが誇る立派なメイドになります」
そうして真っ直ぐ純粋な目でいわれてしまえばハデスは自分の実の姪のようにかわいがってしまった彼女を拒絶することもできず「制服はちゃんとしたものにしなさい」と重たく返事をして、結果的に受け入れることとなり、その旨を両親に伝えれば夫婦揃って深々と頭を下げるもののハデスであれば安心だという信頼に彼は答える他はもうなかった。
例え彼女がどんな厄災だとしても。
「おはようございますおじさま♡」
朝六時、違和感に気付いて目覚めたハデスは自分の隣で挨拶をしてきたバルゼミアをみて「なんだバルゼミアか」と呟いたが直ぐに頭を覚醒させるなり彼女が自分の腕の中でセクシーなレースのランジェリーのみで横になっていることに気付いてはシーツでぐるぐるに丸めては外に放り投げて慌てて朝の身支度を整えた、廊下では「おじさま!?お着替えでしたら私(わたくし)が!」と聞こえたが知らないフリをした。
「おじさま、はい♡あ〜ん」
「バルゼミア、余は子供ではない、一人で食べられる。というかなんなんだこの朝食は」
「バルゼミア特性蜂蜜パンケーキです、糖分は頭の活性にとってもいいんですよ」
「……胃もたれがしそうだな」
朝七時、いつものように広い食堂にて目の前に置かれた朝食は何枚も重なったパンケーキであり、ホイップクリームが山のように盛られて、溢れんばかりに蜂蜜を掛けられておりバルゼミアの香りに混じって酔ってしまいそうだった。飲み物もチョコレートドリンクにされており「頼むから紅茶のストレート、くれぐれも砂糖抜きで」と注文すれば案の定ミルクを多め砂糖三つを淹れられており、ハデスは呆れつつ全てを胃の中に押し込んだ。
「これは私がします!というかおじさまに関するものは全部私がするからみんなはあっちいって!!」
そうしてバルゼミアがハデスの城で仕事を初めてから聞こえてきたのは彼女の横暴な声だった。他のメイドたちがいつものように職務をこなそうとするが彼女はそれがハデスに直接関連することであれば直ぐに奪いさり、手持ち無沙汰になったメイドは他の仕事をこなそうとするが、好きに奪ってこなしていくバルゼミアは残念ながら仕事だけは完璧であるものの、他のメイドたちの職務をそれはもう相当狂わせており、いまやベルゼブブ専属でメイド長となったバーモットはそれを聞くなり娘のバルゼミアに注意をするが聞き入れなかった。
ハデス自体はバルゼミアの奔放さに慣れてしまい過度なスキンシップや甘い紅茶を除けばそれなりに目を瞑ることが出来ており、反対に彼女がハデスのためにと支えてくれることは意外にも役に立っていた。
しかしながら現場の声は違い、メイドたちがついにハデスに「どうにかしてください」と王自らに助けを求めたことにより、現場が荒らされている状況に彼女たちが相当手を焼いているということにハデスは気付いた。
「バルゼミア、少し話がある」
「なんですか?お砂糖でしたらちゃんと三つにしておりますよ」
「要らんのだが……まぁそんなことはいい、ちょっと大切な話だ、来なさい」
こちらにと十五時のお茶の時間となりバルゼミアがいつものように彼女のお手製のお菓子と共に紅茶を淹れにくれば、ハデスは手を置いて目の前に来るように命じ、バルゼミアは紅茶をハデスの前に置くと執務机越しの向かいで褒められるのかと期待したような顔をしているのがみえてしまい、ハデスはどうしたものかと考える。
彼女の行為は百パーセントの好意から来ているのだが、如何せん周囲が見えていないことが原因であり、メイドたちはバフォメットの血を継ぐ者であり、ベルゼブブの娘であることもあって強く彼女に言えぬ上に、さらには彼女の感情の起伏により能力が使われてしまえば混沌が現れてしまい週に二回は対策課が呼ばれほどになっていた。
「余は言ったはずだな?他の先輩メイドたちの指示に従い、マナーを学べと」
「はい、しっかりと職務を果たしております、ママを見習ってお作法は完璧だと心得てましたが、私のお仕事はダメでしたか?」
「ああいや、完璧だ、お前のお陰でバーモットがいてくれた時のように快適だ」
ハデスが素直に褒めるとバルゼミアは嬉しそうにその両親譲りの深淵のように黒い髪の中から黒山羊の角を伸ばしてしまい、ハデスは慌てて褒めるだけではいけないと自分に喝をいれて咳払いをした。
「だが、いくらお前一人が完璧だとしてもここは城で、お前はメイドだ、メイドというのは主人に仕えるチームだ、しかしどうだバルゼミア?お前は今ほかのメイドたちから仕事を奪い、自分が好きなように行動をしているのではないか」
「そ……そんなことは」
「バーモットからも注意されたはずだが、少し聞いたあとすぐにまた反省の色もなくなったようだな、それでは余のメイドとして聞いて呆れる。お前はそもそも優秀な者であるというのに……」
執務室の外に待機していたメイドや兵も珍しく本気の説教を始めたハデスにようやくかと思いつつも、あれだけ嬉しそうに立っていたバルゼミアの背中が丸くなっていくのを見ると小さな頃から知っている故に申し訳なさを感じるがこれも教育の一貫。ハデスの城がバフォメットの血を継ぐ者に好きにされてしまうというのは許されないことであり、無秩序では冥界は守れないのだと言い聞かせて見守っていた。
しかしながらハデスの説教は何処か年寄り臭く長いとは思いつつ、皆は気にしないふりをした。
「そもそもそのメイド服も短すぎる、余としてはお前を立派な……バルゼミア?」
淹れたての紅茶もすっかり冷めてしまった頃、ハデスは静かなバルゼミアに気付き思わず前を見つめれば顔を伏せては短いスカートの裾を握る彼女がおり、話を聞いているのだろうかと思い「バルゼミア、話を聞いているのか?」とすっかり冥王としての厳しい声で問いかけると彼女の肩が小さく震えており、それはまるで幼い頃にイタズラをして叱られていた時のような姿であった。
そしてついに彼女の伏せた顔から一滴の雫が落ちてハデスの執務室の床を濡らした。
「バルゼミア?」
「ハデスおじさまは、私が嫌いですか?」
「きら?は?嫌うだなんて何故そのような話になる」
「私しっかりおじさまの為に沢山お勉強してきました、おじさまを支えていたママみたいに完璧になろうって、学校でもずっとでした、私のお手伝いは邪魔ですか?」
その黄金色の穢れない無垢な瞳を溢れんばかりに潤ませるバルゼミアは一切悪気などはなかった、学生生活では自由奔放を貫き自身のカリスマ故に学園のカーストトップにおり、実家でも祖父や両親から無償の愛を与えられ、ハデスやその城の従者達からも蝶よ花よと育てられた彼女は社会経験が乏しく、善意が迷惑になると思いもしなかったのだろう。
実際に彼女単体の職務は完璧であり、チーム仕事というのが分からないことは常に彼女が先頭にいたから故なのだろうとハデスは察すると同時に慌てて立ち上がり彼女の目元にハンカチを差し出して優しく肩を抱いた。
「そんなわけないだろうバルゼミア、おい!そこのメイドよ、今すぐバルゼミアの為に特製はちみついちごパフェを持ってこい!」
「でも私みなさまのお仕事の邪魔って、このハデスおじさま専用のメイド服もかわいいって言ってくれないし」
「かわいい!とてもよく似合ってる!ちょっと露出が多いのはあれだが素晴らしいぞ」
バルゼミアが泣いたという自体はハデスの城全体が動揺した、それは決して恐れからではなく幼い頃からハデス様ハデス様と鳥のヒナのようについた来ていたかわいい女の子が泣いてしまったからであり、全員がバルゼミアに困らされているもののその実全員が彼女を相当かわいがっているのは現実だった。
ハデスの城の一流シェフが早急に用意したパフェと彼女の大好きないちごミルクを持ってくるとハデスは優しく肩を抱いて執務室のソファに座り自分の膝の上に座らせるなり、パフェスプーンでいちごを掬って彼女の口に持っていき、優しく頭を撫でてやった。
「お前が頑張ってるのはよくわかっている、お前は昔からお手伝いが得意で余もずっと助けられてきたものだ」
「本当?迷惑じゃない?」
「当たり前だろう、隣に居てくれるだけで余はどれだけ嬉しいことか」
そういったハデスの脳裏には幼い頃の彼女が「おじさまのおてつだい」といってハデスの隣で必死にクレヨンでお絵描きをしていた時の記憶であり、何処までも愛おしく愛らしいものであり、これはその延長なのだと思えた。
ハデスの慰めに彼女は「えへへ」と照れくさそうに笑っては口を開けて次を待つことにハデスは頬を緩ませて次を運んでやり、メイドたちもバルゼミアが笑顔に戻ったことに心から安堵する頃、ちょうど用事でやってきたバーモットは呆れたように小さくため息をつきつつも、それが冥王の判断ならと許す他ないのだった。
「おじさま紅茶を淹れましたわ」
「ありがたいんだが砂糖を減らしてくれないか?」
「ダメです、一つはおじさまの疲れを癒すため、もう一つは美味しさのため、そしてもう一つは私からの愛ですもの」
「……はぁ、全く」
数日後、いつものように紅茶を淹れるバルゼミアはハデスのカップにミルクを多め砂糖を三つ入れては微笑むことに呆れながらも、あの日以来しっかりと他のメイドたちの声も聞きながらハデス一番に頑張っているのを知る彼はそれ以上いうことも出来ずに今日も甘い紅茶を飲むと砂糖は溶けきって甘い紅茶の味が口の中に広がるのだった。