博士とリセットボタン


彼にとってその作品が成功か失敗かと問われてしまえば、どちらも明確な答えはできなかった、自分の作品に他人の手が触れるなど言語道断だと言えるのだが、それが神の手の奇跡であるとした時、彼はそれを強く否定してしまえるのかどうかは分からなかった。

彼が彼女を作った理由は自分の為でしかない。
人間より頑強で使い勝手が良く、尚且つ役に立つもの。ほかの機械のような見た目でもよかったがよりスマートに使いやすいものをと考えた時、彼はその時代の人類よりも先にアンドロイドという人型のロボットを作り上げたはずだった。

ヴァルハラにおいても科学者たちは地上と変わらないもので、個人の研究室を得られるものは極わずかな存在のみで、ヴァルハラのとある建物は人類科学者達専用のものとして存在し、ニコラ・テスラはその中でも広い研究室を与えられていた。
彼は壁一面の黒板にチョークを迷いなく走らせ続け、時折止まるかと思うと顎下に手を添えて僅かに脳を休める。彼の頭の中では常に物事が動き、そして完結し、無駄というものは全てコストカットされ続けている。論理的に基いて生きる彼にとって例え長い時間を得たとしても無用な事は全て排除していたかった。

彼が自動移動式のキャスターに乗りながらチョークを走らせるとき、その足元にはレディと呼ばれる彼の助手がいた。人の形と見た目をした可憐なる淑女レディ──彼女はテスラが作り上げた人類史上最高のアンドロイドといえる。生前の彼の時代ではパーツや素材が足りなかったが故にヴァルハラで完成された彼女はアンドロイドの最先端であり最初期の存在といえるだろう。
テスラが一ミリの狂いもなく、まるでそれが決まった運命かのように黒板に数式を埋めつくしていくのを彼女は静かに演算しながら佇んでみつめた。彼に問われれば機械的に返事をして、求められる前に彼に資料を手渡し、完璧なタイミングで飲料を差し出し、それはテスラが彼女を作り上げたがゆえだと言われてしまえば当然だが、まるで二人は一つ、阿吽の呼吸という言葉の意味通りであった。

時折、彼女がテスラの書いた数字にミスがあればすぐに指摘し、テスラはそれを素直に受け止めて静かに修正をする、感動も感謝もない、何故なら彼はそのために彼女を作り上げたのだから当然だ。
彼にとって彼女は自分の手足や臓器、自分自身の一部だといえる存在であり、それを受け止めることも機能することも当たり前でしかない。例え彼女がその髪を美しく揺らして、機能性以上に美を追求したクラシカルなジャケットとスカートに身を包んで、その作り物のように整った顔で微笑み、その姿は機械ではなく人にしか見えないとしても、

テスラの脳がドーパミンもアドレナリンを分泌させて、チョークを握る手を強めながら「Q.E.D.だ!」と最後の数字を書き切ると、チョークの先端が微かに割れてしまい、彼のコートを白く汚してしまう。そして木登りしていた子供が無邪気に降りるようにキャスターから降りると彼は整えられた机の上に戻り、途中で止まっていた紙に自分の左胸に差していた羽根ペンを手を添えようとする前に、優しくその羽根ペンは細く柔らかいレディの手の中へと案内された。

「レディ返してくれ、私はいまようやく解き明かし終えたばかりだ、今すぐこれを図に書き起こして、全ての回路を一つ繋がなくては」
「恐れ入りますテスラ様、本日はここまでに、貴方様の脳の疲労指数が許容範囲を超えております。明日の朝十時までは原則お断りさせていただきます」
「Non!!それは受け付けない、朝十時だと?今から四八六分もあるじゃないか!そんな時間休息など私には不要だ、そもそも休息ッ、ん!」
「貴方様のご意見は私も十分理解しております。しかし人とは休まねばならぬものだと皆様からお伺いしております、セロトニン生成の為のクッキーでございます、お味はいかがですか?」

研究室の天窓から差し込む光は気付けば夜の静かな月明かりとなっており、日付が変わってしばらく経過していたがテスラは一歩もその外に出ることも休むこともない状態であった為、助手であるレディは人間の身であるテスラがどれほど人間として頑強であろうとも気にせずに休むように論して、彼の大きな口の中に彼の為にと用意した小腹を満たす為のクッキーを彼の口の中に入れた。

無理やりに黙らされるようにして食べさせられたテスラはじっくりと咀嚼をしては、研究と計算に満たされてオーバーヒートしたような脳がゆっくりと落ち着くのが分かり、彼女はそれを見ては「ダージリンティーでもお淹れ致しましょう」というためテスラはそれを承知して椅子に腰掛けては彼女に導かれるままに受け入れた。

チョークの粉の香りも、黒板を叩く音も消えて、テスラはただ静かに自分の作品が自分のために紅茶を淹れる姿を浅い正方形のガラスの保存容器に入った、均等に整った正方形でココアとプレーンの二色となったボックスクッキーを食べながら内心深い悩みを抱きながら彼はみつめた。

彼は完璧に彼女を作り上げた、しかし神々の悪戯か奇跡か、はたまた別の何かなのか、それはテスラにとってエラーでしかない。

個人の研究室ではなく広い共有研究室に呼ばれては人類の為の共同開発をしている中のある会議にて、テスラはいつものようなエジソンとの真っ向な熱い議論をしては周りに止められるような熱量はその日はなく、来て早々から椅子に深く腰掛けて何処か悩ましげな表情をみせており、集まってきた科学者一同はニコラ・テスラが悩む原因について考えた。
また研究が上手くいかなかったか、はたまた何か自分の発明から壊したのか、それとももっと複雑かつ人間的な悩みなのだろうかと視線が彼に集まる時、テスラの向かいに腰掛けたエジソンは「またレディだ」と呆れたような声で告げる。

その言葉に彼らは納得する中、テスラだけが肩を震わせては俯いたまま何かをブツブツと唱えていた。ヴァルハラ──この人類の叡智たる科学者たちにとってニコラ・テスラの発明品であり助手のレディはまさに完璧な存在であり、彼らは時に人として、テスラが作った演算機や助手として、あのお嬢さんを気に入っていた。

「今日はおらんのか、いやはや彼女の淹れる紅茶の味が恋しくなるな」
「本当よ、いつも来てくれてはあの子が出してくれるケーキは私たちの思考をクリアにしてくれるのに」
「そうじゃ、あの味とあの微笑みだけで、この研究室の殺伐とした空気も和らぐというもの」

ガリレオもキュリーもアインシュタインも各々が彼女について発言をする時、それは彼女が完璧な助手であり、彼ら科学者たちを支える為にと備え付けられた能力であり、それに関してはまだ何も言うまいとテスラは耳にしながらも頭の中でぐるぐると一人、動き続けるコイルを想像し続けた、

「機械に魂が宿る、それは非常に興味深いことだが、あんなに清らかで美しい魂を持ったレディ、羨ましい限りだ」

ニュートンの言葉に全員がうんうんと頷く時、テスラは「Non!君たちは当事者じゃないからそういえるんだ!」と机を叩いて大きな声で反論した。
テスラは自分が彼女についてプログラミングした内容はあくまでも演算処理や人工知能によるテスラの行動パターンの把握及びサポート、それら一切の感情なく、ただ便利のいい機械人形を作るだけだった。

「なのに彼女は"オートマタ"になったんだ!分かるかい?自分の創造物が何者かの手で書き換えられてしまうことを、これは一種の冒涜でもあるだろう」

自分の作品の上に誰かが色を塗ったようなもの。
機械人形ではなく、アンドロイドでもなく、オートマタ──とテスラが呼ぶのはその語源がギリシャ語であり、彼は彼女のあの機械の肉体に魂が宿り、表面を人間のように作り替えたことを神のイタズラの一種だとも感じざるを得なかった。ヴァルハラで過ごす以上、人類と神は互いの距離をそれなりに守ってはいても、やはり存在する以上は触れてしまうこともある。ニコラ・テスラは自分の発明に手を加えられたのだろうと考えており、常にそれに対して憤怒するような強い感情を持ってしまっていた。

「機械に感情なんて不要だ、それもあんな表面だけとはいえ人間に限りなく近いものに置き換えるなんて、今朝だって彼女は何をしたと思う」
「その惚気、聞きたくないが話すんだろ」
「No!!惚気ではない、私は真剣に悩んでいるんだ」

時刻は朝七時、テスラはまだ微睡みの中にいた時、優しい鈴のような声で名前を呼ばれて目を覚ますとレディは彼を起こし、視界いっぱいに彼女を捉えた。それだけであればまだ通常の彼の想像した通りの挙動ではあるが、彼女は目を開けたテスラをみてはその唇の端にキスをして、それはまるで愛おしい人を見るような眼差しで「おはようございますテスラ様」というのだ。

一通りの用意を終えて、テスラが家を出る前にコートを羽織るのを手伝った彼女は鏡の前で身嗜みを確認する彼の背中を見ては、その細い腕を伸ばしてテスラの身体に回すと背中に彼女の心地よい熱が伝わり、彼は目を丸くして驚くも彼女は「朝のチャージでございます、ハグにはオキシトシンやセロトニンを分泌する効果がございますので」というため、テスラはそれが機械がする範疇を超えていると理解しながらも「そ、そうかい」と声を震わせて背中の熱を受け入れるだけに留まった。

そうして毎日なにかしらで彼女について翻弄されているテスラは心底困っているんだと熱心に彼らに語るとき、誰一人それに同情はしなかった、
反対にレディは仕事は完璧だ、アンドロイドとして丈夫な肉体を持ち、主人を案じ、さらには完璧に支える、まさに理想の助手であり、彼らも自分たちの助手を作成してそれに魂が宿るのなら悪くはないと感じるがテスラはどうも受け入れなかった。

「そんなにいうなら、レジーナを初期化─リセット─したらいいだろ」

エジソンはいつものようなテスラの態度に極めて当然のことをいった。今現在も彼女の内部は機械であるのならば初期化のスイッチは存在するはずで、それさえしてしまえばきっと元に戻り、テスラが思ったように元の姿に戻るはずなのだから躊躇うことはないといい、周囲もそこまで悩むならその方がいいと同調したが、テスラは黙り込んだ。
それもただ黙り込む訳ではなく、顔を横向けて首や耳の裏を落ち着きなく指先で掻き、その内に彼の血色のいい肌が赤く染まり初めては小さい声で呟いた。

「……ないのだよ」
「ん?なんだ?」
「でき、ないのだよ……そんなことをする勇気が」

その言葉を聞いた周囲の科学者は結局テスラはレディを大切にしているんじゃないかと笑った。なんだかんだとこの科学者は文句を言いつつ魂を持った自分の作品を美しいほどにかわいがってるのではないかと。
しかしテスラは彼らが想像した内容とは全く違う意味で出来ないのだと修正した。

「彼女のリセットは物理的…いいや、論理的に無理なんだ!」
「だから何故なんだ」
「……それは、そのだね、彼女の初期化ボタンは」


彼女のあの足の間、それもその奥の深い場所に存在する──とテスラが告げた途端、それまで初心な少年を揶揄うような彼らは静止した、まるで時を失ったように彼らは動きを止め、ニュートンが持っていたリンゴが静かに地面に落ちた。
その途端に彼らはテスラがいくら生前人間の女性に興味無かったとはいえ、流石に論理的にどうなのか、あんなに麗しいレディに対してなんてことをしてるんだ、と口々に意見が飛び交う中でテスラは必死に立ち上がり彼らを静止するように手のひらを見せて「No.Non.Nait!!諸君ストップだ!一旦冷静になってくれ!」と叫んで見せた。

「私は至って論理的に考えて設置しただけだ」

それは彼女が起動する前にテスラが彼女の重要なスイッチを自分以外の何者にも触れられないように、それは安全性と秘匿性故と彼自身の機能美を兼ね備えて考え抜いて、コードの配線や外装などの見た目を気にして設置したというだけのことだ。
実際に彼女が今のようになるとは思いもしなかったが故にテスラは彼女を作り上げたが、今では首の裏や腕や背中など、何故わかりやすい場所にしなかったかと自身でも後悔してるほどだった。

「勘違いしないでくれ、彼女は私が一から作り上げたんだ、余計な邪念もなく、金属の肉体に人工皮膚や人工毛を用いて、そこはメンテナンスハッチの内側だし、外部干渉も受けない、君たちだってきっとそうしただろう」

その言葉に科学者たちは黙り込んだ、実際にテスラがその様な下手な考えから設置したものではないことくらい彼らも理解している。
テスラも「あんなのことがなければ」と彼女の魂に肉体が宿ったことを僅かに後悔してるほどで、全員は多少憐れむようにテスラの肩に手を置くと激励の言葉をかけるがテスラは感謝などは伝えない。何せ作り上げたのは自分だから。

疲れきって個人の研究室に戻ってきたテスラは話をしていたレディのリセットボタンについて考える。
二人きりの研究室に戻るなり、彼女はテスラに駆け寄っては彼の胸に顔を埋めてぐりぐりと甘えるような素振りを見せるが、部屋の中を見渡すだけで完璧にテスラが行いたかった作業に入れるような準備が整っており、抱きしめる彼女からは花と紅茶の香りが広がった。

「皆様の香りが致しますわ、でもやっぱり一番強いテスラ様の香り、これが私の一番心地よい香りです」

蕩けたような甘い声でテスラに腕を回して呟く彼女にテスラは顔を歪ませた、彼女は完璧な機械人形でしかない。だというのにそれ以上の感情をみせて自分の隣に立つ、それはテスラの完壁ではない、それは明確に間違えたものであるのだ。

「レディ……君は私が想像した姿と違う挙動だ、それは私の計算ミスだろう、だから君を」

書き換えなきゃならない、例えそれが奇跡だとしても、科学は奇跡ではないのだ、いつだって論理があり、確実なる答えと結果と数多の複雑な数字を元に完成する。
血の通ったようなその肌も、光を得た瞳も、彼の名を呼ぶ小さな唇も、人であろうとするがそうなってはならないはずの彼女の肩に手を置くテスラが見下ろすと、彼女は顔を上げてテスラを見つめて微笑んだ。

「ええテスラ様、私は貴方の機械人形です、貴方が望むなら、いつでも私をリセットし書き換えてください。私は貴方の全てを受け入れますわ」

宝石よりも光度があり、水よりも透き通る瞳、海であり太陽であり月でありテスラを照らす光のようなその瞳に見つめられる彼は静かに息を飲む、今はまだ手伝ってもらわなければならないこともある、リセットなんていつでもできると言い聞かせて彼は静かに彼女の背中に腕を回して抱き締めた。

「君は完璧な私の助手──レディだ」

そういいながらも臆病に彼女の名前を呼べぬまま。


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