博士とアンドロイド
人は神になり得るのか。
神は人を自分に似せて作ったといわれる、それは何故なのか、知性ゆえか、己を心酔していたからか、はたまたその孤独を埋めたかったからなのか。
それは神のみぞ知る。
ヴァルハラの人類の為に用意されてあるいくつかの研究室、その中の一室、そこでは常にパチパチという音や青白い火花が散り、一人の男が小さな声で呟きながら壁一面の黒板にチョークを滑らせる姿があった。
その横顔はまるで彫刻のように整った掘り深い顔立ちで、円形の研究室の天窓から差し込む自然の光が彼の栗色の髪に触れると艶やかで美しく輝き、一人思考に耽る彼の独創的な低く心地よい声は研究室の音に乗せられた。
ニコラ・テスラ──それは神に最も近付いたと呼ばれる人類の一人、魔法使いとも呼ばれた偉大なる科学者。人類最高の智とも呼ばれる彼の傍には常に一人の女性が静かに佇んでおり、その広い研究室内で彼女は静かにテスラが足跡のように残し落としたメモ紙を拾っては机の上に丁寧に置いた。
ちょうど彼女がテスラの為にとエルダーフラワーの紅茶を注ぐとき、テスラは彼女に振り返ることなく独り言のように大きな声を上げた。
「レディ! 6.626 ×10{-34} への収束率、第3階微分までの誤差を確認してくれ」
「承知致しました、テスラ様。計算終了まで 0.005 秒。……テスラ様、第4項に微細な特異点を発見しました。修正案を提示します」
「……っ!流石私のレディ、完璧なまでの計算だ」
テスラの問いに彼女も振り向くことなく正確に答えてはテスラはそれを確認し、感心するというよりも当然だというように確認しては歓喜に近い声を上げてまたチョークを短くしていく。
その時、研究室の廊下から床を鳴らす足音が聞こえ、テスラの研究室の扉が開かれた。飴色の髪に独得のカールが強い前髪と鼻筋の高い男が一人、堂々たる姿で現れてはテスラの研究室であろうと我が物顔で入室してはその広い研究室に足を進める。
客人に気付きもしないように目もくれないテスラとは正反対にレディと呼ばれていた女性は相手を見つめると微かに頬を上げて眉尻を下げては歓迎するように微笑んだ。
「いらっしゃいませエジソン様、テスラ様は本日も研究に没頭されております、お呼びいたしますか?それとも先に紅茶でも?」
「やぁレディレジーナ、今日も驚くほど完璧な姿(レディ)だな君は、紅茶でいい、どうせ奴にはいつ声をかけても変わらないからな」
「承知致しました」
まるで彼女は機械的に返事をしては二人分の紅茶を淹れ直しては一つをエジソンの前に、もう一つを静かに、しかし情熱的にチョークを滑らせるテスラの傍に置いた。
電気と鉄と多少の焦げ臭さが混じる部屋の中で優しいエルダーフラワーの紅茶の香りが広がるのはまるで彼女の優しさの表れのようである。エジソンは椅子に腰掛けてはその長い足を組んで優雅に彼女の淹れた紅茶のソーサーを片手にカップを持ち上げ口をつけた。
まるで計算され尽くしたような温度と味、それは一介の科学者の研究室に淹れられる紅茶とは到底思えない味わいで、茶葉の良さはもちろん、機械的に徹底的な温度や水質管理の結果なのだろう。
エジソンはまだ振り向きもせずに紅茶の湯気が揺れていることにも気付きもしないテスラを待ち続ける中、静かに彼の名残を片していくレジーナと呼んだ彼女に声をかけた。
「完璧なティータイム、完璧な演算、完璧な立ち振る舞い、まさに理想のレディだ、どうだレジーナ?そろそろ私の研究室に来ないか、君ほどの能力があるなら第一助手としても迎えていい。あいつは少し論理的で情熱に欠けるだろ」
それは半分冗談で半分本気だった。
ニコラ・テスラの唯一の助手にして演算機のようなレディ、彼女は常にテスラが何も言わずとも望むものを手渡し、彼に問われた質問を完璧に回答し、彼の喉が僅かに動けばそれを読み取り喉を潤す紅茶を注ぐ。
その献身的かつ理想的な姿はテスラのライバルであり友人であるエジソンも、彼以外の親しい科学者たちも時折口を揃えて彼女を自分の隣へと案内しようとするが、そうした言葉を聞く時、彼女が答えるよりも先に先程まで小気味良く鳴っていたチョークの音が止まる。
「No.Non.エジソン、聞き捨てならない言葉が聞こえてきたんだが?私のレディを、この完璧な最高傑作を私から奪うだと!?」
「なんだ聞こえてたのか、私が来たことに気付いてなかった癖に、だがレディどうだ?ウチに来れば今よりもいい環境を整えてやろう、これまでの助手達の報酬よりもうんと弾んでやるぞ」
「エジソン!君ってやつは!」
「お褒め預かり恐悦至極でございますエジソン様、しかしながら私はテスラ様の機械でございます、私が仕えるのは私を作りたもうたこの方のみでございます」
素敵な提案でございますが…とにこやかに断った彼女に大股で近付いては異議を唱えるテスラは目を丸くする。そしてその言葉を聞いたエジソンは肩をわざとらしく大袈裟にすかして「検討してくれ」と言い残しながら、ようやくやって来たテスラに本題となる話を進め初め、その二人をレディはテスラの助手として静かにその天才たちを支えたが時計の時間を確認しては一度席を外すと告げた。
「それではテスラ様」
「ああレディ、気をつけて」
彼女はそういうとテスラも身をかがめて、まるで二人は慣れたようにその頬を優しく重ね合う挨拶をして、テスラは彼女を見送った。
そして残された二人はその間も互いの議論を繰り返し、時に熱く時に乱暴に、しかし知的で有意義な時間を重ねては一息をついては彼女が机の上に置いておいてくれたエルダーフラワーのジュースを飲んでは喉を潤した。
小さな溜め息が溢れる頃、テスラに視線を向けるエジソンは呆れたような感心するようななんとも言えぬ表情で彼を見つめた。
「いい加減、彼女を認めたらどうなんだ魔法使い様」
「Non.その呼び方はやめてくれ、科学は魔法じゃない」
「魔法じゃない?それならどうしてレジーナは"あぁ"なったんだ、あれを科学で証明なんて私も、そして創造主であるお前でさえ出来ないだろ」
「……あれは一種のバグだ、私の計算ミスが招いたに違いない、そしてそれを弄ぶように神々が彼女に細工をしたのさ、全く人の創造物にくだらない真似をされたものだよ」
そうだ、レディは"人"ではない。
彼女はまさに奇跡の存在であり、彼女を創造したニコラ・テスラ本人さえ、その事については理解し難いと感じていた。
レディは完璧なる人の形をしたテスラの創造物であり、人ではない、彼女は当初ニコラ・テスラが作り上げた完璧なる演算機だったのだ。
彼の研究はいつも孤独であり、それを苦に思うことはなかった、しかし孤独や苦とは別に純粋なる人手が欲しいと願うのは当然のことだった。彼にも助手がいない訳ではなかったが人はいつでも稼働限界があり、脳の作りも身体の作りも特殊な彼についてくる存在は限られており、ヴァルハラにおいても絶え間なく彼の隣で学びたいとする者が現れるもそれは長くは持たなかった。
人はいつでも自分に出来ることを密かに他人に出来ると思ってしまう。
テスラは自分の思考を他人に読み解いて貰えるとは思ってはいなかったが、自分の体力についてきてくれる程度の者であってほしいとは助手なのだからと思った。
しかし人は簡単にそうはいかず、テスラはヴァルハラにて悠久の刻を得た今、彼は折角だからと人型のアンドロイドを作成することにした、それは彼の科学者としての狂気だったのかもしれない。
テスラはそれを芸術だといった。
自身の創作物に愛を持つのは創造主たるものの勤め、彼もまた数多の作品の一つに彼女を作り上げた時、その芸術性を求めてしまい、そして完璧なる女性の肉体を作り上げた。
それはまるでビクター・フランケンシュタイン博士のようだったのかもしれない、どうして彼がそうしてしまったのか、あの時の彼自身も分からなかった。
そして天界、人の死後、選ばれた者だけが招かれるその地の神の一人のイタズラのように、ある日その金属の肉体を持つ彼女に"魂"が芽生えてしまったのだ。
真っ直ぐとした美しいその瞳、作り上げたその機械の身体に血が巡るような血色感を持ち、初めて彼女が「テスラ様」と高揚感を持つように呼んだ時、それは二人の運命を大きく歪めるものだった。
けれど無限の時を得てしまったが故にそれを止めることは出来ず、テスラは彼女を自分の完璧なる機械であり、助手として受け入れることになったのだった。
「あれは奇跡だ、神神がお前に与えた」
「その神々は千年に一度人類を存続させるか否かと会議をするのだから不思議なものだよ、仮に彼女が奇跡だとしても、あの子は私の創造物でしかないよ」
「そういいながらレディを見る目は立派な男のものじゃないか」
「No!!そんなことはない!私が彼女をそんな目で見るはずがないだろう!私は彼女を創った本人なんだ!!」
エジソンの言葉にまるで烈火のごとく否定し始めたテスラをエジソンは笑ってみせる、それは揶揄いを交えたものでありながらも真剣であり、エジソンは彼を見つめてそう思うのなら…と静かに口を開いた。
「機械として見るなら余計なことは不要だ、そうだろ?」
「あ、あぁそうだ」
「そう言い聞かせるならリセットしたらいい、あの子の内部はまだ機械だろ」
「それは、当然そうだが、いやまぁ、彼女が個体としての意志を持ち、私を支えて……」
ブツブツと言い訳を並べるテスラはいつものことであるとしてエジソンは一通り話を終えるとなると椅子から立ち上がり、拗らせ続ける友人に精々考え続けることだと言い捨てて研究室を後にする時、タイミングよく戻ってきたレディことレジーナが「もうお帰りですか?」と愛想良く笑って問いかけることにエジソンは彼女の手入れの行き届いた髪に触れると苦笑いする。
例え彼女に魂が入ったとしても、これほどまでの手入れというのは愛情以上の何物でもないのだと感じるからだ。指通りの良い髪を撫でるエジソンにテスラは「私の作品に無闇矢鱈と触れないでくれ!」と声を荒らげては彼を追い出してしまう。
全く…と小さく声を漏らすテスラは突如自分の胸元に感じた小さなパルスのような衝撃と温もりを受けては驚いてしまう、それは二人きりになった研究室でそれまで淑やかにしていたはずの彼女がテスラを抱きしめたからだ。
彼女は甘えるように左側から彼に抱きついて胸に顔を寄せることにテスラは「レ、レディやめなさい」と告げても彼女はやめなかった。
彼が一番悩みの種だと感じているのはこのレジーナからの愛情だった。
テスラは確かに彼女に自分に従順で正確で、決して逆らうことないようにと機械的なプログラミングをしたはずだが、今の彼女はすっかりとテスラへ向けるものが異性に向けるかのような感情であり、猫が甘えるように彼の胸に目を細めてはスリスリと頬を擦り寄せた。
「テスラ様、お慕い申しております」
「……レディ、あぁもう」
リセットをしてしまえば彼女はきっとテスラの思うような姿に戻る、それでも彼が出来ないのは僅かな情が宿ってしまったからだった。だからこそ彼は精々彼女の名前を呼ばないようにと一線を引くことで自分を保つことにした。
自分がつけた特別な名前だとしても、呼んでしまえばまた一つ二人の歯車が歪んで進んでしまいそうだがら、テスラはただ彼女の背中に優しく左手を添えるだけに留めるのだった。
戻る 次へ
トップページに戻る